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01 プロローグ 転生

 ここはどこで自分は何故ここにいるのだろう。

 何度繰り返したかわからない問いかけをまた頭の中にしまい込んで、この現状に首を傾げるばかりだった。

 空も白、その向こう側も白、更には床も白の一面真っ白な世界。

 気が付いた時に自分が立っていたのはそんな世界だった。

 だが、不思議と恐ろしくも不安でもない。手足は何不自由なく動くし、声を出そうと思えばいつでも出せる。

 どこもかしこも白い空間ではあるが、壁のようなものは存在せず、どこまでもひたすら自由に走ったり歩いたりできた。

 やがてそれが体感で一万歩を超えたあたりで息切れしそうになった。

 ——が、なぜか息は切れなかった。苦しいと思い込めば苦しくなるだけで、そうでなければ疲れる事なく永遠に走り続けられる気がした。実際かなりの距離をあてもなく歩いてみた。

 しかしどこまで行っても真っ白なまま景色は変わる事なく、進んでるのか戻っているのか全くわからなかった。

 何か目印になるものを置きたかったが、持ち物になりそうなものは何一つ持っていなかった。

 服は一応着ているようで、この白い空間に相応しい白のワイシャツに薄暗いワインレッドのネクタイに紺色のブレザーの組み合わせであり、ズボンはベルト付きで黒色で長い丈のものだった。

 自分の名前も職業も鮮明に思い出せる。

 家族構成から昨日の晩飯、ここに来る前はどんな生活を送っていたのまで全て覚えている。肝心のここへやって来た「どうやって」と「どうして」の部分だけが分からないというだけで。

 とりあえず走るのをやめてその場に座り込み、思い出せる範囲まで自分の事を思い出してみよう。

 俺は日本の学生で、学年は二年生におく高校生であった。

 世間では華の十七歳と持て囃される少年でも大人でも無い世代。ギャルゲー・ラノベにラブコメなど昨今のティーンの心を鷲掴みにしてやまないエンタメ作品では専ら有名で定番のステータス、高校二年生。しかし悲しいかな、現実はゲームのように多彩なイベントに満ち溢れた華やかで楽しいものではなかった。

 年上で巨乳の彼女や並乳で俺に好意を寄せてくれている幼馴染も、そして貧乳でお兄ちゃん大好きな妹がいるわけもない。

 運動神経が抜群というわけでも、クラスで一、二を争う頭脳明晰な男でも、実は料理得意だった系男子でもない。容姿端麗のイケメンで日夜ラブレター殺到の、バレンタインには下駄箱を埋め尽くす魔術師(マジシャン)でもない。

 全くもって普通の、なんの取り柄も無い平凡な男子高校生だ。

 数学が得意だったわけでも無い。むしろ嫌いだ。

 なにがエックスの二乗だ。なにがルートだ。なにが平方根がどうたらこうたらだ。そんな講釈を垂れている暇があるなら、その時間を清掃なり炊事洗濯なり社会貢献する仕事をしている方が余程人間としては上等な生き物じゃ無いか。

 なにがパイの二乗だ。んなもんおっぱいじゃないか。

 二次関数のグラフもそうだ。ただのおっぱいにしか見えない。あんなもの好き好んで書くやつなんか、学校教育という名を借りた完全なる恥辱に満ちた公然なる猥褻行為だ。

 数学なんて最早単なるおっぱいだと思う。

 いやおっぱいの方がまだ幾分か価値があると思う。

 ここで数学者の君はいやいやちょっと待てよと数学の持つ無限の可能性を説きたくなるだろうが、そんな君にもわかりやすく例を挙げてみよう。

 三千円の数学の参考書と今すぐ触れる無料のおっぱい、人は一体どちらに飛びつくだろうか。それはまごう事無くおっぱいであることなのは、諸君らが健全な男性であるならば最早異論の余地を挟むまでも無いことであろう。

 否、たとえ女性であってもおっぱいの魔力には抗えないだろう。何故なら既に人は生まれ付いたその時に、母親のおっぱいに、おっぱいの慈悲に触れているからである。おっぱいの優しさに包まれて、母なる大地、つまりおっぱいによってこの地に生を受けているのだ。

 どんなに偉い政治家や、無欲謙虚なお坊さん、果ては今をときめくイケメン若手人気俳優さんだって皆、おっぱいに触れて成長していったのだ。すなわちおっぱいの否定は、その者の人生の総否定に、いや人類史そのものの否定というとんでもない大問題になりかねないということなのだ。嗚呼おっぱいよ、永遠なれ。

 如何におっぱいが素晴らしいものであるか、諸君らもこれでわかったであろう。決して俺がおっぱいに取り憑かれた性的なケダモノでも、おっぱいによって人生を狂わされ、タガが外れて頭がおかしくなってしまった悲劇の主人公という訳でもないのである。もし仮にここまでの流れでそう思われていたのであれば、これはもう甚だ心外である。

 お腹いっぱいの心外、つまりおっぱいである。


「いや短時間にどんだけおっぱいおっぱい連呼してるんですかアナタ」

 突然背後から女性にも似た小鳥のような囀りが耳に入り込んでくると、思わず振り返ってしまった。

 ここまで完全に自分一人しか居ないと思っていたので、驚きのあまり心臓の高鳴りを隠しきれずにいた。

「な、な、な、なんなんだアンタは」

 手と背中から滴り落ちる恐怖と焦りを勢いで必死に誤魔化すように大きな声を張り上げた。無論そんなもので眼前の者を欺くことなど出来はしないのだが。反射的に長年の染み付いた負け犬根性が馬脚を露わしてしまったことに恥や悔いを感じる暇もなく、目の前の者は後光を背に受け語り出した。

「私は女神。メリシアと申します」

「め、女神サマ?」

 あの例の異世界転生だかでおなじみの、あの世だかこの世だかで人間たちを蟻のようにつぶさに観察して愉しんでいるっていう、あの?

「はい。そうです。その女神様です」

 心の声が筒抜けにされているかのように、眼前の光に満ちた女神は微笑んだ。

 彼女の容姿について語るなら、どこからどう見ても女神の女神オブ女神。女神・オブ・ザ・イヤーに三年連続優勝しているような外見上は完璧な女神様だった。

 透き通るような金髪は眩い光で輝いており、直視すると目を焼いてしまいそうだった。服装は無地の純白が美しいギリシャ神話に登場する神々の衣装代表みたいなトーガを纏っており、足元は雲の上で透けているようだった。

 そして忘れてはならない肝心のおっぱいは、服にこそ巻きつかれてお淑やかな小ぶりに収まっているが、間違いなく巨乳である事が窺い知れる。

 いつもなら張り詰まった女神のたわわな果実についてあと四、五時間は論議を行っていくところなのだが、今の俺はそんな事よりも気にしなければならない事が存在していた。

「嘘だろ……じゃあここはあの世かなんかってこと……?」

「はい。あなたは死にました。新山ケイゴさん。十七歳、高校二年生。好きなものはテレビゲームやアニメ鑑賞。特技も特徴もこれといって何もない平凡な男子高校生」

「ぐっ……死んだってだけでも相当ショックなのに、そこまで個人情報が抜き取られているとは……!」

 人智を超越した者を前にして機密もクソもないのだが、あっさりと他者から「自分」というものを的確に事細かに客観視され、こうもあっけなく突きつけられると胸にくるものがある。

 そもそも自分がどうやって死んだかも全く覚えておらず、かろうじて覚えていることといえば、自分がそれなりに凡庸な高校生活を送っていたということしかない。

 クラスの人間から集団で日々耐え難いほどの逃れようの無いいじめに遭い、自決するようなほど追い詰められていたわけでも、保険金欲しさに自ら怪我を重ねるといった文字通り身を切るような赤貧生活を送るほどお金に困っていたわけでも、果てはクラス全員の女子のリコーダーと体操服をしゃぶりつくして女性陣から殺されるほど恨みを買っていた変態というわけでもない。不意に女湯をうっかり覗いてしまって、興奮から鼻血を出血多量大サービスして死んだ覚えもなかった。

 死因にこれといって思い当たる節が無いのだ。

「ま、まさか雑に導入トラックに……?」

「いいえ。トラックで轢かれるなんてそんな事ありませんよ」

 もう心の中を読んでくれるなら口からわざわざ出す必要もないと思っていたが、一応ちゃんと聞こえるよう俺は女神様に話しかけた。

「一般乗用車です」

「いや車種の話⁉︎」

 予想外の返事に、また予期せぬ大声をあげてしまった。

 自動車⁉︎ 自動車にはねられたのか俺は⁉︎

 それ、死因としては大差なくないか⁈

「トラックだと今結構うるさいんですよね……ただでさえ昔から導入に交通事故が起きると車のイメージ悪くなるのに、最近ではトラックの運ちゃんがただトラックを運転しているというだけで嫌がらせを受けるって苦情まできて……」

「それは我々の及び知る問題ではないのでは⁈」

「全くです」

 ぷりぷりと怒りを表すように両手を振り回していたが、正直可愛いと思えるような精神的余裕はこちらにはなかった。

 しかしこちらの余裕なんかお構いなく女神様は続けていた。

「あなたは車に轢かれそうな児童を助けんと自ら飛び出していったんですよ」

「ええっ⁉︎ お、俺がそんな!」

 やはり、全く覚えていないのですね。と女神様は言っているような気がしたが、正直まさかそんな死因だったとは夢にも現実にも思っていなかったので、空いた口がしばらく塞がらなかった。

 そんなどこかの漫画みたいな英雄的行動を取れるほど素晴らしい人間だったとは……。意外も意外。

 突然告げられた死によるショックも、名誉ある負傷の顛末と割り切れば俄然どうだ。悲壮な気持ちも、天国への晴れがましい気持ちに切り替わっていくではないか。

「いえ、無駄死にです」

 そんな華々しい美談に酔いしれている自分を、ビリビリと紙でも引き裂くように遮って女神様はざっくりと、それも何の躊躇いも無く淡々と告げた。

「完全に単なる無駄死にです」

 女神にあるまじき無慈悲な発言を連発すると、彼女はどこに隠していたのか知らない棒切れを取り出し、真っ白な地面に突きつけた。

 杖先を見ていると、ぼんやりとだが徐々に景色が浮かび上がってきた。

 それはとても見慣れた光景で、生前俺が通学路にしていた場所の交差点のように見えた。それまでは何もなかった空間に突然このような映像を出現させる事ができるなんて。

 これも女神の成せる技なのか。生前の常識が何も通用しないあの世に身を置くとはいえ、俺には目の前の光景が信じられなかった。

「先ずはこちらの生前ぶいてぃーあーるをご覧ください」

 その発言からは神聖な女神感など欠片も感じられなかったが、俺は自動車教習所の事故現場再現ビデオでも見せられているかのように、自身の死の直前までの空間映像を見ていた。

 現場には紛れもなく生前通っていた高校の制服を着用している俺がいて、その付近にある信号がもうすぐ赤に差し掛かろうとしている最中、推定年齢五歳ほどと思われる児童が、まだ白線を渡り切っていなかったのだ。

 ほどなくして信号が赤く染まると、スピード違反すれすれの速度で走行車が勢いよくやって来た。

『危ない!』

 映像の中の自分とシンクロするかのように叫び、映像の中の俺は子供を救わんと走り出した。

 ——が、そこで問題が起きた。

 子供は突然何かを思い出したかのように前へと全速力で走り出し、なんと歩道へ渡り切ってしまったのだ。

「えっ」

 一方で間の抜けた声を上げた俺はというと、走り出した足を止めることはもう出来ず、猛スピードで走るその車に全力の体当たりをプレゼントされる羽目となった。

「はいこれが真相でーす」

「あああああっ‼︎」

 なんだこの死因は⁉︎

 俺完全に無駄死にじゃないか! 何が、何でだ。何でそこで走った少年!

 何で俺はもうちょっと冷静になって状況を見てから行かなかったんだ。

「だから言ったじゃ無いですか無駄死にだって。あっ、もう一回再生しますか?」

「もうええわ!」

「まぁこんなんじゃ真相ってより深層ウェブですけどね」

「うまくもなんにもないわ‼︎」

 女神の癖に深層ウェブなんて見てんじゃねぇ!

 そんな叫び声を発する気力もなく、ふらふらとする頭に手を置いて座り込み崩れ落ちた。

 最悪だ。

 完全に舞い上がっていた。自分もそういうことが出来る側の人間だと完全に勘違いしていた。多分あの時も今も。

 子供を危険な事故から救わんとする英雄。正義のヒーロー、二枚目、ニヒル系で新聞の一面飾っちゃう系男子高校生に成ろうとした結果がこれだ。持たざる者がでしゃばって安易に持つ者の真似を、出過ぎた真似をするとこうなる。

 とんだピエロ、三枚目もいいところだ。いや、三枚目ですらない。数えていったら何枚目か分からないほど乾き切った哀れな皿も同然だ。

 これがもしテレビのバラエティー番組ならばお茶の間の腹筋崩壊、家族騒然悶絶ものの大爆笑間違い無しのエンターテイメントとして視聴率とコメディー文化に貢献するところだっただろう。

 それくらい情けなくあまりにもといえばあまりにもな人生終了の瞬間だった。

「こんな死に方した人、前代未聞なんですよね〜。まぁ腐っても動機が親から与えられた貴重な命をドブに捨てるつもりでも、冷たい社会に対するその身を賭した無謀な反政府デモクラシー運動でもなければ、いたいけな児童を救わんとした、本来なら讃えられるべき勇気ある行動故の末路だったので、一応の救いはあるといえばあるのですが」

「や、やめてくれ……もう何も……」

 言葉でもう一度死因を説明されると、これ以上ないほど自分が惨めでただの馬鹿であることが浮き彫りにされてしまう。その恥ずかしさで崩れ落ちたまま身体が動かなくなってしまった。

 死にたい。穴があったら入りたい。

 あ、もう死んでた。

「そうですよ! もうあなたは死んでるんです! よっ! 死人! 極楽浄土のパラダイスッ! もう現世からのしがらみもなーんにもない。晴れてただの死人になったわけなんですから!」

「あんた俺を慰める気はないのか⁉︎」

 やたら死人死人と楽しそうに連呼しやがって。

 そんなに「死」の事実をこうむざむざと突きつけられても不安になるだけだわ!

 女神ならもうちょっと死者を労わるとか申し訳なさそうな態度でしおらしくするとかしろ。

「それと、はいこれ。一応、渡さないといけない決まり事なので……」

 がっくりと腰をくの字に折り畳んだ可哀想な俺に対して、女神様は半ば事務的のような態度で紙切れのようなものを手渡してきた。

「なんスかこれ……」

「あなたの今生というか、生前の人生録ですね」

 そこに書かれていたのは「新山ケイゴ、特に何もない高校生として一生を終える」という僅か一行の文章だけだった。

「俺の人生、一行で片付けられる程度のものだったんですか⁉︎」

「これでも苦心して捻出したのですよ」

 これなら今月の電気代や水道代の領収書の方がまだ長く、いろんな事が書いてあるぞ。ふざけるな。紙の余白考えろ。スッカスカじゃねぇか。

 絶望した。

 くの字から折り畳みすぎて、最早生ける人間ダンゴムシの如き有り様で崩れ落ちたまま丸くなってしまい、冬眠に入った生物のように動けなくなってしまった。

 そんな情けない俺に女神様はこうも言った。

「まあまあどんな何の取り柄も無いクズみたいな人間にも、平等にチャンスというのは与えられるものなのですよ」

「チャンス?」

 相変わらずその舌が過ぎる女神様の気品も思慮も欠いた発言ではあったが、それは甘露で極楽な至福を与え、全身を優しく包み込んでくれるようなおっぱいのようなふくよかな響きだった。

「いやどんな表現してるんですか」

 半ば軽蔑じみた目線を向けられながら、俺はそのチャンスについて聞き耳を立てた。正座で。

「これからあなたを異世界に転生させることで、あなたは第二の人生を歩むことができます」

「おおおっ! ついに⁉︎」

 再び予想外の出来事に対して歓喜の悲鳴を上げた。

 いやまあ自分の死、女神の出現、とまあある程度予想はできないこともないのだが。

 むしろ死後の世界で女神が出て来たのに、要件が転生以外だったらそっちの方が驚くわ。……実は女神じゃなくて、生前の罪を贖うため俺の前に現れた可愛い閻魔様だったという可能性もなくは無いが。

「……ですが、今の素のあなたをそのままあちらに放り投げても順応仕切れず、即死する可能性が極めて高いので有益な能力、つまりスキルを備え付けた状態でお送りする事とします」

「きたきたきたぁ!」

 異世界転生ではもうお馴染み。女神による定番の転生前のスキル付与イベント。ここで得た能力の如何で、その後の異世界生活が薔薇色にも泥色にもなり得る。

「なにしろ今のあなたは能無し金無し意気地無しの奇跡の三負け、あっ揃っちゃった。スロットなら大当たりですよ、無能の。人生の負け犬、救いがたし無能、ゴブリンの方が遥かに生産性のある、地球の問題解決するよりも、生きる意味を原稿用紙一枚に書き連ねることの方が難しい人間なのですから」

「……泣いてもいいですか?」

 目の前にいるのは女神ではなく悪魔かと耳も目も疑うような邪悪なる発言の数々に、壊れかけの我が魂は完全に砕け散り、メンヘラの領域に足を踏み入れると共に目頭から熱い魂の悲鳴がこぼれ落ちて来た。

 どんだけ俺の人生紙屑なんだ。そんでどんだけ俺のことボロクソに言ってくれてるんだ。死んじゃうぞ。

 もう死んでるけど、受けた心の傷の痛みで心筋梗塞起こしてもう一度死んじゃうぞ。

 というか、女神がスロットなんてやるな。

「それともーこのままいちおう瀕死の貴方の死体にもう一度魂ぶちこんでかろうじて〝生きている〟事にすることも可能といえば可能なんですよ〜」

「えっ」

 女神様からの第二の提案に俺は思考を巡らせてみた。

 現世に戻れば恐らく俺は車に激突した衝撃による後遺症で、植物人間状態として病院で管に繋がれた余生を送ることになるだろう。

 万一、いや億に一つの奇跡が起きて植物人間状態から回復したとしても、その先にまともな社会復帰が確約されているかは疑問……どころか、光明の一筋さえ差し込まない、全てにおいて絶望的なこの世の地獄を生きることとなるのは明確であろう。

 まず長期入院により、高校生という肩書きも中途半端に投げることとなり、誰も俺のこの名誉ある負傷を敬ったり、地位を保証してくれたりなどはしないだろう。むしろその逆。ろくに高校も出ず、半身不随を抱えて植物死していた期間、他の人よりも遅れた分を取り戻す事だけに全てを捧げるだけの人生となることだろう。

 どうせそんな末路を進んで選ぶくらいなら——。

 賭けてみようじゃないか。

 こんなチャンスもうそうそう舞い込んでくるものではない。

 それにこの先の展開なんて本で読んだ通り一つしかない。異世界にはそれはもう緩慢・満漢・感無量な楽しい楽しい生活が待っているに違いない。

 たとえそれなりにアクシデントが起ころうとも、少なくとも救いようのない現実に戻るよりは良いだろう。

「い、行きます。行きますよ異世界に」

 まだ子鹿のように震える足を必死に両手で支えて直立させた。

「ぐーっど。では決心も固まったことですし早速……」

 相も変わらずその女神らしさのかけらもない口調の軽さで早々に引越しの準備をしようとするのを阻むように声を上げた。

「ちょ、ちょっと待って! その例のスキルなんすけど〜……あの、どんなのがあるのかちょっと説明してもらってもよろしいでしょうか」

 しかし女神様から「えぇ……長いし……」とあからさまに嫌そうな顔をされた。いや、義務でしょうそれ。

 面倒くさいのでと前置きでも入れるような雑な態度で女神様はため息混じりに口を開いた。

「端的に説明させていただきますと、まずはあなたの居た地球とは異なる世界にいくわけですから、身体をあちら側の仕様に作り替えます。具体的にはあらゆる気候、大気、最低限度の毒や病原菌への耐性などを持たせた上であちらに転生させていただきます。もちろんこれらはスキルとは別にはじめからセットでお渡ししますね」

「ありがたし……」

 話だけ聞くとなんだかすごいスペックを初めから所持して始めるみたいだ。

 しかし毒って。聞いてていよいよ自分は本当に異世界に飛び込むのだな、と今になってじんわりと実感が湧いて来た。

「また年齢、外見等は今の状態をほぼそのまま引き継いだ状態で転生させていただきます。理由は新規で作って考えるのが面倒だあらです」

「正直だな」

「もっといえばスキルを与えた時点でだいぶコストオーバーです」

 その聞くに堪えないほど生々しい、基本無料で始めたゲームサービス開始のアバター生成の際に付けられる注意書きのような妙にリアリティに富んだ説明に期待も疑問もなにもかも吹っ飛んでしまった。

 わざわざ転生の準備までしてもらっておいて何だが、もうちょっと威厳というか、言い方の何か無いのだろうな。

「そして言語に関してですが、あちらの言語をゼロから学んでもどうせ覚えきれないと思いますので、最もあなたにとって耳慣れた親しみのある言語に、自動的に脳内で変換するようにしておきます。つまり辞書要らずの歩く翻訳人ですね」

「それは便利ですな」

 何気にスルーされがちなのだが、異世界における言語問題というのは、比重として割と大きいものなのだ。

 外国語の基礎の基礎であるところの、義務教育の一環たる中学英語でさえ、挫折して丸投げした俺にとっては、もう一度公用言語を習得する為に勉強するなど到底無謀で考えられないからだ。意味のわからない文字の解読なんて全身から蕁麻疹が溢れるぜ。

 こういうものって大抵最初に選んで付けなきゃいけないやつだったり、知識で無双する時に必要になるやつなんだけど。

 俺はツイてるみたいだ。初めからこんなにもらえるなんて。

 どうせ覚えきれない、の毒吐いた部分は聞き流すとして。

「目の方もじっくりと凝らして見れば、あちらの見慣れない文字があなたにとって親しみのある言語に変換され読めるようになりますので、ついてからいきなりすぐに読めなくてもご安心を。またあなたが執筆する際はあなたが書いたものが全てあちらにとって最も都合の良い言語に変換されて読まれることとなりますのでご心配なく」

「英語書いた場合はどうなるの?」

「その場合も日本語で書いた時と同じように意味があちらに伝わりますので、くれぐれも自分でも意味があまりよくわかってない単語とか間違っても書かないように」

 ちっ、なんてこった。

 ということはうっかり秘密の文章や日記を書くこともできないじゃないか。いや、自分にだけわかる暗号にしとくか……?

 スマホとかはどうせ使えないんだろ?

「ええ。電波とかそういうのはないですからね。都合よく電気を魔力に変換して充電できるような事もないので、己が身一つで果敢にチャレンジしてください」

「まぁ仕方ないか……」

「それではよろしいでしょうか? まぁ大抵のことはなんとかなるようになってますので、着いてからなんとかしてくださーい」

「え? あ、ちょっと待って最後にスキルの事を」

「あなたに与えたスキル……それはあらゆる場所で無敵になれる禁断の能力……あなたに向けられた刃は皆砕け、いかなる魔法も通用せず、あらゆる環境に適応できる最強の防御。そして攻撃は剣も魔法も自由自在。いかなる鉄や魔法、障壁をも打ち砕く天下無双のまさしく神の如き一撃となる最強の攻撃。その二つを併せ持った異世界最強の戦士といっても過言ではない存在になれます」

「うおおおそれは素晴らし」

 そこまで言ったあたりで俺は女神様の姿が見えなくなった。

 俺が転生させられたのだ。

 白い空間が徐々に消えていき、やがて新しい世界の空の色に変わっていった。

 いや唐突が過ぎるぞ。まだ会話の途中でしょうが。他にも聞きたかった事が山ほどあるんじゃ。

 心の準備とかもうちょっと色々させろ。

「……ただし、その能力を発動するには条件がありますけどね……その発動条件とは」


「あなたにとって最も恥ずかしい格好、いわゆる〝ダサい〟ポーズを取ることですけどね‼︎」


 女神様が最後に何て言ったのか、それを知る術は俺にはなかった。こうして俺の、元平凡な男子高校生の俺の新たなトンデモ異世界ライフが幕を開けたのであった。


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