第三話
『明日、みなとみらい駅の南口9時集合で』
翌朝。二日酔いでズキズキする頭を押さえながら目覚めた心愛は、時計代わりに確認した携帯電話に届いていたメッセージを見て顔をしかめた。
(こっちの予定を聞かずにまた…っていうか朝早すぎ)
藤崎の集合時間はいつも早い。ランチから、午後から、とかではなく朝から、なのだ。
それでも長く一緒にいられるほうが嬉しいから、早過ぎない?とは言えないのが惚れた弱みである。お泊まりがないので夕方から夜に解散になるのだから、出来れば午前中から――ここは利害が一致しているわけだ。
彼にとっての利がなんなのかイマイチわからないけれど。
特に事前の相談もなく、金曜日や土曜日の朝に日曜日の約束の連絡が入る。お陰で日曜日には予定を入れなくなったが、やけに几帳面な藤崎のお陰で空けておいた日が無駄になることも今のところなかった。
朝、集合してぶらぶら目的もなく小洒落た店を物色したり、藤崎の見たかったらしい映画を見たり。その時によって様々だが夕方の暗くなり始めた時に現地解散するのが大体の流れだった。付き合って半年間経つが、最初の頃とほぼ変わらない。
藤崎との出会いは、6年前に遡る。
懸命な就職活動の結果手に入れた第一志望の企業の入社式。50人いた同期の中の一人だ。緊張の色も見せずに新入社員代表として堂々たる挨拶をした藤崎は、同期女子たちをざわめかせた。
都内のK大卒でそこには幼稚舎から通っており、実家は老舗和菓子メーカーの創業者。歴代の彼女はミス○○。当然に身に着けているスーツはほかの男子たちとは仕立から違うスタイリッシュな立ち姿である。アイドル系ではなく、シュッとしたイケメン俳優枠ーー自信のある振る舞いも相まって、男子たちからも最初から特別視されていた気がする。
当時、地方国立大学出身で化粧すら覚束ない心愛からしたら、華々しい彼はもう話しかけることも憚られるシティボーイぶりだった。(『シティボーイ』などと表現したら同期の女子には古いと笑われたけれども)
一か月の研修期間中、お互いにグループのリーダー役を任されることが多かった心愛と藤崎は、競合するためにずっとぶつかり合ってしまって他の女子たちのように女の子扱いされないことが内心残念だった。
意見の対立が多かった彼だけれども、その意見も『なるほど』と思わせられるものが多くて、言い合いながらもそれが張り合いでもあった心愛だった。
それが恋に変わったのは3年目に参加したコンペで心愛が競り負けた時だ。若手から新製品のアイディアを募るコンペで、優勝者は提案した製品の商品化プロジェクトのリーダーを任せられるというもの。この会社の製品が好きで、いつか自分の夢を形にと就職した心愛には夢のような企画だった。
締め切りまでの2ヶ月間、自部署の繁忙期もあって毎晩居残っては納得のいく企画を練り上げて提出した。
結果、心愛の企画は次点。
優勝した藤崎の企画を見れば、素材の検討によるコスト削減や販売網の確認、売場のアイディアなど心愛にはない視点ばかりで圧倒されるものだった。だから、清々しく負けたというのに藤崎が。
「鈴原の企画、俺のより良かった」
そう言って、優勝者の権利を放棄して海外へ赴任していったのだ。藤崎としては単に、国内で一製品のプロジェクトの担当者になるより、ちょうど声のかけられた海外赴任で自分の経験を積みたかったのだろうが、心愛にしてみれば藤崎のおかげで鴨ネギ状態。繰り上がりで提案した製品がプロジェクトに採用されることになり、商品化が夢だった心愛はありがたくその権利を受け取ったのだった。
商品化も嬉しかったし、何より勝手にライバル視していた彼から、自分の企画を褒められたことが嬉しかった。人からはそれくらいで簡単な、と思われるかもしれないけれど、あの日から藤崎は心愛の片想い相手である。
当時も、付き合っている(たぶん)今でさえも高嶺の花な訳だが。
「なぁ、女子って指輪もらったら欲しいもん?」
日曜日。気合を入れ過ぎずさりとて女子らしい服装をいつものごとく悩んで結局ジーパンの上に春らしい明るめの色のコートを羽織っただけに落ち着いた心愛が、数年前に思いを馳せていたら、唐突に藤崎が聞いてきた。
指先で示された先を見れば、有名なジュエリーショップを目に留めたらしい。
「え、うん。嬉しいんじゃない?彼氏からもらったら」
心愛なら嬉しい。絶対に。
そんな経験はなかったから、余計に喜んでしまってもしかしたら傷がつくのも怖くて使うことすらできないかもしれない。
「ふーん、そうか」
どんなに趣味に合わなくても好きな人が自分に選んでくれたものなら嬉しいだろう。憧れすぎて拗らせている心愛はそう思った。
しかし、自分が一般的でないかも知れない可能性があることは十分知っているため、藤崎のために付け足す。
「あ、でも人によっては好みが厳しいから、出来ればサプライズじゃなくて一緒に買いに行った方が良いと思うけど」
「そうか。…じゃ、行くか?」
じっとそのジュエリーショップを見つめたままの藤崎が言う。
『じゃ、』ってどういうこと、と思いながら、こちらを見ていないのをいいことに、その横顔をしっかり堪能させてもらう。今日も、良い塩梅に醤油顔の爽やかイケメンである。顔が良いというのは、正義だ。
とは言え顔だけではない。性格だって、最初感じた取っ付きにくさは話していくうちに感じなくなって、惚れた弱みかもしれないが努力家で意外に不器用なところがあるのも好ましい。
「え?いま?」
「ああ」
「いいよ~。今欲しいものないし」
「そうか…」
心愛がそう言うと、藤崎は軽く息をついて店から視線を外した。
その様子に、
「もしかして、藤崎買いたいものあった?」
と聞くと、難しい顔をする。
「あると言えばあるし、無いと言えば、無い」
「なんなの、その禅問答みたいなの」
藤崎の渋い顔が面白くて、声を上げて笑う心愛に藤崎も顔を緩める。想い想われ、の熱愛カップルでなくとも、これくらいの笑いを交わす態度で十分だと、そう思ってまた二人の関係性を確認する機会を逃した心愛であった。
帰り際、
「来週の同期飲み、鈴原も参加すんの?」
「うんそのつもり。なんだかんだ、久しぶりだし」
「ふーん」
「藤崎は?」
一緒に行こう?そんな言葉が頭をよぎるが、自分から隠したいと言っておいて今更だな、とセルフツッコミをして口には出さない。
こうやって、臆病なところがダメなのだろう。
「俺も行く。プロジェクト会議が夕方にあるから遅れるかもしれないけどな」
「そうなのね」
藤崎は帰任してから経営企画部に配属となり、複数のプロジェクト進行に関わっている。会社の最先端の動きを知れることや、事業部長たちと直接話が出来る環境にやりがいを感じているようだ。一つの製品を立ち上げるのだけでもてんてこ舞いなのに、常時複数の状況を把握するなんて心愛からしたら驚愕ものである。ライバルなどとはもはや言えないレベル違いで、同期の中でも抜きん出ている藤崎には尊敬の念しかない。
だけど、そのせいで深夜残業は当たり前。土曜日は大体寝ているか情報収集をしていると以前話していた。それもあって、固定の日曜日以外は誘えない心愛であった。
だから今回も、誘わなくて良かった、と自分の臆病を自賛する。
別に断られたって何の問題がある、と思うけれど、何かひとつでも藤崎の気に障ったら、一瞬で夢から覚めてしまうのではないか、そんな気がして自分からのアプローチが取れないのであった。
恋愛経験の少なさが、心愛を臆病にさせている。
付き合っている気がしないーーそんなことを思いながらも、