歪なファンファーレ
久しぶりの投稿です。
気付けば子供が5歳になってました。
「ソウマ、この波動……っ! 近くに卵がいるわ! 絶望に呑まれかけて、波動がこれ以上ないくらい強まってる。このままじゃ確実に摘出されちゃう!」
肩の上で、メリルが毛を逆立てて鋭く叫んだ。その小さな身体からは、かつてないほどの警戒と焦燥が放たれている。
「あっちよ……! ソウマ、急いで!」
メリルが指し示したのは、避難を急ぐ群衆が流れ込む中層への連絡通路、そのさらに外周へと続く細い管理道だ。ソウマは迷わず地を蹴った。
幻顕者としての感覚が研ぎ澄まされ、街の喧騒が遠のく中、メリルを通じて流れ込んでくる卵の悲痛な叫びだけが、魂を直接叩く鼓動となって響く。
「分かってる、行こう!」
ソウマは、パニックの火種が燻り始めた広場を避け、高架下の影を縫うように疾走した。だが、その疾走を遮るように、街中に設置された緊急用のサイレンが、聞いたこともない不気味な不協和音を響かせ始めた。
直後、巨大な壁面モニターが一斉に切り替わる。映し出されたのは見慣れた防衛軍の紋章。しかし、次に画面を占拠したのはーーー
「ッ! コマンダー!!」
思わず足が止まる。モニターの中、軍の司令席に不遜な態度で腰を下ろしているのは、ナウラ・ダウバ。その後ろでは、街の平和を担うはずの防衛軍の将校たちが、微塵の疑いも持たず、彼に畏怖と敬意の眼差しを向けている。
『クッハハハハ! 諸君、ごきげんいかがかな』
スピーカーから響く、鼓膜を逆撫でするような笑い声。周囲の避難民たちは、モニターに映る「見知らぬ男」の姿に、「誰だあいつは!?」「総司令はどうしたんだ!」とさらなる混乱に陥っていく。
そんな喧騒をあざ笑うように、ナウラは傲慢に言い放った。
『吾輩はアシマ・ワグサムである!……なんてな、クッハハハハ!!』
緊急事態を告げる不気味なサイレンが、ナウラの狂言を煽るように鳴り響き続ける。その歪な音色は、本格的な悪夢の始まりを告げていた。
「……何を言ってやがる」
ソウマはモニターを睨みつけ、忌々しげに吐き捨てた。
画面の中では、ナウラが防衛軍の最高司令官の椅子に我が物顔で座っている。
そしてハンナの姿があった。周囲の将校たちは、彼が発する「司令」の一言一言に、まるで神託を聞く信徒のように深く頷いていた。
『さて、市民諸君。現在、この街は未曾有の危機に瀕している。平和を愛する我が防衛軍は、街を腐敗させる「病原体」――すなわち卵の反応を感知した』
ナウラが細い指を組み、カメラ越しに市民一人一人を覗き込むような仕草を見せる。その背後では、重武装した兵士たちが次々と出動の準備を整えていく光景が映し出されていた。
『本来ならば吾輩が速やかに摘出するところだが、あいにく「病原体」は臆病でね。今は一般市民に紛れて身を潜めているようだ。……そこでだ』
ナウラは一度言葉を切ると、獲物を追い詰める猟犬のような笑みを浮かべた。
『もし諸君らが、自分たちの日常を取り戻したいと願うなら、その「病原体」を隠している不届き者を見つけ出し、我が軍に差し出したまえ。そうすれば、この街に平穏を返してやろうじゃないか。……協力できないと言うなら、軍は市民もろとも「浄化」せざるを得ないがね?』
その言葉が発せられた瞬間、広場を埋め尽くす避難民の間に、冷たい沈黙が流れた。 それは困惑から、生存本能に基づく「選別」への変化だった。人々は互いに顔を見合わせ、隣に立つ人間が「病原体」ではないかという疑念の視線を走らせ始める。
「クソッ!! 相変わらずえげつねぇ野郎だ……! 急ぐぞメリル!」
ソウマはモニターから視線を外し、再び地を蹴った。ナウラの狙いは明白だ。恐怖を煽り、市民に「生贄」を探させることで、ターゲットをあぶり出す。その過程でどれほどの犠牲が出ようと、あの男は眉一つ動かさないだろう。
「ええ、急ぎましょう! 街全体がナウラの言葉に『毒』されて、負の感情が渦巻いているわ。これじゃ卵の波動を正確に追うのも難しくなる!」
メリルの警告に応えるように、街の様相が急速に変貌していく。 防衛軍の兵士たちは、迷いなくナウラの「司令」に従い、機械的な冷徹さで動き始めた。彼らの目には、モニターの中の男が紛れもないアシマ総司令として映り、その口から出た言葉は絶対の正義として刻まれている。
「全ユニットに告ぐ! 総司令の命により、これよりD地区を完全封鎖する! 不審者は即座に拘束、抵抗する者は排除して構わん!」
拡声器から響く兵士の怒声と共に、重厚な装甲車が路地を塞ぎ、次々とバリケードが張られていく。それは明確な「排除」の布陣だった。
街のいたるところで、逃げ惑う人々の叫び声が悲鳴へと変わる。 「どけ! 邪魔だ!」 「おい、さっきの放送……誰でもいい、怪しい奴を見つけりゃ軍は引き上げるんだろ!?」
ナウラが放った「病原体」という言葉が、実感を伴って人々の間に浸透していく。軍が本気で自分たちを殺しに来ているという「現実」が、善意や理性を暴力的に塗り潰していく。
「……やべぇ、このままだとマジで間に合わなくなるぞ」
疾走するソウマの視界の端で、さっきまで整然と避難していた人々が、我先にと隣人を突き飛ばし、出口へ殺到する醜い争いが始まっていた。
それは、暗示や洗脳よりもずっと質の悪い「出口のない狂気」だった。 モニター越しに突きつけられた『浄化』という名の脅迫。だが、肝心の「病原体」が何なのか、どうすれば見つかるのか、市民には何一つ知らされていない。
「『病原体』ってなんだよ! 誰なんだよ、そいつは!」 「分かんねえ! けど、そいつを差し出さなきゃ皆殺しだぞ!」
正体の見えない恐怖が、人々の理性をズタズタに引き裂いていく。何を探せばいいのか分からないからこそ、周囲にいる「自分と違う動きをする者」すべてが疑わしく、憎らしく見えてくるのだ。
「おい、そこをどけ! ガキども、モタモタしてんじゃねえ!」 「危ないだろ! 押さないで!」
避難路に殺到する群衆の中で、学校帰りの子供たちが波に呑まれそうになっていた。だが、大人たちに彼らを保護する余裕などない。むしろ、逃げ道を塞ぐ「障害物」として、苛立ちの対象にすらなっていた。
「どけって言ってんだろ!」 「キャッ……!?」
強引に割り込もうとした男に突き飛ばされ、一人の女性が悲鳴を上げて転倒した。しかし、周囲の人間は彼女を助けるどころか、軍の銃口から一秒でも早く遠ざかろうと、倒れた彼女を踏み越えんばかりの勢いで突き進む。
「おい! みんな落ち着け!」
ソウマが腹の底から声を張り上げるが、その怒号は鳴り止まないサイレンと、逃げ惑う人々の怒声にかき消された。 人々の心はすでに、隣人を思いやる余裕を失っている。ナウラが撒いた「恐怖」という毒は、街全体を巨大なストレスの坩堝へと変貌させていた。
「ソウマ、止まっちゃだめ! 負の感情があちこちで爆発して、街中の空気がひりついてるわ……卵の波動が、このパニックに当てられてどんどん強く、見つけやすくなってる!」
メリルの言葉に、ソウマは戦慄した。ナウラの本当の狙いは、市民に卵を捕まえさせることじゃない。街を地獄に変えることで、隠れている卵を無理やり炙り出すことなのだ。
「クソッ!分かってるよ!これ以上、あの野郎の好きにはさせねえ!」
ソウマは拳を握りしめ、人波を縫って加速した。
逆流してくる群衆の頭上を壁を蹴りあがりながら飛び越えていく
「ちょっと!押さないでよ!」「うるせえ! そこをどけ、死にたくないんだよ!」
男が目の前の親子を乱暴に突き飛ばしていく。誰一人として立ち止まらない。誰一人として、他人の命を顧みる余裕などなかった。
ソウマが夢見てきたヒーロー番組の風景とは、あまりにかけ離れていた。恐怖に支配された人々は、救いの手を差し伸べる者さえ、行く手を阻む邪魔者として振り払っていく。
「ソウマ、迷っちゃダメ! 街中の負の感情に当てられて、卵の波動がどんどん膨れ上がってるわ。急いで!」
メリルの鋭い叱咤が耳を打つ。ソウマは迷いを振り切るように加速した。だが、その時――。
ガシャン! と。 避難通路の入り口、老朽化したフェンスが人波の圧力に耐えかね、不吉な音を立ててひしゃげた。
「危ない……っ!」
ソウマの視線の先。パニックに押し流され、防護壁の崩れた危険なエリアに追い詰められている三人――テオ、ラオ、そしてハンナの姿があった。
「どけよ! そこに突っ立ってんじゃねえ!」
理性を失った大人の腕が、ハンナを庇って前にいた少年の肩を乱暴に突き飛ばす。 その瞬間、少年の体が宙に投げ出された。足元は、数百メートル下の低層へと直通する虚空。
「テオ兄さまーーーッ!!」
ハンナの絶叫が街に響き渡った。 それと同時に、彼女の魂命から、これまでとは比較にならないほど強烈な卵の波動が噴出した。絶望が引き金となり、彼女の内なる力が悲鳴を上げている。
(しまっ……!)
叫ぶ暇も、立ち止まって驚く時間もなかった。 ソウマの視界が、火花を散らすように加速する。リアライザーとしての感覚が、限界を超えて外界の時間を引き延ばしていく。
空を掴もうとする少年の手。彼を見捨てて、空いたスペースに殺到しようとする群衆。すべてが、泥の中で動いているように遅く見える。
(動け……! 今の足じゃ届かない……なら……!)
思考が焼き切れるような速度で回転する。
求めるのは重力を置き去りにする雷光
絶望の淵を食い千切り、墜ちゆく命を奪い返す漆黒の牙。
目の前でこぼれ落ちようとする命を救うため、ソウマの魂が、明確な一つの「幻想」をこの現実に叩きつけようとしていた。
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