3.島へ
『こんにちは、初めまして!』
一尾は尻を地面に着け両前脚で上半身を持ち上げるいわゆる「お座り」ポーズを取り、教わった挨拶を口にした。
『この仔がきゅうちゃんの弟?』
『そうだよ。名前は一尾。尾が一本だから一尾。分かりやすいでしょう?』
一尾は対面にいる自分よりも小さい胴体が長い幻獣が丸い顔を傾げているのを興味深く眺めた。半円の耳と目の角度が変わって面白い。一緒に遊んでみたくてうずうずするも、なんとか姿勢を持ちこたえる。
ここは一族の長八尾よりも尾が多く、誰よりも莫大な力を持つ九尾が別荘にする島だ。ここ数年では住処にほとんど帰って来ないでこの島にいることが多い。
『きゅうちゃんは居候だけれど、ちゃんと館にひと部屋貰っているだよ!』
そう言っていたし、すぐ上の兄二尾から最初はきちんと挨拶をして礼儀正しくしなければならないと教わった。
『きゅうちゃんは気安いけれど、本当はすごい妖狐、いや、今は天狐だっけ、いや、神狐になったんだっけ?』
二尾も九尾の実態を把握しきれていない。
『なんかね、れいこちゃんを通り越してせいこちゃんになったって言っていたよ』
『うん? まあ、いいや、妖狐よりももっとすごいんだ。だから、一尾もちゃんとしなくちゃ。一尾のせいできゅうちゃんが馬鹿にされたら嫌だろう?』
きゅうちゃんは妖狐じゃないんだったらなんなのだろう。わあ、この幻獣、翼がついている。耳も鼻も口もピンクだ! でも、毛並みは僕たちと同じで白いなあ。この島、とても居心地が良い。元気が出て来る、いっぱい遊べそう!
一尾の思考は奔放に駆け巡った。
「ようこそ、一尾。いつもきゅうちゃんにはお世話になっています。今日はゆっくりしていってね」
『この人間がシアン?』
一尾はお座りポーズのまま、少し距離を取ってしゃがみ込んだ人間を見た。人間は後ろ脚立ちするので見上げなければならないが、長い脚を畳んだので目線は近い。不用意に触れようとしないのも良い。急に動かないのや静かに話すのも。穏やかで驚かされることがない。びっくりさせられると、反射的に行動してしまうので、相手を傷つける可能性が高いのだ。
「うん。僕がシアン。この子がリムだよ」
一尾は鼻が蠢くのを止めることができなかった。先ほどから甘い香りが漂ってくる。しきりに臭いを嗅ぐ。
『甘い匂い。焼き菓子だ! 芋栗なんきん?』
「ふふ。そうだよ。一尾が来るからみんなで作っていたんだ。後で一緒に食べようね」
一尾は鼻が利くんだね、と褒められて胸を張る。
『うん!』
『一尾。こういう時にはなんて言うのかな?』
『あ、そうだった。ありがとうございます!』
九尾に促され、一尾は礼を言った。
「どういたしまして」
ひととおりの挨拶が終わり、リムがぴっと片前足を挙げた。
『一尾、遊ぼう!』
『うん! リムー!』
リムという幻獣に早速跳び付く。
「キュアッキュアッ」
シアンは一瞬間驚いたものの、二匹はひとつの白い毛玉となりころころと庭を転げまわりながら、笑い声を上げるのに安堵する。馴染むのが早いなと感心する。
微笑まし気に眺めていると、居並ぶ幻獣のうち、意外な者を一尾は恐れた。
『犬⁈』
一尾はわんわん三兄弟を怖がった。さっと九尾の陰に隠れる。そこがいちばん安全なのだと知っているのだ。
『おや、犬は怖いのか?』
『狐の天敵だものにゃね』
『でも、わんわんは子犬だけれど』
『可愛い外見ではございますが、ケルベロスですから』
『……』
『一尾は小さいけれど、わんわん三兄弟の本性が分かったのかな』
リムと楽しそうにじゃれ合うのに、自分たちもと加わろうとしたわんわん三兄弟からさっと距離を取り、九尾の陰に隠れたのに、幻獣たちが感想を言い合う。彼らのうち、ユルクをもまた怖がった。
『大丈夫だよ。ここの幻獣たちは一尾を襲ったりしないよ』
『島には強い魔獣もいるけれど、我が守るから』
同じ一角を持つ巨大な獣二頭が言うのに、一尾は九尾の身体の陰から顔をおずおずと覗かせる。
子狐を怖がらせてはいけないと、大型の幻獣はやや距離を取って佇んでいた。鋭い一角を持つ白馬と、鷲のような上半身を持つ幻獣はとても大きく、それ以上に甚大な魔力を感じた。
普段から九尾や八尾に接し、膨大な魔力を持つ者に慣れ親しんでいる一尾でさえ驚くほどだ。
しかし、一尾はそれよりももっと直近にいる恐怖が気になった。
『ほら、みんなそう言っているよ。一緒に遊んでおいで。それに、一尾は犬も蛇も怖くないだろう?』
『だって、あの犬、とっても怖い犬だよ!』
『『『え⁈』』』
頭に片前足を置いた九尾に一尾が見上げ不安そうに訴えかけ、他の幻獣たちが目を丸くする。
『ふむ。やはり、わんわん三兄弟の本性が分かるのか』
『こ、怖くないでするよ』
『我ら、噛みませぬ』
『大丈夫でするよ』
鸞が頷き、わんわん三兄弟がせっせと主張する。
『遊びに夢中になって力加減を忘れないように』
わんわん三兄弟はティオの言に是と答える。それを見ていたリムが短い両前足で一尾の片前足を掴んで軽く引っ張る。
『大丈夫だって! ほら、みんなで遊ぼう!』
後ろ脚立ちした羽付きオコジョが白い子狐をせっせと遊びに誘う。体長差から、リムは中空に浮かんで、そんな体勢を取るものだから、一尾を二足歩行させているようにも見える。
非常に可愛らしい光景に、シアンは知らず唇を綻ばせる。その表情を読み取るセバスチャンにも歓迎すべき客だと認識する。
『う、うん! あのね、僕、「シアンちゃんがころんだ」をやりたい!』
幻獣たちは顔を見合わせた。一尾は九尾から島のことを様々に聞いている様子だ。
『あとね、にらめっことかくれんぼも!』
一尾の遊び相手は二尾か九尾だった。せいぜいが二匹か三匹で遊んだことしかなかった。多数で色々楽しめるとあって、島へ招かれたことを大いに喜び、楽しみにしていたのだ。
『やろう!』
リムが片前足をぴっと高く掲げる。
一尾はあ、それ、きゅうちゃんがたまにしているやつ、と思う。主に、八尾に注意された時だ。八尾を更に怒らせるか、脱力させるかする仕草で、きゅうちゃんはすごいな、と二尾が呟いていた。
『私はにらめっこ、いつまで経っても強くならないんだ』
『……』
『そうですね。人間の子供がユルク殿とこぞってやりたがるから、数はこなされているのですが』
『ユルク、わんわん三兄弟にしてあげたように滑り台になってあげると良いにゃよ』
カランという大きな猫の姿の幻獣の提案に、ユルクという蛇がみるみる姿を変じる。
大きくなったのだ!
一尾はすかさず、九尾にしがみつく。
苦笑する音、振動が伝わって来るが、一尾の目は黒い皮膜の翼を持つ大蛇の姿に釘づけだ。耳が忙しなく動き、逆に尾は緊張にぴんと真っすぐになる。あんなに大きければ巻き付かれなぞすればひとたまりもない。蛇の締め付ける力はとんでもないものだ。大木さえ折れよう。
一尾はそう危惧するも、その実、ユルクならば巨岩すら砕くことが出来た。
一尾とて、普通の蛇、大蛇であっても負けることはない。
けれど、ユルクは尋常でない力を持っているのが分かる。その実力を全て分かることができないにしろ、多少は感じることが出来た。力もあるし、多分、敏捷だ。あっという間にひと呑みにされるかもしれない。
しかし、一尾の恐怖はすぐに霧散した。
リムが試しに滑って見せたからだ。鎌首から後頭部、背をするりと音もなく滑り落ちる。
なにこれ!
『わあ! 面白そう!』
一尾が目を輝かせる。
地面に下顎をつけるユルクの頭によじ登ると、ゆるゆると鎌首をもたげる。ユルクの後頭部に腹ばいになった一尾は徐々に視界が高くなるのに歓声を上げる。高いところは怖くない。住処が切り立った岩山の高い部分にあるから慣れている。
大丈夫そうだと判断したユルクが声を掛ける。
『準備は良い?』
『うん!』
ユルクは顔を逸らす。するり、と一尾の身体は尾へと向かって滑り落ちる。鎌首を捻ったユルクが、あ、と声を発する。一尾は後ろ向きに滑り落ちて言っていた。ちょっぴり尾の先を上げて地面に勢いよく落っこちないように工夫する。
ぽーん、と子狐の身体が投げ出され、くるりと一回転して綺麗に着地する。
身軽さに、周囲の幻獣たちから歓声と拍手が起きる。
『面白かった!』
浮遊感や増す速度、最後に中空に投げ出されるのも良い。
『ぼくも! ユルク、ぼくももういっかいやる!』
『僕も!』
リムがもういち度、と言うのについ自分もと一尾も声を上げる。
『わ、我も!』
わんわん三兄弟も名乗りを上げる。
『……』
ネーソスがのっそりと首を上げる。
『なにを言っているの?』
『順番だよって言っているんだよ』
ネーソスがもの言いたげにするのに一尾が小首を傾げ、麒麟が答える。
『はいはい、並んでならんで~』
九尾が両前足を打ち付けて整列させる。
『一尾、ぼくたちはいっかいやったから、わんわん三兄弟に順番を譲ろう』
『うん。ユルク、僕までやってくれる? 痛くない?』
リムが提案するのに一尾は頷くも、やや不安げにユルクを見上げる。きょろりとした丸い目は今では怖くない。それどころか、こんなにスリリングで楽しい遊びを提供してくれるすごい蛇だ。
『大丈夫だよ』
そして、優しい幻獣でもあった。
嬉しい気持ちがこみ上げた際、リムがこちらを見た。そちらに顔を向けると、うふふと笑う。一尾も自然と笑みがこぼれた。
ティオというグリフォンやベヘルツトという一角獣がほほえまし気にしているのが視界の隅に入る。
ティオも一角獣もとんでもない力の持ち主だ。
わんわん三兄弟やユルクよりも甚大だ。もしかすると、九尾よりもすごいかもしれない。どのくらいすごいか、ちょっとよく分からない。そんな者たちが一尾がみなと遊んでいるのを良いものとして認識し、九尾や八尾がするように温かく見守っている。
だから、一尾は無暗に彼らを怖がらなかった。彼らは一尾を理由なく害さない。
その後、一尾は三回も滑った。腹ばいで正面からもう一度、お座りポーズで二度目、三度目はお座りポーズで後ろ向きでやった。
『羽子板とかボール遊びとかも楽しいよ』
提案され、他の遊戯も興じた。
そうして、妖狐一族の小さなちいさな狐は沢山遊び、腹いっぱい美味しいお菓子を食べた。
二足歩行をして前足を器用に操るのはまだ不慣れであった。
『むう。住処に帰ったら練習する!』
『じゃあ、自分が羽子板やボールを作るよ。出来上がったらきゅうちゃんに持って行ってもらうから』
悔し気に言うのに、ユエが両前脚を胸の前で組む。
妖狐にとって兎は獲物だが、ユエは違う。色んな物を作ることができる。例えば、力ある幻獣の一角獣の弱点を補う道具を作るので、大いに認められているのだ。
島ではそんな風にして力がなくても得意分野で認め合っている。
九尾はこういうことを自分に教えたくて連れて来たんだろうな、と思う。
妖狐は複数尾を持つことは力があることに直結する。いっぽんしかないことを気にしているのを、知っていたのだ。
『ここにあるものを持って帰ってもらったら?』
『……』
『そうですね。一尾のためのものを新しく作る方が嬉しいかもしれません』
『界に材料をもらって来る!』
『あは、早速行っちゃったね』
すっかり一尾と打ち解けたユルクの言にネーソスやリリピピが新品が良かろうと提案し、一角獣が駆け行き、麒麟がおっとりと笑う。
『一尾、どうかしたのか?』
『なにか思うところがあるのなら、遠慮なく言うが良い』
『ささ、言ってごらん』
すっかり兄気分のわんわん三兄弟が、もの言いたげにもじもじする一尾の様子を見て取って促す。
『う、うん。あのね、僕、いつも二尾にいちゃんと一緒に遊んでいるの。だから、にいちゃんのも欲しい』
お座りポーズで上目遣いになる。
『一尾、きゅうちゃんには躊躇なく片前足を差し出して要求するのに、遠慮というものを知ったのですね。お兄ちゃん、弟の成長ぶりが嬉しいです』
九尾が出てもいない涙を手巾でそっと拭う。
『そうにゃね。せっかく良い仔に育っているのだから、九尾のようなおちゃらけた狐にはなってほしくないにゃね』
『なにを言う! こんなに可愛い狐に向かって!』
お兄ちゃんがいるんだね、ぼくもお兄ちゃんなんだよと言うリムにそうなんだ、と返す一尾は九尾とカランの言い争いを聞いていなかった。
『一尾、きゅうちゃんは大体いつもこんな感じだけれど、やる時はやる狐だから』
ユエが伝説の妖狐九尾という実態とはかけ離れた巷の認識を持っていたら、一尾が落胆するかもしれないとフォローをする。
『うん、知ってる! きゅうちゃん、面白いよね』
『あれ、そうなの?』
『……』
『あ、それは八尾様のことだよ』
伝説の妖狐、老獪で幽遠、狡猾で篤厚、相反する性質を備えた複雑怪奇で膨大な力を持つ存在である。巷で知られているのは一族を統べる八つの尾を持つ狐だというと幻獣たちは揃って頷いた。
『ああ、なるほど。納得にゃね』
『でも、八尾様はきゅうちゃんには全然敵わないって言っていた!』
『伝説の妖狐に敵わぬと認められる狐、か』
一尾のあっけらかんとした発言に、鸞がうろんげな視線を九尾に向ける。
『きゅっきゅっきゅ! きゅうちゃんの可愛い容姿と磨き抜かれたギャグのセンスの前では伝説の妖狐もひれ伏す!』
後ろ脚立ちし、腹を突き出して高笑いする九尾を他所に一尾が続ける。受け流すことに慣れている。
『いつもね、きゅうちゃんのギャグに額を押さえているの』
こうやって、とこめかみに両前足それぞれをきゅっとつける。八尾はそれを長い爪を持つ片前足でやるのだが、一尾は届かないから両前足を使って実演して見せた。
『『ああ』』
鸞とカランの声が重なり、同病相憐れむ、同情惜しまないといった態であった。
『伝説の妖狐をも黙らせるきゅうちゃんのギャグ!』
当の本人はフォーエバーポーズを取っている。
「一尾の兄弟はなん人いるの?」
『九匹だよ!』
一本ずつ尾が増えていくのかな、と考えるシアンだったが、今回ばかりはその呑気さは正鵠を射ていた。
「じゃあ、お土産はみんなの分を用意するね」
『芋栗なんきん?』
シアンを見上げる瞳が期待に輝く。
『一尾も九尾殿と同じものが好きなのですね』
『うん! いつもきゅうちゃんが持って来てくれるお菓子、とっても美味しいんだよ』
思わず笑うリリピピに一尾も笑顔で答える。
島で育つ農作物は美味しいのだ、今度来た時には畑を見に行こうと話し合い、シアン一行は一尾と九尾を見送った。
なお、再訪を約束するのを見ていたセバスチャンの提言で一尾もまた転移陣登録を行った。
九尾の目論見通り、島の滞在の間、一尾は兄不在の寂しさを忘れていた。住処へ帰ると出迎えてくれた二尾に飛びついた。
興奮しきりで島のことを盛んに喋った。
『ほう、それほど植生豊かなのか』
『獲物がわんさかいそうだな』
『食べるものに困ることはなさそうだ』
『そんなに美しい場所なのね』
『翼の冒険者と遠慮なく遊んで食事をしてくるなんて』
八尾が感心し、六尾が目を光らせ、五尾が口元を舌で舐め、四尾が目を見張り、三尾が四尾の真似をして目を丸くする。
『なにはともあれ、一尾が楽しめて良かった』
『うん、とっても面白かった!』
一尾はその日は二尾にぴったりとくっついて過ごした。
一気にもふもふが増えましたが、
本編を読まずに「妖狐の一族」から読まれている方には
なんのことか分からないかもしれません。
本編長すぎて、まずはそちらからどうぞとは言いにくいのですが、
どうぞ!