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金の森の娘  作者: 長谷なた
第一章
1/74

出会い

 ほとり、と音をたてるように陽が落ちた。

 地平線には名残りの朱の色がにじむ。やがて、あたりは駆け足で夕闇に呑まれるだろう。

 右手には冬小麦の収穫を終えた畑、左手は、うっそりとした昏い森だ。

 都につながる街道は、人や馬車の往来が盛んだ。踏み固められた一本道は歩きづらくはなく、楽々とした行程のはずだ。ただし、夜に潜むモノの襲来がなければ、の話だが。

 心地よい春の宵だが、浮かれて油断するわけにもいかない。

 ユイカは足を止めた。

 世界が沈んでゆく。

 夜にさしかかる頃合いに、いつも味わう感覚だ。『逢魔が時』という、この世界では異質な言葉が頭をよぎる。

 丸く見開かれた黒檀の瞳が、暮れなずむ景色を油断なく見渡す。焦げ茶色の髪を無造作に押し込んだフードの先端を、指でつまんで引っぱる。

 夜に出没するのは、盗賊や人さらいなどではない。そういった連中は、とうに活動の場を奪われている。自身の命を危険にさらしてまで凶行に及ぶ益はない。

 暮れゆく空を、小さな丸い物体がユイカに向かってまっすぐに飛んできた。きらり、とその日の最後の陽光が、鈍く反射した。

 ユイカの顔のすぐ横で、黒っぽい硬質な金属製の球体が“ホバリング”している。


「出そう、デイ?」


 デイと呼ばれた球体には、音声を発する機能が備わっている。デイは流ちょうに言葉を操った。


「闇黒獣出現率85“パーセント”。小型のアンコクジュウ。群れを形成している模様」


 ユイカは残念そうに首をふる。


「『銀の目』ではないか」

「現在、『銀の目』に関しての情報は限定的。出現地点を特定するのは困難デス」

「コスモロード国内に出没するのは確かなんだよね。一度、見てみたいんだが」

「危険を伴う行為デス。お薦めできまセン」


 ふよふよと浮かぶデイを傍らに、たゆみなく歩を進めながら、ユイカは深々とため息をついた。


「わかった。他に目立ったことはある?」

「100メートル先に、停滞中の人間が二名。一般女性。魔法馬車の事故と判断しまシタ」


 デイは自立的に判断を下す。ちなみにデイのいう『一般』とは、社会的地位や身分は関係ない。危急の場をしのげる人間かどうか、という区分けに過ぎない。


「まずいね」

「危険度75“パーセント”」

「意外に低いかな」

「10分前に都の門より武装した一団が出動した模様」

警邏隊(けいらたい)かな。間に合うといいけど」


 瞳にかすかな緊張の色を浮かべ、ユイカは周囲を見回した。


「きょうは満月で明るくはあるけど、出るモノは出るわけだから。警邏隊が駆けつけるまで女の人達が無事でいられるかどうかはわからない、か。……仕方がないね、急ぐか」


 ぶつくさとこぼしてから背嚢(はいのう)をおろすと、外側に縛りつけておいた器を手にとった。耐熱素材の優れモノだ。ねじ式の蓋を開ける。中には熱を帯びた灰が、ぎっしりと詰まっている。

 背嚢から引っ張り出した小布袋を逆さに振ると、手のひらにころりと小さな黒玉が落ちた。練り香だ。器―香炉―に落とし込み、蓋をしめる。

 荷物を背負いなおし、立ちあがった。やがて練り香が熱を帯び、香りを放つようになる。ほのかな匂いをまとった煙が鼻先まで流れてきた。これは、夜陰に乗じて出現する闇黒避けの香だ。


「女の人達のところに辿りつくまでに、闇黒獣に遭遇するわけにはいかないからなぁ」


 香炉内を埋める灰自体にも効果はあるが、ユイカの祖母お手製の練り香は抜群の威力がある。香が匂う間、闇黒獣は一歩も近寄れない。

 闇黒獣と呼ばれる化け物に襲われたが最後、人は無残に食い殺されてしまう。できれば遭遇はご免こうむりたい。たいていの闇黒獣ならば蹴散らすのは簡単だが、無駄な労力は省きたい。


「寄り道をしても、都までもってくれるはず」

「はい、有効デス」

「デイ、引き続き偵察をお願い」

「了解」


“ホバリング”していた硬質の球体が、ぐん、と上昇した。

 ユイカは、ぐんぐんと足を速めた。ここで闇黒獣に追われたり囲まれたりするのは、極力避けたい。


「わたしも、いちおう女なんだけどねぇ」


 ひとりつぶやきながら、足を速める。


「でもまあ、危ない目に遭いそうな人がいるなら、何とかしたいって思ってしまうのは(さが)としか言いようがない」


 陽が沈むと、暗くなるのはあっという間だ。すでに白い月が空をのぼっていた。

 金属質の影が、ひゅっ、と視界の隅を横切った。ぐるんと方向転換したデイが、ユイカの斜め上のあたりでいったん動きを止めると、そのまま森の方へ飛んで行く。闇黒獣の動向を探るためだ。


「急いだほうがよさそうか」


 さらに急ぐと、道の先に人の気配を感じた。

 路傍に、派手にかしいだ魔法馬車があった。車輪を溝にでもとられたのだろう。魔法馬車は推進用の魔法具が車輪を回す補助動力となるため、本来ならば二頭立てでなければならない馬車も馬一頭で十分に走行する。しかし、目の前の馬車には馬が見当たらない。

 じきに暗くなる。闇黒獣の活動時間が迫っている。

 馬車を前にして途方にくれたようにたたずむ人の影が、くっきりと浮かびあがっている。魔法具の灯火が、馬車の屋根の下で風に揺れていた。心もとない揺らめきが、直下の人達の不安定な状況を投影している。

 ふたりの女の人が、近づくユイカに気づいた。こわばった顔つきをして、目を見開いている。薄暗がりの中、危険を顧みずに街道を進む旅人に意表を突かれたのだろう。

 ユイカも目をしばたたく。

 こんな時分に無防備な姿をさらすなど、速攻で闇黒獣に引き裂かれたいのだろうか。せめて馬車内に避難するとか考えなかったのか。まあ、かしいだ馬車の中では落ち着くこともできないか。

 手前にいる女は肩をそびやかし、(まなじり)を決している。背後の女よりも年かさに見えるが、やはり娘らしい反応を隠せない。かばわれる方の女の年回りは、ユイカとそう変わりがなさそうだ。身に着けている旅装は、質素だが一定の立場や地位を表すものだ。

 乗合馬車が脱輪でもしたのかと思っていたが、どうやら名家(めいか)か、それに準ずる家の馬車のようだ。おそらく後ろの彼女は、その家の令嬢なのだろう。立ちはだかる女の方は侍女といったところか。

 この大陸において、名家は平民とは一線を画す高貴な人々とされる。名家の数は多く、大まかに上位、中位、下位に区分される。上位は王族により近く、大名家と呼ばれ、滅多なことでは近づくことすらできない。反して、下位はより平民に近い。

 名家に属する人々は、旅の途中で遠目に見たことがあるだけだ。あるいは街道を歩むユイカの傍らを、土をけたてて走り去る馬車に出合うくらいだった。

 名家の者ならば、どういった窮状でもやり過ごす術を持っているはずだ。その証拠に、侍女とおぼしき女の手の中では、小ぶりだが、高品質の結晶石が暗紅色の鈍い光を放っている。闇黒避けの魔法具だろう。ただユイカとしては、色が危うい状態になっているのが気になるし、そもそも魔法具自体に興味を惹かれている。


(余計なお世話はやめておいた方がいいかもしれない。だけど、うーん)


 何事にも自ら近づくことはしないようにね、と(さと)で言われている。

 視線をそらすと、ふたたび進む方向を見据える。足を踏み出そうとした時だ。


「もし、そこのあなた。どちらに向かうのか存じませんけれど、そのままでは闇黒獣の餌食ですよ」


 身を案じるように声をかけられた。つい、と視線を向けると、こわばった顔でユイカを見る名家の令嬢らしき娘と目が合った。行きずりの旅の者に安直に声掛けするなど、実に危ういではないか。

 ユイカは違うが、たとえば追いはぎであったらば、どうする。もっともこんな危険な時刻に出没する野盗はいないだろう。いや、食いつめて捨て鉢になった賊ではわからない。

 ややためらった後、再度、令嬢が口を開く。


「ここには闇黒避けがあります。それに、じきに迎えが来るはずなのです。それまで、ここに留まって急場をしのいではいかがですか?」


 令嬢を背中にかばう女が、悲鳴のような声をあげた。


「お嬢さま、あのような得体のしれない者に、気安くお声をかけてはなりません」

「あら。けれど、そろそろ闇黒獣の出る頃合いだというのに、平気な顔をして道を歩く者に興味がわかないわけがないのだけれど」

「だからこそ、危のうございます。見るからに、うさんくさいではありませんか」


 やはり側付きのメイドというか、侍女なのだろう。主の身の安全のみを優先する態度は正しい。

 それにしても、それほど物知らずとも思えないのだが、ずいぶんと豪胆な令嬢ではないか。見ず知らずの旅人を、魔法具の影響の範囲内に避難させようとするなど、かなりのお人よしだ。それでもユイカは、そんな人間が嫌いではない。

 そんなこんなが頭をよぎる中、ユイカは名家の令嬢の呼びかけに従って向きなおった。どうにも、ふたりの娘の今後に対して危うさを感じざるをえない。

 つまり、ほっとけない。

 名家の娘は、眉尻を下げて傾いた馬車を見やった。


「見てのとおり、乗ってきた馬車が脱輪したのです。先ほど御者が(たす)けを呼びに向かったところです。待っていれば、都の警邏隊が駆けつけてくれるはずです」


 一頭立ての馬車なのに馬がいないのは、その御者が乗っていったからだろう。


「じきに暗くなるのに、御者がひとりで向かったんですか?」

「御者のサミーは、そこそこ剣も使えます。ある程度の闇黒獣ならば退けられます」


 令嬢の強気の姿勢に変わりはないが、外套の端を握りしめる手がかすかに震えている。

 夜の闇が濃くなってきている。ただ人ならば、魔の気配に震えがとまらなくなってもおかしくない。名家の令嬢にしては気丈だな、とユイカは感心した。


「やっぱり見て見ぬふりはできないか」


 ユイカはため息を吐くと、ふたりの娘に歩み寄った。「ひっ」と喉の奥から短い悲鳴をあげた侍女が、じりっと後ずさる。後方の娘が身を固くしたのがわかった。


「失礼ですが」


 ユイカが、凛とした声を発した。耳を傾けざるを得ないような声音で、令嬢と侍女はぴくりと肩を揺らした。

 ふたりの娘の動きをそれほど気に留めず、ユイカは片膝をついた。背嚢をおろし、くくりつけていた香炉をはずす。


「その魔法具は闇黒避けと見受けられますが、じきに用をなさなくなりますよ。結晶石の色が濁りすぎている」

「えっ?」


 侍女があわてて手の中の魔法具に顔をよせた。夕闇の中では、確認するにも一苦労だ。


「確かに、色味が少々……」


 絶望に塗り込められそうな声を必死につくろい、侍女は現実を令嬢に告げた。台座に据えられた結晶石の根元から上方に向けて、さまざまな色が入り混じったような、おどろな赤に変じている。

 目を見開いた名家の娘が声をあげた。


「そんな。我が家で長年使用してきた物なのに」

「だからこそ、なのかもしれません」

「耐用年数を超えたとでも言うのでしょうか?」

「その結晶石は、もともとは、かなり品質の良いものとお見受けします。油断するのも無理はありません」


 名家の娘の問いに対するユイカに対して、侍女が口惜し気に唇を噛む。

 対闇黒獣として使用し続けてきたのならば、長い期間、魔気にさらされてきたということだ。どの程度の耐久性があったのか検分しなければわからないが、いずれにしろ使い物にならなくなるのも時間の問題だろう。


「次に闇黒獣が押し寄せてきたら、耐えられなくなった結晶石の外殻が粉々に砕け散るでしょう。そうなったら、あとはバケモノの餌食になるだけです」


 非情な言葉を放ちながら、ユイカは香炉の蓋をぱかりと開けた。覗きこんで、中身を確認すると、やおら立ちあがる。少し歩いて、馬車から離れた位置で止まると、ふたりの娘の方を振り返った。


「こちらへ来てください」


 どちらかと言えば疑心暗鬼に見舞われているらしい娘らは、緊張にこわばった顔を見合わせた。

 名家の令嬢が口を開く。


「そこで、何をなさろうというのですか?」

「闇黒避けをほどこします」


 端的に説明したユイカは、動こうとしないふたりの娘を腕を大きく振って促した。有無をも言わせない圧を感じ、渋々と娘達が移動してくると、ユイカは香炉の中から灰をつまみ出す。

 自身を含め三人の周囲にぐるりと灰で地面に円を描いてゆく。ふたりともに眉根をよせながらも、興味深そうにユイカの動きを目で追う。


「あの灰のような物が、闇黒避けの魔法具の代わりになると言うのかしら」

「単なる魔除けでしかないような気がいたしますが」


 立往生していた娘らが、ぼそぼそとが言葉を交わす。少しばかり愚痴めいているのは侍女の方だ。

 いまや二人とも挙動不審となり、視線を四方八方に巡らして落ち着かない。それでも動こうとしないのは、とっぷりと暮れてしまった森の際では、いつ闇黒獣が現れるかわからないからだ。疑念を抱きながらも、すがるものが他にない以上、ユイカの言葉に従う必要性を感じているのだろう。

 ユイカが、つい、と視線を森の方へ向けた。

 先ほど別れた金属の球体が戻ってきているのが見えた。デイは待機するように、枝の陰で浮いている。暗がりにすっかり同化してしまっており、娘らに気づかれることはないだろう。

 無言で作業を続けるユイカのうなじに、ぴりぴりとした感覚が迫ってきた。


「そこまで来ている」


 かがんでいた背を伸ばすと、ユイカは、ぱんぱんと手をはたいて灰を落とした。

 あたりはとっぷりと暮れて、互いの顔の判別もつかなくなった。徐々に暗くなっていったので目は慣らされていて、木々の輪郭や白ちゃけた道もどうにか判別できるのだが。

 大胆不敵な旅の娘は、馬車を振り返った。屋根の下に取り付けてあった灯火が消えている。闇黒避けと同じように、結晶石の取り換え時期が過ぎていたのだろう。

 ユイカは、背嚢から小ぶりの魔法具を取りだした。娘らにも馴染みのある、結晶石を利用したランタンだ。携帯用のようで、通常の物よりも小さい。

 ほんのりとした照明が灯され、ほっと息をつく。心もとない思いをふたりの娘が抱いているのは、ユイカにも伝わってくる。


「来ます。何があっても、絶対に円から出ないように」


 ぴしりとした厳しいユイカの声に、娘らは背筋を強張らせる。灰でできた円陣は、どうにもこうにも心細い。

 森の木々がざわめきだした。

 不安にかられて不可解な円の外に飛び出したりするのは良策でないということは、娘らにもわかっている。

 それでも、どうしてこんなに頼りない物にすがらねばならないのか、と文句を言いたくなる。通りすがりの旅人は、ただ淡々と指示を出すだけだ。危険なのは彼女も同じはずなのに、どうして(まじな)いのような物に頼るのか。二人の娘らは、少しばかり焦れてきてもいた。

 ようやく旅の娘が口を開いた。


「その魔法具は持っていると砕けた時に危ないので、描いた円の近くにおいてください。壊れるまでは、円陣と合わせて二重の効果を発揮してくれるでしょう」

「ほんとうは、こんな灰で作った円陣などに効果がないのを知られない為ではないの?」

「お嬢さま、きっとこの者は、わたしどもに恩に着せるためだけに、役に立たない方法をあげつらっているのでございますよ」


 令嬢は疑いの声をあげる。

 やってられるか、とばかりに、侍女が足を踏み出そうとした。


「動くな!」


 静かだが有無をも言わせぬユイカの命令を浴び、ぴしりと固まった侍女の手を、とっさに名家の令嬢がつかんだ。


「か、囲まれています」


 物音ひとつ立てずに、闇黒獣の群れが姿を現した。



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