12.浜辺で
一尾はリムの後を駆けた。
下生えの草は柔らかく、すり抜けても鋭く傷つけてくることはない。
リムは一尾よりも小さな身体をしているのに、とても速かった。置いて行かれるほどの速さではないし、なにより、力いっぱい四肢を動かすのが楽しかった。ぐんぐん地面が、周囲の風景が流れていく。
立ち止まればそよ風なのが、びゅうびゅうと耳元で唸りを上げる。心地よい風だ。
島は風も光も大地も草木も心地よく芳しい。
リムが弧を描けば、一尾も身体を傾ける。地を蹴る音が、草花がそよぐ囁きが、自分の息遣いが聞こえてくる。
リムが後ろ脚で軽く踏み切った。跳躍して、前方にいた者の掌に飛び移る。誰かいたのかと思う間もなく、一尾も続く。
自分の身体の方が大分大きいとか、勢いがついていたとかも考えず、ただリムがしたのと同じようにした。
しかし、もう片方の手を差し伸べてくれた。そのまま抱き上げ、浮遊感を覚えたと思ったら、その者の胸の前でリムと顔を見合わせた。
『『うふふ』』
どちらからともなく笑い合う。
はっと見上げると、一尾とリムを抱き上げたのはセバスチャンだった。
一瞬、身体がこわばる。くうん、という鳴き声にそちらに視線をやると、わんわん三兄弟が見上げていた。
一尾は慌てて降りようとした。
わんわん三兄弟がセバスチャンを慕い特別視しているのを薄々感じていた。二尾がわんわん三兄弟の世話を焼いたのに嫌な気持ちになったのと同じだ。わんわん三兄弟も良い気分ではないだろう。
一尾の意志を汲み取り、セバスチャンは再び手を伸ばして、今度は降ろしてくれた。リムも地面に着地する。
『はい、わんわん、空いたよ!』
一尾がお座りポーズで顎を上げるも、わんわん三兄弟はやや困り顔でその場で三匹立ち止まったままだ。
と、セバスチャンが一歩下がった。
『あ』
行ってしまうのかと焦るものの、ただ控えているだけの様子だ。
わんわんとセバスチャンを見比べる。両者動かない。今度は一尾が困ってリムを見やる。リムがひとつ頷く。
『セバスチャン、今度はわんわんを抱っこしてあげて!』
『かしこまりました』
わんわん三兄弟はさらに身体を固くした。そのままセバスチャンは掬い上げるようにして三匹とも抱き上げる。
慕わしそうな表情に、一尾は再びリムと顔を見合し、満足の笑みを浮かべた。
「今日は浜辺でバーベキューをしようか」
そんなシアンの言葉に一尾ははしゃいで駆けた。ついうっかりセバスチャンに飛びついてしまうほどだ。
わんわん三兄弟が収まるバスケットと似たようなものの中に入れられ、ティオの背に座って空を飛ぶのにも興奮した。
そして、見た。
青い海を。それは空の青とは全く別物だった。
さかんに波打ち、水がいくつもの山をとぷりと作り、そのたびに陽の光を反射する。まるで、こっちへおいでと誘っているようだ。
なにより、広い。
どこまでも続いている。
声もなく、息をするのも忘れてただただ見つめた。
いつの間にか、ティオは下降し、砂浜に降り立った。
『わあ、なにこれ!』
白い砂はじゃりじゃりと粒が大きく、走りにくい。でも、そこを駆けるのが楽しいのだ。
『一尾!』
『リムー!』
リムと一尾は並走し、波打ち際で波を追いかけ、ついには絡み合いひとつの毛玉となって転がりまわった。
弟とリムを尻目に、二尾ははじめて見る光景に感動する。四肢で砂浜を踏みつけ、白い砂、泡を立てる波打ち際、そして、その向こうの青々とした海をまっすぐに見つめた。いくらでも眺めていられる。
三匹は得も言われぬ香ばしい香りにようやく海と砂浜から意識を移す。
そこにはバーベキューコンロで海産物を焼くシアンや幻獣たちがいた。
「リム、一尾、二尾、おいで。ふふ、よく遊んでいたね」
リムがいそいそとシアンに近づき、手伝いを始める。
二尾は寄ってきた一尾の毛についた砂を払ってやる。
皿に盛られた海産物を前に、子狐たちは鼻を蠢かせる。
『そら、こうして食べるのだ』
『熱いから気をつけてな』
『きゃうん。汁が飛んだ!』
わんわん三兄弟に、一尾がごくりと喉を鳴らす。
なんて恐ろしい食べ物だ。しかし、香ばしい匂いに惹きつけられる。難しい食べ方をしてでも味わう価値がありそうだ。
「二尾、はい、どうぞ。アインスたちが一尾を見てくれているから、ゆっくり食べてね」
そこでようやく二尾はわんわん三兄弟がなにくれとなく一尾の世話を焼く理由が分かった気がした。二尾のためでもあったのだ。弟分ができたと喜んでいたのだとばかり思っていた。
よくよく気を付けてみれば、他の幻獣たちも代わる代わる面倒をみている。
たらふく食べた後、二尾はシアンにそのことを話してみた。
「二尾が一尾のことを好きなんだってことと、一尾も二尾も銘々したいことをするのとは別のことだよ。二尾は一尾のためばかりに時間を使うのではなく、自分でもっと世界のあれこれを楽しめば良いんじゃないかな。多分、きゅうちゃんはそう思って二尾を連れてきたんだと思うよ」
ああ、そうか。
『きゅうちゃんは賢者だから』
「うん、そうだね」
シアンがふふと笑う。
八尾などはよく九尾の言動にきりきりしているが、その実、認めるような言葉を漏らすことがあった。多分、こういう気配りをするところを分かっているのだろう。
シアンの視線の先を辿ると、幻獣たちが楽し気に話し合っている。
『狐はイヌ科だからな』
『犬と似ているの?』
鸞の言葉に一尾が小首を傾げる。
『子狐の天敵は猛禽類だ』
『ティオと仲良しだよ?』
今度は鸞の説明にリムが目を丸くする。
『一尾は良い子だからね。リムの友だちだし』
『ティオさん、大好き! 強いしね、落ち着いているしね、にいちゃんが大きくなったらきっとこんな感じ!』
一尾の言葉に仰天して二尾も話に加わることにした。
『俺がティオさんみたいに? それはどうだろうなあ』
『同じになる必要はない。二尾は二尾の理想を追いかければ良い』
『はい』
否定するも、当のティオから言われ、二尾は面はゆく思いながらもしっかりと頷いた。
『……格好良いにゃね』
『本当に! 流石の貫禄』
カランが感嘆し、ユエが両前脚を胸の前で組む。
『一尾、引っ張りっこしようぞ』
わんわん三兄弟が腹ごなしに遊ぼうと一尾を誘う。
『引っ張りっこ?』
『そうだ。長い布の端と端を咥え、互いに引っ張り合うのだ』
『我ら三兄弟。一尾を入れればちょうど良い』
二匹がひと組となるのだという。
『わんわん三兄弟にイヌ科の一尾が入るにゃね』
『あ、でも、そうしたら、にいちゃんが』
『俺は良いよ。見ているから』
二尾の方を見る一尾に、遊んでお出でと背中を押してやる。
『ちょっと! みんな、誰かを忘れていやしませんかね!』
そこで待ったが掛かる。
『ああ、そういえば、九尾も狐にゃね』
『わんわんたち、忘れていたんだね』
『二尾もね』
カランに麒麟が笑い、一角獣が付け加える。
『二尾、きゅうちゃんと引っ張りっこやる?』
『ううん。だって、きゅうちゃん、そういうのはしないでしょう?』
『ええ、まあ』
なにかと弟を優先させる二尾を気に掛けてくれるだけで、殊更やりたいと思っているのではないのだ。現に、九尾は微苦笑している。
『よく分かっているんですね』
リリピピが目を丸くするのに、ああ、九尾も同じことを思ったからの珍しい表情をしたのだなと知る。
『きゅうちゃんは色んな遊びを思いつくけれど、引っ張りっこはちょっと違うかなって。でも、ほら、一尾は楽しそうだよ』
九尾が教えた遊びではなかろうと言いつつ、一尾は好むようなのを示す。これも、九尾が教えつかないことであり、そういう多様性を取り入れるために、島に連れて来てくれたのだろう。弟たちの世界を広げるために。
『本当だ。四匹とも無我夢中』
『あ、絡まりそう』
『なんで、近くに寄ってするかな』
『最初はもっと離れていたんだけれどねえ』
『うむ。興奮して我を忘れているな』
『あ、あ、あ、ぶつかる』
『……』
『あ~、だ、大丈夫だった』
二尾は見ているだけでも面白くて、つい笑い声を上げた。幻獣たちも顔を見合わせ、笑い合う。
広がる海、世界を、弟と幻獣たちとともに分かち合う。二尾はその機会をもたらしてくれた九尾、シアンを始めとする様々な要因に感謝した。




