カーマイン
脱輪した魔法馬車は、隊員の協力でどうにか引き上げられ、リザベル一行は無事に都へ入ることができた。ウルガリア隊長とリガル氏とは、闇黒獣に襲われた場所で別れた。
隊員とともに立ち去ろうとする彼らに、後日あらためてお礼をしたい、とリザベルは言い募ったが、仕事ですから、とやんわりと断られた。
それでいいのだろうか、と躊躇するリザベルを納得させるためか、リガル氏は取り繕ったような笑みを浮かべた。
以降は立ち入るな、ということだろうか。その笑顔に、距離を置かれたような印象を受けた。リザベルはあらためて謝意を表した後、粛々と魔法馬車に乗り込んだ。突き放しておきながら、リガル氏が、どこか残念そうな表情を浮かべているのには気づかずに。
リザベルらは、ユイカとともに、警護のために残された隊員らに守られながら都入りした。幸いにも闇黒獣とは遭遇せずに済んだ。
隊員達に連れて行かれたのは、都の警邏隊の屯所だった。そこで事情聴取された際に、助けてくださった隊は、警邏隊のどこの所属なのか、と訊ねてみた。やはり助けられたままで知らん顔をするのは申し訳ない、と考えたのだ。
「いえ、ウルガリア隊長が率いる隊は警邏隊ではありません」
調書をとる警邏隊隊員の言葉に、どういうことか、とリザベルが目をしばたたかせると、「彼らは討伐隊です」と明かされた。
闇黒獣の掃討に特化した隊、という覚えがある。リザベルが困惑したのも当然だ。サミーには警邏隊を呼びに行ってもらったのだから。
「闇黒獣調査のために街道を進んでいた時、血相を変えて馬を走らせていたカーマイン家の御者と鉢合わせしたらしいのです」
ただ、それ以上の説明はなかった。残念な思いを抱きながらも、機密事項なのだろう、とリザベルはあきらめた。
聴取が終わり、建物から出た時は夜が明けようとしていた。
平民のユイカとは、屯所に入った時点で別れることとなった。別室で状況の確認をされるという。リザベルとエリの案内されたのは名家向けの小ぎれいな部屋だったが、ユイカはどういった扱いをされるのかわからない。リザベルはユイカも同じ場所で聴取してもらいたい、と頼んだのだが聞き入れてはもらえなかった。「こちらは御心配なく」とにっこりと余裕の笑みを見せるユイカならば大丈夫だろうか、と信じるより他ない。
結局、ユイカとはそのまま会うことはなかった。
討伐隊に対してわずかに疑念が湧き上がるも、とにかく助けてもらったのだから、お門違いだ。そんな気持ちを抱いたことに、申し訳なさが先に立つ。リザベルは頭の中で問題を切り替え、余計な詮索を封じた。
ともあれ、カーマインの家へ急ぐことにする。きっと父が案じていることだろう。サミーが手綱を取る馬車で、リザベルはエリとともに、父のジョイスが待つ都の家へと向かうことにした。
当主であるリザベルの父ジョイス・アネット・カーマインは、家族の口を糊するために官庁の臨時職員として働いている。
もともと財務畑の官吏だったが、家を継ぐ際に辞職していた。ところが領地の台所事情がかんばしくなくなり、伝手を頼って職場復帰をしたという経緯がある。ちなみに、こぢんまりとした一村を抱えるのみの領地は、しっかり者の妻と長女のリザベルが統治を担っている。
少なくとも領地持ちであれば、治める村がひとつだけ、というのはありえない。それというのも、領地のほとんどを、深い森が占めているからだ。だからこそなのか、村全体の実入りは少なく、カーマイン一家は村人達とともに身を粉にして働く。
村からの税収のうち数割は国庫へ徴収され、残りは領地の維持管理や村民の生活支援に消える。ジョイスは権限の集中した村長のようなもので、郷士とでも呼んでいいだろう。
そもそもカーマイン家は、名家としての体裁を無理に取り繕うことはしない。というか、できない。都の社交界とは縁遠い家だ。それもまた清々するわね、と上位の名家の出であるにも関わらず、カーマイン夫人は飄々として言ってのける。ちなみにカーマイン夫人エリアンナは、ジョイスとの婚姻を強行したために、実家からは縁を切られている。
この度リザベルは、婚約者からの呼び出しを受け、急きょ都入りをした。なにせ御相手の家に対して、カーマイン家側に負債があるからだ。その返済に関しても『ようやく目途がつきそうだ』とジョイスから手紙が届いたばかりだった。
ところが父からの手紙を読んだ直後に、婚約者からの書簡が届いた。もしや、父との間に何らかの手違いが? とリザベルはとるものもとりあえず領地から馬車を走らせてきたのである。
リザベルの幼い頃は、カーマイン領では、つましいながらも堅実な経営が続いていた。しかし、状況は一変した。国中に闇黒獣、通称闇黒と呼ばれる人食いの怪物が跳梁跋扈するようになったためだ。
闇黒獣の出現は夜間のみだが、侵入を許せば村人すべてが食い殺されてしまう。実際に何処かの土地でそういった被害があった、という報告が都に届いたこともあったらしい。
闇黒獣の侵入を防げるのはテミス由来の特別製の魔法具だけ、という情報が王家から発信されたのもこの頃だ。魔法具の手配は宮廷が請け負うが、やってもらえるのはそこまでだ。限られた数の支給品だけでは、領地全体を守れない。だから、王家お墨付きの民間の魔法具店へ発注することになる。
ジョイスは村民を守るために、なけなしの資産を使って闇黒避けの魔法具を購入しようとした。魔法具を譲渡してもらうには、当然、金銭取引が発生する。魔法具店へ仲介を頼む業者への手数料やら運搬費やら諸経費もかかる。
カーマイン屋敷は不測の事態に備えて高台に建っており、村民の避難所の役割を担っている。あだや疎かにはできないが、さいわいにもエリアンナが高性能の闇黒避けの魔法具を一個持っていた。屋敷の護りは、それひとつで十分だったので、村の防御を徹底することにした。さらには、森や主要道路にも避難小屋を建てることも決めた。
だが、領地全体に配備するには資金が足りない。
加えて、魔法具に使われる結晶石は消耗品だ。定期的に交換の必要があり、そのせいもあって、カーマイン家は資金繰りに苦労することとなった。
領民は、何としても守らねばならない。ジョイスは苦渋の決断を下し、隣領のドアリン家に借財の申し入れをした。
交渉の末にドアリン家は、次男とリザベルの婚約を条件に、資金の融通を承諾した。カーマイン家には、リザベルを頭として四人の娘がいる。要するに子息が跡取り娘の婿となるのを望んだわけだが、かなり胡散臭い話ではあった。ジョイスには、ドアリン家による領地の乗っ取りが透けて見えた。
いったいドリアン家にとって、どのような益があるのか、ジョイスにもエリアンナにもリザベルにも想像がつかない。カーマイン領の特色と言えば、都市国家テミスの隣接地であることくらいだ。
(そう言えば、ユイカさんは、テミスから来た、と言っていたっけ)
リザベルは魔法馬車の中で、昨晩出会った人物に思いを馳せる。豪胆で、異常な事態にも動じない、ミステリアスな娘だった。
(ユイカさんだったら、こういった問題をどのように解決するのでしょうね)
昨夜出会った娘の顔が、目の前に浮かんでくる。自分もあれほど冷静沈着に判断できたら、と思わずにいられない。
今回は、婚約者からのいきなりの呼び出しだ。いったい何事か、と不審に思わぬわけがない。呼びつけた理由がくだらない内容だったら、リザベルは今度こそ、婚約者であるベキオをひっぱたいてしまいそうだ。
カーマイン家の都での家は、銀の区画の端にある。どちらかと言えば、銅の区画に建っていると言っても差し支えがない。名家は金の区画に社交時期に利用するための屋敷を構えるのがほとんどなのだが、カーマイン家にそんな高級街に家を持つ余裕などない。たいがいの下位の名家の懐具合は、資産持ち以外はそんなものだ。
祖父の代までは、金の区画の端に居を構えていたこともあった。しかし税金は高いし維持は大変だし、無駄であると諦観した挙句に代替わりの際にジョイスが売り払った。その分を、領地の屋敷の修繕費用に充てることができたし、森から流れる橋の修復もした。
現在の都の家、つまりジョイスの住まいは借家である。そんな状況でも当主はどこ吹く風で、これで余計な経費が削減される、とせっせと官庁まで徒歩で通っている。いや、いちおう名家だろうに、と揶揄されそうだが、市井にまぎれても一般庶民と大差ない印象を受けるのがジョイス・アネット・カーマインだ。穏やかな人柄で、いつもにこにこしていて、困った時も鷹揚な態度を崩さない。下手をすると、細君の方が威厳があるかもしれない。
ようやくリザベルらの乗った馬車がタウンハウス(仮)に到着すると、ジョイスが自ら出迎えてくれた。さしもの父も焦ったような表情で、両手を広げると娘を抱きしめる。
「きのうは陽が落ちる前には到着すると思っていたのに、いつまでたっても来ないので心配したよ。どこかの宿にでも泊まったのかい?」
もちろん、そんな余裕がないのは承知の上での質問だ。
「ごめんなさい。馬車の車輪が脱輪して、そのまま夜になってしまって」
ジョイスは、リザベルの言葉に仰天した。
「ま、まさか、闇黒獣に遭遇したりはしなかったかね」
「その、まさかです。でも大丈夫。見てのとおり、わたしもエリもサミーも、ぴんぴんしているから」
「そ、そうか、それならよかった。詳しいことは、落ち着いてから説明しておくれ」
眉尻を下げた父の顔色が悪い。目の下の隈は昨晩心配させたせいだろうが、積年の苦労が祟っているようにも思える。白髪が増えた。
この借家には、ジョイスの食事を用意したり家内を整えたりする使用人が一人だけいる。かなり小ぢんまりとした家なので、少ない人数でも維持が可能なのだ。というか、家を整えるためにジョイスも動いているのだが。
その初老のメイドのキナが、主の背後で困ったような、いたわるような笑みをたたえている。どういった内容にしても、こたびの案件がカーマイン家に暗雲をもたらしているのかもしれない。リザベルは暗澹たる心持となった。
もともとカーマイン家では、それほど性能の良い馬車を所有しているわけではない。それでも母が気遣って、カーマイン家唯一の魔法馬車を使わせてくれた。感謝しながらも、領地ではどうするのか、と母に問えば、「立派な足があるのだし、いざという時には馬を使うから」と笑顔で送り出してくれた。それもこれも、よくない予感が母の胸をよぎったためだろう。無理をせず、体調を整えて、婚約者との対面に臨めということだ。
馬車は、父の同僚の屋敷に置かせてもらえることになっている。サミーは馬車を預けた後、徒歩で戻ってくるはずだ。疲れているのに申し訳ない、と眉尻を下げるリザベルに対し、サミーは豪快に笑って首をふってくれた。
都への道のりを辿るのに、思ったよりも時間がかかった。何より昨夜の脱輪と闇黒獣騒ぎだ。徹夜同然となっており、疲憊は体に重く沈んでいる。思わずリザベルの口からため息が漏れた。
(まったく。どうしてベキオ様は、こうも性急なのでしょう。婚約の解消なんて、そう簡単なことではないはずなのに)
無理を通そうとするのは、かの婚約者の習い性ではある。やはり自家が格上という意識が強いのだろう。考えるだけで精も根も尽き果てそうだが、のんびりしている暇はない。
リザベルは、自分以上に疲れているであろうエリに、休むように伝えた。侍女は悲鳴のように声をあげた。
「そんな……。お嬢さまこそ休息をとってくださらないと!」
「だめです。エリはすぐに動くことになるでしょう? わたくしはベキオ様との会談が済んだら、いつでも仮眠をとれるもの。あなたは今のうちに休んでちょうだい。エリに倒れられたりしたら、わたくしが困るの」
両手を組んだリザベルが懇願すると、エリは肩を落としてため息をついた。
「承知いたしました。でも、お茶出しだけはさせていただきますので」
「そうね。でも、その後に必ず休んでほしいの。お願いよ」
エリを説得すると、リザベルは父とともに応接室へ向かった。