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04 復興お疲れ様でした!異世界温泉レポとご褒美

 この世界でもちゃんと夜が来て朝が来るらしい。

 ジュアンが起こしに来るよりも前に身体はすっかり目が覚めていた。こんなにも早くすっきりとした目覚めは久しく味わっていなかった。「ううん〜よく寝た」というテンプレートな寝起き発言も、まさか本当にすることになるとは思わなかった。

 美しく上質な布団で眠れたというのもあるが、近隣住民の騒音や鳥の声で安眠を邪魔されることがなかったというのが一番の要因であろう。無性に身体を動かしたくなり、いちにぃさんとラジオ体操の要領で屈伸運動などしていると、まもなくガチャリという扉が開く音がした。

 ドアの向こうには、その仮面でも隠せない不信感を醸し出している者が唖然として立ち尽くしていた。

「なにしてるんだ……?」

「あっ、いやそのちょっと朝の運動を……」

 宿には俺しか泊まっていないので、準備をする人もいなかったのだが、ジュアンが朝食の用意をしてくれた。

 牛乳のように真っ白な飲料と、パンにも似たものに目玉焼きと思わしき物が乗っていて、ベーコンに近い肉まで巻いてあった。

「これって……」

「あぁ心配するな。昨日のミュピリポスが食ってたようなゲテモノじゃねぇからよ」

「ああいやそういう意味じゃなくて……これはその、あなたが?」

 そう聞くとジュアンは決まり悪そうに頭を掻いた。

「あの隊での飯担当は俺だからな。最低限味の保証は任せとけ」

 ジュアンの作った料理は、本人が言うようにそれはもう史上の舌触りであり、美味しさでほっぺたが落ちるとはよく言ったもので、本当に唇の端が崩れ落ちるようにじんわりと暖かくなり、自然に笑顔が溢れた。

 嗚呼……異世界朝食、実に美味だ。

 ほどよい塩味に加えて、油をくどくさせないために添えられたなんらかの柑橘系を思わせる、爽やかな香りが鼻にツンと入ってきた。

 あと二時間ほどは食レポできそうだ。一口ごとにニヤケが止まらないでいると、ジュアンが不思議そうに言った。

「そんなに美味いのか? 俺の飯」

「ああ。最高だよ。こんなに美味い朝飯、食ったことないよ。食べてみるか?」

「そうか。そんなに喜んでもらえたなら飯担当冥利に尽きるぜ」

 そう言う彼の顔は、きっと仮面越しでも満足そうな笑顔だったに違いないだろう。それに声色がほんの少しだが弾んでいるように感じた。

 大変素晴らしい朝食に満足すると、ジュアンがレヤンロさんのところまで案内してくれた。宿の外に出ると、そこかしこに木材の入った箱や金槌や釘といった工具が置いてあった。

「この町も復興に向けてようやく動き出せるってことだ。なにしろあちこち化け物共にぶっ壊されちまってるからな」

 暗雲立ち込める息苦しい雰囲気こそ消えているものの、パッと見の町の崩壊はどうにもなっておらず、割れた窓ガラスや屋根瓦などが道端に転がり落ちていた。時間はかかるだろうが、いずれこの町もまた元の姿に戻っていくだろう。

 また、力仕事で男手が不足するかもしれないので、俺も何か手伝おう。

 朝食を食べて意気揚々元気はつらつになった俺は、みんなの元にたどり着くと早速石や材木を運ぼうと手をかけた。ところが――

「ぐ……お、重……!」

 いざ実際に持ってみると物資は想像以上に重く、その場でなんとか持ち上げてみるのがやっとであった。手にものすごい圧力がかけられているみたいで、下へ下へと引っ張られていく感覚がじんじんと痛んだ。こんなものを沢山、そして何度も持っていかなければならないと考えた時、凄まじい重労働になることが見えてきて目眩がしてきた。

「きみはここで休んでいたまえ。町の復興は私たちでなんとかするから」

 そう言った女戦士レヤンロさんの右肩と左腕には、俺が一本でリタイアした石や木の分厚い板が四本ほど抱えてあった。

 彼女はそれを重くもなんともないといった涼しげな顔つきでいとも容易くあちこちあちこち走り回っていた。

 その男顔負けの労働ぶりに誰もが惜しみない賞賛の声を上げていた。

 まずい。このままでは男としての地位が危うい。

 いや、それどころか町のみんなに働かせるだけ働かせて自分は何もしない(何もできない)能無しのプー太郎になってしまう。

 敵を倒すまでが遠足、街を復興させるまでが修学旅行ってな。このまま指咥えて見てるわけにもいかないんだ。

 そこで俺が思い付いたのは昨日の荷物係に身を投じた際の出来事だ。ブリッジの姿勢を半裸でとっている間、あらゆる重い荷物をほいほいと沢山もっていけた事だ。あの状態なら格好はつかないが、皆の役に立つことができる。

 そうとなれば話は早い。俺はとっさに近くに落ちてあった短刀で自らの衣服を引き裂き、のけぞりながら地面に手をついた。

 レヤンロさんもジュアンも「何してんだ」という奇異の目を向けてきたが、構うものではない。己が職務を全うするんだ俺。なんのためにこの世界にやってきたのだ。せっかく始めた第二の人生でもまた無能扱いされてどうする。力はあるべき時にあるべき場面で使うべきだろう。こんな風にな!

 ブリッジ状態では木材を乗せられないため、ジュアンさんに頼んでまた腹の上に置いてもらった。

 ダサいポーズをとっていない時は十秒も持っていられなかった資材が、今やどうだ。こうも安定して重さを感じないものなのか。むしろ身体が軽い。どこまでも走っていけそうだ。

 俺は風に乗るまま思うがままに材木や石材を、必要としている人のもとに届けていった。もちろん初見では変なものを見るような目で驚かれた。が、すぐに皆慣れていった。慣れとは恐ろしいものだ。

 レヤンロさんに負けじと数多くの資材を十、いや百往復は移動し、数分もかからないうちに移動作業は終わりを迎えた。

 残る肝心の復興作業に関しては、人の手による大工作業になるため、町の人たちは届けられた資材を使い、屋根の上や壁に登りながら地道に進めていた。

 だがこれも力あるものが素早く進めてしまえばより早く楽に終わらせることができるだろう。

 ブリッジの体勢から起き上がると今度は右手で顔を覆い、左手で空を指差しながら首を後ろに下げ足を左右に交差し、腰を突き出すようにして前へ向かっていった。半裸なことも相まって見ようによってはもう紛うことなき不審者か変態であったが、町の住民も先程の俺の働きを見てくれていたので、さほど気にせず受け入れてくれた。

 この恥ずかしい状態なら出来るはず。

 俺はかろうじて動く左手の指で木や石を真っ直ぐ割ったり、親指で釘を高速に打ちつけたり、町の皆が指示するように修繕に向けて動いてみた。その速さは並の人間では到底及ぶものではなく、事故や火災の動画の逆再生でも見ているかのように、町は次第に元の美しい姿を取り戻していった。

 結果として一日という異例の速度で町は復興を果たし、人々は歓喜の渦に包まれていった。

「いやぁ見事なもんだこいつは」

 始まる前は不気味がっていたジュアンも、完成した町並みを見るとただただ感心の声を上げるのみであり、他の皆もそれなりに俺を認めてくれるようになった。

「きみは本当に何者なんだ……」

 さしものレヤンロさんでさえ、この速さと出来栄えには感服しており、恐れ入ったといった様子で半裸の俺を見つめていた。

「ただの元の学生の一般人ですよ」

 やがてそのダサいポーズを崩して俺は肩の荷を解いた。

 ポーズを解いた瞬間にどっと疲れが湧き上がってきたが、これは長期の激しい労働による肉体的なものではなく、どちらかというと気疲れに似た精神的なものであった。

 このチート能力は思いの外便利だ。本人が羞恥心というものを捨て去ることができるなら、基本的にできないことが何もない。流石に空を飛べるかは怪しいが、なんでもやろうとすればできてしまう。肉体の限界や耐久度なんかを越えて、力も果てしなく強いため、やれる事の範囲が非常に幅広いのだ。例えば燃え盛る火事の中、生身で子供を家から救い出すことも可能だろう。

 底無しの沼や海で溺れている人を、息をせず深くに潜って連れ出すことも出来るかもしれない。さっきふとおかしなポーズを取っている時試したことだが、呼吸を絶ってもどうやら死なないどころか苦しくもないらしい。本当になんでもありだ。

 痛みを感じないので針山や剣先がびっしりと敷き詰められた山の上を歩くことだって厭わないだろう。これはつまり言い換えればダサいポーズさえ取っていれば、あらゆる環境で生存できるということだ。それもただ物置になるのではなく、硬いものを壊したり必要なものをとってきたり、敵を倒したりできるのだ。

 こんなの絶対高難度クエスト向きだろう。人命救助から一流ハンター、クエストキラーの大冒険者まで様々な事象で有効活用できるに違いない。いよいよだ。俺が新世界で羽ばたく時が来た!

 ちょっと考えてたのとだいぶ違うけどこれも異世界転生チート無双ライフだ。いける。まだまだ挽回できるぜ俺の名誉。

 富、名声を力で手に入れ、この異世界の地に俺専用の楽園を築き上げてみせるぜ‼︎

 夢の理想プランがいよいよ実現しそうだと夢心地になっているところに、仮面に声をかけられた。

「よぉよぉダンナ、お疲れだろう。ちょっとあっちで風呂入っていけよ。あったまるぜ」

 自分はどう入るのか気になるほど頑なに外さない鉄仮面の男ではあるが、その提案はたいへん興味深いものだった。

 このところまともに風呂など入っていないのだ。流石にこの世界にも風呂に入る文化くらいは有しているであろうと踏んでいたが、誰もそのことについて明言しなかったため、湯に浸かれるのは一部の貴族だけかべらぼうに高いかのどちらかであるかもしれないと疑いにかかっていたのだ。

「そりゃありがたい話です。是非」

 ジュアンの導きに従って着いた先は快適な睡眠をいただいた宿屋ではなく、赤いレンガで組み立てられた壁が目立つ小さな民家のような場所だった。看板を読んでみると「湯屋」とうっすら書いてあるのが読めた。町民行きつけの大衆浴場みたいなもんだろうか。

「存分にあったまっていくといいぜ。ま、作業を終わらせてくれたお礼で代金は取らねえらしいから安心してくつろいでいってやれ」

「それはどうもご親切に……」

 やはり良いことは巡り巡って自分のためにもなるのだ。

 まだ見ぬ異世界の風呂屋に思いを馳せながら、湯屋の戸を開いた。

 入った先は木製の床に石の壁が特徴的なやや狭苦しい店という印象だった。店主の趣味か、魔除けなのか定かではないが、壁に珍妙なお面が掛けられていた。それを除けば至って普遍的な風呂屋といった感じだった。カウンターの右隣にガラスの扉があり、その向こうが脱衣所になっていた。看板なんかはなかったがおそらく女が左の方で男が右の方なんだろう。いやこの際それはどうでもいいか。どうせ誰も入っていないだろうし。というか書いてない方が悪い。

 脱衣所には使われていない木製のカゴがいくつかおいてあり、適当に一番入り口に近いところにあったものに脱いだ衣服を置いた。

 タオルなどはなく、中途半端な半裸ではない正真正銘の全裸、生まれた姿になった。誰も見ていないのはわかっていても、少々気恥ずかしい気分だ。転生の際、なにかの間違いで筋肉ムキムキになっていないかどうか首から下を見下ろしてみたが、見慣れた自分の何の変哲もない肉体がそこにあった。安心はするが、ちょっと残念な気もする。まぁそのうち筋肉もついてくるだろう。

 異世界は俺の元いた世界とは異なり、過酷そのものだった。

 この環境でしばらく過ごしたら、前の世界では考えられなかった肉体に変貌を遂げ、細マッチョのイケメンが出来上がるだろう。

 これからの未来に希望の風呂敷を広げるのはさておき――

 異世界初の湯、お手並み拝見といこうか。

 入ってみると、入り口の狭さを感じさせない比較的広い露天風呂になっていた。異世界の空と風を存分に堪能でき、床には不揃いの大理石が敷き詰められており、こんなところで元いた世界との接点を見つけてしまう。やはり異世界といえど風呂文化も露天風呂の作りも自然と似通うものなのだろうか。もっとも俺のいた世界とは成り立ちも仕組みも全く異なるものであろうが。

 あたりに立ち込める真っ白な湯煙は、温泉と外気の温度差によって生じたものであることは疑いようがなかった。

 そこら中に冷たい風に混じって湯の熱気がむんむんと漂っており、交互に撫でられた肌が心地良く感じた。

 そしてなんといっても見過ごせないのが、この世界では恐らくあらかじめ入れておいた水を溜めたり、温めたりする習性なんてないであろう事――つまり、目の前に広がる湯は紛れもない源泉であるという事実だ。

 掘ったら湧き出た天然の湯、モノホンの温泉である。それなりに引きこもり気味であった俺は、生前もそれほど旅行にはいかなかったもので、生の源泉を味わう機会に乏しかった。

 全く興味がないわけではなかったので、高まった期待感が湯気に当てられてさらに上昇していくのが感じられた。

 滑らないように充分注意しながらも早足で、目の前の楽園に飛び込んだ。

「あああっ…………ぐああああああ〜っ…………!」

 それは胸の底から自然に溢れ出た言葉であった。

 人間は温泉の魔力には抗えないのだ。何故なら人は風呂に入る時は裸だからである。そもそも人という字は、入るという字と酷似している。よって風呂に入る事と、人間には密接な因果関係があるということが証明された訳だ。自分でも半ば何を言っているのか意味がわからないくらいふやふやになっていたが、それくらい温泉というのは気持ちいいものだ。

 熱々で死にかけるということもなく、しかしながらぬるすぎないというこの絶妙な湯加減というのはまさしく自然現象の賜物。肩どころかこのまま水の流れに身を任せて口、否頭まで浸かってしまいたかったが、まだ異世界の温泉を目や口に入れてしまうことに若干の抵抗感を覚えたので、現状の姿勢を維持したままに留める結果となった。それでも魂まで抜き取られてしまいそうな極楽さに、俺は産まれる前の羊水に浸る赤子さながらの感覚を思い出していた。

 肩の力が、腰の筋肉がほぐれていく。とろけていく。

 たまらずぐぐっと足まで伸ばしてみたが、想像を絶する至高の幸福感に、小汚いおっさんのようなうめき声を上げてしまった。

「たまんねぇ〜‼︎」

 異世界に行ってよかったことはなんですかと問われれば、この湯浴みは間違いなくベストスリーに入るだろう。なんなら現状一位まである。銭湯にはそれなりに通っていた身ではあるのだが、やはり人が多い中で全裸になり、且つ人の浸かった湯に身を委ねるという事になかなか慣れなかった。露天風呂の日本庭園が如く神聖な雰囲気を味わおうにも、真隣に汗まみれで呻いているおっさんがいると、どうしてもそちらに意識が持っていかれてしまう。

 これは自分もそう思われている可能性があるため、仕方のないことなのだが。このところ楽園とも呼べる風呂に縁がなかった俺にとって、今の環境は最高と言わざるを得なかった。

 身体が温められて疲れが取れていくのがわかる。この世界に来てまだロクに休まっていなかったのだ。

 いやもちろん宿屋で爆睡こそしたのだが、それも一瞬のような感覚であり、こうしてゆっくりと何も考えず極楽に呆けていられるのは初めてなのだ。

 あのチート能力のおかげで重労働でも疲れは感じないため、運動といえる運動は特にしていないのだが、それ以外の時間は生身と変わらない状態で過ごしていたので、総蓄積された疲れはあったようだ。

 お湯により癒えた部分がじわじわと暖まっていくのを感じた。その感覚がまた心地よさを増長させる。このまま岩を背に、眠りについてもいいかもしれない。

 露天特有の岩壁や石の床も、不思議と尻と背の違和感を与えるものではなかった。骨の髄まで染み渡る、とはまさにこのことで、空を見上げて心ゆくまで快感に酔いしれていた。

 どれだけ浸かればのぼせてくるのだろうか。かれこれもう体感で一時間は過ぎたはずだが、今のところ全く熱によるふらつきだとか、目眩だとかは感じない。それだけいい湯なのだろうか。極楽極楽。


 そろそろいい頃合いなのでと、上がろうとした時ふと頭にとある疑問がよぎった。

「……これ、身体洗うときどうするんだ」

 タオルがない以上、当然身体を擦る方のタオルもないだろう。

 まさか、手で? いやいやいやいやんなアホな。

 そもそも身体洗う文化あるの? え、あるよな?

 そういえば思い返してみると、さっき暖まっていけとは言われたが、汚れを落としていけ、とは言われなかった。もしかして異世界、臭い?

 一刻も早く真偽を確かめようとした矢先、目の玉が吹き飛ぶような出来事が待ち構えていた。

 名残惜しくも天国を後にして、体を洗える洗い場のような場所を探して露天風呂の中を行ったり来たりしていたのだ。

 そんな時――。

「やあやあ。音がするので誰かと思えばケイゴ、キミじゃないか。今日はお互いにお疲れ様だな」

「うわああああああ‼︎ レヤンロさん⁉︎ な、なんでこんなところに‼︎」

 そこには、この場に絶対いるはずの無い人物が、一糸纏わぬ生まれたままのあられもない姿で堂々と立っていた。

 湯煙に覆われていたのと羞恥心から咄嗟に目を離したこともあり、そんなにはっきりと目視したわけではないのだが、確実に目の前にいたのは全裸の女性であった。

 これがもしアニメのワンシーンで、ヒロインの湯浴みお色気場面ならば、どこからともなくわざとらしく大量に湧き出る湯煙や謎の光に対し「死ねやぼけえええ」と叫んだ後に、このシーンを指揮した馬鹿者は何処だと、いつもなら問い詰めて監督を処刑したくなるのだが、今回はそんな事も言っていられない。

 は、初めて見たのだ。じょ、女性の。それも本物の、現実の素っ裸を。それは純真無垢な童貞には刺激が強いなんてものではなく、高温の湯でものぼせなかった顔面に、ぼうっと熱気が登って赤くなっていったのを感じた。鼻血どころか心臓も飛び出ていたかもしれない。

「ん? どうした。そんなに激しく目を逸らして。女の裸なんて物珍しくもないだろうに。風呂に入るときはみんなそうなるだろう?」

「ははは、初めてだったんだよ‼︎ だっ、だいたいなんで君はそんなにどどど、堂々とできるんだ! い、いくらここが風呂屋で俺たちが入浴中の身であるからって‼︎」

 裏返りすぎてもう自分のだか誰のだかわからない声を広い露天風呂に響かせた。

 しかしこちらの顔から火が出そうなほどの羞恥心と気まずさなんて全くお構いなしといった様子で、むしろ恥ずかしがっているこちらの方がおかしいといった具合に彼女は俺に触れてきた。

 かっかと熱を帯びた熱い背中にひゃっと彼女のしなやかでやや冷たい手が触れた。

「まあまあいいじゃないか。それより色々と積もる話もしようではないか。お互い裸の付き合いといこう!」

「ああああああひゃあああっ‼︎」

 不肖、この童貞……いやピュアボーイ・ケイゴは生前もそんなに女の子と交流などまともにしたことがなく、ましてや手を繋ごうなどとそんなそんな破廉恥極まりない体験なんて以ての外であり、最後に握ったのがせいぜい小学生六年生の修学旅行で、夕方焚き火の前で民謡曲をバックにみんなで踊ったくらいの俺に、お互い生裸の状態で肉体を(肩とはいえ)つんつんどころか、がっつりと触られたという事は異常事態であった。脳内の純真な童貞警報がジリジリと鳴り響く。こんなの耐えられない。恥ずかしさでオーバーヒートして爆発してしまいそうだ。童貞メーターの容量限界だ。

 なまじ先程の裸が目に焼き付いてしまったので、目を背けようにも触られた感覚と共にその光景が容易に想像できてしまい、これ以上ないエロスを感じさせる演出となってしまった。

 なんとか沸騰寸前の全身を必死で落ち着かせながら、俺はレヤンロさんの手に引かれるように洗い場と思わしき地についた。

 そこにあった石の椅子に、お互いを見ないようにして反対側で向かい合って座り込んだ。身体を擦るものはタオルではなく、代わりに置いてあったのは、なにやらたわし状の得体の知れない緑色の物体であった。そんな変なものが気にならないほど、煩悩が脳内に押し寄せてきており、緑の物体で体全体をくまなく擦り付けていた。幸いにもこの世界にもどうやら身体を洗う文化があるようだ。物体の隣においてあった石鹸と思わしきものを泡立てて、全身をひとまず泡に包んだ。

 これで万が一にも有事の際、小汚い男の醜い裸体を晒してお目汚しする羽目にはならないだろう。

 ……いや既に一度見られておいて今更手遅れもいいところなんだが。

 待てよ。俺が相手の裸を見てしまったということは、相手も当然俺の裸を見てしまったということ……?

 しかも相手は全く気にしていないという態度なので、この世界では男女がお互いに素っ裸になっていようと、それが風呂であるならなんら犯罪性も問われず問題視されないということなのだろう。

 文化の違いや常識の差異であると割り切ってしまうのは簡単だが、そっちの方が問題じゃないかと俺は思った。

 まあレヤンロさん強いし間違いを起こそうものなら普通に遥か彼方に蹴飛ばしてくれそうなので、そこは心配なさそうなのだが。

 ではこの泡まみれの行為も、やはり無意味な俺の過剰反応なのか?

 もこもこと全身泡で包んだ俺をちらっと見たのか、レヤンロさんはくすくすっと後ろで笑い声を出した。

「ふふっ、キミはまるで子供みたいだな。泡遊びがそんなに楽しい年齢でもなかろうに」

「ち、ちがうよこれはそのアレだよ。全身をくまなく洗ってるだけだ……。これでも一応十七歳だよ」

 言ってしまって若干しまったと思った。

 この世界でこの年齢の言い方とかって通用するのか?

 数えて……はいるだろうが、まさかレヤンロさん四十とか百を超えている「実はハーフエルフでした」なんて展開ではなかろうな。異常な可愛さ可憐さの説明こそできるが、それだと俺は完全に子供扱いだ。

「そうか。私とは一歳違いなのだな! 私は十八だよ」

「へ、へぇ〜そうなんですか……十八か、意外だなぁ……」

 よかった。ちゃんと人間してた。

 ここまでの現実を疑うわけではないのだが、正直どこか心配してたといわれればその通りだ。こんな完璧超人イケメン女子なんか実はいなくて、長い夢か幻でしたーなんてネタバラシされるかもしれないという不安はあった。


 ……ってちょっと待て。

「十八⁉︎ そんなんでお酒飲めるの⁈」

「ん? いや地域にも依るとは思うのだが……大抵は十六で一人前として認められるものではないか?」

「マジかよ‼︎」

 ということは、昨晩の宴で俺お酒飲めたって事か?

 考えてみればそうなのか。二十歳までは未成年なのでお酒が飲めないというのは、飽くまでも前いた世界での常識であってこの世界ではそんな事もないのかもしれない。

 それにしても十六て。いくらなんでも早熟すぎやしないか異世界人。

「なんだケイゴ。もしかしてまだお酒飲んだことないのか? あれはいいぞ。一気に楽しい気分にしてくれる」

「飲んだことないし、飲みたくもないよ……。だって貴女ベロベロになってたじゃないすか……」

「お酒とはそういうものなのだ。呑んでいる時は夢心地なのだが、時が経つと吐き気と目眩を覚えて一気に現実に呼び戻されるのだ」

「それ聞いてますます飲みたくなくなったよ……」

 こうして本当に裸の付き合いをしてみると、なかなかどうしてレヤンロさんはとても楽しそうだ。

 というか、若干嬉しそうだ。強くて可憐、だけど普通にお酒とゲテモノが好きな大食いな一面もある。

 普通の女性もこんな感じなんだろうか。生前は余り交流することもできなかったが、もしかしたらこんなふうに話せていたのかもしれない。

 …………いや、それは妥当な判断とはいえないだろう。レヤンロさんが特別優しいだけというのもあるが、魔物に襲われる世界で生きてきた人間と、基本的に激しい争いのない、平和な世界で成績や見た目といったより好みできる人間とは、育つ感性も養われてきた人間性も根本から大きく異なるだろう。

 それにこうしてレヤンロさんが気軽に打ち解けてくれたのは、俺が超絶チート能力を彼女の前で発揮できたことも要因としては考えられるだろう。

 元の世界通りの無能で無個性な俺だったなら、きっと生前同様誰からも相手にされなかっただろう。そう考えると新たな人生バンザイといった感じだ。

「なぁケイゴ。ひとつ気になることがあるのだ。キミは何故あれほど強いのにあの洞窟で悲鳴など上げていたのだ」

「ぎっ……! あ、あれはだな。ほ、ほらあれなんだよ。お、俺の能力って、実は相対的ピンチに陥らないと発動しないというか……」

 これまた持っている剣のように鋭い質問を受けてしまった。まぁ考えればその通りである。ゴブリンなど比にならないほど屈強で凶暴なグリドに勝てる実力があるんなら、あんなところで苦戦している必要は全くもって無いわけだ。俺は半分は事実を含めた嘘でどうにか誤魔化した。

「相対的ピンチ……?」

「ほ、ほらあれだよ。服とか毎回破いてたろ? あーいう恥ずかしい思いというか、誰がどう見てもこの人ピンチです! って状況にならねーとものすごい力を発揮できねえんだよ。ゴブリンたちにはだからその、能力を発動させるために利用してやった、ってところだよ」

「なるほどなるほど。いやすまない。ようやくこれで得心がいったよ。この広き世には、そのように奇怪な能力もあるのだな。それは苦労するだろう」

「お、おう。まあ他の連中には内緒だぜ? レヤンロ……さんは信頼できるからこうして話してやったわけだ」

 その相変わらずの人を疑うことを知らない実直さには、感服を通り越して感謝の念しかない。こんな言い訳でも「なら何故はじめから自分の服を切り裂いて戦っておかなかったんですか」とか「リスクをわざわざ背負って戦う利点ってなんですか」とか色々と考えられる疑問が浮かばないはずはないのだが、そんな疑問すら口に出さず、俺の言ったことを信頼してくれている。

 ならば俺も信頼している――と一手打ってやったわけだ。

 共有の秘密を持っておけば、人はその繋がりが他のものより濃ゆく、深いものになる。はず。

 間違っても「あの場面では助けてもらわなくても、一人でなんとかできたんだよ!」などと名誉を挽回するような発言などしてはならない。それは威厳を取り戻すどころか、優しいレヤンロさんの気持ちを「余計な真似だ」と切り捨てる悪辣な行為に他ならないからだ。まずは信頼を勝ち得て、然るのちに落ちていった威厳も取り戻していけば良い。幸いなことにさっきのグリド撃破と復興のお手伝いの甲斐あって、俺の第一印象たる恥辱に満ちた破廉恥野郎という、人生で下から数えていった方が早そうなほど低い地位は、若干の向上を果たすことに成功しているように思われる。

 まぁ並大抵の活躍ではこうはならないだろう。全てはこの力あってのものだ。この調子で段々と本懐である異世界ハーレムを目指していけばよい。焦る事は何も無いのだ。能力がどうやったら発動するかも判明した事だし。

「それは嬉しいことだな。うむ、わかった。キミと私だけの秘密にしておこう。私は口が堅い方なのだ」

 そう言ったレヤンロさんの声はとても弾んでいるように思えた。予想的中。やはり秘密の共有というのは人の距離を縮め、信頼という言葉は人の心を躍らせる一抹の高揚感というのを与えるのだ。そしてレヤンロさんは本当に口が堅そうだ。彼女ならこの能力の秘密を守り抜き、末代まで明かされることはないだろう。

 いやでも突然服なんて脱ぎ始めてたら流石にちょっと怪しまれるかもだが……。単にださいポーズを取っているだけではダメなのだろうか。今度試してみるか。

 しばらく全身の洗浄を終えた俺が、先程どっと溢れ噴き出た汗と一日の汚れを流すべく湯をかけた。そろそろ出ようか。

 一通りの用事は終え、今や俺はツヤツヤのホヤホヤ状態であろう。異世界湯屋、感謝する。チート旅行ついでに異世界各地湯屋巡りでもしてみるか。一日の勤労後の入浴は、えもいわれぬ快感に等しいものだからな。

 立ち上がろうと腰を上げたその時、レヤンロさんが同時に立ち上がってきた。

「ひっ、あっ!」

 咄嗟に目を手で覆う。肝心なところが覆われてないが、それはまあ足でどうにかカバーしよう。

 目の前に全裸の女性がいるというだけで心臓が張り裂けそうなほどドキドキしているというのに、その女性は悶絶モンのウルトラスーパーナイスバディなのだ。ついうっかりもう一度でもはっきり見てしまおうものなら、この温泉の異名は次の日から「血の池地獄」になるだろう。鼻から出血多量の遺体を添えて。

 そして守られるはずのおっぱいが剥き出しになっているという事実は、天変地異にも匹敵するのだ。諸君らもこれで、使い方を間違えれば、おっぱいが人間一人を殺し得る殺戮兵器であることは重々承知してくれた事だろう。言うならば天使と悪魔の二面性を孕んでいるのだ。決して、過言などではない。

「おいおいそんなに目を背けることもないだろう。この通りほれ、人に見せてはならないやましいものなどどこにもない、自慢の身体なのだから。……ああ、そうではなくな」

「ふぇ?」

「レヤンロでいいぞ。初対面の時そう呼んでくれていたではないか。さっきよそよそしくもさん付けをされて困惑したぞ。それともどう呼ぶか迷っていたのか?」

「え、ええ……まぁ。一応年上だし?」

「ははは。まだまだ敬われるほど歳は食っていないぞ。それにキミとはたったの一年しか違わないではないか! 私が仮に年下だったとしてもケイゴには普通に呼び捨てで接したと思うぞ」

 なんだ。何かと思えばそんな事か。昨日の自己紹介の際に強がったのは、なんとか威厳を保とうとした愚かな男の浅知恵だというのに。そんな失礼な言動にも嫌な顔一つせず対応してくれたのだな、と改めてしんみりとするばかりだ。本当、初めて出会った人間がレヤンロでよかった。公爵とかギルドマスターとかに会ってたら、「無礼者! 死ね‼︎」の一言のもとに斬り伏せられていただろう。そもそもそんなやつはゴブリンの巣食う魔境には来ないって? そう考えたら、あそこに転生された事も全て運命の導き手、女神のみぞ知る偶然、気まぐれかもしれないな。

 しかしこの格上相手に対して後からへーこらしてしまう染み付いた負け犬根性というのはなかなか消えないものだ。

 ストレートな名前呼びには時間がかかるかもしれないな。

「そ、そうか。それじゃ改めてよろしくなレ、レヤンロ」

「ああ! よろしくケイゴ!」

 こうしてまた二人の距離が縮まったのを実感した俺ではあるが、さっきからレヤンロは後ろを向いたままの俺の手を握りしめて離さなかった。

 あの、だからそれ緊張するんだって。やばいってそろそろやばいって俺の童貞最終防衛線。ちょっとでもそのゴム毬のような包容力に肩でも触れたなら、間違いなく即死しちゃうんだって。

「人が握手を求めているのに、目を逸らすことはないと私は思うのだが?」

 そう言ったレヤンロさんは実に意地悪そうだ。や、やめてくれ。童貞にはそういうのクリティカルヒットしちゃうんだって!

「あ、あ、ああ。い、いやでもですねレヤンロさん。と、時には正面を向く方が失礼になることもあるのではないこともないことも……」

「ええい訳のわからんことを言うな。ほれ」

 そうしてレヤンロにされるがまま、掴まれた手でくるりと正面を向かされた。

 ひ、ひええ‼︎ メーデー! メーデー‼︎

 目の前に石鹸のいい香りがする髪を下ろした美しい女性がいます! もうすぐこのクソ雑魚童貞は死にます!

 正面を向かされると改めてとんでもない破壊力だ。

 かなり距離が近いこともあって、お互いの隠さなきゃいけない恥ずかしい部分は全く見えてない(湯煙さんグッジョブ)のだが、レヤンロのその美しすぎる気品溢れた生ける女神みたいな顔は、湯浴みのせいかいつもより濃度十二、いや二十パーセントほど増量しているのだ。二十パーもありゃガチャだって引くぞ! バフだって五パーセントとかでてんやわんやするのがゲームの世界なのに!

 結んでいる時とはまた違う、水が滴るいい女なんて昔の人はほんとよく言ったもので、湖から顕現した女神を思わせる美貌が俺のか弱い胸を爆発させようとガンガン突き刺してくる。

 あと少し距離間違えたらその人魚姫の秘宝みたいに美しい唇と、俺の若干乾いてカッサカサの歯磨きすら終えてない穢らわしい唇が交差してしまうぞ。感情交差点だぞ。感情の渋滞が起きてしまうぞ。

「よしよし。これで改めてよろしくだな。ケイゴ」

 そういうと彼女は満面の笑みを浮かべ、手を離して湯煙の先へ走り去っていった。

 うっかりその美しい裸体を目に刻みつけてしまわないよう、走り出したのが見えた瞬間、空を見上げることにした。

 うん。やっぱ完全に見ないなんて無理だよ。抑えていた感情が再び昂り、暴走したのち全身が熱を帯びて真っ赤になっていくのがわかった。

 嗚呼……慣れないな異世界特有のこの感性。

 嫁入り前の娘が成熟し切った身体を野蛮なオスどもの前で晒すというのはどう考えても色々とまずい気がするのだが。

 まさかこの世界の男は性欲というものがないのか。いやいやそんなことあるまい。多分レヤンロは仲間内で何度も風呂に入ってるうちにそういう感性が出来上がっていったものだと信じたい。それか異世界の男性はとんでもない紳士かの二択だ。

「また風呂、入らなきゃな……」

 流したはずの汗が噴き出た足で、もう一度湯に入って煩悩を沈めようと楽園に飛び込んでいった。


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