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大浴場の決闘

「どう考えても、理由が無理矢理過ぎる……」


 ずぉ~んとジメジメしたオーラを身に纏いながら大浴場に向かっている信乃は、このおめでたいクリスマスクルーズの雰囲気にあまりにもミスマッチだった。

 そもそも再会したばかりの幼馴染が部屋にいる状況で話を一方的に切り上げて、風呂に向かうとか、余りにも非常識極まりない行動である。

 嫌われていると誤解されても仕方がないのではないか?


「違うのに……」


 信乃は千草を嫌ってなんかいない。嫌いであるはずがない。

 しかし千草の何気ない一言は、信乃の平静を奪うのに必要充分すぎたのだ。


「――下手に守られるよりは、か」


 かつて梓に聞いた話では、千草の両親は幼い彼を庇うように死んでいたという。

 そして千草は、それを忘れていない。記憶処理で忘れるという方法もあったのだが、本人が頑なに拒んだのだ。

 その過去を考えてみれば、信乃の行動に反発する理由はあまりにも明白だ。

 元々チケットを破いたのは、妖魔を引き寄せる体質を持っている千草を、妖魔が潜む船から遠ざけようとしたからだった。

 千草には危険なことに首を突っ込んで欲しくなかった。ただでさえトラブルに巻きこまれやすいのだ。


 しかし信乃の行動は千草からしてみれば余計なお世話だったのだろう。というか絶対にそうだ。

 だが信乃は、守りたいと思ってしまうのだ。

 世界の誰よりも。

 彼が不死の力を持っていたとしても。

 

 ――どこまでも愚かしい。

 ――以前そうやって、どんな結果になった?

 ――今回も同じだ。

 ――守ろうとして傷付ける

 自分はまた、繰り返すのか?  


 そんなの嫌だと思っても、繰り返さないという自信はない。

 四宮信乃がこの世で一番信用していないのは、他ならぬ自分自身なのだから。

 考えれば考える程、ネガティブな感情に支配されていく。

 切り替えなければ。

 忘れることは許されなくても、切り替えることは必要だ。任務に支障が出かねない。

 まずは風呂に入ろう。

 そう決心して大浴場に到着すると、その入り口に人払いの対魔符が貼られている事に気付いた。


「まさか、妖魔……!?」


 撃ち漏らしていたか、はたまた新手の妖魔か。

 どちらにせよ確かなのは、大浴場の中は既に戦場と化しているということだ。

 恐らく戦っているのは夜見だろう。

 手の甲を噛み、滲んだ血で禍々しい籠手を生成する。

 信乃は風呂に入るためのタオルを放り出し、大浴場に飛び込んだ――!


「……え?」


 静かだった。

 まるで戦いなんてないかの如き静寂。

 湯気で曇った視界の中で、のんびりと湯に浸かっている人間がいた。


「与田切さん……?」

「……ん? なんだ、梓の娘か。どうした、そんな格好で。ちゃんと服を脱いで入ってこい」


 梓の娘、と言うのは確かに事実ではあるが、ずっとその呼び方をされるのは気に食わなかった。


「……信乃です。あの、それで妖魔はどこに?」


 このリラックスした様子を見る限り、既に戦いは終わってしまったのだろうか。


「そんなもんいないぞ、最初からな」

「人払いの対魔符が貼ってあったんですけど」

「アレは風呂を貸し切りにするためだ」

「そんなことのために使ったんですか!?」


 対魔師の力を私利私欲のために使うのは基本的に御法度である――まあ、そんなの知った事かと濫用しまくる輩はごまんといるのが現実だ。その良い例が目の前にもいた。


「私はこの船の乗客共のために身を粉にして働いたんだぞ。私の弟子も、その儚い命を散らした」

「その3分の2はあなたのせいですけどね」

 

 ジト目で睨むが、夜見は気にせず続けた。

「これくらいの役得は別に構わんだろ。一般人を殺したという訳でもないんだ」

「……」

「ひとまずその物騒な腕を引っ込めろ。ビビって話もできやしない」


 嘘つけと言いたいが、信乃もこの籠手は好きじゃないので、迷わず解除した。

 脱衣所に回れ右して服を脱いで再び浴場に向かい、かけ湯をした後顔を洗って湯船に浸かった。

 疲れた体に、熱がじわじわと染みこんでいくのが心地良い。

 夜見は呑気に調子っぱずれな鼻歌を歌ってる。


「……大丈夫なんですか? 千草が、あなたはお酒を飲んで寝ていたと言ってましたけど」


 アルコールを大量に摂取をした状態で風呂に入るのは危険だと聞いたことがある、


「私は対魔師だぞ? アルコールを抜こうと思えばすぐに抜けるさ」


 そんなバカなと思ったが、熟練の対魔師は己の肉体を完全に制御するという。

 心臓の鼓動を任意に変えることができ、場合によっては自発的に仮死状態になることも可能なのだとか。

 であるとするならば、体中のアルコール濃度を操作することくらい造作もない……のだろうか? 謎である。


「しかし何だな。思いつきで貸し切ってはみたが、無駄にだだっ広いだけで静かすぎる」

「だったら最初からしなければ良かったじゃないですか……」

「違うな。これによって私は『大浴場の貸し切りは案外つまらん』ということを知った。それだけでも儲けものだ。だが……バカ弟子の一人でもいれば多少はマシになるだろうな。そうは思わないか?」

「ぶっ」


 いやいやいや、それはその、マズい。本当にマズい。


「だ、ダメです。ここ、女湯だから」

「貸し切りなんだしそんなの関係ないだろ」


 慌てふためく信乃を見て、夜見は愉快そうに笑った。


「それに今更、何を照れる必要がある。どうせ帰ったらおっぱじめる気だろ、おまえら」

「はあ!? ちょっええぇ!?」

 多分ここ1週間でもっとも素っ頓狂な声を挙げてしまった。

 おっぱじめるというのは……その、あれだ。海外の映画で中盤当たりに差し込まれるイメージの、なんというかすごくいけない感じの――


「そんなつもりないですから!」

「おまえはそうは思うかもしれんが、千草はどうだろうな」


 ハッと思い出す。

 部屋で2人っきり。そして片方がお風呂入ってくると部屋を出る……

 ……なんというか、とんでもない誤解を千草に与えるかもしれなかった。

 まあ、そんなことでいちいち反応していたら男女の友情なんてものは成り立たなくなってしまうし、一緒に住んでいたときはよくあったことだ――なんなら一緒に風呂に入ることも珍しくなかった。

 では信乃自身は、千草が今の自分みたいな行動を取ったときにはどう考えるだろうか?

 ……頭の隅っこあたりは意識してしまうかも知れない。

 だが戻って弁解しようとしても藪をつついて蛇を出す展開になりかねない。


「か、仮に誤解されたとしても、なんでもありませんよ。千草はそんな度胸なさそうだし……童貞っぽいし」

「妙なことを言うな、おまえ」

「え?」

「何故千草が童貞という前提で話を進めている? あの歳で卒業しているヤツなんてごまんというぞ」

「そんな筈ない千草は童貞よ!」


 電光石火で言い返したが……ふと、思い出す。

 千草は今、目の前の対魔師と一緒に生活している。それも五年前から。

 夜見は美人だし、その、信乃がややコンプレックスを持っている体のとある部位も大きい。いやいや、その部位の大きい小さいに拘る時代はも古い。そんなもので人間の価値が決まるものか……だが、千草は昔から年上のお姉さんに弱かった気がする(多分梓に懐いていたのもそれだ)。


 信乃の脳内千草データベースは五年前から殆ど更新がされていない状態だが、もしその傾向が今も変わっていないのだとすれば、夜見は千草の好みドストライクという事になる。

 おまけに千草は多感な思春期の大部分を、夜見と一緒に過ごしているのである。

 もしかしたら、そのようなことが起こっても不思議ではないのではないか。

 若さ故のリビドーとかナントカで師匠を押し倒し――いや待て。千草が押し倒されているのもしっくりくる。

 手錠とかされちゃってるに違いない。


「まあ実際アイツは童貞なんだがな」


 妄想の二人が、ノクターンノベルズへの移籍を見当しなくてはいけないようなことをおっぱじめようとしたとき、夜見はさらっと真実を明かした。


「……」


 からかわれていたらしい

 ここに千草がいなかったのは幸いであった。一連の会話(と信乃の桃色妄想)を知ったが最後、千草は羞恥と屈辱で爆発四散していたであろう。

 ……というか、こんな会話をしている場合ではない。自分の立場を思い出せ。

 夜見には聞かなくてはならないことがあるのだ。


「あの、千草の力って……」

「知らんな」


 バッサリと夜見は切り捨てた。


「私は何も知らん。あんな力を持っていたことが分かったのは、梓に押し付けられた後のことだしな――それに、奴の力の特性が四宮家当主の証である村雨と酷似しているのも、偶然の一致という奴だろう」


 ――村雨

 妖刀と言われているもの数あれど、村雨はその中でも頂点に君臨する業物だ。

 四宮家に代々伝わる妖魔殺しの刀。妖魔を食らい、刀身が折れても青い炎と共に何度も再生する異形の刀。

 常人には到底扱えない代物だ。常人ならざる血を宿した四宮家の人間でも、使いこなせる物は少なく、当主の証と言われているのはそれが由縁である。

 そして千草の再生能力は――間違い無く、村雨由来のものだった。


「ああでも、村雨は消息不明になったんだったか――梓が死んだときに」


 四宮梓が三年前に戦死したことは周知の事実だ。

 あまり触れていなかったが、千草も当然知っているはずだ。

 多分、信乃を気遣ってくれたのだろう。

 が、目の前の人間はそんな精神はとっくに品切れを起こしているらしい。


「しかし妙だな、えぇ? どいつもこいつも梓が死んだ時に村雨が行方不明になったと思い込んでいるらしい。千草が能力を発現させたのは、梓がくたばる前のことだったのになぁ。おかしいと思わないか?」


 やはり夜見は、真実を知っている。

 先代四宮家当主、四宮梓は死ぬ最後の一年間、腰に差していたのは村雨ではなく、その贋作だった。

 その事実を知る者は、今生きている人間の中では信乃だけだと思っていたが――もう一人いた。本物の村雨の行方も、当然知っているはずだ。

 だからこそ、ああもニヤニヤと人をおちょくる笑みを浮かべているのだろう。


「それにしても不死身というのはいいな。死なないというところが特に良い」

「囮として申し分ない、と?」

「不満そうだな」

「愉快になると思います?」

「私としてはあいつが平凡なガキのまま人生を過ごすというなら、それでも良かったんだ。奴が一円の利益にならなかったとしても、生活費も学費も全部出すつもりだったさ。だがあいつは戦うことを選んだ。あいつの選択だ……まあもっとも、あいつは厳密には対魔師ではなく、私の装備の一つという扱いだがな」


 実際ホムンクルスなど、人型の使い魔を使役する対魔師は一定数存在するが……夜見にとっては千草もそれに該当しているようで、信乃としては納得できる物ではない。


「千草はあなたの物じゃない」

「言っただろう。これはあいつの選択だ。まあたまに『こんな扱い希望した覚えはねーよ』とか言ってたが些細な問題だろ」

「思いっ切り問題でしょうが!?」

「だがあいつの力を最大限活用する方法がこれだ。どうもあいつは鍛錬よりも実戦で伸びるタイプのようだからな。それは本人も理解している。口ではどれだけ言ってもな」


 それに、と夜見は続けた。


「対魔師として千草の存在を表沙汰にすると色々面倒なことになることくらい、お前も分かるだろ。特に村雨の力を熟知している四宮家の連中はすぐに気付くだろうな。既に部外者になった人間が当主の証をその身に宿していた――なんてことが発覚したら、奴らはどう動く?」

「……ッ、それは――」

「四宮の連中だけならまだマシだが、他の対魔師どもはどうだ? 村雨は戦力にもなるしに金にもなる。喉から手が出る程欲しい連中は掃いて捨てる程いるだろう」


 対魔師の中には、人を守るという根本すら忘れている人間もいる。

 千草の人格を剥ぎ取って、村雨だけを求める人間もいないとは否定できない。 

 だからこそ梓は、腕の立つ夜見に千草を預けたのだろう。

 2人の間にどのような信頼関係があったのかは知らないが、だからと言って今の扱いを肯定できるわけではなかった。


「それに千草は、守られることを好まない――どころか、嫌っているからな。自分を守った相手が傷ついたり死んだりすると最悪だ。今の扱いが、案外丁度良いのさ」


 その言葉に、信乃の胸がズキリと痛んだ。


「そんなの、ただの詭弁じゃない……!」

「だったらどうする。私の手から奴を奪ってみるか? 力尽くでと言うのなら私も文句は言わん。分かりやすいからな」


 どこまでもモノ扱いか。

 だが仮に戦ったとしても――今の信乃で勝てるのか?

 多分、このままでは勝てない。だがあの力を使えば――

 ――ダメだ。そんなこと出来るはずがない。

 頭の中で思い浮かんだその手段を、信乃は人間として頑なに否定した。


「ああだが、力ではない別の方法もあるな。具体的には、おまえが素っ裸になって『お願い、私の側にいて♡』とでも言えば、あいつはコロッといくだろう」

「千草は! そんなに、チョロく、な……」

「そこは断言しとけ」


 実際どうなのだろう。本当にやったらコロッとなってくれるのだろうか。

 だがそうでなかった場合、二人の関係に修復不可能な亀裂が入りかねない。

 それは、嫌だ。


「それに『側にいて』なんて……私にはそんな資格、ありませんし」


 忘れたい。けれど忘れられない、忘れてはならない記憶。

 信乃はかつて千草を傷つけた。いや、そんな表現が生温く感じる程の所業をした。

 千草が忘れていることをいいことに、彼に真実を告げていない。

 恐れられ、拒絶されるのが怖い、卑怯者――それが自分だ。

 そんな信乃に夜見は――


「資格!? 資格と来たか! なんだそれは、英検三級か?」


 大爆笑だった。

 それはもうゲラゲラであった。


「わ、笑い事じゃ……!」

「そんなの知った事か。欲しければ手に入れればいい。だが、こんな偶然が重ならない限り、おまえ達がもう一度会える確率はゼロに等しいだろうな。そして数年――いや数ヶ月経ってお前はあの時ああしておけばよかったこうしておけばよかったと無意味な公開に苛まれるんだ。まったく……お前の体に流れている血は、一番そう言うのに素直なはずなのだがな」

 相変わらず、夜見は信乃が踏み込んで欲しくないところに土足で踏み込んでくる。

「……後悔なんて、とっくにしてますよ」


 後悔しないようにと行動したら最悪の結果を引き当てた――そんな経験は、どうしても人を臆病にするものだ。

 ふん、と夜見は鼻をならして湯船から出た。


「あいつはおまえが思っている以上に大馬鹿者だ。何度殺されても、あいつは私を師匠と呼んでついてくる。犬の方がはるかに利口だ」

「だから、なんだって言うんですか」

「さあな。今晩はバカ弟子を預ける。せいぜい楽しんでおけ」


 タオルを肩にかけ、夜見は大浴場を後にした。

 取り残された信乃は、何も言えずに体をお湯に沈めるしかなかった。


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