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金の森の娘  作者: 長谷なた
第一章
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婚約解消

 やがて、ドアリン家子息であるベキオの来訪が告げられた。玄関ホールまで出迎えれば、ベギオの傍らにはどこぞの令嬢の姿があった。しかも、がっちりと互いの腕を組んでいるではないか。

 牽制(けんせい)にしても、これはない。

 別にベキオに恋していたわけではない。リザベルとしては、この男に恋い慕う要素を見出せなかった己を褒めたいほどだ。それにしても、とリザベルの胸の裡に不快な靄がかかる。


(あら? この方、どこかでお見掛けしたことがあるような……)


 そこまで考えたところで、即座に気持ちを切り替えた。もしかしたら今回のことは、千載一遇の好機なのかもしれないのだから。

 ベキオが、自らに寄り添う令嬢を紹介した。


「こちら、ベルルーシュ家のアリンナ嬢だ。こたびの話し合いにぜひとも同行したいとのことでお連れした」

「ベギオ様のお役にたてるならば、と同道いたしましたの。よしなに」


 アリンナ嬢とやらのカーマイン家を見下す態度が、あまりにあからさまだ。まったく何の関係もないはずだが、ベキオとの密着度から鑑みるに、婚約解消の原因はここにあるのだろう。浮ついた男だと思ってはいたが、まさかここまでとは。

 それにしても、ベルルーシュ家とは、いったいどういった繋がりがあるのだろう。リザベルの頭の中で、国中の名家を網羅する名家録のページが繰られる。


(上位の下、といったところ。なるほど、かなりの家のようね)


 これほどの家の御令嬢と親密になろうとは。ベキオは見目だけは良いし、そつのない振る舞いをする男である。ドアリン家は中位の家の中でも下の方の家格になるが、矜持だけは天を突くほどに高い。ベルルーシュ家と懇意ならば、親子の見栄も満足がいくのだろう。

 それにしても、だ。

 ドアリン家には、名家の体面とは違う何らかの思惑が働いているのかもしれない。まあ、カーマインのような貧乏名家に比べたら、天と地ほどの差があるのは確かだ。


(はあ、疲れる)


 リザベルは軽いめまいを覚え、こめかみのあたりをそっと二本の指で押さえた。



 そこで、ようやくベルルーシュ嬢に対する既視感に思い当たることがあった。


(そう……学院で)


 コスモロード国の名家に生まれた子は、十三になる年に都のスタッド学院へ入学する。任意ではあるが、どこの家でも他の名家との繋がりを得るためにとか、あるいは単純に見栄のためとかで、競って子息令嬢を放り込む。“放り込む”というのは、完全寄宿制だからだ。

 カーマイン家の家計から鑑みれば、リザベルが寮生活を送りながら学院へ通う余裕などないはずだった。いつの間にか学院に関しての事柄は、リザベルの頭の隅に追いやられていた。

 ところが。

 リザベルの母エリアンナは、転んでもタダでは起きない……いや、しっかりした女性なので、長女の学費をがっちりと貯めていた。もちろん、借財を無視していたわけではない。しかし、それはそれこれは別です、とにこやかに夫のジョイスを言い包めたのだ。

 リザベルとしては家計を圧迫する気などなかったが、反して学院には憧れを持っていたことを思い出した。結局、母の説得により、三年間の学院生活を送ることとなった。



 ベルルーシュ嬢は同期だった。別クラスだったが、ともに合同講義を受ける機会は何度もあった。

ベルルーシュ嬢の無駄話には辟易(へきえき)とした。魔法具の講義でも、歴史や地理の講義でも、絶え間ないおしゃべりに邪魔される。居眠りでもしてくれていた方が、よほど増しだ。講義を聴きたくなければ学院に入らなければよかったのに、と何度、喉まで出かかったことか。

 おまけに取り巻きの学生を集めては、茶会の真似事までする始末で、そのために談話室や学院唯一の四阿(あずまや)を占拠されることも少なからぬ回数があった。下位の名家の子らにとって、図書館以外に自主学習のできる貴重な場所だというのに。

 リザベルが学院側に訴えても、どうやらベルルーシュ家から多額の寄付金を得ているらしく、かえってたしなめられたりするような、結局は無駄骨に終わるという苦い経験もした。

 リザベルだけではなく、無理をして勉学のためにここにいる貧乏名家の子は他にもいる。領地に関してや、将来の糧を得るために真剣に取り組む者が多かったのに。

 そこまで思い出したところで、リザベルは回想をやめた。寝不足も祟り、頭痛が起りそうだったからだ。





 ともあれ、来訪者を応接室に通すことにする。ベキオとアリンナは窓側の三人掛けのソファーに陣取ったが、(にかわ)で張りつけたようにべったりとしたままだ。

 エリが香茶を運んできた。

 エリは素知らぬ顔でローテーブルに供したが、去り際に一瞬だけベキオとアリンナ嬢に向かって顔面をくしゃりと歪めた。リザベルは、どうにか苦笑をこらえる。

 アリンナ嬢が細い指でカップをとり、香茶に口をつけたが、あからさまに顔をしかめる。わずかに眉根を寄せたアリンナ嬢は、あえて失望したようにため息を吐き、カップをソーサに戻した。ビーズの手提げからレースのハンカチを取り出すと、急いで口を拭う。ベキオは御機嫌取りのためか、愛おしそうに彼女の手を撫でさすった。


「すまないね。おそらく、これでも上等な方なんですよ」

「口直しに銀の区画のティールームへ連れて行ってくださる?」

「もちろん。面倒な用件は、さっさと済ませて繰り出そうじゃありませんか。芝居見物の前に一休みしていきましょう」

「ええ、うれしい」


 なんとも無礼な連中である。半眼になったリザベルは、隣に座るジョイスが肩を揺らすのに気づいた。いくら温和な父親であっても、苛立たしい思いを隠せないようだ。

 人目もはばからずいちゃつく()れ者を招いた覚えはない。しかも、曲がりなりにも現婚約者の目の前で、だ。いったい何を見せられているのか。頭を抱えそうになったカーマイン父娘だが、どうにかこらえたのを誰かにほめてもらいたい。

 ベキオは己の腕に絡めたアリンナ嬢の手を愛おしそうに握ると、リザベルに向かって実に嫌な笑みを浮かべた。さっそく殴り倒したくなる。


「では、単刀直入に伝えよう。まずは、私とリザベルとの婚約を解消してもらおうと思う」


 一方的な申し出だというのに、実に居丈高な物言いだ。ジョイスはこめかみに立つ青筋を押さえながら、それでも慇懃(いんぎん)に問うた。


「突然のお話ですな。何がどうしてそうなりましたのか、ご説明を願えますか」


 丁重なジョイスの言葉に、ベキオが、ふん、と鼻を鳴らす。


「もちろん、このアリンナ嬢と出会ったからに決まっている。我が家としても、貴家と縁を結ぶことならず、実に慙愧(ざんき)に堪えないのだがね。これも時勢というものだろう。なにしろアリンナ嬢は、あのベルルーシュ家の一人娘だからね」


 どうやらベキオは、貧乏名家ではなく、上位の家の婿がねに収まろうとしているらしい。ベルルーシュ家は名家の中でも旧家中の旧家で、大名家に並ぶ力があると耳にしたことがある。王家とも太いパイプを持っているらしい、という話を母のエリアンナから聞かされた覚えもある。

 当初ドアリン家は、カーマイン家への借財を了承するのに、領地に広がる森林の権利を担保として要求してきた。領民の暮らしの根幹を成す森を万が一にも取り上げられては、にっちもさっちもいかなくなる。たとえ闇黒獣の被害に関しては待ったなしでも、村の生活がかかっているのだ。やすやすと譲渡するわけにはいかない。

 それでは、と代わりにドアリンから申し出があったのが、リザベルとベキオの婚約だった。これもジョイスにとっては不本意であったが、受けるようにと勧めたのがリザベルだった。まるで人身御供のようになってしまった娘に対し、申し訳なさにジョイスは幾度も頭を下げたものだ。その際、リザベルは「これで皆が助かるのですもの」と笑ったのだった。

 ジョイスとしては領地での総意もあり、リザベルの婚姻前までに何としても完済を果たす、と心決めしていた。婚約の解消あるいは破棄によってリザベルに瑕疵(かし)が生じたとしても、婚姻を阻止したかった。この婚姻は、リザベルを不幸にする予感しかなかったのだ。結果、思ったよりも早く負債をきれいにできる目途がついた。

 そんなジョイスとリザベルの気持ちを知ってか知らずか、ベキオは口角をあげて言い放つ。


「だいたい、この私が格下も格下の名家、しかも貧相な領地でしかないカーマインに婿入りするなどありえないのですよ。父上が何を考えているのか知らないが、これまでの苦渋を思えば、ようやく私の価値に見合った家に入ることがかなったわけだ。喜ばしいことこの上ないと思わないか?」


 いや、そこまで言えるほどのひとかどの人物とは思えませんけれど、と口をついて出そうな言葉をリザベルは呑み込んだ。ここは下手にこじらせるよりも、さっさと合意を取り付ける方がよろしい。

 あいにくと、このベキオという人物は、こちらがほいほいと喜んで乗り気になったりすれば、逆にへそを曲げるという厄介極まりない男なのだ。婚約解消を渋るドアリン氏の不可解な反応もあることだし、ここは搦め手でいくべし、とリザベルはジョイスに目配せを送る。

 むむむ、と唸ったジョイスは目を閉じて息を吐きだすと、とりつくろった顔をベキオに向ける。


「それは、契約違反ではございませんか。私どもの娘リザベルは年頃でございます。ここで婚約を解消されてしまっては、今後、いろいろと支障が出てまいりましょう。これをどう責任を取っていただけるのか、明確にお答えいただきたいものですな」

「とうさま!?」


 不安そうな顔をこしらえたリザベルに、ジョイスは膝の上に置かれた彼女の手をぽんぽんと軽くたたく。向こうから婚約解消の申し入れをしてきたのは確かなのだ。逆手にとって相応にごねれば、おかしな条件をつけたりせずに、さっさと解消を望むはずだ。


「ふむ、どうしろというのだ? リザベル嬢が、そこまで私に入れ込んでいるとは思わなかったよ」


 冗談じゃない。だが。

 ベキオには、少しばかり狼狽(うろた)える様子が見てとれた。ここで反論されるとは、思ってもみなかったのだろう。ベキオは上位の名家の次男であるというだけの、ただの甲斐性なしである。


「いえ、娘の今後を思うに、親として不憫で仕方がございません。運よく別の御縁が生じた場合に、婚約を解消したという事実が(かせ)となる可能性も否定できません。ですので、そうそう安直に了承できませんのです」

「ふん、たいそうな口のききようですね。この先リザベルに、それほどの縁が結ばれるとも思えませんがねぇ」


 カーマインの跡取り娘に対して、なんとも失礼な言いようである。ジョイスは睨みつけたい気持ちを、ぐっと抑えた。この場合、下出になることを厭うてはならない。


「カーマインは片田舎の小ぢんまりとした領地です。ドアリン家ならば片手でひねることができるほどの。しかし私は、祖霊に誓って領地を守っていかねばなりません」


 実際には、完済できる日も近くなったため、カーマイン領の森をとられるという懸念は薄らいでいる。しかし、ドアリン氏が執念く婿入りを撤回しない様子には危惧を覚えた。何を考えているのかわからず、言い知れない(おそ)れをジョイスは感じている。ならば如何様にしても、ドアリン家との関りは絶たねばならない。


「確かに、このままでは大事な領地まで失う可能性も無きにしも非ず、ですねぇ。それでは道端に捨てられた枯れ花も立つ瀬がないでしょう。まぁ、あの程度の森に執着する父の内心をはかりかねているのですが、ともかく何らかの益があるのは確かのようですし」


 ベキオが、背筋が寒くなる陰惨な笑顔を浮かべる。

 やはり、とジョイスは肝が冷える。なぜかはわからないが、ドアリン氏は息子にも念押しするほど、カーマイン領に並々ならぬ執着心を抱いているようだ。


「ともあれ、借財も完済間近と父から聞いています。だからこそ、こうして来たわけですがね。逆に後腐れもなくなろうと言うものです。では、今後、カーマイン領の森林に関してはドアリン家からは一切口を出さない。権利譲渡にも言及しない、と私が確約いたしましょう」

「ベキオ様、そのようなことを一存で決めてもよろしいの?」


 少しばかり唇の端を押し下げたアリンナ嬢に、ベキオは意気揚々とした笑みを返す。跡継ぎではないベキオに、口を出す権利などありそうにないのだが。


「私達にとって後顧の憂いがなくなるのなら、上々ですよ。後々、文句を言われても鬱陶しいだけですからね」

「そう、おっしゃるのでしたら」


 テーブルの下で、父娘が汗ばんだ拳を力強く握りしめたのを、ベキオもアリンナ嬢も知ることはない。いずれにしろドアリン氏は、今後もカーマイン領に手を伸ばすのを止めようとはしないのではないか、と思えた。いや、今のベキオの口ぶりでは、氏の欲しいのは森──テミスに接する森林の可能性が高い。そこにどのような意図があるのか、さっぱりわからないが。


「では、これに関しては一筆いただければありがたいのですが」

「私を信用できないと?」

「いえいえ。これをもって無事に婚約を解消できたことを、ドアリン様に書面で御報告すればよろしいのでは?」

「まぁ、そうだな」


 ジョイスの指示で、リザベルはカーマイン側の婚約に関する契約書と、書類作製のための用紙と筆記具を取りに書斎へ向かった。

 応接室を出ると、エリが心配そうな顔で廊下の壁際に佇んでいた。休んでいなかったのか、とリザベルは顔をしかめたが、エリにとって、それどころではない。

 今夜はエリを早く床に着かせるしかなさそうだ。リザベルは仕方なく微笑んで、しっかりとうなずいて見せる。お嬢さまの様子に、どうにか事が上手く運びそうだ、とエリは胸をなでおろした。

 リザベルが書類作成用の一式を持って応接室に戻ると、相変わらずベキオとアリンナ嬢はべたべたと戯れている。その様子を目の前にしても、にこやかな相好を崩さないジョイスはさすがだ。

 ジョイスが、今後はドアリン家によるカーマイン家及びカーマイン領に対する干渉を控える、という旨の書類を作成し、ベキオにサインをさせた。加えて婚約に関する書類にも、契約を解消する旨の書類を書き添える。


(ベキオ様は誤魔化せても、父君はどう出るかしらね)


 効果のほどは怪しくとも、ベキオのサイン入りの書類はカーマイン家にとっての武器となると信じたい。当主でも嫡男でもない男のサインが、どこまで有効かはわからない。何しろ相手は家格が上の名家なのだから。

 ベキオとアリンナ嬢は、しばらく放言を続けていたが、芝居の時間に間に合わなくなる、と後足で砂をかけるようにして去っていった。



 事は、それで終わらなかった。

 カーマイン父娘が、やれやれとばかりにため息を吐きながらソファの背もたれに体を預けているところに、新たな訪問者がカーマイン家の質素な借家を訪れたのである。




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