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02 洞窟。ゴブリンと女騎士

(さて、一体どうしたもんか……)

 女神の雑な導きによってたどり着いた異世界らしき場所は暗黒の廃墟を思わせる洞窟の底であった。

 光が限りなく少ないので、外が朝なのか夜なのかも全く知るよしなかった。

 これから新たな冒険を始めようと光り輝く未来に向けて燦然と一歩踏み出した人間に対して、薄暗く汚い泥と岩の陰惨な穴蔵に閉じ込めるというこの仕打ちはあんまりであったが、確かになかなかどうして、異世界感漂う空気がそこら中に充満していた。

 猪だか河馬(カバ)だかを焼いて焦がしたような肉の獣臭が鼻をつき、土埃舞う息苦しい土気のある壁、迷い込んだ人間か猿であろう生物の頭蓋骨が半分見え隠れしている地面。見たこともない角度で屈折している草花。その色もおよそこの世のものとは思い難いもので、紫の絵の具と緑の絵の具を混ぜ散らかして泥水をぶちまけた絵画に等しき不思議で毒々しい彩気を放っていた。


 つまりここは普通の世界ではない――。


 明らかに、どこからどう見ても、自分のいた世界ではない。

 また、咄嗟に素っ裸で放り出されていないかどうか、身に付けているものを確認したが、どうやらきちんと気を利かせて衣服を着せておいてくれたみたいだ。ただ、それらは生前俺が身につけていた衣装とは全くもって異なるものだった。

 上着は紺を基調とした全体的に地味な服装であり、乱雑に縫い付けられた微かに朱色にくすんでいるボタンは、今時珍しい十字状に糸が編み込まれている古風な代物で、丈の長いダボっとしたズボンはその辺の毛皮でも適当に見繕って縫い合わせたような雑なもので、膝から臀部にかけてやたらチクチクとした。

 靴は硬くもなく柔らかくもない履き心地な皮のブーツといった見た目で、歩くたびにきちんと履いているのか履けていないのかよくわからないような粗品だった。

 要するに服装に関しては最低限拵えたようなものばかりだった。

 後は自分で集めろ、ということなのだろうか。それでも丸腰よりは大分マシなのだが。

 なんだか本当にゲームのようなファンタジー世界にやってきたのかと、全身に興奮が伝い走り、服装の粗末さはあまり気にならなくなっていた。

 あの勇者たちも、最初の冒険はこのような感覚だったのだろうか。

 所謂同一視、同調に酔いしれていると、すぐにそれを忘れさせてくれるような刺激的なスパイスに巡り合った。

 暗闇の洞窟の影で、ぼんやりとではあるがなにやら光り輝き蠢くものがあるのだ。

 見てみるとそれは洞窟の規則的な木漏れ日とは程遠い、消えたり付いたりする動物の瞳のような様なのだ。

 その認識を裏付けるかのように、鼻息に似た空気の振動は段々と大きくなり、光もそれに合わせてこちらに近づいてきているようなのだ。

 しかも見渡してみるにどうも一匹だけではない。

 二匹、三匹、目視できた限り合計でなんと六匹もいた。

 まだ全身を暗い影の中に置いていることもあり、どんな生物なのかもわからない。どの程度知恵を持っていて、こちらの会話は通じる種族なのか。自らの常識が何一つ通用しないこの世界で、どうこうなるものなのだろうか。

 首筋から両手にかけて冷たい動揺が垂れ流れ、滴り落ちてくるのにそれほど時間はかからなかった。

(やばい――殺られる)

 既に負けを確信しながら後退していると、手と背中に冷たく硬い石柱がぶつかった。完全に袋小路だ。

 出口は前にしか無い。しかしその前方は完全に謎に満ちた獣たちによって隙間なくびっしり塞がれている。

 敵か、味方か。

 殺気たっぷりの剣呑なご様子で詰め寄ってくるのを見るに、こちらと友好的な関係を築こうとする可能性は低そうだ。

 ならば斬殺か、それとも串焼きにする腹積りか。

 やがて、豚にも似た楕円形の太くて長めの鼻が光の下に晒された。

 全身小汚い黄緑色をしており、頭は真横にした卵のように不恰好な形で、耳は天を貫かんばかりに上へ向いて尖り切っていた。上半身は身に纏うものが何もなく、腰蓑の一枚で古ぼけた小さな袋をぶら下げている。

 不揃いに伸び切った歪な爪の目立つ裸足で、まんまると出っ張った腹に反して不釣り合いな、細く短い手足をしていた。その細くも、筋肉質な右手には棘のついた木で出来た棍棒らしきものを携えているのが見て取れる。牙は磨かれた剣の鋒さながら鋭く白く尖らせて、菱形に歪んだ目と合わせて光をぎらぎらと下品に反射させながらこちらに向かってきていた。

 他の五匹も全員兄弟か複製なのではないかと思わせるほど精巧に全く同じで、これぞまさしく悪魔といったなりをしていた。

 そんな彼らのとても人間とは思えない化け物と呼ぶにふさわしき姿に、俺には覚えがあった。

 どこかで見たことあるぞこいつら。

 ゲームなんかでよくいる、序盤の草原だか洞窟だかに配置されるスライムよか攻撃力の高い雑魚。

 物語で人格のあるものは大抵お姫様にちょっかいをかけたり、食糧欲しさに集団で街を荒らしたりなどして人間たちから忌み嫌われる種族、ゴブリンだ。

 ファンタジーではお決まりの悪役、そしてその大半が勇者にやられる雑魚の代名詞。

 漢字を当てるなら小悪魔ともされるほどのちょっと鬱陶しいレベルの怪魔だ。倒すのになんら支障はない。

 …………ここがゲームの世界で、俺がその勇者ならの話だが。

 生憎俺は初期装備で転生させられたばかりで、勇者とは程遠い町民Aの身分を出ない程度の生き物だ。目の前の怪物軍団がどんな事をしてくるのか、この先何が起こるのか全く分からない身としては、ただただ穏やかに時が過ぎ去るのを待つばかりだった。

 やがてゴブリンの一匹が涎で牙を濡らしながら何かを喚いた。

「ギギー! ギー‼︎」

 何らかの合図なのか、果てはこちらへの呼びかけや威嚇なのか。

 その豚をすり潰した悲鳴のようなおぞましい音に、ぞわぞわと全身の毛が逆立った。

(何で言っているんだこいつら……一応耳でも澄ませて……)

 深呼吸して目を閉じ、耳を澄ませてみると不気味な音色に混じってなにか言語のようなものが聞こえてくるのを感じ取った。

《ニンゲンだぁ! 久しぶりの食糧だぞお前らぁ!》

《ひゃははは! ニクがたんまりと乗ってて美味そうだなぁ》

《おい新入り! お前は足からだ! 俺は一番美味そうな脳みそからだ……へへへ》

「思っきし食べようとしてるぅー‼︎」

 それまで続いた静寂を破るように思わず通じるはずのない言語を口走ってしまった。

 その行為に対して驚いたのかゴブリンの集団は一瞬動きを止めた。

 ま、まずい。なんとか弁解せねば。

 この隙に逃げればよかったのだが、後悔する時間すらすっ飛ばし、ゴブリンとの対話を試みた。

《ま、待ってくださいよ。ぼ、ぼぼ、僕なんか食べてもゼンゼン美味しくないですよ! ほ、ほかにもっと美味しい冒険者が来ますって必ず‼︎》

 追い詰められた状況下であるとはいえ、咄嗟に発した言葉は紛れもなく腰抜けでクズのそれだった。

 他人を犠牲に自分だけ助かろうとする様はまさしく惨めな負け犬根性。品性を疑うケダモノ。

 違う。いや違うんだ。

 頭ではもっと格好の良いことを言おうと考えていたし、実は日頃からこんな状況になったときどうするか〜という妄想をして日々を過ごしていたのだが、その全ては意味を成さず現実とはかくもあっさりと全敗へ向かって時が進んでいくものなのかと世の無情を嘆かざるを得なかった。

 「許してください」と土下座一点張りの姿勢を崩さず、地に頭を擦り付けながら飽くまでも逃げの一手を貫いた。

 ゴブリンたちは確かに戦いの手を止めた。そりゃそうだ。

 誰だって止めるわこんな情けない姿を見せつけられたら。

 俺が魔王でも殺す気すら失せるわ。

 埋めようのない静寂が満ち満ちた何とも言い難い空気が両者の間に流れていたが、やがてゴブリンたちは口火を切った。

《いーや。お前がイチバン弱そうな冒険者だ。食うならお前からだな!》

 リーダー格と思わしき偉そうなゴブリンの返答が返ってきた時、内心予想通りだったというか、安心と同時に背筋から一気に冷たくなっていくのを感じた。

《まずは身ぐるみをとっぱらわせてもらうぜー!》

「い、いやぁあああ! やめてえええ!」

 ていうか、その役をやるには性別が違うと思いますが⁈

 どうにも最近のゴブリンは男女平等主義者なのか、はたまたそういったことに頓着がないのか、あっさりと俺の貴重な一張羅を、それはもう日めくりカレンダーのようにべりべりと不躾に破り取っていった。

 完全に素っ裸同然のパン一で腰抜けとなったその姿に、人間としての尊厳は果たしてオケラほどにもあるのかどうか怪しかった。

 適当に破り捨てた布の一部を、ゴブリンたちは嬉しそうに頭に巻いたり、腕につけて見せびらかしてみたりしながら仲間内で分け合っていた。

 こいつら、思ったより統率の取れた集団である。先程のこちらを脱がせる手際も良い。

 こうしてきちんと均等に取り分を集団の身分に関係なく分配することで、彼らに信頼にも似た息のあった相互関係を築くことを可能としているのだと妙な関心を覚えたものだった。

 ……いや、あんだけ派手に破っておいて、必要な部分そんだけかい。

 そんなら袖をちょっと分けるだけで良いじゃねぇか! やっぱりこいつら馬鹿だぞ! さすがは序盤の雑魚モンスター!

 しかしただでさえ頼りない我が身に乗っていた頼りない衣服も脱がされ、防御力は壊滅。状況は一見ギャグにしか見えないものだったが、俺からすれば内実最悪のままだった。

 略奪に合う最中に抵抗を試みたはずなのに、一切合切を相手の好き放題にされ、肝心のチート能力は発動すらしていない。

 女神なんて大嘘つきだ。そんなコード打ったけど反映されない未検証チートみたいな能力を与えてくるな!

 届くはずのない女神への怒りやら、何もできないまま凌辱された無力な情けない自分への悲しみやらで、感情の起伏が上下前後、右往左往し終える頃、ゴブリン共が痺れを切らしたように「そろそろいただきますか……」と飛びかかってきた。

「いやーっ! 誰か助けてーっ!」

 もう完全に町娘だか村娘だかのポジションに成り果てていた哀れな俺は、まるで状況に沿うかのように普段より高めの悲鳴を上げた。ある意味ロールプレイングに忠実だ。やられ役だけど。

 檻から解き放たれた野獣が、ぎらぎらとこちらに牙を近づけたのを確認し、終わりを覚悟した刹那、せめて急所だけは死守しようと、剥き出しになった胸部分に右手を覆い隠すように、そして下着の股の上に左手を置いて両足を交差させた。


《ぎえーっ‼︎》

 すると一番最初に飛びかかってきた特攻隊長のゴブリンが、洞窟の端まで吹き飛ばされた。

 勢いよく壁に叩きつけられた隊長は、失神して口から泡を吹いてその場にうなだれ込んだ。

「……えっ」

 襲われる直前に恐怖心からほんの少し目を閉じていたとはいえ、自分自身何が何だか全くわからなかった。

 さっきのは何かの間違いだと、今度は二番手ゴブリンが牙を剥き出しにして食いついてきたが、その牙が俺の身体に刺さることはなく、噛みつこうと腕に当たったゴブリンの鋭く尖った牙は、ガラス細工でも砕け散るようにパリパリと音を立てて粉微塵になった。

《ぐわあああ‼︎ は、歯がぁあああ!》

 という悲鳴が今にも聞こえてきそうなほど、噛みつきにきたゴブリンは歯抜け状態となって悶絶し、顎を押さえながら地面に転がり込んで呻いた。

 今度は二人がかりでなら――と向かってきた二匹のゴブリンは、前二人の失態を見て、手に持ったお揃いで不揃いな棍棒で俺の丸腰同然の覆われていない頭部目掛けて打ち付けてきた。

だがこれも俺には痛みがなく、反対に打ちつけたゴブリンの利き手が飛散した。

 二匹のうち片方は軽めに殴っていたので、腕が痺れて棒切れを落とす程度で済んだが、もう片方は全力で殴りつけていたのか、以前の姿が見る影もないほどひしゃげた腕から、紫色の血を噴水状に勢いよく吹き上げており、落としてしまった棍棒を握ることすら叶わず、完全に使い物にならなくなっていた。

 最後にその一連の様子を最後尾で眺めていたゴブリンは、手も出せずに静観しており、その場所で前四匹の惨状に目と頭を回して突っ立っているだけであった。

 まさにゴブリンによる阿鼻叫喚地獄。

 一番びっくりしているのは多分俺である。

 噛まれた腕も、殴られた腕と頭もまるで痛みを感じない。

 それがなぜ、そしてどんなタイミングで起こったのかは知らないが、今なら逃げられる、と思い果敢に踏み出そうとした足と起きあがろうとした腰は、先程咄嗟に勢いつけて変な方向へ無理な姿勢を取ったため、その姿勢でガチガチに固まってしまい、蜘蛛の糸にでも絡め取られた様に身動き取れなくなってしまった。

 つまりその場は完全に膠着状態となってしまったのだ。

 ゴブリンは俺を殺せないし、俺はゴブリンを殺せない。しばらくその場にはただならぬ空気が漂った。

 しかしその膠着が終幕を迎えるよう、その場を後に逃げ出そうとした六匹目のゴブリンの悲鳴が洞窟内に響き渡った。

 その先には剣で切り裂かれたゴブリンが転がっており、その目に先程までの生き生きとした生気は感じられなかった。

 なぜ剣によるものだとわかったのかというと、ゴブリンを切ったものの先には、血のついた剣を握っている戦士と思わしき人物が立っていたからだ。

 それもその人物は女であった。

 この薄暗い洞窟でも目立つほど、さらさらと美しい砂金のように流れ輝く長髪は、蝶に似た黒いリボンで束ね、結われており、瞳は真っ赤に燃えるルビーやガーネットといった宝石類のような、鮮やかで透き通った色をしており、唇はこれまた人魚の真珠を思わせる艶やかで薄く、しかし決して肌の色に紛れて消えたりしない桃色であった。

 頭には最低限頭部を守るためだけにある、鉛色のティアラ状の硬くて重そうな兜を身に付けており、耳にはエメラルドさながらの緑の光を放つ宝玉で出来た耳飾りが付けられており、全ての素体となるその素肌は汚れのない純白で、研磨石を凌駕できそうな程滑らかであったが、それでいて不健康な色白に思わせないふっくらと弾力に富んでる健康的な暖かみを帯びていた。

 無駄のない清廉で精悍な輪郭をしており、女性でありながら勇ましい戦士であることを主張するように、その眉は緩みや弛みを感じさせないほど鋭く、可憐に釣り上がっており、髪色と合わせて金色で徐々に毛先が薄くなるグラデーションのような色彩を放っていた。

 また何よりも目を惹くのは、その整い切った凛々しい顔面に負けず劣らずの主張を続けるド派手な胸だ。鎧の上から主張する激しい乳房は、これまた衣服や鎧を張り裂かんほどにパンパンに膨れ上がっており、片乳換算で優に西瓜二つ分はあるであろう豊満なその両胸に宿った芳醇でたわわな果実は、無垢で初心な青年のハートをおっぱいのようにガッツリと掴むには充分過ぎるほど刺激的だった。

 他は全て鎧の小手や足で隠れていたおり、紛れもなく傑物の女戦士であることが一目でわかった。

 ゴブリンを引き裂いた深紅の剣は、女の服や瞳の色と同じく炎のように真っ赤に燃えたぎっていた。

 薄汚い紫の血を小手の指で拭い払い剣を構えると、勇み声すら上げずに残るゴブリン集団をまとめて切り裂いた。

 その余波がこちらまで届きそうであったが、幸いにも剣の斬撃はゴブリンのみを貫いた。

 一匹の斬り漏らしを出すこともなく、それも全て正確に喉や頭といった急所を一刀のもとに切り伏せた。

 その芸術品にも値する手際の良さに見惚れて言葉も出ないでいるところで、やがて彼女は剣をしまい込んでこちらにやってきた。

「きみ、大丈夫かい?」

 ゴブリン共を一網打尽にした際に全身から発されていた重苦しい威圧感が消え、殺気に満ちた冷たい表情から一変し、見た目通りに若く可憐な女性のように穏やかで優しい、透き通った声をかけてきた。

「えっ、あっはいその……だ大丈夫ですよ」

 完全な痴態を露にしながらも、俺は何とか言葉を切り出す事に成功した。

 自分より優秀な人間に、それも女性に助けられた上その女性の眼前で、衣服なんてほぼ無きに等しいほど剥ぎ取られた無様な男の姿を曝け出しているのだ。これ以上の生き恥なんてそうそうないだろう。

 しかも彼女は異世界で出会った初めての、俺と同じ人間だったのだ。

 第一印象は間違いなく情けない、追い剥ぎにあった身の程知らずの弱々冒険者。

 ダメ押しに彼女は若干ではあるが、その哀れな様子を見てほんの少しだが苦笑を禁じ得ないといった表情をしていた。

 い、いいんだよ笑っても……というか、がっつり笑われた方が絶対傷は浅かった。

 なんだか先程の「大丈夫かい?」も、こんなところに実力不足でのこのことやってきて、頭は大丈夫かい?という風に聞こえてしまった。完全に自分のせいなのだが。

「ともかくここを出よう。いつまでもこんな場所に居ては気が滅入るだろう」

 金髪の女騎士の誘われるがままに暗闇の洞窟を抜けて行った。

 当たり前といえば当たり前の話にはなるのだが、この女騎士が入ってきた入り口が洞窟内のどこかに必ずあるのだから、そこから出れば良いという安心感があった。

 しかもこの騎士は強い。この先、どんな怪物が襲ってきてもこの人が退治してくれるであろう。湧き上がる心強さでなんだか衣服を消失したという精神的・肉体的な肌寒さも感じなくなってきた。

 道中前だけ見ていても退屈なので、横目でちらちらと騎士の方を見ていた。

 女騎士は横顔からもその勇ましさを失わない凛とした佇まいだった。そして同じく横からでもはみ出す乳房の凛々しさについ目を奪われてしまう。きっと影も立派なおっぱいの形を作っているに違いない。そんな事を今気にしている場合ではないのだが、やれやれ中々どうして。

 人間とはかくもおっぱいに踊らされる単純な生き物であることを痛感すると同時に、改めて人間はおっぱいの力に逆らうことができないのだと実感した。

 そしてゴブリンのいる世界で今更だとは重々承知しているのだが、本当に女騎士っているんだなぁと思い感情に浸りつつも、先程の出来事がやはり悔やまれる。

 こんなはずではなかった。異世界最強チートライフを満喫して、美女連中(亜人を含む)と優雅なハーレム帝国を築く予定だったのに……。

 一応さっきのとてつもない防御はチートともいえなくもないが……。

 相変わらず発動条件のわからない能力に頭を抱えながら足を動かしていると、ようやく冷たく暗い洞窟の終着点までやってきた。

 それなりに長い道のりを越えて、たどり着いた空の下はいつも見る景色とはまるで違っていた。

 転生してより数分後、初めて目にする異世界の空。

 ひどく薄汚れているようで、かと思えばとても澄み切っているような、不思議な空気だった。文字通り異なる世界と呼ぶに相違ない、ぴりぴりと張り詰めた不穏な緊張感がどことなく漂っている、我が凡庸非才で矮小な脳味噌では如何とも表現し難い風景だった。

 辺り一面に広がる草原は、かつて幾度となく味わった懐かしのそれとは全くと言って良いほど色が異なっており、それがまたより一層不穏な気分を煽っていた。

 ふいに、やや生暖かい風がすっかり冷え切った頬を撫でた。

 ようやくこの世界から「ようこそ」と告げられたような気がした。

「さて……それじゃあまず色々と聞かせて欲しいな。キミはなんであんな洞窟の奥底にいたのかな」

「えっ、あ、ええっと……その……」

 突然された、この洞窟を抜けたなら十中八九受けるであった質問には、何一つ正しい答えが用意できなかった。

『実はこことは違う異世界から転生してきて〜』などと真実を告げることはできなかった。まともに信じてもらえるかさえ怪しい。いや、どころか敵と勘違いされるかもしれない。

 元々俺はこの世界の住人ではないのだから。だが、まずいな。

 本当のことを言えない、となれば怪しまれるかもしれない。

 ここまでやり手な戦士の前で下手な嘘は見破られそうだが……。

 しかしここへ辿り着いた工程を偽装し、仮にそれが嘘だったと否定されたにしろ、真偽を立証することもできないので、誤魔化しはいくらでも効くかもしれない……。

 となるとやはりここでは黙っているより、ちょっと怪しくても本当っぽいことを言っておくのが得策か。よし。

「い、いやぁ〜ちょっと道に迷ってしまって……それでどうやって抜けようかと右往左往していたら……出られなくなっちゃって〜は、ははは、はは……」

 我ながらちょっとどころか不信感全開の不気味な薄ら笑いを添えながら、どうにか足りない脳で言葉を紡ぎ、言い訳を絞り切った。だが、そんな俺の大根芝居の三流演技にもなんら疑いの目を向けることもなく、眼前の女戦士は真摯に頷いてくれた。

「なるほど……事情は察したよ。しかし初心者にはこの付近の洞窟の探索なんてまだまだ厳しいと思うぞ。上を目指して逸る気持ちも分からなくもないのだが、まずはしっかりと相応に実力をつけた上で挑みたまえ」

「は、はい」

 よ、よかった。あんな胡散臭い説明でも信頼を得ることができた。それに丁寧な助言までしてくれるなんて。

 この女騎士には欠点がないのだろうなぁ。清廉潔白で心優しい品性方向な人格者でその上腕も立つ。冒険ファンタジーロールプレイングゲームさながらの超人を前にして、心の淀みが洗い流されるようだった。

「ところで、キミは一体どこからきたのかな?」

「ぎっ……!」

 聖人君子の思いやりに浸り切っていたところに、一番答えにくい質問がダイレクトに飛んできた。

 なにしろこの辺の地理にはさっぱりな俺にとって、それは一番誤魔化しの効きそうにない問いかけだった。その辺適当で……ではダメだろうか。

 いやいや流石に絶対怪しまれるだろう。あっちから? それともこっちから? 答えようによっては敵国のスパイとかになりかねないぞ。何せ今の俺は全身怪しさが張り付いた怪しさ純度百パーセント人間なのだから。どうする。どうすれば?

 回答に困ってしどろもどろになっていると、その様子を察してから騎士の方から切り出してくれた。

「まぁ人には答えにくい事もあるだろう。無理には聞かんさ」

「あ、ありがとうございます……」

 こちらが返答に困るや否や先手を打ってくれた。イケメンだ。

 この美女、間違いなくイケメンだ。いずれ俺もこんなことができるようになりたい。というか、さっきから男としての立場がありません。

「それじゃあせめて名前を聞いておこうか、私は……」

 きた。異世界初の自己紹介交換イベント。どうせリズとかライザみたいな名前なんだろう。

 異世界ファンタジーの金髪赤目巨乳女騎士なんて皆大体そんな感じだ。

「ミュピリポス・レヤンロだ」

「はい?」

 予想なんて大きく外し、意味不明な言語の羅列が耳に流れ込んできたため、喉の裏から変な声が飛び出てしまった。

 ミュ……あのなんて? いやそんな名前予想できるわけないだろ! 百人中百人が絶対間違えるクイズだわそれ! 多分神でも正確な予想なんて無理だわ‼︎ というか、それ本当に名前ですか? なんかの呪文の詠唱じゃないでしょうね?

「ミュピリポス・レヤンロだ」

 耳に洞窟の土埃でも、ゴブリンの死肉でも詰まったのかと疑っていた我が耳であるが、どうやら聞き間違いではないことが、彼女の口によって証明された。正直二回聴いても意味わかんねぇわ。

 しかも一度でしっかりと聞き取れなかった俺のために、彼女はわざわざ胸の内から白紙の紙とペンを取り出して、書いて文字として見せてくれた。流石は気遣いのイケメン女騎士。

 書いてある文字も一字一句一切違わず「ミュピリポス・レヤンロ」と書いてあった。

 幸い俺の身体は翻訳機能内包済みなので、この世界の言語の読み書き聞き取りに関してはなんら支障がないわけなのだが、それにしてもこうしてハッキリ文字としてこの不気味な単語を羅列されると、自分が今とても荒唐無稽な事をしているように思えて仕方ない。俺にとって最も馴染みのある言語……つまり日本語に変換するとこうも間の抜けた響きになる名前なのか。

 人の名前を馬鹿にするつもりなど毛頭ないのだが、どう呼べばいいんだ。

 いや、どう呼ぶのが正解なんだ。ミュピちゃん? それともレヤンちゃんか?

「ええっと、俺の名前はケイゴっていうんだ。よろしくレ、レヤンロ」

 悩み抜いた末にとりあえず俺は下の名前(多分)で呼ぶことにした。そしてさりげなく距離を縮めるべくいきなり呼び捨てにしたのだ。下の名前で、呼び捨て。これはなかなかに効果的な人間関係の進行ではないだろうか。

 などと自分の愚にも付かない戦略じみた言動に適当な理由をつけていると、相手が不信感を示すように目を細めてきたので、背筋が急激な速さでぞっと凍りついていった。

 ま、まずったか。やはりいきなり初対面で女性の下の名前を呼び捨てにするのはよろしくなかったか。それも顔面偏差値ぶっ壊れのダントツイケメンとかにならともかく、こんな薄汚い大した特徴もない半裸の瓢箪面に馴れ馴れしくされたのでは、夜も眠れない怒りに満ちてくるだろう。末代まで警察に通報されてもおかしくない暴挙だったか。

 しかしまもなくその態度の正体が、俺が不躾に馴れ馴れしくしたことではないということが判明した。

「ケイゴ……?」

 レヤンロさんは俺の名前を繰り返すように呟いていた。

 転生前に女神様は自分の名前を異世界で名乗る際、純然たる日本人の証拠である苗字は聞き慣れない者にも名前を呼んだり覚えやすくするために完全に切り取られている、と仰ってくださり、下の名前だけでもなんとか生きていけるのでそのままケイゴとなったわけだが、案の定この世界では耳慣れない単語であったためか、レヤンロさんは首を傾げていた。

「変な名前だな」

 そのものズバッと感想を言ってきた。

 いや、アナタにだけは言われたくないですけど‼︎

「まぁ良い。よろしくなケイゴ」

 こうして俺は強強女騎士、レヤンロさんと出会った。

 握手をお互いに交わすと、ようやくこの世界の一員になれたかもしれないという想いがぐっと込み上げてきた。

 そして早く服が着たい……!

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