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第九話 『なにかが動きはじめました』

 石造りの建物に、鉄の飾り金具がついた大きな扉がある。わたしがその前に立つと、扉は自動的に開いた。

 中は静かな図書館だ。

 細く作られた窓からは、柔らかい日差しが控えめに差し込んでいる。傍には閲覧用の机がいくつか並び、日が当たらない奥は沢山の書架が並んでいた。

 わたしがこの図書館を認識したころ、書架の棚は随分空いていたが、今では多くの本が収まっている。


 ここは、御師様が初めてお会いしたときにおっしゃった『わたしの中の図書館』だ。

 自分自身で得た知識、読んだ本、聞いた噂、様々なものを収めるための図書館なのだ。


 時々ここへやってきては本を読み返す。

 それは眠っているときだったり、魔法の研究中だったりするが、平時でも知識を引っ張り出してくるときは、ここを思い浮かべれば本はすぐに見つかり、必要な知識を読み直せる。

 わたしは、一番手前にある書架を見上げていた。

 一番上の段は、わたしが生まれてすぐのころの記憶。それから年齢順に、分厚い本が並んでいる。自我が芽生えると知識が一気に増えるため、分冊されている歳が次第に多くなっていく。


 その最上段の左上。そこには、わたしの前世の記憶が綴られた本が収まっている。


 久しぶりにそれを手に取り、閲覧用の椅子に座って本を開いた。

 ぱらぱらめくると『伯ネス』に関しての頁が出てくる。

 わたしが――シャルティーナが生きている世界に酷似した世界観のゲーム。だが、異なる事象も多い。


 前世の『わたし』がクリアしたのは、コートナー卿ルート、青狼隊隊長ルート、王子ルート。

 中でも王子ルートは人間関係が複雑、且つ長い。とても長い。諦める人が続出するくらい長い。

 しかし、悪役令嬢であるエセルバート様が深く係わるのはこの王子ルートだ。


 第一王子とは知らず、城下で出会った青年と仲を深めていく主人公。

 その後判明していく王子の出自。第一王子妃候補に選ばれたエセルバート様。

 主人公に対する執拗な嫌がらせは日増しに激しくなっていく。


『わたくしからなにもかも奪うつもりなのね! 自由の身のくせに! わたくしにはこの道しかない……、なのに貴女は、それさえも絶とうというの!? 酷い女!』


『奪わせないわ! わたくしが得てきたものを……、必死に築いてきたものを、お前ごときに奪われてなるものですか!』


 開いた頁の中央に、悪役令嬢エセルバートの叫びが綴られている。

 氷の悪役令嬢が激高するシーンは、いよいよクライマックスに近づいているのだと感じられるものだ。

 権力や王子にしがみつく悪役令嬢の台詞としてはありきたりかもしれない。

 だがプレイヤーたちは、そこに垣間見える様々な過去を推測した。


 エセル養子説。身代わり説。マティアス家による洗脳説。果ては開発チームの悪意説も出てくる始末。


 しかし王子ルートはとても長く、ただ流し読みするには複雑で、エセルバートの叫びを聞くことができる終盤まで行かず諦める人も多かったはずだ。だからこの台詞を知っているのは、ほとんどがクリアした人だけだろう。


 王子ルートとは、その名のとおり王家の第一王子と恋仲になるルートだが、ゲーム内では名もなき第二王子が出てくる。

 病弱な第一王子レジナルド殿下の影武者で、主人公と恋を育むのは実は第二王子の方だった。

 そこへ他の妾腹の子や幼い王女殿下も関わり、王家の闇が描かれていく。


 ところが、この世界のレジナルド殿下は十四歳。もちろん他に男兄弟はおらず、歳の離れた王女殿下がいるだけ。

 ゲームでは主人公のひとつ年上で、第二王子が主人公と同じ年齢だった。

 影武者がいるかどうかはわからないが、そもそもシャルティーナよりも年下であることは事実である。

 エセルバート様と同じように、王国の根幹を成す王家の方々も、ゲームとは違うのだ。


 レジナルド殿下のお顔を間近で拝したことはない。

 一年前、陛下の治世二十年を記念した式典で、たくさんの人ごみの中、遠く遠くから眺めたことがあるくらいだ。

 そのとき、やはり金髪なのだなということと、思っていたより幼いと感じた覚えがある。

 ここは本当に『伯ネス』と同じ世界なのだろうか。それとも似て非なるものなのだろうか。

 ぱらぱらとめくった頁に書かれた文字が目に飛び込んでくる。


『いつもいつもいつもそう! いつもそうなのよ! 誰もわたくしのことなど助けてくれないのだわ……!!』


 傲慢で冷徹な悪役令嬢の、最後の悪あがきの叫び、というには悲痛すぎる台詞。

 それが、夢から覚めるわたしの脳裏から離れなかった。



  ***  ***  ***



 エリス様の家庭教師をはじめてから半月ほど経ったころ、屋敷の西側に不自然な魔力を感じることが多くなった。

 西側は数代前の当主が増築したという棟だ。一階は豪奢な大広間。

 伯爵家主催の舞踏会や演奏会はここで行われるという。二階は客間兼控室が並び、三階から五階は私的な部屋だ。

 エセルバート様の勉強部屋は四階の一室に充てられている。

 エリス様はまだ幼いこともあって本館の中にあるが、成長すればいずれ西棟のどこかに移ることになるのだそうだ。

 華やかな祝宴が行われないときは、使用人たちの出入りも少ない。

 エセルバート様が勉強する環境にも良いということで、先代マティアス卿が決めたのだという。

 そう教えてくれたのはエリス様付きの侍女や、伺うたびに気安く声をかけてくれる庭師、使用人たちである。

 エリス様は彼らともよく交流しているそうで、家庭教師であるわたしにも同じように接してくれた。伯爵家に関して右も左もわからないわたしには、とても心強い者たちだ。


「トラシスさん、西棟に魔法がかかっていそうな部屋はあるのかしら」


 小雨模様のある日。エリス様の勉強が終わり、帰りの馬車を待っているわたしを、庭師のトラシスさんと女中のロナがもてなしてくれた。

 そのときふと、庭師ならば敷地内のことにも詳しいのではないかと思い立ったのだ。


「魔法ですかい?」


 お茶から口を離したトラシスさんが、驚いたように目を瞠る。今は上司もいないからか、砕けた口調で声を上げた。


「儂は資質がまったくないもんで、感じ取れるものはないんですが……」

「そう……。西棟の方から魔力が感じられることがあったから、なにか厳重に警備する部屋があるのかと思って」

「それなら、食器部屋とエセル様の勉強部屋じゃないでしょうか」


 女中のロナが身を乗り出して答える。十五歳だという彼女は、トラシスさんにとって孫みたいなものらしい。


「大きい祝宴を開くときは、上の階に収めている食器を使用するんです。お客様がお使いになるものだから、とても豪華で、それでいて繊細なんですよ。初めて持ったときは震えそうになりました」

「そうだったの。伯爵家の食器ともなれば、それは素晴らしいものなのでしょうね」

「はい、とても!」


 思い出したのか、ロナが頬を淡く染めて頷く。


「だなぁ。敷地全体に魔法はかかっていますし、他にも頑丈な魔法で守っているところも多いですが、西棟で、となるとそのふた部屋くらいなもんでしょうな」


 白髪交じりの顎髭を撫でながら、トラシスさんは思案するように視線を上に向けた。


「でも、エリス様の勉強部屋には、特になにもされていないようだけれど」

「エリス様の部屋は本館にありますからね。旦那様たちの私室もありますし、西棟より安全なんですわ」


 目尻の皺を深めて、トラシスさんは天井を指差し笑った。ロナもつられて微笑む。

 ここは本館一階の端にある使用人たちの休憩所だ。突然の訪問客にも対応できるよう、表玄関へ出るのも容易い場所にある。


「では、わたしが感じたのはエセル様の勉強部屋だったのかしら。日によって感じ方が違っていたようだし」

「かもしれませんね、あっちの先生はなにかと秘密主義ですもの」

「こら、ロナ、余計なこと言うんじゃない」


 肩を竦めるロナに、トラシスさんが眉を寄せてたしなめる。だが若いロナはそんなこと気にしていない風だ。


「わたし、シャルティーナ様が来てくださって本当に安心したんです。エリス様にまであんな怖い人がついたらどうしようって」

「気持ちはわからんでもないが、他では絶対に言っちゃいかんぞ」

「わかってます!」

「まったく……。申し訳ないです、シャルティーナ様」


 呆れた表情でわたしに頭を下げるトラシスさんと、澄ました表情でお茶を飲むロナが、本当の祖父と孫のように見える。


「構わないわ、色々と教えてくれてありがとう」


 笑って首を横に振れば、ふたりが微笑みを返してくれた。

 ちょうどそのとき、馬車が到着したと従者が呼びに来てくれた。わたしはお茶を飲み干し、ふたりに礼を言って屋敷を後にしたのだった。






 それから何日か観察してみたが、やはり西棟の一角がおかしい。

 強固な結界で守られているのは、ロナが言っていた食器部屋と思われる場所と、もうひと部屋。

 おそらくそこがエセルバート様の勉強部屋なのだろう。

 だけど、勉強をするだけなのに、部屋に結界を張る必要があるのだろうか。しかも市販されている魔道具よりも強力な結界だ。


 得も言われぬ嫌な予感がする。

 これはリヴィ様にも連絡した方がいいのかもしれない。


 そう思いながら、今日も伯爵家を後にした。これから起こることなど知らないまま――。

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