スイッチ・オン
信乃は吼えた。
もうこれ以上、白紙に何も言わせない。
彼女の言葉は全て、人間としての自分を否定する言葉ばかりだ。
それが鼓膜を引っ掻く度に、信乃の心は乱れていく。
信乃の剣はますます荒ぶり、だが確実に白紙にダメージを与えていく。
しかし白紙も謙遜はすれど鬼。
いくら血を流そうが、致命傷以外は傷のうちにも入らぬと、瞬く間に再生してしまう。
鬼の特性だ。滅ぼすには、急所を一撃で破壊するか、再生が追いつかないまで殺し尽くすしかない。
自分の事は後回しだ。
今は目の前の邪魔者を排除する。
白紙の攻撃パターンは二つ
一つ目は爆発する墨を飛ばす遠距離攻撃。
二つ目は紙に絵を描き、それを具現化させる術式。
逆に近接攻撃は全くといって良いほど行わない。
典型的な遠隔攻撃タイプ。
特に絵の具現化――これがなんとも厄介だ。
妖魔も対魔師も彼女の筆で何体も複製が可能だ。
全滅させて一対一に戻そうとしても、その頃には既に新しい兵が白紙の手で生み出されている。
今まで何人も同じ対魔師と戦うことになった謎が解けた。
オリジナルを除いて、それ以外は全て彼女の手で複製されたものだったのだ。
――もしかしてこの船も……?
あまりにも大がかりすぎるが、その可能性は否定は出来ない。
何が鬼の中では弱い方、だ。
そう口に出して罵りたくなるが、実際それだけ鬼が規格外揃いという証左でもあるだろう。
「今の貴女は、自分を押さえ付けている。縛られている。そうやって生きて何の意味があるというのですか? 自分ではない自分を演じていることに何の価値があると?」
脳を戦略を立てるだけの機械にしようとするが、白紙のよく通る声は、容赦なく耳に入ってきた。
そして、否定は出来なかった。
四宮信乃は人間ではない。
肉体は元よりその心も、人間とは違う形をしている。
信乃の「人間としての」思考は全て外付けのものだ。
本来の自分は――嫌になるくらい、醜悪だ。
人間と共に歩むのは――致命的なまでに、ズレている。
「妖魔と人間は相容れない。それは貴女様も御存知のはず――そしてそれは、あの人間も例外ではない」
あの人間――それが誰のことなのか、信乃は嫌でも分かっていた。
「忘れた訳ではないでしょう。自分が何者であるのか。記憶が弄られた訳ではないのですから」
「うるさい!」
最早、子どもの駄々のようだった。
何も反論できなかった。
取り繕っていたものが、全て剥がれ落ちていく。
必死に目を背けていた現実が、信乃に追いすがってくる。
それを振り払うように、信乃は刀を振るった。
「……頃合いですか」
ぽつりと、白紙が言った。
瞬間、苦悶の声がデッキに響き渡る。
攻撃の手を止め、信乃は振り向いた。
その声は、紛れもなく千草のものであったから。
「くっそ――なんだよ、これ……!」
千草の足下には赤い陣が形成されており、そこから光で形成された鎖が彼を拘束していた。
その鎖が発光する度に、千草は絶叫する。
拘束し、確実にダメージを与える術式――違う。
そんな生易しいものではない。
「剥離の術式……!?」
対魔術の一つ。
物体や人間に取り憑いた妖魔を引き剥がす術式。
その原理はモノの本来の形を捉え、それに付着する異物を排除するというものだ。
誰にも取り憑かれていない人間に使っても効果はあまり無い(気持ち疲労が回復することはあるらしいが)。
だが、今の千草は村雨と同化した状態にある。
つまり千草が村雨に取り憑いている状態と判定される。
千草が村雨から剥離すれば、妖魔ではない普通の人間である千草の存在は極めて不安定になり――消滅する。
「千草――!」
白紙を無視して、信乃は駆けた。
罠だろうがなんだろうが、どうでも良かった。
今は、目の前の幼馴染みを助けなければ。
「邪魔だ……どけええええええええええ!」
行く手を阻む妖魔や対魔師に視線を移すことなく、纏めて切り刻む。
「壊刃――!」
刀に霊力を込め、鎖を断ち切った。
砕ける刃。
それと同時に体が傾く千草を、陣の外へ押しやる。
「――だからあなたは甘いのです」
陣の特性が一気に切り替わった。
やはり、罠。
千草は囮に過ぎず、敵の狙いは信乃だった――!
すぐに逃れようとするが、重力を底上げしたような圧迫感で、陣の中に縫い付けられる。
赤い陣は毒々しい紫に変じる。
陣から伸びる光の糸が、信乃の体内に侵入し、血管の如く脈打った。
痛みはない。
しかしそれ以上に不吉な予感が、信乃の体温を下げていく。
浸食される。
だが何のために?
「私を、操る気……?」
肉体を改造し傀儡として操る――そう言う術式の存在は信乃も知っていたが、近づいてきた白紙は首を振った。
「いくら私でも、主を傀儡にするなんて恐れ多い。それは冒涜というものです……それに、そこまで回りくどいことをする必要はありませんよ」
「なんで、すって――」
「少し刺激するだけでいい。活性化させるだけでいい。それだけでいいんです。後は――貴女様の思うがままに」
異変が始まる。
精神が浸食されていく。
人間であれば拒絶するような異常な精神性が、信乃を塗り替えていく。
いや違う――元々歪に矯正されたものが、元の形に戻っていく。
残った人間の心が、その現象に悲鳴を上げた。
信乃は浸食を押さえるように霊力を活性化させる。
自分は人間だ。人間でなくてはならない。
生ある者を引き裂き、けらけらと笑う鬼なんかであるものか。
やめて――そんな悲鳴を上げることすら出来ない。
異形の籠手が、歓喜するように震えた。
「貴女様は解き放たれるべきだ。あらゆる束縛から――人間であるという軛から」
口が意識に反して動いた。
そして言った。
人であることを放棄し――本来の姿に回帰する言葉を。
「――陰陽反転」




