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始まる異変

「んん……」


 千草は目を覚ました。


「……結局何もなかった、と」


 結局昨夜の千草の苦悩は完全にひとり相撲だったようだ。少し残念に思うやらホッとするやら、中々複雑な心境である。


「しっかし、よく眠たな……」


 途中で一度も目を覚ますことなく、たっぷり睡眠を取った感覚があった。

 いいベッドだったからだろうか。事務所検事宅にある布団とは全然違うことは確かだが、ここまで変わるものなのだろうか

 はてと思ったところで、千草は視界が暗いことに気付いた。

 休日は思いっ切り寝るタイプなので、今は結構な時間になっているはずだ。

 どうも周囲が暗いのではなく、千草の視界に覆いかぶさっている何かが日光を阻んでいるらしかった。


 とくんとくんと心臓の鼓動も聞こえる。

 どうやら千草は抱きしめられているらしい。

 では誰だ?

 酔っ払った師匠が枕と勘違いした……? いやいや、夜見とは物理的にかなり離れている状態だ。

 では誰かと言うと……


「ん……」


 いつもより寝ぼけた声。しかし声の主は紛れもなく――


「信乃……?」


 抱きしめられている状態から脱出してみると、やはり相手は四宮信乃その人であった。

 そして脱出の際にもぞもぞ動いていたせいか、信乃もゆるゆると目を覚ました。


「あ、千草……おはよ」

「お、おう。おはよう……」


 いつもより五割増しでふにゃふにゃしていた信乃だが、やがて徐々に目の焦点が合っていき、ぼぼばんと顔が赤くなった。


「え、なんで私っ……違……!」


 信乃は動揺の余り、どんがらがっしゃんとベッドから墜落した。


「うぅ~」


 後頭部を押さえ涙目になっていた。

 だが心配そうに覗き込んできた千草に気付くと、びくん! と体を震わせた。


「えーっと、大丈夫か?」

「う、うん。平気……じゃなくて! 別にこれはやましい気持ちがあったとかそういうんじゃないから! 私も疲れてたっていうかここが千草のベッドだって知ってたけどその何の違和感なくするっと入っちゃったっていうか昔はよくやってたことだからついくせで――ってあああああ!? 言い訳になってないじゃない!」


 完全にパニック状態であった。

 こんな姿を見ていると、こちらの方が冷静になると言う物である。


「オーケイ落ち着け。分かったから、つまりこれは事故なんだな?」

「あう……まあ……そうかも」


 目を伏せてぽしょぽしょと信乃は肯定した。

 人間疲れると童心に返りたくなることがあるものだ。

 確かに四宮にいた頃は部屋も同じだったので、こう言うことは珍しくなかった。

 逆説的に言えば信乃はそれだけ疲れていたということになる……むしろ、疲れていたと言葉にできるだけ健全な状況ではないだろうか。


「そう言えば今何時なんだろ……ってもう10時! こんなに寝てたなんて……不覚だわ。五時には起きてる予定だったのに」

「まあ、それだけ疲れてたってことじゃねーの?」

「そんなこと……ない」


 じゃあなんで目を逸らすのか。


「おまえ、普段何時間寝てんだ?」

「特に決まってないけど……大体三時間くらい?」

「それじゃ絶対足りないだろ……ナポレオンじゃねーんだぞ」

「私、ショートスリーパーだから」

「へーへー、そうかい。十時まで大爆睡かます奴がショートスリーパーだったらあれか、ロングルスリーパーは二十五時間くらい寝なくちゃいかないだろうな」

「うぐ……」


 だが、ここまで寝たのは彼女の肉体にとってよかったのかも知れない。

 心なしか、昨日より顔色が良くなっている。


「と、とにかく、仕事しないと……」

「待てい、まずは朝メシだ。何か食わないと始まらないだろ」

「別にお腹なんて……」


 ぐきゅるるるる、と胃袋が激しく自己主張してきた。


「どうやら体は正直らしいぜ」

「なんか言い方気持ち悪い」


言葉の矢がぐさりと突き刺さった。


「うおっほん! とにかくメシにしようぜ。豪華客船の朝食って言ったら、きっととんでもなく美味い物あるんじゃないか?」

「分かったわよ……」


 信乃も渋々ながら了承した。

 二人は離れた場所(信乃はベッドルーム、千草はリビングルーム)で着替えを済ませ、部屋を出た。


「……?」


 信乃が眉を寄せて周囲を見渡した。


「どした? レストランの方向はあっちだぜ」

「そうじゃなくて、何か変じゃない?」

「変って……別に怪しげな奴なんて誰もいないだろ」

「確かにそうだけど、他の人達は? この時間帯で、一人も人がいないなんてあり得る?」


 ――静かすぎる。

 信乃に指摘されて気付いたが、こんな時間にここまでの静寂というのはあり得るものなのだろうか? 人のざわめきすら感じない。

 まるで、この船の中に自分達しかいないような、そんな嫌な感覚であった。

 いかにもリラックスしなと言わんばかりのゆったりした音楽も、今や寒々しい。


「そりゃあ……確かに妙な気がするけど、たまたまじゃねーの? レストランに行く途中誰かとすれ違うかもしれないし」


 嫌な予感がしたが、ないないと首を振って振り払う。

 妖魔は倒したんだ。

 これから待っているのは、再開した幼馴染(と、ついでに師匠)とのまったりとした船旅のはずだ。

 そう思いながら向かう二人だったが、嫌な予感というのは何故か的中率が高い。

 レストランに向かう途中も、誰ともすれ違わなかった。

 それどころか、レストラン自体が開店していなかった。


「どう言うこと……?」

「……」


 千草達はレストランの中に入った。  

 当然と言うべきか、ビュッフェの用意もされていない。

 千草は手をアルコール消毒して厨房へ入る。

 膨大な量の食事が作られているはずの銀色の空間にも、やはり人はいない。

 そこにあるのは、食材と料理だけ。

 その料理の完成具合もばらつきがあり、完成しているものもあれば、明らかに下ごしらえ段階としか思えないものもちらほら目に付く。


「まるで料理をしている途中に、人が消えたみたい」


 フライパンの中で半透明になっているスクランブルエッグを覗き込みながら、信乃は言った。


「まるで、じゃなくてマジでそうだろうな」

「これも妖魔の仕業って事? もしそうだとしたら、どうやってここまで大規模な術式を行使したのかしら……?」

「けど、いつ起こったのかはなんとなく分かる」

「本当? でも、どうやって」

「料理の段階だよ。こういう所って朝食が作られるのって早朝か、それより早い時間帯なんだよな。んで、それが完成しているのもあればそうでない料理もあるって事は、何かあったのは早朝あたりってことになる。レストランの開店時間が六時だから、少なくともその時間までに何かが起こったってことになるんじゃないか?」


 以前バラエティ番組でホテルの朝食を作っている映像が流れていたのを、千草は覚えていた。

 勿論、クルーズ船とホテルでは全てが同じという訳にはいかないだろうが、そこまでかけ離れているというものでもないだろう。


「迂闊だった……いつも通り起きてたら、異常を見逃すこともなかった筈なのに。あろうことか、爆睡してたなんて」

「それだけ疲れてたってことだろ。あっちが気配を隠してたらそれまでだし、乗客を丸ごと消しちまうような相手だぜ? 信乃一人でなんとかできたとも思えねーよ……あ、これ美味いな」

「って何で食べてんの!? こんな非常事態に!」


 千草は既に完成されたベーコンエッグを、トーストにのせて食べている。

 冷めてしまっているが、絶妙な半熟加減の黄身がベーコンとパンに絡んでなんとも言えない味わいである。


「非常事態だからだよ。食えるもんは今のうちに食っといた方がいい。どのみち、こんな状態じゃこいつら全て廃棄処分だ。方が供養になるってもんさ」


 パンにスクランブルエッグをのせて、信乃に渡す。


「うぅ、ごめんなさい。食べた分は後で弁償しますから……」


 どこにいるかも分からない料理人達に謝罪をしながら、しかしすごい勢いでパンを胃袋に収めていく。

 このレストランの食事代も全て料金のうちに入っているので、その必要はないと思う千草だが、突っ込むのは野暮というものだろう。

 それから二人は、ソーセージに焼き魚に卵焼き、野菜の煮物にご飯に漬物にと、和洋の区別なく、食べられる食事を食べられるだけ胃袋に詰め込んだ。


 最後に食事を摂ってから既に12時間程経ってたので、二人ともかなり空腹だったのだ。


「ふー、食った食った。よし、次は調味料を調べるか」


 一流レストランがどんなものを使っているか興味津々の千草だったが、信乃は服の襟をぐいと掴んだ。


「それは関係ないでしょ」

「チッばれたか」

「ばれたか、じゃないわよまったく……」


 腹をさすりながら、千草は信乃と共に厨房を出た。念のために命我翔音を巻いておくのも忘れない。


「さて、ここからどうすっかな……ひとまず師匠に連絡するか」


 腹が減っていてすっかり忘れていたが、夜見がどうしているかは未だに不明である。乗客のように消えているのか、はたまた千草達のように消えていないのかも分からない。


「俺達が無事なら師匠も無事だとは思うけど……ん?」


 圏外

 千草のスマートフォンにはそう素っ気なく表示されていた。

 信乃の方を見ると、彼女も首を振った。


「乗客は消えて、スマートフォンも圏外……なんか、嫌な感じね」


 千草も同感だ。

 何より、自分達だけが残されているという部分がいやらしい。

 この現象には、紛れもなく悪意が介在している。

 だが、これは本当に妖魔の仕業なのか……?


「――千草!」


 瞬間、千草は信乃に押し倒されていた。


「おおお信乃!? おまっ、なんつー大胆な……」

「違うわバカ! よく見て!」

 顔を赤らめる千草に対して、信乃の表情は真剣そのものだ。

 無理もない。

 千草が今までいた場所には大ぶりのナイフが突き刺さっていた。

 信乃が睨んでいる天井の方を見ると、そこには痩せぎすの男が一人、張り付いていた。


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