13.海について興味を持つ
海を初めて見てから、一尾は興味を持ち始めた。
周囲には教師が多い。
『海にはクジラっていう大きいのがいるんだって』
絵本を読んでもらった一尾が言った。
絵本というのはすごいものだ。実物がなくても、多様なことを知ることができる。しかも、持ち運びができて保存がきく。様々な者が知る機会を得られるのだ。
読み聞かせをしてくれる者の個性が出る。幻獣たちはシアンや鸞、麒麟の他、セバスチャンにしてもらうことも好んだ。声質が良いのもあるが、意外に上手い。初めて聞いた際、二尾は意表を衝かれた気分になったものだ。
『ネーソスとどっちが大きいかな?』
『……』
一尾が小首を傾げるのに、ネーソスも合わせて首を動かす。
『そりゃあ、ネーソスだよ』
幻獣たちは大きくなったネーソスの甲羅の上に乗せて貰って海を進み、様々な小島や大陸へ異動したのだという。水中にも潜るのだという。どんなのだろう。
幻獣たちから聞く話はとても興味深い。様々な者たちの観点から話されるので、想像もつかないことがあるし、よく脱線するも、それも面白い。
『海には他にシャチとか鮫とかいるんだって』
一尾も二尾と同じように興味津々で、怖い大きい魚なんだよね、という。
『大丈夫にゃよ。ユルクが護衛をしてくれるのにゃ』
海にも魔獣が出る。そちらもユルクならば易々と狩れるだろう。そうして、二尾たちに沢山土産をくれる。
多大な興味を抱く一尾にネーソスが提案する。
『……』
『一尾、ネーソスが試しに乗せてくれるって』
ユルクが通訳する。
『いいの? じゃあ、湖に行く?』
『……』
『今ここでで構わないよって』
一尾を甲羅の上に乗せ、ネーソスは海中を泳ぐと同じく中空をすいすい進む。
『わあ!』
二尾はネーソスと並走しながら一尾が身じろぎするたびにやきもきした。
以前、二尾が怪我をした際、一尾と共に乗せて貰ったことがあるが、傍から見ている方がはらはらする。しかし、一尾は違った感想を抱いた様子だ。
『ネーソス、もうちょっと大きくなれる? にいちゃんと代わっても良い?』
『……』
みるみるうちにネーソスが大きくなる。
『二尾も一尾と一緒に乗せてくれるって』
『えっ⁈』
『良いの? ありがとう、ネーソス! にいちゃん、乗って!』
二尾は困ったように一尾とネーソス、ユルクを見比べるも、三者とも、何てことはない様子で、乗るのが当たり前の風情だ。重くないのかとか、そんなに軽々しく乗せて貰っても良いものなのかなどという様々な葛藤を抱く。
が、結局、身軽に飛び上がり、ネーソスの甲羅に乗った。一尾の背後に座る。
『……』
最近では二尾も一尾も通訳されなくとも、意思疎通をすることができる。
『うん! ネーソス、発進!』
ネーソスのこう言ってみてというのを、素直に一尾は口にする。その掛け声に合わせて、ネーソスは空を進み始めた。複数を甲羅に乗せた時にする合図なのだろうか。
『わあ! すごいね、にいちゃん!』
『うん、一尾の言葉が合図になったな』
見上げてくる一尾の後頭部や背中を撫でながら、落ちないように密かに支える。
ネーソスは庭を一周してくれた。ユルクもその傍らをゆるゆると並走する。
ネーソスにしろ、ティオにしろ、自分はじっと座って他者によって移動する、というのは新鮮な体験だ。九尾にそう話すと、負ぶってやろうかと言われ、固辞した。
一尾の方はリムからこう片前足を斜め上に出して掛け声を発するのだ、とレクチャーされていた。
離れた場所で見守るティオが微妙な表情をしているので二尾はカランにこっそり理由を知っているかと尋ねた。
『多分、リムがあんな風に九尾に教わっているから、複雑な心境なんじゃないかにゃ』
『ああ……』
なんだか本当に済みません、という気持ちになった二尾はよほど情けない顔つきになっていたのか、カランにお前の責ではないと慰められた。
『あは。二匹とも可愛いねえ』
『うむ。しかし、可愛らしいことだけを継承していってくれれば良いのだがな』
麒麟と鸞の言に、二尾はますます首を竦める羽目になった。
『一尾と二尾とも遠出へ行きたいでするな』
『良いな!』
『しかし、二尾はともかく、一尾は外泊はその、』
わんわん三兄弟が揃って言いにくそうに口ごもる。
幻獣たちの脳裏に、以前、どうしても住処に帰るとぐずった一尾の姿が浮かぶ。普段、良く笑いはしゃぎ、幻獣たちの話に驚き目を輝かせる一尾が泣いて悲しむ姿は非常に切なさをもたらした。なんとかしてやりたいという気持ちがむくむくと湧く。
そして、その一尾が慕う兄二尾は弟が語る以上に弟思いで聡明で器用な出来物だった。なにかと弁えているのは中間子だからだろうか。九尾の不手際にすら申し訳なさそうにする。こちらはこちらでいじらしく思うのだ。
『……』
『海だったらネーソスが乗せてくれるから一緒に行けるね』
『ぼくが一尾と二尾を背に乗せても良いよ』
だから、幻獣たちは一尾と二尾が望むのなら、ぜひ一緒に様々なことを分かち合い、楽しみたいと思う。
『おや、ティオさんが珍しい』
『狐を下ろすからその分軽くなるしね』
「きゅっ!」
幻花島は島全体において多様な地形を持つ。そして、魔神たちが腐心して建てたという館のあちこちが面白い。
厨房はシアンやリムが一緒ではないと入らせてくれない。危険だからだ。それに、食べ物で遊ぶのはよくないと言われている。
それでも、子狐二匹はあれこれと料理を作る手伝いをさせて貰っている。九尾から、料理の醍醐味は味見の権利を得ることだと聞かされていた。出来立ての醍醐味を知る。農作物に手を加え、様々なものと組み合わせていくことによって、より多彩なものに仕上がる。
『ちょっと薬づくりに似ている?』
『ほう、二尾は敏いな』
『あは。似ているよねえ』
鸞と麒麟に揃って頭や背を撫でられ、二尾は面はゆくなったものだ。
他には、例えば、暖炉。
火が入ると暖かい。
理性や知性のない動物は無暗に炎を怖がるが、二尾も一尾も妖狐の一族だ。これを用いることができる者たちだ。
例えば、居間。
暖炉がある場所だ。
そこで幻獣たちが集まることもある。雨が降る日などだ。
大型の幻獣が寝そべることもあり、広い空間で、人間が使うテーブルやイスは壁際に並べられている。一脚だけ、暖炉のすぐ傍にあり、シアンが座る。
その壁際の小さな台に壺が載っていて、リムとはしゃいで遊んでいた一尾が台にぶつかり、壺を割ってしまったことがある。
リムから大きく距離を取るように跳躍した途端、ぶつかったのだ。少し勢いをつけすぎた。
壺はぐらりと揺れ、二尾は咄嗟に飛びつこうとするも、間に合わず、床に落ちた。一尾はぽかんと眺めていた。
ぱんと小気味よい音がする。ばらばらになってしまった。
とりかえしのつかないことになった。
「怪我はない? ほら、ふたりとも、こちらへ来て。空を飛んでね」
一尾はあまり滞空や飛空が得意ではない。二尾が抱えて飛んだ。リムはシアンの肩に飛んで移動した。
シアンが欠片を片付けようとするのを、どこからか現れたセバスチャンが押しとどめて綺麗に掃除する。
「ありがとう、セバスチャン」
『一尾、こういう時、なんて言うの?』
「え、あ……ごめんなさい」
二尾が抱えて居間の中央に降ろした一尾はシアンやセバスチャンのやり取りを首を伸ばして眺めていたが、九尾に促されて謝罪する。
「はい。はしゃぐのは外かロングギャラリーにしようね」
『うん!』
『一尾、シェンシさんの研究室やユエの工房、あと図書室や厨房ではそっと動こうな』
『分かった!』
例えば、図書館。
書は大切なものだから、壊さないようにしないといけない。
絵本と同じく、多くの知識を共有できるものだ。知識の研鑽を継承しより改良し向上していく。そうして、文明は発展してきたのだと鸞に教わった。
鸞の研究室の隣にあり、よく出入りしている。そのせいか、静謐で、静かな立ち居振る舞いを自然と行う。
『そのうち、空間感知能力も発達するよ』
ティオがフォローする。
『ティオさんみたいになれる?』
以前、一尾は二尾がティオに似ていると言った。自分も目指したいと思うのだろうか。
『うん』
子狐が十倍以上の重量のグリフォンを見上げ、その小さな顔に鋭く下に歪曲した嘴が近づく。
『きっとね』
果たしてそうだろうか。
居合わせた幻獣たちの一部は懐疑的だった。ティオほどの能力を持ち得る者はほぼいない。
その後、幻獣たちは地図を広げて、この島にはこんな生き物がいた、この島ではこんな景色を見た、この海の中には神殿が沈んでいたなどと一つひとつ指示して教えてくれた。
『面白ーい!』
一尾は海底で出会ったタコが多数の足を変形させ、様々に擬態をしてみせたのだという話を聞き、関心が高まっている。
二尾と言えば、地図自体に興味を持った。
『嘘か真か真偽のほどが分からぬ地図や言い伝えがある』
中には信ぴょう性のないことが記載された地図、書もある。幻の島、お伽噺のような国がある。
『そこへ行って、風の精霊王にご教授いただくことで快刀乱麻を断つがごとく真実をことごとく暴き、秘密のベールをはぎ取って丸裸にしていくんですね』
九尾が身も蓋もないことをいう。
『じゃあね、色々探検している間は風の精霊王には口パックンしていてもらおうよ!』
一尾が尾を振り振り言う。
「口パックン?」
シアンが首を傾げるのにリムが代わりに応える。
『あのね、きゅうちゃんがね、一尾に喋っちゃダメなことは口をパックンって閉じていなさいって教えていたの』
確かに一尾はうっかり色々話してしまいそうな感じではある。
無邪気で好奇心旺盛な子狐は忖度というものはまだ身に着けていないだろう。シアンは島の幻獣にするように一尾を撫でた。嫌がっている風ではない。一尾もまた、シアンにすっかり慣れていた。
『英知も口パックン!』
リムが目をきらきらさせて両前足を高く掲げる。一目瞭然で面白がっていると知れる。
『そうしたら、シェンシがやきもきしそう』
『いや、初めて見聞きするものを観察や推測、研究を重ねて知っていくことは重要だ』
ユエの揶揄いに鸞がそんなことはないと否定する。
『なんでもかんでも教えてもらえるというのは贅沢の極みにゃね』
『……』
『私たちで地図の作成?』
ネーソスの思いつきにユルクが目を丸くする。
『海も陸地もでするか?』
「海は海図というのだよね」
アインスにシアンが補足する。
二尾は幻獣たちの会話に熱心に耳を傾けた。一尾も地図とは作れるものなのか、とふんふん頷いている。
『あ!』
『どうしたのだ、ウノ?』
『なにか思い出したのか?』
『いや、シェンシ様の書にな、その世界地図とやらに動植物の分布を記したものを添付してはどうだろう』
『おお!』
『しかし、それではすべてのものを地図に書き込めぬのではないか?』
『何枚か地図を分けて載せてはどうだ』
『ふむ、世界地図を大まかに区切って番号を振り、各項目に生息する位置の番号を掲載すればよかろう。いや、まさしく素晴らしい閃きだ』
シェンシに賞賛され、ウノは誇らしげに尾を高く掲げる。心なしか、アインスとエークも嬉し気だ。
一尾も二尾も活発に出る意見により坂を転がり落ちるように話が進む様子を、あっちこっちへ顔を向けながら眺める。
「そうだよね。国名は変わってしまうこともあるしね」
『リリピピだったら、大陸西のあちこちへ行っているから良くわかるんじゃない?』
『ええと、高度を取ることが多いので、網羅できるわけではありませんが』
『分かる範囲で良いんじゃない?』
『そうにゃね。地図のことに気を取られて危険な目に遭っては大変にゃよ』
「うん。リリピピ、気をつけてあちこちを見回ってくれると嬉しいけれど、でも、安全第一でね」
『はい』
『リリピピもスケッチブックを持って行って、休憩の時に見聞きしたことを記録しておくのはどう?』
『ああ、それは良いね』
『……』
『ネーソスも島がある場所や植生を記録しておくの?』
なお、ネーソスはなかなか絵が上手かった。そして、絵の端には必ずと言っていいほど、ユルクの一部が描かれていた。キョロリとした目や翼の片翼、尾の先、といったものだ。
後日、ネーソスが書き留めたものを披露し、幻獣たちは頭を突き合わせて覗き込んだ。
『ほほう、それはそれは』
『う、うむ』
九尾が両前脚を胸の前で組み、面白げに目を光らせ、鸞が茫然と頷く。
「どうかしたの?」
『いやな、陸地の地図というものは虚実の違いはあれど、あるにはある。しかし、海図、特に海底や植生に関する地図というものは希少なのだよ』
『海図は眉唾物が多いですからねえ』
『潮の流れまで描いてあるにゃ。これは船乗りにとっては聖典みたいなものになるのじゃないかにゃ』
「そ、そんなに?」
『まあ、でも、海難事故が減ることを考えれば、世のため人のためになるのでは?』
「そうだよね。なんなら、写本して儲けようとする人がいなくなるくらい、大量生産して無料配布すれば良いし」
『それはどうかにゃ。安易に気軽に海に乗り出す無分別な者が出てきそうにゃよ』
シアンはセバスチャンや幻獣のしもべ団と相談し、ディーノに一任することにした。
そうして、幻の海図という伝説の代物が出来上がるのだが、それはまた別の話である。




