漆黒の幻狼
(届け……ッ!!)
ソウマの奥底で魂命が鼓動し、激しく湧き上がる幻顕力が、新たな幻装の姿を構築していく
(ルクスじゃ間に合わない…今こそコイツの出番だ)
「メリル!!!」
「いつでもいけるわ!!」
「……幻装! ノックスファングッ!!」
ソウマの咆哮と共に、周囲の大気が爆ぜるように震動し、眩い雷光が迸った。
ドッ、と凄まじい風圧が周囲の群衆を押し流す。
次の瞬間、人々が目撃したのは、人間が動ける速度の限界を遥かに超越した「黒い影」だった。
蒼白の火花を撒き散らしながら、一筋の雷光が虚空へと躍る。
地面へ激突するかと思われたコンマ数秒前。空中で少年の体をがっしりと抱き寄せた「それ」は、そのまま側壁を垂直に蹴り、重力を無視した軌道で通路の縁へと舞い戻った。
ガガガッ、と火花を散らしながら、鋭利な爪が硬い地面を削り、制動をかける。
凄まじい着地衝撃を殺し、膝をついた姿勢からゆっくりと立ち上がる黒いシルエット。
そこに立っていたのは、全身を黒い装甲で覆い両腕には狼の意匠、バイザーの奥で鋭い双眸を冷たく輝かせる、闇夜の戦士だった。
「……え?」
腕の中に抱えられたテオが、呆然とそれを見上げた。
あまりに一瞬の出来事に、恐怖を感じる暇すらない。何が起きたのか理解できず、ただ目の前の「黒い人型」に視線を釘付けにして固まっている。
「……なんだ、あれ……?」
「防衛軍の新型か……?」
周囲の群衆から、さざ波のような動揺が広がる。
これまでのリアライザーとしての活動でも見せたことのない、あまりに攻撃的で、洗練された「黒」の姿。
「おい、まさか……あいつが総司令の言ってた不穏分子なんじゃないか!?」
誰かが上げた怯えの混じった声に、空気が張り詰めた。
黒い戦士は何も答えない。ただ、静かにテオを地面へ降ろすと、背後でへたり込んでいるハンナとラオを背中で庇うように立ち塞がった。
そして、街を支配し続けるナウラの「声」が響くモニターへと、その鋭い視線を向けた。
静寂を切り裂いたのは、スピーカーから響く、ゆっくりとした、そして芝居がかった「拍手」の音だった。
『――ブラボー。実に素晴らしい。予定調和な避難劇に飽き飽きしていたところだが、まさかこれほど上質なイレギュラーが飛び出すとはね』
巨大モニターの中、ナウラが愉悦に口元を歪め、画面越しに黒い戦士を指差した。その瞳には、獲物を見つけた猟師のような冷酷な光が宿っている。
『諸君、見たまえ。奴こそが、この街を腐させる「不穏分子」の守護者、そしてその背後にいる者達こそが…「不穏分子」だ。』
「な……っ!」
ナウラのその一言で、周囲の空気が一変した。
先ほどまで少年が助けられたことに呆然としていた人々、しかしてそんな群衆の視線が、一気に「敵意」へと染まっていく。
「あいつらが……あいつらのせいで軍が攻めてきたのか?」
「そうだ、それにあの姿を見ろ、あの動きも、とても人間じゃない!」
極限状態の群衆にとって、ナウラの言葉は絶対的な真実として機能した。自分たちが助かるための「希望」が、目の前に現れたのだ。
「……勝手なことを」
装甲の奥、ソウマが低く呟く。
バイザー越しに見える世界は、『ルクス』の時よりもずっと鮮明で。全身を駆け巡る電磁波状の幻顕力が、周囲の視線、敵意を鋭敏に知らせる。
『さて。いつもの如く正義の味方のつもりかな? だが残念ながら、この街を軍を今支配しているのは吾輩だ。諸君! その黒い着ぐるみの足止めしたまえ! 軍が到着するまで逃がさなければ、諸君らは解放してやろう!』
ナウラの甘い誘惑が、市民たちの背中を押す。
人々は手に持っていた荷物や瓦礫の破片を握りしめ、じりじりとソウマたちを囲い込み始めた。
「ソウマ、気をつけて。ナウラの言葉で人々の負のエネルギーが共鳴し合ってる……! これじゃ、街の人を無傷で済ます事も出来なくなるわよ」
ソウマは、背後にいるハンナたちの震えを感じながら、静かに拳を握り込んだ。
ドローンの放つ赤いレーザーサイトが、黒い装甲の上で無数に蠢く。
ソウマは、ハンナから溢れ出す波動を捉えていた。それは街の狂気に反応し、高まる卵の波動。
「ソウマ、この子で間違いないわ!」
「ああ、分かってる。……コマンダーとバキアも、この反応に気づいてるはずだ」
もはや一刻の猶予もない。ソウマは目の前の空間にさらに新たな|幻想を幻顕させる
「メリル、ナハトゲイル行くぜ!」
「了解よ!」
メリルの体が淡い光に包まれ、一粒の輝く魂玉へと凝縮される。
それと同時に、ソウマの眼前の空間に、調律粒子の球体が現れる。
空間の位相が書き換わり、調律粒子の歪な光が幾何学的なラインを描きながら、硬質な「黒鋼の狼」の輪郭を構築していく。
「来い! ナハトゲイル!!」
実体化の瞬間に放たれた魂玉が、狼の額にあるセンサーソケットへと吸い込まれるように収まった。直後、その輝きを守るようにバイザーシールドが滑らかに下り、額に聳える一本のブレードアンテナが紫電を帯びて鋭く輝く。
同化を完了し、ナハトゲイルの双眸にメリルの意志を示す光が灯った。
「な……何よこれ!?」
「獣型のランドシップ…!?」
目の前に現れた非現実的な巨体に、驚愕するテオとラオを背後に、ハンナが呆然とソウマを見上げた。
「ちょっと見た目イカついかもだけど、この狼は味方だから、怖がらなくていい。俺は君を助ける為に来たんだ。」
ソウマはバイザー越しに、精一杯の安心を込めて語りかけた。ナハトゲイルもまた、三人を迎え入れるように静かにその巨体を沈める。
「……目標、攻撃再開! 障害物ごと排除せよ!」
軍の無慈悲な号令と共に、重機関銃とドローンの火線が一斉にソウマへと集中した。
ナハトゲイルの背に三人を乗せ、ソウマは自ら弾丸の嵐の真っ只中へと踏み出す。
「まずは、アシマたちのところまで戻るぞ! メリル、最短ルートを!」
「了解! 人波を飛び越えて、最短で裏通りへ抜けるわよ!」
ソウマは降りかかる弾丸を、超加速の機動ですべて置き去りにした。
一歩踏み込むごとに地面が砕け、雷光が空を割る。
次の瞬間、黒鋼の狼と戦士の影は、群衆の頭上を遥かに飛び越え、連なる石造りの施設群を縫うように姿を消していた。
施設群を駆け抜けたソウマとナハトゲイルは、アシマたちが待機するモスト重工・研究部の格納庫前へと滑り込んだ。
トッ、と静かな音を立てて着地する巨体。黒鋼の狼が不思議な駆動音を響かせ、その背に乗っていた三人を地面へと降ろす。
「う、うわぁっ……足が震えて……」
「とんでもない速度だったな……。おいハンナ、大丈夫か?」
テオとラオが先ほど体験した未知の速度に驚きながら、へたり込むハンナを支えた。
ナハトゲイルが展開する防護フィールドのおかげで、移動中の風圧や振動は皆無だったが、流れる景色の異常な速さと、高所を飛び回る視覚的な恐怖までは消せない。三人が腰を抜かすのも無理はなかった。
「……誰だ?」
物陰で警戒していたアシマから声がかける。背後ではベリアやサモア、エーシウムたちも、手に工具やパイプを持って身構えているようだ。
目の前に立つのは、黒い装甲を纏った戦士と、見たこともない形状をした機械の獣。その圧倒的な威圧感に、その場にいる全員が息を呑む。
「おっと、すまないアシマさん、俺だ! こっちはまだ問題無かった?」
ノックスファングのバイザーが滑らかに開き、ソウマの瞳覗いた瞬間、アシマは珍しく目を見開いた。
「ソウマ君……なのか? その姿は……」
驚くアシマに対し、ソウマは親指で自身の胸を指し、ニカっと得意げに笑ってみせた。
「これはノックスファング、俺のヒーローとしての姿さ!」
『ちょっとソウマ! 今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ!?』
ドヤ顔を決めた直後、ナハトゲイルからメリルの鋭いツッコミが響いた。ソウマは「ヤベッ」と首をすくめる。
「この獣のような機械には……まさかメリル君が乗っているのか?」
「乗ってるっていうか……このナハトゲイルの『核』になって制御してくれてるんだ」
その言葉に、後ろにいた白衣の男――ベリアが目を輝かせて飛び出してきた。
「核になって制御だと!? 興味深い……! 既存のランドシップとは設計思想がまるで違うぞ。エーシウム、データを取れ! 構造解析だ!」
「はいっ、室長! センサー回します! えっ!?この装甲材質、デバニウム合金じゃないですよ!?」
ベリアに呼応するように、女性研究員のエーシウムも瞳を輝かせてナハトゲイルに詰め寄る。そんな二人を見かねて、ベリアの弟であるサモアがため息交じりに割って入った。
「兄さん、それにエーシウムさんも。今はそれどころじゃないだろう、少しは自重してくれ」
技術者たちがわちゃわちゃとする横で、一人の女性がハンナたちへ歩み寄る。アシマの妻であり、元軍人のニムスだ。
「……いいから、そこを退きなさい。子供たちが怖がっているでしょう」
低いがよく通る声でベリアたちを下がらせると、ニムスは無駄のない動作でハンナの脈を取り、瞳孔を確認した。その手際は、優しい母親というよりは、戦場を知る衛生兵のそれだった。
顔を上げたハンナが、ハッとして目を見開く。
「貴女は……ワグサム家の、ニムス夫人ですか?」
「ええ、そうよ。貴女はクラジール家のお嬢さんね。よく無事で」
デバンドにおいてワグサム家を知らぬ者はいない。ましてや同じ名家であるクラジール家の子供たちにとって、彼女はよく知る人物だった。テオとラオも、相手がニムスだと気づき、即座に居住まいを正す。
「ニムス様……! ご無沙汰しております、ラオ・クラジールです。まさかこのような場所でお会いできるとは」
「挨拶はあとでいいわ。外傷も無さそうだし、顔色は少し悪いけど…特に問題は無さそうね。……よく頑張ったわね」
「は、はい……!」
知っている大人の、それも序列一位の一家の登場に、ハンナたちの表情にようやく安堵の色が戻った。
「助かったよ、ソウマ君。君のおかげで、クラジール家の者達を守ることができた」
アシマが感謝を口にした、その時だった。
頭上から、冷ややかな鳴き声が降ってきた。
「ホロロロ……。おやおや、騒がしいネズミたちだこと」
全員が弾かれたように見上げると、格納庫の屋根に、一羽のフクロウが止まっている。
だが、それはただの鳥ではない。全身が奇妙な紋様で覆われ、瞳には人工的なレンズのような輝きを宿した、ナウラの側近――ソキウスのバキアだった。
「見つけましたよ。卵…」
バキアのレンズが回転し、ニムスの背後にいるハンナをロックオンする。その無機質な視線に、ハンナが「ひっ」と息を呑んだ。
「バキア……ッ!」
「私の役目は発見まで。すぐにここへ総司令自らが全軍を率いて収穫に現れるでしょう…ホロロロ…」
バキアは嘲笑うように翼を広げ、ふわりと闇夜へ飛び去っていった。
位置は完全に露見した。このままここに留まれば、研究所ごと包囲され、全員が消されるのは時間の問題だ。
「急ぎ手を打たなければか…」
「へっ!…それならこっちから乗り込んでやるぜ…コマンダーのいる場所にな…ハンナをナハトに乗せて俺が守ってりゃ、卵もそうそう危険は無いしな」
ソウマはナハトゲイルの背をポンと叩いて言った。
「結局卵を守るには、元凶であるコマンダーを倒して、力ずくで引かせるしかない。向こうが来る前に、こっちから乗り込んでやるぜ!」
無謀とも言える作戦だが、それ以外にこの状況を打破する方法はない。
「待つんだ、ソウマ君」
駆け出そうとしたソウマを、アシマが呼び止めた。その瞳には、総司令として、そしてデバンドを生きる者としての決意が宿っていた。
「敵のいる場所までの道案内がいるだろう。……私も行こう。それに、君が彼女を守りながら単機で戦うのは負担が大きい」
「それはありがたいが…ナハトには俺を入れて3人乗るのがやっとだからな…」
「ここに来るまでに使った、あのアトモスシップがある。ベリアたちが開発したこの最新鋭機なら、7、8人は乗れる。ハンナ君たちを安全に乗せられるし、敵の防衛網だって突破できるはずだ」
アシマは格納庫の奥に駐機されている、流線型の白い機体を振り返った。
「確かにあの子たちを乗せて戦うのはちょっとハードだし……気にせず動き回れる方が良さそうだ。」
「よし、決まりだな」
ソウマとアシマが頷きあう。
「ベリア、サモア、エーシウム! 急いで発進準備だ! ニムスは彼らを船内へ!」
「「了解しました!」」
「じゃあ、貴方たちも乗って」
アシマの檄に応え、その場にいる全員が一斉に動き出す。
ニムスに誘導され、ハンナ、テオ、ラオの三人が白い流線型の機体――アトモスシップへと駆け込む。タラップを登る途中、テオが振り返って叫んだ。
「君は本当に大丈夫なのかい?」
「ああ、護衛は任せろ! 俺が露払いをする。ドローン共がアトモスシップに近づけないようにな!」
言い放つと同時に、ソウマはナハトゲイルの背へと軽やかに飛び乗った。
「すまないが、よろしく頼む」
「任せとけって!」
テオの声援に親指を立てて応えると、ソウマはバイザーを閉じた。
ナハトゲイルの全身のフェアリングから青白い光の粒子が噴射される。
「行くぞ、メリル!」
『了解!』
アトモスシップの機内では、操縦席に座ったベリアが興奮気味にコンソールを操作していた。
「出力最大! 反重力エンジンの唸りを聞けぇ!」
「兄さん、テンション高すぎです! エーシウムさん、ハッチ開放お願いします!」
「はいはい、今開けますよっと」
サモアとエーシウムの手際よい操作で、格納庫の天井ハッチが開放され、切り取られた夜空が顔を覗かせた。
「アトモスシップ発進準備を。あのような者に、デバンドを好きにはさせん!」
アシマの号令一下、轟音と共に機体が急上昇を開始する。
待ち構えていた軍のドローン部隊が、一斉にアトモスシップへ向けて降下を開始した。無数のセンサーが機体を捉え、排除行動へと移行する。
「させるかよッ!!」
ソウマがナハトゲイルの背を強く蹴り、虚空へと躍り出た。
雷光を纏った蹴りが、先頭のドローンを粉々に粉砕する。
だが、攻撃は終わらない。ソウマは爆散する機体の破片を足場にし、重力を無視した軌道で次のドローンへと飛び移った。
ガガンッ! と鈍い音が響き、黒いナックルガードが鋼鉄の装甲を紙のように貫く。
「おりゃあぁっ!!」
次から次へと、空中に浮かぶドローンを「飛び石」のように利用し、破壊しながら上昇していく黒い影。
その超人的な体捌きが切り開いた炎と煙の回廊を突き破り、アトモスシップが夜空へと躍り出た。
「ソウマ君、聞こえるか! 目指すは総司令部だ!」
通信機からアシマの声が届く。
眼下には、戒厳令の敷かれたデバンドの街。そして前方には、この街の中枢であり、今はナウラに乗っ取られた総司令部の威容が浮かび上がっていた。
「ああ、分かってる! ……待ってろよ、コマンダー」
空中で回転し、再びナハトゲイルの背へと着地したソウマが、バイザーの奥で鋭い視線を向ける。
ここからは反撃の時間が始まるのだと。
陽光を背に、白い翼と黒き狼が、敵の本陣目掛けて一直線に加速していった。




