煩悩と陰謀
一方その頃、千草は何をしていたかというと。
「あれはどう言う意味だったんだ……?」
ベッドの上で腕を組み、ピーンと脚を伸ばして三点倒立の腕無しバージョンをしていた。
ハタから見れば珍妙極まりない光景であったがしかし、今この部屋には千草しかいない。信乃は少しばかり前に大浴場へ行った。
そう、それが問題だった。
普通にお風呂に入ってくるだけならばそれでいい。帰ってきた後にまたくだらない話でもすればいい。スマホかテレビで一緒に映画を観るというのもまた一興だろう。
だがそうでない場合……つまりその、適正な年齢に達するには2年ばかり早い行為の前準備としての風呂だったとしたらどうだろうか。
「待て待て……いくらなんでも唐突すぎるだろ」
自分達は再会したばかりなのだ。
それに自分は男女2人で同じ部屋に入ったら合意、なんて考えるケダモノではない。
しかしクリスマスは目と鼻の先。そしてクリスマスには奇跡が起こるものだ。
今日も四捨五入すれば実質クリスマスみたいなものなので奇跡の一つでも起こるのは不思議ではないし、その奇跡がちょっぴり大人向けというかノクターン向けな方向性だったという事に過ぎないのではないか?
既に信乃と再会できた時点で奇跡なのだ。そして奇跡は連続して起こる物である。多分。
「ということは、俺が今まで童貞だったのはこの日のための伏線だったってことか……?」
なるほど、伏線であるならば回収しなくてはならない――
――いや待て落ち着け莫迦者が。
もしこれが千草の盛大な勘違いであったらどうする?
まず関係は間違い無く崩壊するだろう。
信乃との関係との破綻か、この先一生童貞かと問われれば、千草は迷いなく童貞を選ぶ。
「幼馴染は童貞より重し……うん、コレはなかなかの名言だな」
そのうち広辞苑にも載るかも知れないとか思いながら、千草は過去に思いを馳せた。
過去の自分に、おまえは信乃と離ればなれになるぞと言ったら、過去の自分は信じるだろうか? いや、きっと信じるまい。
あの時の千草は、長い人生の中で自分と信乃はずっと一緒なものと考えていた。
恋人になるとか結婚するとかそう言う明確な関係性を思い描くことはなかったが、なんとなくそんな気がしていたのだ。
今思えば呆れ返ってしまうが、小さい頃の千草は割と本気でそう思っていたのである。
「ん?」
ふと、違和感をおぼえた。
「……俺、なんで四宮家から追い出されたんだっけ」
あの時は梓も存命だったし、余程のことがなければ追い出されることはなかったはずだ。
しかし具体的に何があったのかと言うと、首を傾げるしかない。(今の体勢では出来ないが)
記憶をたぐりよせようとしても、それらは徐々に曖昧になっていく。
考えれば考える程、記憶の輪郭がぼやけていく。
そして千草は、いつの間にか眠りへと誘われていった。
大浴場を後にした信乃は、その脚で船の中を回ってみた。
風呂に入った後体を動かすなんて本末転倒のような気もしたが、そのまま部屋に戻れる心境でもなかった。
かなりの時間がかかってしまったが、妖魔が活動している様子も無かった。
「昼に倒したのが全部だといいんだけど……」
しかしあれも奇妙な妖魔だった。信乃はあのタイプの何回か戦ったことがあるが、分裂するという特性は今まで見たことがない。
それに乗客名簿にもなかった謎の少女――結局彼女は何者だったのか。
何かが胸につっかえているような違和感を感じながら、信乃は部屋へと戻った。
「ただいま……千草?」
返事はない。
首を傾げながらベッドの方を見ると、千草がベッドの上で寝ていた――何故か倒立じみた体勢で。
なんともアクロバティックな寝姿であったがしかし、信乃は特に驚かなかった。
どうせ考え事をしたまま眠ってしまったのだろう。千草が四宮の家にいた頃にはよく目にしていた光景だった。
千草は普通の人間であったために、四宮流の対魔師の訓練は受けられなかった(それで彼がふて腐れることも多かった)が、決して身体能力が低かったわけではない。
この寝姿もある意味千草の体幹の良さを示す物なのであるが……やはり少々マヌケな光景に見えることは否めなかった。
「まったく、変わらないんだから」
誤解されてしまったのではないかと思っていた自分がバカみたいだ。
しかしこのままでは頭に血が上ってしまうので、普通の姿勢に戻すことにした。
昔はよくやっていたことなので、これくらい造作でもない。
「……む」
千草の体は、小さい頃と比べて筋肉が付いていた。シャツ越しでもそれはよく分かる。
――いやいや何を考えてるんだ私は。
こんなところで煩悩炸裂させてどうする。
千草を仰向けの体勢で寝かせた信乃は、ふあっと欠伸をした。
「眠い……」
ここ最近ちゃんとした睡眠の時間を取れていなかった。
睡魔はその足りない分も耳を揃えて払ってもらおうと言わんばかりに、信乃を眠りへ誘おうとする。
「少し、寝るか……」
今までだったら無理にでも起きようとしていたが、今は素直にそう思った。
千草が一緒にいるだけで気が緩んでいる。我ながらなんとも単純なことだった。
電気を消してベッドに横たわり、布団をかける。
そして最後に千草を抱きしめた。
「……あれ?」
何かおかしい。
しかし何がおかしいかは分からぬまま、信乃は眠りへと引き込まれていった。
とある客室のリビングルーム。
ソファーに向かい合って座る二人の男女がいた。
「……今から仕掛けますか?」
白髪の少女――白紙の問いに、上等なスーツを身に纏った青年はチッチッチと指を振った。
「まだ早いだろう。深夜の襲撃は誰しも警戒するところ……狙い目はその緊張が緩む夜明け前だ」
「分かりました。その後は手筈通りに」
「四宮信乃は頼んだよ。私達は村雨をいただきく」
「私達の目的は彼女だけです。それ以外は好きにすればいい」
その澄み切った瞳には、一点の曇りもない。
「――全ては、我が社のために」
「――全ては、我が主のために」
千草達が知らぬ所で、計画は密かに動き出していた。




