第七話 『異世界転生はじまってました?』
夕暮れの馬車の中、語彙力をなくし情けない声を上げるわたしと、それを意地の悪そうな笑みを浮かべ楽しそうに見つめているコートナー卿。
これではいけない。魔法士は常に冷静であれ。御師様の言葉を思い出す。わたしは大きく深呼吸し、姿勢を正した。
「わかりました、リヴィ様」
「あ、復活した。様はつけなくてもいいのに」
「そうはいきません。他の方がいるときはコートナー卿とお呼びいたします。わたしのことはシャルティーナ、もしくはシャルとお呼びください」
「残念だな」
眉を下げて肩を竦めたリヴィ様は、すぐに真面目な表情へと変え、「さてと」と前置きをして口を開いた。
「喜ばしいことが判明したところで、改めて情報の擦り合わせをしようじゃないか。この世界はわからないことばかりだからね」
ゆったりと腕を組んだリヴィ様が、確認するようにわたしと視線を合わせる。
「ええ……。様々な事柄において、前世の記憶と大きな齟齬があります」
「エセル嬢と会ったかい?」
「はい。ゲームよりもずっと幼いお姿でした」
「彼女は今年で十二歳になるらしい。ゲームどおりであれば、本来十六になるはずだ」
「ええ、主人公のひとつ年下ですね」
組んだ腕の上で、指先をトントンと叩きながら、リヴィ様は視線を逸らし、窓の外を見遣った。つられてわたしも視線を向ける。太陽はだいぶ沈み、最後のひと仕事とばかりに天の半分を複雑な色に染めていた。
「今僕は十九、ゲーム開始時は本来二十だ」
「わたしもそうです。十八歳で家庭教師になるはずですが、今はまだ十七歳ですもの」
「時間がずれているのか、そもそもここは伯ネスの世界ではないのか……」
「わたしたちの記憶が、役に立たない可能性もあるということですね」
「そういうことになる。言うなれば、僕たちは今、未知の隠しルートを進んでいるんだろう」
薄々感じていたことをはっきり言葉にされると、複雑な心境になる。
未知の世界、それは誰しもが歩む人生そのものだ。それなのにわたしたちには、似通ったゲームの世界の記憶がある。なんのために? 単純にわたしたちがおかしいだけなの?
徐々に藍色に変わっていく空を眺めながら考え込んでいると、リヴィ様がぽつりと呟いた。
「――君は、僕の言葉を疑わないんだね」
突然の言葉に、目を瞬かせて視線を戻す。
「君の秘密を偶然知って、地位を盾にたぶらかそうとしているかもしれないんだよ?」
ふ、と穏やかな微笑みを浮かべ、リヴィ様はそう続けた。夕陽で金色に輝く瞳は一切笑ってはいない。
わたしは背筋を伸ばし、あえて微笑み返しながら答えた。
「前世のことは我が師にも話しておりません。気づいてはいるかもしれませんが、記憶の内容は誰も知りません」
言い切ったわたしの言葉に、リヴィ様がほう、と小さく息を吐いた。
「君の秘密は漏れていないというんだね。たいした自信だ」
「思い出したのはつい二年前です。分別のつく年齢でしたから、口外すれば頭がおかしくなったと思われることは理解できますもの」
「ふふ、確かに」
「それに、リヴィ様は嘘をついていらっしゃらない」
「――どうしてそう言える?」
面白そうに目が眇められる。それがリヴィ様の仮面であることを、このやり取りで確信した。
「ひとつ、この世界では誰も知らない『伯ネス』を知っている。ひとつ、貴方の中には間違いなく女性がいらっしゃる」
金色の瞳を真っ直ぐに見つめる。微笑んだままだが、その視線には射るような力がこもっていた。
「そしてもうひとつ。――先ほどのリヴィ様、未知の場所で迷子になった子が、ようやく知っている人を見つけたようなお顔でしたもの」
「…………っ!」
「そんな素の表情を浮かべる方が、狂人を疑われるような話を出してまで騙すなんて、できないと思います」
は、と息をついたリヴィ様は、一瞬呆けた表情をした後、心底楽しそうな笑みを浮かべて両手を挙げた。
「まったく、完敗だよ。僕がなにも知らない攻略キャラのままなら、君のこと本気で口説いたのにな、残念だ」
「光栄です」
ようやく心から笑いあったところで、馬車が静かに止まった。どうやら研究所の近くへ着いたらしい。
御者が開けてくれた扉から、リヴィ様が先に降りる。そしてわたしにうやうやしく手を差し伸べ、馬車から降ろしてくれた。
着いた先は、研究所からひとつ隣の通りだ。リヴィ様は約束を守ってくれたらしい。
「今度は僕の屋敷へ招待するよ。だけど、もしなにかあったらすぐに連絡をくれないか」
「わかりました」
「約束してくれるね」
そう言って、わたしが頷く前に、流れるような仕草で指先へとくちづけを落とした。
本当にイケメンってすごい。前世は女性なのに、十九年も男性として生きているとこうなるのだな、とおかしなところで感心してしまった。
「ではシャル、また会おう」
「送っていただきありがとうございました」
片手を挙げて馬車へ乗り込むリヴィ様へ、丁寧に頭を下げる。
馬車が通りの角を曲がっていく様を見つめながら、わたしはふと、リヴィ様の言葉を思い出していた。
リヴィ様は『一蓮托生』という言葉を使っていらした。これは前世での世界にある仏教用語だ。もちろん、ここではあるはずのない言葉。
となるとやはりリヴィ様は、『わたし』と同じ世界の、前世の記憶を持っている。それは間違いない。
だけど、わからないことが多すぎる。はぁ、と溜め息をついて空を見上げれば、輝き始めた月が昇っていた。