ヘリは墜とすもの
「……あー、今ひとつやる気が出んな。やっぱりアレだ。煙草を吸えば元に戻るかもしれない。体がニコチンを求めている」
「そりゃただの気のせいらしいですよ。ほらほら、たまには師匠らしいとこ見せてくださいよ」
「錯覚がどうした。人は主観の生き物であって、錯覚もまた視点を変えれば当事者にとって真実ということになるだろ」
再び甲板の出入り口に戻ってきた千草達は、ちらりと外の様子を見た。
やはりアパッチのホバリング音は健在である。
「……ねえ千草。本当に大丈夫なの? この人煙草吸わせないと手を抜くとかしない?」
「大丈夫だろ。少なくとも1年以上は煙草吸わずにやってけたんだし」
もっとも、こその積み重ねも今日をもってパァになったわけだが。
「よし、作戦を確認するぞ。まずは千草が囮だ」
「……やっぱそこは決定事項なのね」
千草としてはもう慣れたものだ(あまり慣れたいものではないが)。
信乃はこのことを抗議していたが、結局却下することは叶わなかった。
元々連中の狙いが千草である以上、一番の適任であることは誰も否定できない。
「そして信乃。おまえは弾丸を切って釘付けにしろ」
「分かりました。それで与田切さんは――」
「――私の術式で一気に吹っ飛ばす。これで終わりだ。後は仲良く救命艇で逃げる」
「了解。特に最後の仲良くってところが最高だ」
「私はそこに一番異議申し立てしたいんだけど……」
「ゴチャゴチャ言うな。そら、作戦開始だ」
そう言って夜見は千草を蹴っ飛ばし、甲板に転がした。
「いつつ……まったく、もう少し弟子を労ることを覚えて欲しいもんなんだけどな」
そんな愚痴はすぐに続かなかった。
アパッチは千草の存在に気付いたらしく、機関砲の標準をこちらに向ける。
「ヤバっ……!」
鼓膜をつんざく銃声。
甲板がズタズタにされる中、千草は全力で駆けだした。
死なないと分かっていても、すぐ後ろを弾が抉っていく恐怖は、千草の心をかき乱す。
しかしその時間も永遠ではない。
大気を震わせ飛び出した信乃が、千草の前に立ち塞がり、前回同様弾を弾き始める。
アパッチを釘付けにすべく、千草も信乃の後ろに回り込んで逃げるのをやめる。
なんともカッコ悪い光景だが、これが一番理にかなった戦術であることは否定できない。
「師匠! お願いします! いつまで信乃が保つか分からない!」
「皆まで言うな」
お膳立ては整った――後は、与田切夜見が終わらせる。
悠々と甲板を歩いて来た夜見は、アパッチのパイロットの視界に入らない場所に陣取り、トーラス・レイジングブルを取り出す。
レイジングブルには、撃鉄部分に鍵穴が存在する。
これは安全装置の他に銃をロックするためのものだが、夜見が改造したレイジングブルは、この鍵穴はまったく違う役割を持っている。
キーを鍵穴に差し込み捻ろうとした瞬間、不愉快な鳴き声が空に響き渡った。
「何……?」
夜見は空を見上げる。
太陽を背に飛来したのは――全長五メートルはある真っ赤な鳥。
だがそのクチバシには不揃いの歯がぞろりと並び、金色の目はぎょろぎょろと四つもある。
「妖魔……!? なんで今ここに!」
千草も気付いたらしく、呆然と空を見上げている。
予想外の事態に、夜見は小さく舌打ちした。
「作戦変更だ。あの鳥は私が墜とす!」
「じゃあ、俺達は……?」
感づいたらしく、千草の頬に冷や汗が落ちていった。
「勘がいいな。そうだ。そのヘリはおまえらで墜とせ」
「マジかよ……!」
「マジだ。その代わり、あの鳥はいないものと考えろ」
それ以上は何も言わずに、レイジングブルの照準を怪鳥に定めた。
引き金を引く。
銃声と共に、44マグナム弾が空を舞う。
本来ならば妖魔のいる位置は、本来のトーラス・レイジングブルの有効射程から外れている。
――が、夜見のレイジングブルは対妖魔用に調整された特別製。
「――視界に入っているのならば、当たるさ」
命中。
人間サイズの羽が散った。
怪鳥の巨体に比べれば、大口径と言われる44マグナム弾でも豆鉄砲に過ぎないだろう。
だが、夜見の弾丸は特注品。
通常の44マグナム弾と比べて値段は何倍もするが、それに見合う効果はある。
怪鳥は怒りの咆哮と共に、夜見の方向へ転換し羽を次々と射出する。
夜見は回避し、避けきれないものは弾丸で撃ち落とす。
地面に衝突した羽は起爆し、体が爆風で煽られる。
「さながら空爆だな――面倒な」
煙が上がる中、夜見は空を睨む。
千草達から引き剥がすように夜見は走る。
その間に弾丸を補給することも忘れない。
戦う者達に高低差があり、どちらも遠距離武器を使う場合、低いものが不利だ。
「チマチマ弾丸を撃つより、一発デカいのを撃った方が良さそうだな」
あそこまでデカいと、ダメージを与えられても一撃で致命傷を与えることは難しい。
撃ち続ければ、粘り勝ちも狙えるだろうが、弾がもったいない。
「さっさと決めて――」
瞬間、夜見の周囲に赤い結界が展開した。
怪鳥の目が歪む。
計画通り、と言わんばかりに。
夜見の体を囲むように羽が撃ち込まれていた。
「爆撃はブラフ――こっちが本命か。デカい図体の割にこすい手を使う」
足下に展開された術式を一目見て、夜見はその特性を理解した。
相手を結界内に拘束し確実に焼き殺す代物。
数秒もしないうちに夜見は黒焦げになる。
――が、夜見は相変わらす涼しい顔のままだった。
レイジングブルを結界の中心部に向かって撃つ。
瞬間、結界に次々とノイズが走り、やがて消滅した。
怪鳥がぎょっと目を向いた。
「言い忘れていたが、私の弾丸は特別製だ」
妖魔、人間問わず展開された術式や霊力に物理的に干渉し阻害、又は破壊する。
それこそ、この弾丸の真骨頂――
続けざま、残った弾丸全てを怪鳥に叩き込んだ。
怪鳥の体勢がぐらりと崩れる。
「――決めるか」
排莢し、新たな弾を装填しないままシリンダーを元に戻す。
取り出した鍵を鍵穴に差し込み、捻った。
レイジングブルがその名に恥じぬ唸り声を上げる。
夜見は弾丸が装填されていないそれを、怪鳥に向けた。
に黒い輝きという矛盾めいたモノがシリンダーに装填されていく。
周囲にはバチバチと霊力のプラズマが弾ける。
大気も、霊力も、全てが荒れ狂っていた。
怪鳥は理解したらしい。
今から撃たれるモノが、自身に破滅をもたらすモノであることに。
攻撃すらせず、水平線に向けて一目散に逃げようとするが――
「無駄だ」
発射。
咆哮のような銃声と共に撃ち出されるのは実体を持たぬ弾丸。
当然だ。
この弾丸こそ夜見の術式そのものなのだから。
怪鳥の飛行速度を嘲笑うかのように、弾丸は一瞬で追いつきその身を穿った。
だが当たったのは脚。
致命傷には至らない――普通の弾丸であれば。
「――滅壊」
術式の名を口にした瞬間、被弾箇所から黒い点が発生した。
その点は巨大な穴となり、周囲のあらゆるものを吸い込み始める。
当然、怪鳥も例外ではない。
翼が、肉が、骨が、血が、断末魔すらも――千切られ、引き裂かれ、潰され、吸い込まれていく。
着弾から僅か五秒も経たぬ間に、怪鳥がこの世に存在した痕跡は抹消された。
時間は僅かに前後する。
「くそっ 完全に師匠アテにしてたってのに、こんな展開ありかよ!?」
「仕方ないでしょ。想定の範囲外のことが発生しうるって想定もしておかないと」
銃弾を弾きながら、信乃が行った。
「あーもう頭こんがらがってきた。なんだよそのニュートロンジャマーキャンセラーみたいなの」
とは言え、突如現れた妖魔を夜見が引き受けてくれたのは好都合だ。
少なくとも分断はできている。
問題はどのようにしてこのヘリを落とすかだが――
「信乃、遠距離で使える武器とかあるか」
「刀ぶん投げるのもカウントできるならあるけど、今は無理!」
確かに千草の盾になっている状態でそれは困難だろう。我ながら無茶な注文だった。
「よし。だったら、俺がまたヘリを引きつけるからその隙に――」
「――私が刀ぶん投げて落とせって? 却下よ却下!」
「あー、やっぱり無理か? コクピット狙えば勝手に落ちると思ったんだけど」
「確かに出来なくはないけど、千草がズタズタになっちゃうでしょ!?」
「いいだろ再生能力持ってんだから!」
むしろそんな自分を、常人離れしているとは言え人間の信乃が盾になっている今の状況の方がよっぽど歪だと千草は思う。
どちらも近接戦を得意とする対魔師で、銃弾が身を守ることはできても反撃する手段が乏しい。
どうする? 何か方法はないか?
頭を抱えて考え――ふと、自分の手に巻かれたものを思い出した。
命我翔音。
衝撃波の術式が刻まれた、伸縮自在の対魔符。
灯台下暗し、とはまさにこのこと。
だがいけるのか?
失敗したらただでは済まない。
そのまま拘束されるかもしれないし、海に放り出されて戻って来れないかもしれない。
「やるしか、ないよな――!」
機関砲を信乃が押さえ付けている今しかチャンスはない。
千草は信乃の背後から飛び出し命我翔音を伸ばした。
一直線に飛んだ対魔符は、狙い通りプロペラの支柱に巻き付く。
命我翔音の特性とプロペラの回転によって、千草はアパッチに向かって一直線に飛んだ。「この距離じゃ狙えないだろ……!」
一気に距離が詰まる。
機関砲もミサイルも、ここまでくれば意味を成さない。
ここからは、千草の間合いだ。
今は右脚にも命我翔音が巻かれている。
千草はその命我翔音にありったけの霊力を流し込んだ。
オーバーロードによって、命我翔音が蒼く燃える。
猛スピードでアパッチが迫る。
パイロットの引きつった顔が、僅かに見えた。
「チェスト――バスタァァァァァ!」
ヘリコプターのどこが胸部なのかは分からなかったが、千草は叫んだ。
炎を纏った空中蹴り。
アパッチに搭載されたガラス全てが粉砕され、ヘリ本体も歪んだ。
蹴りの勢いで、プロペラの支柱も曲がり、アパッチはヘリとしての役目をマットすることは不可能になった。
回転しながら墜落するアパッチ。
千草も運命を共にする――なんて気はさらさら無い。
「間に合え……!」
支柱に巻き付けた命我翔音と別れをつげ、もう一方の手に巻いていた命我翔音を船の柵に巻き付けた。
が、引き寄せるには時間が足らず、船体に思いっ切り体を叩き付けるハメになった。
ごんっ、という鈍い音が反響する。
鼻血が出た。
「あーあ、やっぱり脚吹っ飛んじまった。ま、脚一本で落とせるなら安いもんか」
特定の箇所に霊力を過剰に注ぎ込むオーバーロードは、本来対魔師にとっては避けなくてはならないものだ。
武器を破壊するエネルギー事敵にぶつける壊刃ならばまだしも、再生能力を活かして肉体を犠牲にする手法は邪道中の邪道なのである。
自分の体を犠牲にして、ようやく千草は他の対魔師と肩をなんとか並べられているのだ。
「4分の一人前と言われても、仕方ないよな……」
今は砕けた右脚の再生よりも、船に戻る方が先だ。
そのまま命我翔音を使って戻ろうとした瞬間、
ぼきっ
「はい?」
折れた――何が?――柵が。
千草と船をつなぎ止める唯一のものが今、ぺっきり折れたのである。
「嘘だろおおおおおお!?」
千草は極寒の海が、こっちこいよ! と手招きしているのを幻視したその時、落下が止まった。
「え……?」
上を見ると、信乃が外れた柵を掴んでいた。
「信乃……!」
「ふんぬぅうううう!」
ぶんっと上に向かって振り抜く。
千草の体は空に舞い挙げられていた。
「うわああああああああああああ!?」
そして今度は重力に従って落下するところを、信乃に受け止められた。
丁度お姫さま抱っこのようである。
意外と悪くない気分だった。
「悪い。マジで助かった……」
「本っ当に悪いわよ! いきなり飛び出したと思ったら……!」
信乃は怒り心頭といった具合に唇を震わせている。
「いやまあ、切れる手札の中でこれが一番マシといいますか」
「せめて何をするか先に言いなさいよ!」
「言わなくてもなんとなく分かってくれるんじゃないかって……」
「ええ分かったわよ。とんでもない無茶をやらかすってことがね」
それにあの作戦は敵の不意を突く必要があった。だからこそ、千草はそんな素振りを見せずにすぐ動いた。
さすがに信乃に求めすぎかとも思ったが、すぐに理解してくれたのはラッキーだった。
「でもまあ倒せたし、結果オーライだろ?」
「結果だけはね……まったく、あなたの戦法って命がいくつあっても足りないわ。無事で良かったけど」
ひとまず下ろしてもらい、甲板に寝っ転がる。
空を見上げると、丁度怪鳥が、夜見の術式に吸い込まれている様子が見えた。
「うっへえ、いつ見てもおっかねえな。師匠の術式」
「あれが滅壊……噂には聞いていたけど、とんでもないわね」
「だよな……」
同じ対魔師であるといわれても、この実力の差はあまりにも大きい。
もっとも、千草からしてみれば信乃も十二分に凄すぎるのだが。
「……ん。おまえ達も終わったか」
ブスブスと煙を上げているレイジングブルを手に、夜見が戻ってきた。
「師匠にも見て欲しかったですよ。完璧な作戦と連携でしたからね」
「作戦って、ああ言うのを行き当たりばったりって言うのよ」
「でもいいじゃん、落とせたんだし」
どうも信乃はそこら辺が細かくていけない。
「よし、やることやったし逃げるか」
「さすが師匠。話が早い」
「いや、まだ行方不明になってる人達が――」
その時、拍手が聞こえてきた。
3人が振り向くと、そこにはいかにも高そうなスーツを着た三十代半ばの男がいた。
「お見事! まさかアパッチを落としてしまうとは……正直、これは予想外だった」
「……誰?」
千草は首を傾げた。




