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金の森の娘  作者: 長谷なた
第一章
2/74

闇黒獣

 まるで浜辺に波が打ち寄せるように、総毛立つような気味の悪い気配が迫ってくる。令嬢も侍女も二の腕をさすり、おぞましいモノから少しでも遠ざかろうと一歩二歩と後ずさる。

 闇黒獣の魔気は、ずっしりと空気を重くする。

 周りを囲んでいるのは小型の獣の姿をとった闇黒獣だ。リスの様なモノ、ウサギの様なモノ、ネコの様なモノは、それぞれにウサギ様、リス様、ネコ様などと呼ばれる。もちろん、もっと大型の獣の形をとるモノもある。

 血をにじませたような、まだらに黒っぽく見えるそれらは、一(ぴき)一疋が地面に足をめり込ませるのではないかと思わせるほどの重量感がある。次々と暗闇から湧き出てくるかのようで、その数、五十疋はくだらない。

 ユイカが、ぼそりとこぼした。


「一疋あたりの質量が現実的じゃない。だからこその闇黒獣、か」


 令嬢と侍女の素人でもわかる。闇黒獣は膚に突き刺さるような禍々しい魔気を放ち、尋常ではない圧を感じる。人間を食らおうとする意思が、ひしひしと伝わってくる。

 彼奴(きゃつ)等の獲物は人でしかないのだから厄介なのだ。夜になって、ねぐらに帰り損ねたウサギやらキツネやらシカやらの姿をみとめても、無視を決めこむ。

 闇黒獣は声を出さない。唸り声ひとつ、鳴き声ひとつあげない。動物をかたどってはいるが、目も鼻もない。口は……獲物を食らう時のみに出現する。じゃりっ、と小石を踏みつけたり、葉群れをガサガサとかきわける音だけが、夕闇の中で耳に届く。

 何より不気味なのは、その色合いだ。体色は一定でなく、青であったり黄であったり赤であったりするのだが、同色の絵の具を混ぜてこねくりまわして塗りたくったかのようだ。総じて暗闇の中では色別もしづらいのだが、血管やら筋やらが体表面でうごめいているのがわかる。べろりと表皮を剥かれて逆さに吊るされた食肉のようでもあり、たったいま墓場から這い出てきたようでもある。

 これらは、どんな色合いであっても、闇に乗じるモノということで『闇黒獣』と呼ばれる。通称『闇黒』は、まるで生ける屍だ。腐臭が漂ってきそうな気分にすらなる。不気味さは尋常ではない。


「……気色悪い」

「これまで闇黒獣を見たことはないのですか?」

「と、遠目になら。でも……こ、これほど間近にしたことはありません」


 ユイカの問いに答える令嬢の声が揺らぐ。明るい場所で見れば顔色は蒼白に変化しているのだろうが、令嬢はどうにか両足を踏ん張っている。名家のお嬢さまならば失神でもしそうな状況だが、かなり気丈な人のようだ。しっかりと現状を認識しており、それだけでもユイカにとっては対処が楽になる。


「このまま朝になるまで待つことになりますかね」

「ええっ、朝まで?」


 令嬢が声をあげ、侍女が非難がましい目でユイカを見た。そんな風に睨まれても、ここで力をふるうつもりはユイカにはない。


「円から出れば、たちまち闇黒獣に襲われます。朝までに警邏(けいら)隊が駆けつけてくれれば儲けもんですね」

「う……。そ、そうですね」


 その時、ばりんっ、と鈍い破壊音が三人の耳に届いた。


「魔法具が!」


 侍女の持っていた魔法具の結晶石が、粉々に砕け散った音だった。手にしていれば、相応の傷を負っていたかもしれない。


「ほんとうに、もたなかった……」


 令嬢が観念したように首をふる。

 もし、旅の娘が通りかからなかったら、すぐに壊れてしまった魔法具に茫然としたまま、令嬢と侍女は闇黒獣の大群に襲われ、無残な死をとげることとなっただろう。


「持たせてくださった奥様も、危惧されてはおりましたが」


 口惜し気に唇を引き結ぶ侍女に向かって、令嬢は嘆息した。


「仕方がないでしょう。持ってこられる魔法具はアレしかなかった。村を防護するための魔法具を持って行ってしまったら、皆が困ることになるもの。でも、せっかく、かあさまが無理をして持たせてくださったのに」

「たったひとつだけで、お屋敷の安全を守ってくれた魔法具でございますものね」


 侍女が切なげに嘆息し、口惜し気に漏らす。


「とはいえ、旅の安全を、と奥様も、下のお嬢さま方も願ってくださいました。ほんとうに、無理難題を押しつけてくる御婚約者のおかげで」

「こういったことが起きうると思わないではなかったの。なにしろ最近では、闇黒の脅威が常態化していますからね」


 半ばあきらめの表情を浮かべる主人に反論できず、侍女はぎりり、と歯を食いしばった。


「もともとは、急ぎ都へ出てくるように、という御婚約者の命令ともとれる言動のせいでございます。とても妙齢の令嬢に対する婚約者のなさることとも思えません!」

「だからこそ、今回の申し入れに含むものを感じざるを得ないのよね。婚約の解消なんて、双方にとって良いことなんてひとつもないのに」

「お嬢さま……」


 令嬢はまるで他人事のように、悔しがる侍女をなだめている。名家の家内事情などユイカには計り知れないことだが、娘が困った立場にあることは理解できる。


「どんなことがあっても、闇黒獣に噛み裂かれていい理由にはなりませんよ」


 こんな言い方しかできないが、名家というものに対してどう対応するのが正しいのか、ユイカには難しい。

 令嬢が、ふわりと微笑んだ。この状況でこんな表情ができるとは、肝が据わっているな、とユイカは目を丸くする。我を忘れて無謀な行動に出るような、困った令嬢ではなさそうだ。ユイカの指示に粛々と従ってくれたのは、冷静な判断力を持ち合わせているからだろう。実際には、安閑とした状況ではないのを、取り乱すことなくしっかりと把握してくれている。


「そうですね。もしかしたら生き残れるのだとしたら、それはあなたのおかげです。そうそう、あなたのお名前をうかがってもよろしいでしょうか。……あら、先に名乗るのが礼儀というものでした。わたくしはリザベル。リザベル・アネット・カーマインです。こちらは、わたくしの侍女のエリ・ドーマン」


 大量の闇黒に取り囲まれていると言うのに、のんびりと自己紹介をするとは興味深いご令嬢だ。ユイカは少しの間、ここではない遠くへ思いを馳せた。カーマインの名に覚えがあったからだ。


「ユイカ。ユイカ・カンバーです」

「カンバー?」


 平民のようだけれど、令嬢が、はて、と小首をかしげた。


「どこかで耳にした覚えのある名ですけれど」

「お嬢さま。このような状況で名乗り合いなど」

「この場で、他にできることもないでしょう? ともあれ、今をどう乗りきるか、です」

「はぁ、確かにそうでございますが」


 エリが両腕で自身の体を抱き、ぶるりと身を震わせた。闇黒獣の表情がわかるわけではない。ではないが、どことなく物欲しげな様子で、口が見えたら舌なめずりをしていそうだ。前のめりになり、三人の娘らに向かって首を突き出している。


「御者のサミーは戻ってきてくれるでしょうか。都の警邏隊の詰所まで援けを呼びにいったはずですのに」

「エリ、サミーのことだもの。きっと役目を果たしてくれると、わたくしは信じています」

「うう、その通りでございますね」


 雇い主の娘と使用人という間柄でも、リザベルとエリには互いをいたわる気持ちがある。どうやらリザベルという令嬢には、平民とでも信頼関係を構築する能力があると見てよさそうだ。


「警邏隊は、すでにこちらに向かっていると思われます」


 リザベルが不思議そうな表情を浮かべた。


「どうして、わかるのですか?」

「自分専用の情報の取得方法があるのですよ」


 いまひとつ合点がいかないようだが、リザベルが頷いて見せた。


「あなたの言葉を信じます」

「お嬢さま」

「これほどの数の闇黒獣に囲まれていると言うのに一向に襲ってこないのは、ユイカさんの闇黒避けがかなり強力だという証拠でしょう。もしかしたら下手な魔法具よりもね。そのような方の情報なのですから。期待しても間違いではないと思うの」

「はぁ……」


 エリという侍女は納得できないようだが、そのあたりはユイカにとって、さして問題ではない。

 それよりも、とユイカは周囲を見渡す。貴重な獲物を求めて、闇黒獣はいよいよ数を増やしている。昨今では闇黒獣を(おそ)れ忌避して、陽が落ちた後は人の姿は一切なくなるのだから。 

 闇黒獣は、もはや街道を埋め尽くさんばかりの数に膨れあがっていた。ここまで来ると、闇黒避けの灰の効果が高くても確実ではない。


「仕方ないか」


 ユイカは革手袋をはめ、ふたたび香炉を開けると練り香を取りだした。つまんだ香をしげしげと眺めて、ひと言こぼしす。


「これだけあれば、大丈夫かな」


 香は熱を帯びていて、皮革製の手袋越しにも伝わってくる。馥郁(ふくいく)たる香りは、一服の清涼剤だ。


「素晴らしい香りですね。一級品の香料でもここまでの品はございませんでしょう」


 リザベルが感心したように、ほう、と息を吐いた。


「お嬢さまは呑気でございますねぇ」

「あら、この状況だからこそ、気持ちを落ち着けてくれる一品は大事だと思うの」

「それは、そうでございますが」


 ふたりの会話をぶった切るように、ユイカが口を開いた。


「これは香料ではありません。闇黒避けです」

「えっ!?」


 そんな物があるなんて聞いたことがない、とばかりにリザベルもエリも、ユイカの手元に視線を注いだ。灰といい、香といい、この旅人は奇抜な方法をとる。

 ユイカは片膝をつき、灰の上に練り香を戻した香炉を置いた。

 瞬間、ざざっ、と音をたてて、闇黒獣が一斉に飛びのいた。かなりあわてたようで、香りから逃れようとしてか、ぶつかり絡み合い倒れて、闇黒獣どもがちょっとした騒擾(そうじょう)を引き起こしている。


「見事な……効果ですね」


 驚嘆したリザベルが、ぱかりと開いた口をあわてて片手で隠した。闇黒獣の集団は、こちらを窺うような素振りを見せながらも、どうしても近寄れない。どちらかと言えば、じりじりと後退し続けている。かなり厭そうで、なんとか踏みとどまりはすれど、その場で足踏みするばかりだ。


「必ず、一晩はもちますから」


 そう言うと、ユイカは地面にどっかりと腰をおろす。やがて思い出したように背嚢の口をあけると、中をごそごそと探した。取りだしたのは小さな布袋で、小粒の何かをつまみ出しては口中に放り込む。


「召し上がりますか?」


 娘らにユイカが包みを差し出したが、ふたりとも身を固くして首を横にふる。旅の娘の豪胆さに、驚き半分呆れ半分になっているのだ。リザベルと同じくらいの年齢に見えるのに、闇黒に囲繞(いじょう)されたこの状況を、まるで意に介していない。

 ただ侍女のエリは、そのような得体の知れないシロモノをお嬢さまに召し上がっていただくわけにはいかない、とばかりに眉をよせている。


「ああ、そうか」


 そこであらためて気づいたように、ユイカがふたたび背嚢を探った。たたんだ布を引っ張り出し、地面に広げる。


「名家のお嬢さまが、土の上にじかに座ることなどできませんよね。どうぞ、その布の上で休んでください」

「い、いえ、そのようなことはございません。平気です」

「ずっと、そうやって一晩中立ったままでいるおつもりですか? 身体がもちませんよ」

「でも、こんな状況で」

「こんな状況だからこそ、体力は温存すべきでは?」


 名家の令嬢が躊躇する理由は、今は的外れであるし効率的ではない。ではあるが、貴い家の人間とは、そういうものなのだろう。

 まず覚悟を決めたのはリザベルの方だった。「し、失礼します」と宮殿にでも上がるかのような物腰で進み出て、ふわりと腰をおとした。

 リザベルがエリへ目を向けると、侍女は渋面をこさえて主人に従い、背後に腰を据える。ふたりとも、とにかく周囲の闇黒獣が気になって仕方がないらしい。声が出ないので(そもそも口がない)うるさくはないが、気味が悪くて仕方がないようで、異様な雰囲気に吞まれてしまっているのだ。

 

 

 


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