紙の鬼
与田切夜見の使う、トーラス・レイジングブル弾薬は特殊な加工が成されてる。
撃ち込まれた対象の霊力の流れを阻害する、絶縁体のような役割を果たす。
それによって的の術式を阻害又は破壊することが可能となる。
そして夜見の使うサイクロプスは、トーラス・レイジングブルと弾丸の企画が、同じ44マグナム仕様になっている。
弾丸の効果は使用者に左右されない。
だからこそ千草は、この弾丸に賭けた。
信乃の反転が敵の術式によるものならば、それを阻害できれば元に戻せるのではないかと――
だからこそ、保険。
「あの人、こうなることも分かってたのか?」
千草は賭けに勝った。夜見の保険は無駄では無かった。
鎧がバラバラと崩壊し、金色の目も人間のそれに戻っていた。
「……あー良かったやっと、元に戻ってくれた」
ほっとする千草とは対照的に、信乃はどこか脅えているようだった。
「……何で」
震えながら、信乃は口を開く。
「なんでそう、ヘラヘラ笑ってるの!?」
「え、おい待てなんだヘラヘラって。俺いちおー微笑んでる感じで笑ってたつもりだったんだけど」
「そうじゃない! 私は鬼だ!」
「正確には半分、だろ。そんなの前々から知ってるよ」
「そう言うコトを言いたいんじゃない! 千草を殺して楽しんで……千草が記憶処理されたことをいいことに、それを黙ってて……また今日何度も殺した! そんな奴なんだよ私は!」
感情のままに、信乃は叫んだ。
両目から涙が流れているのにも気付かないくらいに。
「私は間違ったことをした……なのに、また間違えた! よりによってまた千草を殺した! その時に全然罪悪感なんて湧かなかった! とても楽しかった! どうしようもないでしょそんな奴!」
まさに自暴自棄。
全てを拒絶するように、信乃は感情を爆発させていた。
だが――彼女は忘れている。
千ヶ崎千草が、静かに彼女の話を受け入れてくれるような聞き上手ではないと。
むしろその対極にあるのだと。
「――知った事か!」
「……は?」
「おまえが鬼だとか、何度も俺を殺して楽しんでたとか、知った事かって言ったんだよ!」
よーし言ってやった。少しすっきりした。
「……な、何よ」
信乃は理解出来ないとばかりに首を振った。
「馬鹿なの!? 知った事かで片付けるとか……危機意識なさ過ぎる! そんな対魔師はすぐに死ぬのがオチよ!」
「うるせー! じゃあなんだ。鬼は外とか炒り豆ぶつけりゃいいのかよ!」
「そんなんで倒せるはずないでしょ! 殴ってよ! 罵ってよ! 命我翔音でもなんでも使ってぶちのめしたって罰は当たらいわよ!」
「こっちは気にしないって言ってんだ! これでめでたしめでたしだろうが!」
「それは千草が知らないから! 不死身じゃ無かった頃のあなたがどれだけ私に酷いことされたか知らないからだよ!」
「お生憎様だな。こっちはもう思い出してんだよ! 仁賀村の野郎に解除されてな! 俺は全部思い出した! だから絶対にお前を拒絶しない!」
「なん、で……」
信じられないモノを見るように、信乃は千草を見た。
確かに千草は信乃に殺された。
今だったたら、割と良くあること――いやまあ、信乃並みに苛烈な痛めつけ方をしたヤツはほぼいないが――と片付けられるが、当時の千草は不死身でもなんでもなかった。
今は殆ど忘れて久しい死への恐怖は並々ならぬものがあった。
思い出しただけで、体の芯から凍っていくようだ。
だがそれでも千草は信乃を拒絶しない。
何故ならば――
「おまえは俺を助けるために鬼になった! 俺を見捨てていれば暴走することだってなかったはずなのに、信乃は鬼になることを選んだんだ!」
「けど結果は最悪な方に転がった! 守ろうと思っても、そんなんじゃ意味がない!」
「どっちみちあのままだったら妖魔に食われて死んでた! 信乃に殺されるか妖魔に殺されるか……信乃が長い間いたぶってたから梓さんが間に合って、俺を蘇生させてくれた!妖魔に丸呑みにされてたらそうなってたか怪しいだろ。結果オーライってヤツだ」
「そんなのただの結果論じゃない!」
「自分の言葉秒で矛盾させてんじゃねえよ!」
完全にいやいやモードである。
だが千草とてここで引くわけにはいかない。
「俺は師匠に200回は殺されてんだ! 最初の1回くらいなんだ!」
「どっちも大問題でしょ!? あと今日だけで200回以上は殺しちゃったことも覚えてるから!」
「いやそうだとしてもだなあ……って待てよ。もしかして俺が師匠のとこにたらい回しにされたのって、アレが原因だったりする?」
「まあ、そうだけど……」
「そっちの方が大問題だっつーの……」
記憶処理された千草の記憶では、ある日起きたら突然夜見の事務所にいた、ということになっていた。
初対面のおっかない対魔師に、
「今日からおまえはここに住むことになる。あと四宮家とは二度と関わるな」
とか言われたのだからたまらない。
四宮家を気に入っていた千草からしてみればまさに青天の霹靂、ちょっとした恐怖体験でもあった。
「当たり前だよ……やっぱり私には資格なんてないんだ。今日、嫌と言うほどそれが分かった」
「それになんだよ資格って……英検三級か? だったら残念だったな。俺はもう準二級持ってるぜ!」
「だから英検じゃないってば!?」
まるで似たような事を誰かに言われたような口ぶりであった。
今だ、さらに畳みかけて――
「だからその、アレだ、えーっと……」
が、今まで感情にまかせるままぶちかましてきた千草だったが、いざ決定的なことを言ってバシッと決めようとしても、とんといいアイデアが思いつかないのであった。
我ながらなんとも情けないと思いつつ、言葉をなんとかたぐりよせる。
「……だから、殺されたくらいでおまえを嫌いになったりしねーよ。絶対に」
あとそうだ、忘れていたことがあった。
「あの時、俺を助けてくれてありがとな。お陰で、食われずに済んだ」
ちゃんとお礼を言ってなかったことを思い出した。
あの時の事を思い出せば思い出すほど、千草は信乃が悪くないように思えた。
確かに彼女は暴走し、千草を殺した。
だがそれはそこまで追い詰めた妖魔が悪い。うん、絶対そうだ。
なんでもかんでも信乃の責任にされては敵わない。
「千草……」
信乃の涙は止まっていた。
その瞳は未だにどのような感情を表せばいいか右往左往している。
まあ、信乃にいきなり自分の全てを受け入れろと言っても無理だろう。
だが千草が言うべきことは言ったし、伝えたかったことは全て伝えた。
これでめでたくハッピーエンド……なんてことにはならないのが現実である。厳しい。
「――!」
信乃は表情を引き締め、千草を抱え跳躍した。
先程まで二人がいた場所に墨が飛来し爆発する。
ここは俺が庇った方がカッコいいんだろうなあとか思いながら、千草は言った。
「おかまいなく、じゃなかったのかよ」
「何かイラッとしましたので」
憮然とした表情で白紙が返す。
「私はあなた達の三文芝居を見るためにこのような状況を作り出したのではありません。まさか再び人間にされてしまうとは……予想外ですが、それ以上に不愉快です」
「生憎だったな。こっちもクリスマスを全力で楽しむためにこの船乗ったんだよ。ま、結果は散々だったけどな」
肩をすくめてみせるが、信乃の小脇に抱えられてる状態なのでいまいち格好が付かなかった。
一難去ったが、根本的な問題はまだ解決していないのも事実だった。
相手は鬼。
周囲の妖魔や対魔師が信乃の鬼化で壊滅している中生き残っているということは、手に余る相手であるということは間違いない。
「千草……」
「隠れてろ、なんて言うなよ? むしろ病み上がりなんだしそっちが休む番だろ」
「冗談。私はまだ戦えるから」
一方、白紙は事を構えようという様子はない。
「取引をしませんか?」
「何……?」
「業腹ですが、千ヶ崎千草。あなたも私達の同胞に加えてもよい、ということです。本来ならば削除する予定でしたが……せめてもの譲歩です。そうすれば身の安全は確実に保証しましょう。お二方を引き裂くことはもうしません。人か妖魔か――どちらの側に立つかが変わるだけの話です」
「え、マジ?」
「真に受けてどーすんのよ!」
すぱんと信乃に頭を引っぱたかれた。
だが少し魅力的であるのも事実なのだ。二人が引き裂かれないという部分が特に。
「嘘ではありません。この命にかけても」
深々と頭を下げる。その前に千草に向けた苦虫を30匹ほど噛み潰したような表情が、超不本意であることを物語っているのだが。
とは言え、千草はこの交渉が早々に決裂することは目に見えていた。
「答えはノーよ。あなたの取引には絶対にのらない」
信乃の答えに、やっぱりなと肩をすくめる。
「……何故?」
「私は人間でありたい。本当は鬼なんだとしても、資格がなかったとしても……それでも、人間として生きたい。それだけは絶対に譲れない」
決然と、信乃は言った。
「……じゃ、俺も以下同文ってことで」
信乃が行かないというのならば、千草が行く理由はどこにもない。
「無駄な感傷を」
「それが信乃のいいところだ」
「……うっさい。とにかくその交渉に乗る気はないわ」
白紙は苦々しい表情をしていたが、やがて全ての感情が抜け落ちたように平静に戻った。
「仕方ありません……こうなってしまっては、最終手段を使うのみ」
白紙は一枚の紙を取り出した。
「――!?」
そこに書かれているのは、鬼化した信乃の絵。
千草は思い出す。
信乃と千草の戦い――まあ一方的にいたぶられていただけというのはさておくとして――その時白紙は、我関せずとばかりに絵を描いていた。
呑気に絵を描いていたわけではない。
嫌な仮定が血と共に千草の脳を駆け巡る。
白紙の力は、描いた物を実体化させる。
それは生物非生物、そして妖魔であることも問わないその異能――鬼化した信乃もまた、その例外ではないとしたら――
「まさか、それを実体化させようって――」
「違います」
白紙は紙を丸めると、口に入れて飲み下した。
変化は瞬く間に始まる。
白紙の左腕から血の鎧が形成され、一瞬で彼女の半身を覆った。
それはまさしく、鬼化した信乃の再現。
「私の力を、コピーした……?」
「そう言う理解で結構です……では、消えてください」
姿がブレた。
信乃は千草を庇うように前に出て、鎧が変形した刃を、刀で受け止める。
信乃の足下に亀裂が入った。
発生した衝撃波に、千草はたまらず転がる。
「嘘だろ……!」
「千草、逃げて!」
こちらに目を向ける余裕が無いまま、信乃は叫んだ。
「見てるだけってのは、性に合わねえんだよ……!」
そう言って千草は駆け出す――が、あっと言う間に転倒した。
何が起きたと振り向くと、そこには切り落とされた脚が転がっていた。
知った事かと前に進もうとした瞬間、地面から次々と飛び出した血の刃が、千草の全身を貫いた。
「これも、鬼の力かよ――!」
引き抜いて脱出しようとするが、それを行うには刃は長すぎる。
さらに刃には一定間隔で返しがついており、引き抜くことを余計困難にしていた。
「!? 千草――」
「よそ見はいけませんよ、我が主」
千草の異常を察知した信乃の首を白紙は掴み、壁に向かって無造作に投げた。
信乃の体は壁を突き破り、闇の中へと消えていく。
白紙は千草に視線を向けぬまま言った。
「不死と言えど、ここから抜け出すのは不可能です。そこで大人しくしていることですね……その方が、楽に滅べますから」
「ふざけやがって――!」
動こうとした瞬間、再び刃が千草に牙を剥く。
白紙は千草の言葉に耳を貸さぬまま、信乃が消えた穴へ悠然と歩いて行った。




