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金の森の娘  作者: 長谷なた
第一章
3/74

テミス

 いったんは退いた禍々しい外見の闇黒獣集団が、どうやってこちら側に踏み込んでやろうか、と虎視眈々としている。知らず、背筋が寒くなる。


「あら、これは、とても触り心地のよい布ですね」


 おっとりした令嬢らしいというか、あるいは度胸があるのか、リザベルが手のひらで布をすりすりとなでる。


「自分の野営用ですが、同じ女の持ち物ということで勘弁していただきたい」

「まぁ……」


 リザベルが目を丸くする。


「あの、お気遣いくださって、ありがとうございます」


 ユイカの唇に、笑みが浮かんだ。


「やはり、あなたは肝が太い」


 名家の令嬢に向かって言うような言葉ではない。どうやら不遜なユイカのつぶやきを、リザベルは誉め言葉と受け取ってくれたようだ。固くはあるが、鷹揚(おうよう)な笑みを浮かべた。


「わたくし、灰や香の黒魔避けなど初めて知りました。少なくとも我が国では聞いたことがございません。カンバー様は外国の方ですか? お国ではこれが当たり前のことなのでしょうか」

「自分は平民です。ユイカと呼んでくださってけっこうです。テミスから来ました」

「テミス? あの、大陸唯一の結晶石の産出国である都市国家テミスですか」


 そこでエリが目をむいた。


「お嬢さま。それよりも、テミスと言えば呪われた地として有名ではありませんか」

「え、そうだった? でもね、エリ、それは単なる風説ですからね」


 エリの忠告よりも、ユイカはリザベルの意見に同意を示した。テミスの郷は、闇黒獣発生の原因となった地として不名誉な風評を受けてはいるのは間違いない。(あた)らずと(いえど)も遠からず、といったところなので、ユイカは反論をしない。

 己の国を悪く言われたのに、ユイカは平然としている。名家の者が相手だから、と我慢する様子もない。


「あえて否定はしません。そのように人口に膾炙(かいしゃ)しているのは確かですね。でも、お嬢さまは信じないとおっしゃる?」


 リザベルは戸惑ったように、目をしばたたかせた。


「テミスと言えば、聖なる金糸樹の護り手の地とされていますでしょう? 確かにこの十年ほどは、闇黒獣が異常発生して被害が拡大する一方ですけれど。テミスがそのようなことをした、とどうして世間が考えるのか不思議でならないのです」


 テミスには、おぞましい闇黒獣を解き放つような理由が見当たらない。そもそも闇黒獣は人外のモノではないか。リザベルは、不快だと言わんばかりに唇を尖らせる。


「ありがとうございます。そのように言っていただく方にお会いしたのは、(さと)を出てから初めてです」


 ユイカ自身は、テミスから来た、などとわざわざ吹聴するわけではないが、闇黒獣の噂がのぼるたびに、人々が忌々(いまいま)し気にテミスの名を口にするのを聞いてきた。


「我がカーマイン領はテミスの隣接地ですから、勝手に親しみを覚えております。もっとも、領地が小さすぎて認識されていないのかもしれませんけれど」


 ユイカに対して気安さを覚えたのか、リザベルが遠慮がちに笑みを浮かべた。

 どこか、固い。当然だ。今この時も闇黒獣に包囲されているのだから、極度に緊張するのも無理はない。


(それにしても、カーマインだったとは)


 隣の領地の家の息女と聞いて、ユイカは驚いた。

 落ち着くにつれ、自然にユイカの目元はやわらいでいった。昔からテミスとカーマインは隣り合わせの領地だった。衝突による不幸な出来事が起きたことなど、一度もないはずだ。ゆえに、敵愾心(てきがいしん)を抱かれるようなこともないだろう。

 闇黒獣というバケモノの存在が確認されるようになってから、百年が経とうとしている。テミスが土地を閉ざしたのは、それ以降のことだ。だからこそ人は、悪しき闇黒獣の出現をテミスのせいにしたがるのかもしれない。


(もっとも、発生源であることに変わりはないけどね)


 ユイカにしてみれば、テミスのせいではない、と広言したいところだ。だがテミスには責任があるのだよ、とユイカの周囲の人間は口をそろえる。

 リザベルが話を続ける。ユイカの事情に踏み込んでくる様子がないとはいえ、闇黒獣が恐ろしくて饒舌(じょうぜつ)になっているのかもしれない。


「それに、闇黒獣という怪物が発生した、とテミスは勧告してくれましたでしょう? 闇黒避けの魔法具の設計図を、無償で大陸中に配布してくださったのも貴国ですよね。自作自演と揶揄(やゆ)する向きもあるようですけれど、事態が深刻化する前に情報を提供してくださったのは確かです」

「お嬢さまは、テミスを信じてくださるんですね。しかもお隣同士とは奇遇です」

「ほんとうに」


 周りを取り囲む闇黒獣が怖いだろうに、どうにか微笑みを浮かべるリザベルに、ユイカは好感を抱いた。侍女のエリはそんなお嬢さまが大好きなのだろう。だからこそ、リザベルに不測の事態があってはならぬ、とユイカに対してさえ気を張りつめている。

 ここで思わぬ知己を得ることができたようで、ユイカは表情をゆるめた。とはいえ、ユイカの旅の目的に、この人好きのする令嬢を巻き込むわけにはいかない。そろそろテミスから話を逸らさねばならないだろう。


「そう言えば、リザベル様とエリさんは都に向かっていたのですね」

「ええ、そうです。会いたくもない婚約者との面会のために」

「お嬢さま!」

「かまいません。事実ですもの。都まで呼びつけて、いったい、どのような御用があるというのでしょうね。砂粒ひとつほどの興味すらありませんけど」


 これまで静かに語っていたというのに、どうやらリザベルは、腹に据えかねる事態に立ち向かおうとしているらしい。下位とはいえ名家の令嬢らしく、つん、と顎をあげる。

 エリが呆れ半分の顔で、柔軟な性格であろうはずのリザベルを見ている。どれほどあからさまな言動であろうと、リザベルはかまいやしない。

 カーマイン家は実入りの少ない領地をどうにかこうにか維持する貧乏名家だが、領主一家と領民が一丸となって奮闘し続けているのだ。闇黒獣の脅威さえなければ、皆も平穏に暮らせていたに違いない。

 そんな家の娘の婚約者に収まりながら、交流を絶ったままの相手が、どれほど信頼に値するのか。そもそもリザベルは、誰かに大声で訴えたくたくなるほど婚約者が嫌いなのだ。そんな人物よりも、目の前の旅の者の方がよほど心安く感じる。いや、命の恩人なのだから、そのように比べては申し訳ない。


「あの、ごめんなさい」


 唐突にリザベルに謝られて、ユイカは目をしばたたかせる。心の中で自己完結してしまうのもリザベルの悪い癖だ。これは下に三人の妹を抱える長女としての、彼女の癖でもある。

 ここで、このようにリザベル自身が実情を明かしてしまうのも、このユイカという娘の度量の大きさを肌に感じたせいなのかもしれない。愚痴をこぼしてしまったが、ユイカは静かに受け止めてくれていた。

 ともあれ、気を落ち着かせようと周囲を見渡してみても、群がる闇黒獣はあきらめる様子がない。何が何でも目の前のごちそうを食らわんと、じっとりと狙いを定めているのがわかる。闇黒獣は陽の光を極端に嫌うため、朝日が昇れば自ずと退散するはずだ。このまま夜明けを待つことになるのかもしれない。

 警邏(けいら)隊が駆けつけてくれるとは限らない。昨今、夜通しの防衛線の必要性が高まっている。出動回数も尋常ではないはずで、その苦労がしのばれる。警邏隊が来ずとも、このままここでじっとしているのが上策だろう。ならば確かに、むやみに名家の矜持を振りかざして無駄に体力を削り、ユイカの反発を招くのも愚かしい。

 ふと、ある考えがリザベルの頭をよぎった。


(もしかしたら、今のユイカさんの余裕のある態度は、たとえ闇黒獣が円を乗り越えることがあっても、十分に対処できることから来ているのかもしれない)


 そんな馬鹿な、とリザベルは顔をしかめる。屈強な騎士や兵士らが力を尽くさねば排除できないバケモノどもだ。目の前の小鹿のような女性にそれができるとは思えない。リザベルは突飛な思考を振り払う。

 闇黒獣に包囲された状態では、緊張からろくな会話も交わせない。エリは唇を引き結び、主の手を握りしめている。リザベルは顔をこわばらせながらも、どうにか笑みを唇に乗せている。


(ふんわりとした印象を受けたけど、実は気丈でしっかりしたお嬢様だな)


 視線をめぐらしながら、油断なく闇黒獣を見張るユイカは、リザベルの落ち着いた様子に感心していた。侍女のエリは、群れなす暗黒獣が気味が悪くて仕方がないらしい。しきりに二の腕をさすっている。


「エリ。この様子なら、きっと大丈夫」

「ですが、お嬢さま。『銀の目』が現れる前というのは、小物の闇黒獣が大量に出現するという話を聞いたことがございます。しかも、このようなおぞましい気配に満ちた夜に」

「『銀の目』って、ほんとうにいるのかしらね」

「油断してはなりません。闇黒獣の総大将とも言われる『銀の目』は神出鬼没といいますから」

「でも、その姿を見た者はいないのでしょう?」


 そこへ言葉を挟んだのはユイカだった。


「『銀の目』を見た人間は、生きて帰ることがなかったから、と言われていますね」


 逆転した『銀の目』の存在証明に、リザベルは瞠目(どうもく)した。


「ユイカさんは『銀の目』を御存知なのですか」

「身の丈は5メートルにも及ぶとか、大きさに見合わず俊敏だとか、いかなる刃もその身を貫けないとか、さらには人間並みの知性があるとか、様々な噂が耳に入ってきますね。あくまで流言ですが、かなり厄介な闇黒獣ということだけは確かなようです」


 決して脅しているわけではないが、リザベルもエリも顔が強張っている。

 ふと、ユイカが顔をあげた。


「どうやら救援が来たようですよ」


 ユイカは、ゆっくりと腰をあげた。リザベルとエリにも同じ行動をとるように、と促すように目線を向けた。

 何事か、と立ち上がったふたりの耳に、複数の馬の蹄が土を蹴る音が届いた。煌々(こうこう)と幾つもの灯が揺れるのも視認できる。魔法具の照明だろう。

 ますます近づく騎馬の集団をしばらく眺めていたユイカは、地面に広げていた布とランタンを回収し、続いて清々しい匂いを放つ香炉を背嚢にくくりつけた。ちらり、と先ほどエリが回収した、壊れた魔法具へ視線を移す。


「お嬢さま。お困りの際は、その魔法具とともに、王都裏通り銅の区画のカンバー魔法具店へいらしてください。それから、今夜のわたしの行動を、どなたに語ろうとかまいませんので」

「え?」


 ユイカは、にっ、とリザベルとエリに不敵に笑いかけた。


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