爆弾
目の前に立つ少女の瞳が、柘榴の実を思わせる鮮やかな赤色に燃え上がる。身体から放たれる熱気は、10メートルはあろうかという距離を軽々と飛び越え、俺の背中を汗が伝い落ちる。
徐々に上がってゆく気温に思考力を奪われないよう、集中を深めてゆく。視覚や聴覚では間に合わない。身体から漏れ出る魔力の動きに神経を研ぎ澄ます。
お互いに向かい合って警戒を強めたまま、時間が過ぎる。あちらに動く気配はない。こちらから仕掛けるか。
そう思いながらじり、じりと距離を縮めてゆく。
――動いた!
「うっ……」
左前方に気配を感じて無意識に伸びた俺の左手は、少女の膝蹴りをタイミング良く払いのけている。だが、左肩の強化が追いつかず、裂けるような痛みが走った。
それでも構わず後方へ向き直り、一気に距離を詰める。受け身を取って立ち上がろうとしていた少女は、辛うじて俺の右手を受け止めるが、続いて繰り出した足払いへの対処が遅れその場に転倒する。すかさず右手を叩き込み、少女の鼻を粉砕する直前で寸止めした。
「ぐ……負け越しが2に増えてしまった」
悔しげに呟きながら、彼女は俺の手を取って立ち上がって立ち上がる。
「いや……膝蹴り、やばかった。ちょっと、遅れてたら、負けてた」
時間にすれば5分にも満たない短い戦闘だったが、ありったけの精神力と魔力をつぎ込んだために息切れが激しく、まともに言葉が出ない。
「そんなことは言われなくても分かっている。明日は絶対にぎゃふんと言わせるからな」
「俺、明日も、グルナとやるの……?」
「むしろ私以外に練習相手がいるとでも言うのか」
先ほどの悔しそうな表情はどこへやら、グルナは尊大に胸を張る。あれほどの戦闘の後で息一つ切らさない彼女の呼吸器はどんな構造をしているのだろう。呼吸器にも魔力を通して強化してみるべきだろうか。
「いや、まあ……そうなんだけど」
グルナとの模擬戦は毎回どこかしら痛めるし、たまに命の危険を感じるため気が重いのだが、確かに俺の練習相手になり得るのは彼女か紫苑くらいしかいないのも確かだった。
と言っても、俺たちの隠れていた才能が目を覚ました、というような話ではない。むしろ、才能のある若者ばかりが集められたこの学院で、俺は非才に入る。とはいえ、魔術を一切使えないために、入学してからの約3ヶ月を全て魔力の操作に注ぎ込んできたのだ。その分、他人より得意になるのは当然と言えた。
むしろ、目の前で偉そうに腕を組んでいる紅蓮の少女が異常だった。能力が高いと言われる異世界組に加え、国中から集められた秀才たちまでひしめく学院内にあって、彼女は魔術と魔力操作のどちらでも学年トップクラスの実力を持っている。魔力操作で互角に競えるのは俺と紫苑くらい、魔術に至っては学年でも1人だけだろう。
「東雲くん、お疲れ!」
その1人が俺の肩に手をかけながら話しかけてくる。途端にじんじんと疼くような感覚とともに、左肩の痛みが引いてゆく。白魔術で治癒してくれたらしい。
「ありがと」
「どーいたしましてー」
彼女は笑顔でひらひらと手を振ると、グルナに向き直る。
「じゃ、次はあたしかな?」
「ふん、今日も勝たせてもらうぞ」
グルナの瞳が、再び紅に染まる。応じるように華田の瞳もアクアマリンのように透明な水色に変わり、清涼な空気が辺りに広がる。2人の魔術戦闘は怪獣大戦争のようになるので、巻き込まれないうちに遠くに退避することにした。
「人、減った」
戦闘を始める2人を眺めていると、視界の下から抑揚のない声が聞こえた。驚いて咄嗟にバックステップで距離を取ると、半眼を俺に向けていたのは、2-Bのマスコットこと暁烏紫苑だった。
「なんだ、紫苑か……最近お前、ますます存在感薄くなってないか?」
「魔術」
「ああ、『黒魔術』だっけ」
「違う。『影魔術』……いや、『黒魔術』も良い……」
指を口に当てて考え込み始める。実のところ「影魔術」という分類はなく、自らの影の薄さのことを指して彼女が勝手に呼称しているだけである。彼女曰く、この世界には存在しない未知の魔術(という設定)らしい。
「いや、昔から十分影薄かったろ」
「は?」
ドスのきいた声を発するや、その声に追いつかんばかりの勢いで肉薄してくる。
放たれた右ストレートを両腕で受け止めながら、勢いを利用して距離を取るが、体勢を立て直した時には再び紫苑の拳が迫っている。慌てて受け止めようとしたが間に合わず、彼女の右手が俺の下腹部に深々と突き刺さる。
そのまま数メートルほど吹っ飛ばされ、床に背中を打ちつけられる。殴られた部分がズキズキと痛んで死にそうな気分だ。身体強化をかけてこれなのだから、普通に食らったら即死なのではないだろうか。
「何か言うこと」
「あ、えーと。この度は暁烏紫苑さんに対し、私の不用意な発言によりご不快な気持ちにさせてしまいました。これは一重に私の不徳のいたすところであり……」
「うっさい。もういい」
誠心誠意美辞麗句で飾り立てた俺の謝罪は、最後まで聞いてもらうこともかなわず一蹴された。
「なーに? また2人でじゃれてんのー?」
どこかから俺の腹に手が伸びて、治癒魔術が発動する。ひょいと俺の顔を覗き込んできた少女の瞳は、既に鳶色に戻っていた。
「華田、お疲れ。どっち勝ったの?」
「えへへー」
華田ははにかみながら、右手でVサインを作る。身体を起こしてグルナの方を見れば、案の定不機嫌さが顔から溢れだしていた。彼女の側に温度計を置けば、真夏日を観測することだろう。
「今日は私の力が一歩及ばなかったようだな。だが、明日はこうはいかんぞ。明日の私は今日の私より遙かに強いのだからな」
言い放った彼女は、肩を怒らせながら訓練場を出て行った。
「グルナちゃんって、一体何と戦ってるんだろうねー」
「さあ……?」
「負けず嫌い」
俺は魔術が使えないし、華田は肉弾戦が苦手だ。なんでもありの戦闘であれば、俺も華田も彼女に瞬殺されるはずだ。それでも彼女は、全てにおいて人を上回らないと気が済まないらしい。
「で、2人は何の話してたの?」
「あ、えーっと、だいぶ人が減ったねっていう話だったっけ?」
「そう」
「あー、前は人が多すぎて狭いくらいだったのにね」
ただっ広い訓練場を見回しながら、華田が苦笑いを浮かべる。大半の同級生は義務として課された授業に嫌々参加する程度で、俺たちのように放課後の時間まで自主練につぎ込もうというものは少ない。中には、俺たちのことを「真面目ぶってる」「異世界の人間に媚びている」と陰口を叩くものもいるという噂は、ろくに友人のいない俺の耳にまで届いていた。
それでも、当初はこの世界出身の生徒たちを中心に訓練場が埋め尽くされていたものだが……
「戦闘狂にやられるのが嫌で来なくなるってパターン多いよな」
「うーん、悪い子じゃないんだけどなぁ」
「トラウマティック」
3人で顔を見合わせてため息をつく。ここで自主練をしていると、「目と目が合ったらバトル!」とばかりに、戦闘を挑まれてしまうのだ。見た目だけは人形のように愛らしいグルナに、格闘戦でボコボコにされ、魔術戦で黒焦げにされてトラウマになった同級生は、かなりの数に上るらしい。
「ま、あたしたちはあたしたちで練習しよ」
「来ないのは自己責任」
「……そうだな」
俺たちとて他人を気遣っているほどの余裕があるわけではない。特に、いずれ放校されることが確定している俺と紫苑は、この学院で学べる限りのことを吸収しなければならないのだから。
「じゃあ紫苑、やるか」
「うん、殺る」
響きが幾分物騒だった気がしたが、恐らく気のせいだろう。気のせいであってくれ。
「怪我したら治癒してあげるけど、蘇生は無理だから死なないように気をつけてねー」
のんびりと手を振る華田の周りには水の球が2つほど浮いている。既に青魔術の練習を始めていたらしい。
紫苑が気合いを入れるように2度、3度とジャンプする。因みにジャンプしても彼女の高さは俺の身長に及ばない。それでも、紫苑の魔力が爆発的に高まるのを感じた。
肌を刺すような緊張感の中、俺と紫苑は同時に地面を蹴った。
踏み込んで、拳を繰り出す。飛びかかってくる紫苑を、足を踏ん張って受け止める。隙を見てカウンターを繰り出すが、側転に似たアクロバティックな動きで躱されてしまう。元から運動神経の良い紫苑は、身体強化の技術も相まって猫のような不思議な動きをしてくるので、対処が難しい。
だが、一発の威力は俺の方が上だ。相手の動きを観察し、予測し、無心で攻撃を叩き込んでゆく。
1度どちらかが攻撃を当てれば、それで決着。少し休んで、再び戦闘か始まる。結局夕食の時間になるまでぶっ通しで続けたが、3勝3敗の引き分けだった。
「紫苑、お前、なかなかやるじゃねえか」
「彩斗こそ」
持てる体力を使い果たして倒れ込んだ俺と紫苑は、並んで大の字になり、天井を見上げる。もちろんお互いの実力は元から知っているので、このやりとりはただのノリ。
こうやって紫苑と並んでいると、昔に戻ったような気分になる。こうして彼女と一緒に訓練をするのは少し気まずく感じる一方で、隣にいても良い大義名分ができたようで、ほっとしている自分がいるのも確かだった。
「はいはい、お疲れさん」
涼しげな声が耳朶をうつと同時に、俺の顔の上で水の球が弾けた。霧のような飛沫が身体を多い、火照った身体を冷ましてくれる。
「さんきゅ」
先ほどから華田には感謝してばかりだ。俺も彼女のように使い勝手の良い魔術が使えれば良いのだが。
「2人って前からそんな仲良かったっけ?」
「ん、ああ……」
「同中だから」
華田の質問に言い澱む俺の隣で、紫苑が端的に答える。
「え? 2人って中学同じなの……?」
紫苑の答えがよほど意外だったようで、華田は目を丸くしている。一方の紫苑は相変わらず無表情で、相変わらず何を考えているか分からない。
「あれ、でも高校だとあんま仲良い感じじゃなくなかった?」
「別に。彩斗が話しかけてこなかっただけ」
「まあ、そうだな……」
「そ、そうなんだ……」
何となく、俺の方から紫苑と距離をおいてしまったのだ。その感情に名前を付けるなら、申し訳なさとか、後ろめたさとかになるのだろう。何せ――
「彩斗は、裏切り者だから」
紫苑の落とした爆弾は、華田の青魔術より強力にその場を凍てつかせた。
べ、別にっ、嬉しい感想をいくつも頂けたから、テンションが上がって執筆が進んだわけじゃないんだからねっ!