11.焼きもち
幻花島へ遊びにやって来た。
今日はおやつに栗をふかした。
いつもは殻ごと食べていたが、九尾が殻を外して食べていたのを一尾は真似ようとした。
上手くいかない。
見かねた二尾が剥いてくれた。二尾も最初はそう上手にできなかった。けれど、すぐにコツを掴んでするりと綺麗に剥く。そして、一尾の口元に持って来てくれる。口を開けると放り込んでくれる。
美味しい。
噛むとほろりと身が崩れ、温かく地味優しい味わいが広がる。
尾を振り振り、咀嚼して嚥下するたびに口を開ける。
二尾は忙しい。剥いて弟の口に放り込み、剥いて自分の口に放り込む。
ぺろりと弟が口元を舐める。そして、美味しいねと笑う。
だから、二尾はせっせと栗を剥く。
せがまれなくても急かされなくても、この笑顔のためならば。
一尾は力いっぱい遊ぶ。
そうなると、シアンはついていけない。
「幻獣たちは手加減していてくれたんだなあ」
特にリムだ。楽々と一尾に付いて行っている。いや、どちらかというと、リムに一尾がせっせとついて行っているのかもしれない。
あたかも、ゴム毬が壁に当たって跳ね、違う壁に当たっては跳ねるを高速で繰り返すような動きについていけない。リムもまた乱反射する。
きゃっきゃと歓声を上げているので、楽しそうなのが分かる。傍から見ていると光の乱反射のごとくで、その軌跡をたどることすらできない。
リムはたまにシアンの足元にやって来てあっちの隅にどんな花が咲いていたなどという話をして、また駆けていく。またやって来ては、肩の上に乗って頬ずりして、翼を広げて滑空していく。
元気いっぱいだ。
シアンと幻獣たちは連れ立って湖の近くまでやって来た。
一尾とリム、わんわん三兄弟が茂みの中を突っ込み追いかけっこする。出てきた一尾は一直線に兄に駆け寄り飛び付く。
興奮しきっている。楽しそうで二尾も笑う。
『ほら、一尾、頭に葉っぱをくっつけているぞ』
取ってやり、ついでに首にかけたマジックバッグを外し、そこから竹筒の水筒を出して水を飲ませてやる。
近くにいたのでわんわんたちにも飲ませてやると一尾がむっとした顔になる。
『水はまた汲んでくるから』
『我が補充してあげる』
一角獣が美味しい水を入れてくれるも、一尾はまだすね顔だ。
『どうしたんだ?』
つい今しがたまでご機嫌で遊んでいたのに。
戸惑う二尾を他所に、一尾はぷいとそっぽを向いてリムを連れて向こうへ行ってしまう。声を掛ける隙もなく、なんとなく、二尾は弟の後姿を水筒を握ったまま見送った。
『そういうときもあるにゃよ』
『兄離れなの?』
仲の良い兄弟をもうひと組知っているユエが胸の前で両前脚を組む。
少し寂しい。
いつも一尾はべったりだったのだ。ちょっと困る時もあるけれど、わがままだと思ったことはない。独りになりたい時もあるけれど、懸命について来ようとする姿を見れば、それ以上に可愛さが勝つ。しょぼくれていたらなんとかしてやりたいと思う。
『庇護から離れようとする時は必ず来るものだ』
『自立心だね』
鸞と麒麟の言に、二尾は理性を奮い立たせて頷いた。
唐突な一尾の行動に、リムが問うた。
『一尾、どうしたの?』
隣を並走するリムが駆けながら小首を傾げる。器用なものだ。小さい身体なのに、一尾はついていくのが精いっぱいの運動能力を持つ。
一尾の大切な友だちだ。
そのリムから問われ、知らず、足が止まった。
少し先を進んだリムが弧を描きながら戻って来る。
『だって、僕のにいちゃんなのに』
ぽつりとつぶやいた言葉は、離れようとするのとは全く逆の心の働きを表していた。
自分だけでなく、わんわん三兄弟の世話を焼いたことが面白くなかった。ただ、それをどんな風に表現して伝えれば良いのか分からず、とにかくその場を離れることを選択した。
『お兄ちゃんが他の子を構っていたからやきもち焼いちゃったんだね』
なるほど、とリムが頷く。リムはとても賢い。一尾は開眼させられた面持ちになる。
『うん。そっかあ、僕、やきもちだったんだ』
もやもやする気持ちはそういうことだったのだ。
『でもね、だったら、やきもち焼いちゃったって言わないと、一尾が嫌な態度をとっただけだと思われるよ。二尾に嫌な思いをさせちゃう』
一尾は飛び上がった。
『大変だ! にいちゃん、にいちゃーん!』
叫ぶや否や、一尾は二尾めがけて走った。
慌てて駆けてくる一尾を受け止めつつ、二尾はほっとする。離れていくにしても、急では寂しい。
『どうしたんだ、一尾?』
『にいちゃん、僕のこと、嫌いになる?』
『え?』
『やきもち焼いてね、嫌な態度を取ったから。僕のこと嫌いになる?』
やきもちだったのか、と唇が緩む。
一尾は一族の者以外ではほとんど接触してこなかった。兄姉たちの強大な力を感じ、揶揄われたり、軽んじられたりすることの折り合いをつけてきた。しかし、広い世の中にはもっと別の付き合い方や関係があり、そこから多様な感情が生まれ出てくる。現に、島の幻獣たちとの付き合いによって様々な感情を抱くに至った。
『まさか。一尾はどこにいても俺の弟だよ。俺はずっとお前のにいちゃんだからな』
『うん!』
見上げながら満面の笑みで元気よく答える。この純粋な信頼を向けられるからこそ、二尾は二つ尾を持つ妖狐一族の一員として励もうという気になる。
さて、気遣いの幻獣、わんわん三兄弟は二尾の手を煩わせないように振る舞うと言うも、一尾がそんな必要はないと言った。
「そうだね。それは一尾の問題だし、一尾もそれは分かっているみたいだから、気にせずに普段通りに接していこう」
シアンの言葉に幻獣たちはそれぞれ頷いた。
自分の情けないところをみなに披露することになった一尾は思いついて口を開く。
『あ、あのね! 僕、人間に化けられるようになったんだよ!』
「人間に化ける?」
幻獣たちは擬態や隠ぺいの一種のことであろうとすぐに察した。けれど、シアンは違った。狐と狸の化かし合いとはまた違うが、昔話に狐狸が人に化けるというのは良くある。
こっそり、それこそ、木の葉を頭に乗せるのかななどと夢想する。
シアンが殊更興味を持った様子に幻獣たちの纏う空気も変わる。
幻獣たちの視線が集まる中、一尾は慎重に魔力を練り、気合の籠った鳴き声を高らかに上げた。
「きききゅっ」
『わあ、本当だね!』
『人間に見えるよ!』
得意げに両前足を高く掲げる一尾に一部幻獣たちが沸く。彼らの目には人の子供の姿と白い毛並みの子狐の姿が重なって見えていた。他者の目にはおそらく、人の子供に見えるのであろうということが分かる。
『あれ、でも』
「ききゅう?」
賑やかな声に戸惑いの音が混じる。一尾がなにかあったかと首を傾げる。
『ええと、狐の耳と尾が出ているよ』
『えっ⁉』
両前足を耳に持って行く。しかし、慌てていて、客観視できない一尾は、自分で触るから狐の耳なのか、他者にもそうなのかが分からない。
『祭りへ行った時はきちんとできたのに』
幻獣たちから人間の子供に白い毛並みの狐の耳と尾が見えると聞かされ、一尾はしょげた。
『あー……』
なんと言えば良いのやら、と困惑する二尾に、シアンが気づく。
二尾が一尾の耳と尾を隠してやったのだと察し、そっと二尾を離れたところへ呼び、祭りへ連れて行きたかったんだね、でも、分からないままでいたら、妖狐一族や幻花島の幻獣が傍にいない時、緊急の場合に人間に化ける必要があったら危ない、と話した。
二尾はそれもそうだと得心する。
『一尾にちゃんと話すよ』
「それが良いよ。二尾の気持ちも伝えてね。一尾と祭りへ一緒に行きたかったんだって。そうしたら、一尾も分かってくれるよ」
『うん。一尾とまた擬態の練習をする』
しっかりと肚を決めると、シアンがため息交じりに笑った。
シアンは言いにくいこともきちんと伝える。相手のためにそうした方が良いと思えばそう話す。その相手というのは親しい者で、自分もその中に入れてもらえているのだと思うと嬉しかった。
シアンの穏やかな喋り方、立ち居振る舞いは他者を無暗に驚かせることなく、ため息交じりに笑う様子に、心ほどかされる。その言葉はするりと心の奥に届く。素直に耳を傾けられる。
色んなことを知っているのに、反面、物慣れない風情もあり、ついつい手を貸そうとなる。美味しいものを供され、楽しい音楽を生み出す。そして、ともに美しい光景を体で感じる。
幻獣たちが慕うシアンを、二尾も一尾もまた好んだ。
九尾は二尾にもまた、得難い友を紹介してくれたのだ。




