騎士の来訪
ベキオとアリンナを見送った後、リザベルが父に昨夜から今朝にかけての顛末を語った。
闇黒獣の群れに囲まれた、という話を聞いて蒼白になったジョイスをなだめ、出会った不思議な娘についても話した。
「それは、かなり豪胆な娘だ。しかも独自の闇黒避けを所持していたと言うのかね。平民なのだよね?」
ジョイスが顎を撫でながら訊ねる。
リザベルもうなずいたが、今ではあの娘が確かに存在したのかどうかすら、自分の中ではあやふやになってくる。
「それでも、ユイカさんに助けられたのは間違いございません」
「そうか。その不思議な娘に、私からも、お礼のひとつも言いたいところだが。しかし、カンバーを名乗ったのか。うぅむ、カンバー……。あのカンバーなのかね?」
「それは、わたくしには何とも……。お見受けしたところ、まだ二十歳前のお嬢さんでしたが」
「聞くところによると、都にいるカンバーの店の店主は、三十代の女性ということだったが」
その段階で、いよいよリザベルにも疲れが出てきた。
いったん仮眠をとろうか、とリザベルが寝室へ向かおうとすると、年かさの方の使用人があわててやってきた。
「旦那様、お嬢さま。対闇黒機関からの伝令が来ております」
なぜ? と父がリザベルの顔を見た。
玄関ホールへ赴いて伝令から用向きを伝えられれば、ジョイスが顔色を変えたのはすぐだった。
「対闇黒機関の討伐隊隊長と副隊長が、面会をお望みだと!?」
ドアリンやベルルーシュ以上に厄介な……もとい、比べるのもおこがましい人物の来訪である。
困惑してうろたえる父親を落ち着かせると、リザベルは闇黒獣を追い払ってくれた騎士の話をした。それが王家の血筋とも噂されるウルガリア氏と大名家の子息であるリガル氏であると知り、ジョイスは今にも卒倒しそうだ。
「それほど立派な上位の方々が、なぜに壁外の闇黒獣討伐に出張っていたのだ! そ、それは警邏隊の任務だと思うのだが」
リザベルは頭を抱える父親をなだめ、二人の騎士の来訪に備えようと厨房へ駆け込んだ。疲れたなどと言ってはいられない。おそらく彼らは、夜っぴて討伐に奔走していたはずだ。その足でやってくるとなると、せめて香茶と茶菓子の用意だけでもせねば。
ともあれ二人の騎士の来訪は、昼過ぎになるという。きっと仮眠でも取ってから来るのだろう。多少は時間があるため、リザベルは少しでも眠るように、ジョイスから言い渡される。寝不足で鈍った頭を抱えていては、とても適切な応対はできない。リザベルは体を休めるために、あてがわれた部屋へ向かった。
対闇黒機関の二名が到着したのは、晩餐時分には早いが、それでも夕刻に近くなってからだった。お茶の準備はできている。だが、それだけだ。
そもそもジョイスには、心構えをする時間が足りなかったようだ。たとえば三日間の猶予があったとしても駄目だっただろうが。
リザベルとジョイスは、「まぁ、我が家で万全のお出迎えなどできるわけがない」と半ばあきらめて玄関ホールへ向かった。
ホールと言っても、玄関から奥へと向かうための廊下が少し幅広になっているだけだ。二人の堂々たる騎士を迎え入れるには、いささか手狭ではある。
ではあるが、これがカーマイン家の現状なのだから、へりくだりすぎて変に固くなりすぎることのないよう、リザベルは父の背中をたたいて喝を入れた。
玄関の扉を開くと、まず口を開いたのはリガル氏だ。
「突然の訪問をお許しいただきたい、カーマイン殿。御息女に、急ぎ伺いたいことができましたので」
「は、ははっ。わ、私どもの娘が何かいたしましたでしょうか。もしや粗相でも」
「いえ、そうではありません。昨夜のことに関しての報告書に目を通しておりましたところ、カーマイン嬢に確認したいことができたのです」
出来る限りおだやかに伝えると、リガル氏は安心させるような笑顔をリザベルに向けた。事情聴取は済んでいるはずだが、いったい何が、と彼女は不審を覚える。
リザベルの動揺を覚ったのか、リガル氏は手袋に包まれた両の手のひらを向けた。
「あ、いいえ。カーマイン嬢に関しての質問は済んでおりますから。それとは別件になります。決してよからぬことではありませんので、その、どうにかお許し願いたい」
リガル氏が視線を右往左往しながら、どうにか口上を続ける。
その狼狽ぶりがおかしくて、リザベルは思わずくすりと笑い声を漏らしてしまった。リガル氏の背後で、呆れたようにウルガリア氏がため息をつく。
「失礼。我々は凶暴な闇黒獣には慣れているのですが、リガル副隊長などは妙齢の女性が相手となると、途端に右往左往してしまうのですよ」
それは信じられないな、とリザベルはとっさに思った。ウルガリア氏もリガル氏も、絶対に女性に放っておかれるはずがない。女性に対する礼儀など、息をするようにこなせるのではないか。
これはリザベルの一方的な見解ではあるが、直接、彼女が耳にすることはなくとも、そのあたりは父のジョイスがしっかり把握していた。
闇黒機関の重要人物については職場の噂でしか知らないのだがね、と断りを入れたジョイスから、彼らの訪問前に聞かされている。
両人とも地位も実力も財産もおまけに美貌も備わったたいそうな御仁だというのに、いまだ独身らしい。彼らが舞踏会やら晩餐会やらに出席した日には、大変な騒擾が巻き起こるとか。
何がどう大変なのか、社交界とは縁遠いリザベルには、さっぱりわからない。ともあれ華麗な社交場での実績があるようだ。想像するには限界のあるリザベルも、父の話を聞きながら片頬をひくつかせたものだ。
社交界の派手な噂に関しては、置いておくことにする。さっそくだが、リザベルとジョイスは、狭苦しいような廊下の先にある応接室へとふたりの騎士を案内することにした。なにしろ小ぢんまりとした玄関に大男が二人も突っ立っていられては、圧迫感が並みではない。
(今なら、どんな凶悪な強盗が押し入ってきても、尻尾を巻いて逃げ出すんじゃないかしら。あら、ベキオ様、鉢合わせしなくて良かったですね)
あの傲岸不遜なベキオが居合わせたら、いたたまれず、そそくさと帰ったに違いない。そもそも彼よりも上位の方々なので──。
おお、実におもしろそうな機を逃してしまったかも、とようやくリザベルらしい茶目っ気が湧き出てきた。いろいろと妄想したおかげか、どうにか昨夜からの疲れが遠のいたような気がする。気がするだけだが。
案内の前に、二人の騎士は、あらためて名乗った。
「対闇黒機関討伐隊隊長のグラーヴェ・タロス・ウルガリアです」
「同じく討伐隊副隊長カシアス・タロス・リガルと申します」
『タロス』という名は、騎士の称号を賜ったという証だ。正式には、本来のミドルネームはタロスの後に名乗るのだが、あえて明かさない騎士が多い。同じ騎士の中で家の格によって実力とは違う扱いを受けるのを避けるためとも、家の来歴にこだわる必要性を感じないためとも言われている。
漆黒の髪を撫でつけたウルガリア卿の瞳は紺青で、深く冷たい湖の底を思わせる。穏やかに目を細め口角を吊りあげているが、考えの読めない人物の筆頭ではなかろうか。相対すると、どうしても肩に力が入ってくる。
逆にリガル卿の柔和な笑顔は、なぜかリザベルをほっとさせる。明るい空色の瞳には、安心感を抱くことができた。
二人とも、相当の美丈夫だ。女性の十人中八、九人は見惚れてしまうことだろう。場合によっては全員が。これで独身なのだから、確かに、あまたの女性に騒がれてもおかしくない。
(リガル様の髪、昨夜は赤く見えたけれど、ほんとうは収穫期の小麦の色をしているのね)
つい、見とれてしまうと、リガル氏が照れくさそうに頭をかいた。はっと気づいたリザベルはあわてた。人様の、特に男性の顔を見つめたりするのは無作法です、と日頃、母に注意されているのだ。
「申し訳ありません。まじまじとお顔を拝見してしまい、失礼をいたしました、カーマイン嬢」
「い、いえ」
どうやら彼もまた、リザベルを凝視していたらしい。
「お怒りではない?」
「は、はい。とんでもございません」
戸惑って、ほんのりと顔を赤くするリザベルに、リガル氏は大地母神に感謝をささげたい心持になった。ところが、場を取り違えるな、と言わんばかりの、背後からの上司の視線が痛い。今はお近づきになれただけで良しとする。
知り合ったばかりの若い男女は、互いに視線を交わす。直後に双方ともあわてて目を逸らす様は、見ていて微笑ましいものがある。年頃の娘の素直な反応を見て、ジョイスは、少しばかり複雑な心境だ。
(いやいやいや、相手は大名家の、しかも名にし負う討伐隊の副隊長ではないか。しかも相当に令嬢に人気がある。人気があるどころの騒ぎではない。ウルガリア様同様、リガル様の妻の座を狙って、令嬢達の間で熾烈な争いがあるとかないとか。……うん、ウチの娘が射止めるとか、ありえないな)
ありえないことはありえない、ということも考えておく必要があったなぁ、とジョイスは後々しみじみと思い返すことになる。
リガル氏は、こほん、とひとつ空咳をした。肝心の要件を伝えねばならない。
「突然の訪問で、たいへん申し訳なく思っております。つきましてはカーマイン殿、御息女に対しての質問をお許し願いたいのですが」
リガル氏の丁重な断りに、ジョイスも拒否する理由はない。先ほどの高圧的なベキオとはまったく違う、実に誠実な態度だ。ただし、二人の騎士の外面に惑わされてはいけない。
何を考えているのか、を短絡的にさらけ出すドアリン家のベキオなど、かわいらしいものだ。しかし、この二人の新たな来訪者は違う。
討伐隊のウルガリア隊長とリガル副隊長という、近づきになることなど考もしなかった対闇黒機関の精鋭中の精鋭がわざわざ足を運んでくるとは、いよいよ長女が厄介ごとに巻き込まれた可能性が高い。ジョイスの悩みが、新たに増えることになりそうだ。リガル氏にはリザベルへの好意が透けて見えるが、ウルガリア氏の透徹した視線はまったく安心できない。ジョイスは、漏れ出そうになったため息を呑み込んだ。
一室に男性二人と娘だけにするわけにはいかない。父親であるジョイスも同席することにした。リザベルにとって何の慰めにもならないだろうが、立て続けの面会に彼女も知らぬうちに疲憊を覚えていたのだろう。ともに応接室に入った父を見ると、リザベルは安心したように微笑んだ。