この国はね、追いつめられてるの
翌朝、俺たちは昨日と同じホールに集められた。部屋を出たがらない女子もいたようだが、他の女子たちで引っ張ってきたらしい。
「よう、昨日よりはましな顔してるやつが多いな」
昨日の男は仁王立ちで腕を組み、俺たちの表情を順繰りに見渡す。目を赤くして、諦めに染まった表情が本当に昨日より「まし」と言えるのか、俺には分からない。
ただ、とにかく今は目の前の男に従うより他、生き残る術はないという認識は共有しているようだった。
「昨日説明しておくのを忘れていたな。ここは、アルクス魔術学院。君たちが2年間通うことになる学校だ。それから、俺はフラーウス。ここの学院長をしている……なんだその反応は?」
聞き間違いでなければ、「学院長」と言っていた気がする。ということは、先生?
どうしても、目の前にそびえる筋肉の山と「先生」というワードが結びつかない。それよりも「軍曹」といった呼び方の方が、よほど似つかわしく思える。
「失礼な視線を感じるが、いちいち拘ってると進まないから、説明を続けるぞ」
そう言いながらフラーウスは腰の剣帯に吊り下がっている剣を外す。それを見て最前列のやつらが半歩ほど後ろずさり、 半径数メートルの空白地帯が生まれる。
「そんなに怯えるな。君たちを殺す程度なら、剣なんて使わなくてもできるからな。さて、この宝石が見えるか」
物騒極まりないことを言いながら、フラーウスが指さしたのは剣の柄に取り付けられた宝石だ。
「これがコランダム、昨日ここにあったのと同じものだ」
そういえば、昨日の宝石は夜の間に撤去されたのか、その場には無くなっていた。
「本来は無色透明な石なんだが、魔力と同調させることで色がつく。魔力の波長によって色は決まっていて、一度着彩したコランダムは元に戻らない。この辺はテールベルトが専門だから細かいことは彼女に聞くといい」
そう言いながらドアの方へと顎をしゃくる。すると、ドアが音もなくスライドして開き、昨日案内してくれた2人が現れた。スマルトとテールベルトと言っただろうか、両手には手には白いケースが数個ずつ積まれている。2人ともいかにも仕事ができそうな雰囲気がにじみ出ていて、教師だというのも納得だ。腕を組んで仁王立ちしている誰かとは大違いである。
「今からコランダムを1人1つずつ配布するから、同調してみろ」
スマルトとテールベルトが、プラスチックのような質感のケースを配って歩く。ケースを開けると、中にはうずらの卵大の水晶のような宝石が入っていた。持ち上げて太陽に翳してみると、キラキラと玉虫色に煌めいてため息が出るほど美しかった。
「なんだ」
フラーウスの声が聞こえて、我に返る。彼の視線の先を追えば、光田が挙手している。
「同調してみろ、と言われても。同調の仕方なんて分かりません」
「胸に当ててみろ。そしたらわかる」
酷く投げやりな言い方が癇に障ったが、とりあえず胸に当ててみる。周りの級友たちも半信半疑といった面持ちで従っている。それから数秒もすると、そこかしこから「あっ」「おあっ」といった声があがり始めた。最初の「あっ」は華田の声だ、と聞いただけで分かってしまって、我ながら少し引いた。
周りを見渡すと、クラスメイトの胸に当てられた宝石が、徐々に色を持ち始めていた。一見したところ、赤、青、黄、緑の4種類があるようだ。
自分のはどうか、と見下ろしてみるが、まったく色が変わる様子はない。というか、同調のやり方が未だに分からない。
心臓に強く押し当てた方が良いのだろうか。何か圧力を高めて送り込むイメージ? いろいろと試行錯誤を繰り返すが、透明なコランダムは一向に俺色に染まろうとしない。華田の方を一瞥すれば、彼女のコランダムは既に鮮やかな青に染まっており、余計に焦りが募る。
「焦るな。比べなくて良いから、自分のペースでやれ。押しつけるんじゃなくて、石の声を聞け」
フラーウスの声が響く。さすがは教師と言うべきか、なんとなく声に説得力がこもっていて、安心感があった。
落ち着こう。目を瞑って深呼吸。石を胸に当てて耳を澄ますと、聞こえるのは自分の鼓動。でも、それだけじゃない。手を通してどくどくと、鼓動のようなリズムがあるような気がする。もっと深く、集中して……
……捉えた!
確かな感触を得て、それを自分の鼓動と重ね合わせる。繋がっている。その感覚がとても優しくて、温かい。「自分」が少しずつ溶けて、石と1つになってゆく。心地よくて、いつまでもそうしていたい気分だ。
「――紫苑?」
誰かの鋭い声が上がったのが聞こえて、目を開ける。周りのクラスメイトは皆、怪訝な表情を1方向に向けている。その視線を追った俺は、言葉を失った。
暁烏紫苑。彼女の胸に抱かれたコランダムは、黒曜石のような真っ黒に染まっていた。周りを見渡しても、皆の胸に抱えられたコランダムは有色ではあるものの、透明なまま。不透明になってしまったのは、彼女だけのようだ。
気になってもう一度視線を向けると、目が合いそうになったので慌てて自分の胸を見下ろした。何色になるだろうかと楽しみにしていた俺の目に飛び込んできたのは、依然として無色のままのコランダムだった。先ほどの確実に繋がったような感覚なんて知ったことではないとばかりに、七色の輝きを放っている。
戸惑いながら顔を前に向けると、フラーウスも途方に暮れたような顔をしている。一瞬テールベルトと顔を見合わせてから、ざわめく俺たちの方へ向き直った。
「魔術には、赤魔術、青魔術、黄魔術、緑魔術、白魔術の5種類がある。特にはじめの4つを色魔術と言ってな、自分の波長と対応した魔術しか使えない」
フラーウスが説明を続けながら左手を掲げる。
「たとえば、俺は黄色の魔力を持っているから、黄魔術と白魔術が使える――flash」
言い終わるが早いか、彼の左手からまばゆい光が放たれた。一瞬後には消滅したが、意表を突いて放たれた閃光は思いの外まぶたの裏に残る。
「これが一番簡単な黄魔法だ。もっとえげつない魔法もたくさんあるが、屋内で実演するわけにいかないからな」
こんなときにとも思うが、初めて「魔術」というものを目にし、胸が高鳴るのを止められなかった。自分が魔術を使っているところを思い浮かべたら、興奮せずにはいられない。
「とはいえ、まずは君たちには魔力の扱いを学んでもらうことになる。魔力を用いた身体強化や感覚強化をこなせるようになってから、白魔術、色魔術の順に学習してもらう。ただし……君と君」
そう言いながら俺と紫苑のコランダムを順に指さす。
「君たちのような現象は俺も初めて見るから、どうなるか分からない。魔力の操作はできるだろうが、魔術が使えるかどうかは……」
言葉を濁すフラーウスだが、彼やテールベルトの表情を見るに、使えない公算の方が高いようだった。
「ここは魔術学校だから、カリキュラムについて来られなくなった場合には在学はできなくなる。その場合には転校や就職口については相談に乗ろう。とりあえず、ついてこられるところまではついてきてくれ」
そこで言葉を切ると、ぐるりと俺たちを見回す。
「入学式が明日、授業は明後日からだ。基本的に通常の入学生と同じ教室で同じカリキュラムを受講してもらうことになる。君たちにはもうこの世界で生きていく以外に選択肢はないんだ、吸収できる限りのことを吸収しておけ。何か質問のあるやつはいるか」
俺の手も含め、数本の手が天に伸びる。フラーウスが端の生徒から順に指名してゆく。
「学校に通うということは理解出来たのですが、卒業後の進路はどんな選択肢があるのでしょうか」
「卒業後の進路は自由だ。騎士や冒険者になって培った魔法技能を実戦で生かすも良し、学院に残って研究を続けるも良し。別に魔法を使わない職に就いても良い。生活費は在学中の2年間しか面倒を見ないから、そこから先は自分で生計を立てることだ」
「生活費の面倒を見て頂けると言っていましたが、どれくらい出してもらえるんですか?」
「寮費と寮での食費、それから制服代は全額負担する。交友や外食にかかる金は、ギルドに登録なりして自分で稼いでくると良い。その辺は他の学生と共通だから明日手引きを渡そう」
「俺たちはどうしてこの国の言葉がしゃべれるようになっているのでしょうか?」
「召喚術の応用だ。魔法陣の中にこの国の言語のデータをインストールするようにアレンジがしてあった。もちろん国内でも方言はあるが、とりあえずどこいっても意志疎通には困らないはずだ」
一通り質問は出尽くしたようで、手はもう上がらなかった。
「では、昼食をとって、午後はこの世界について簡単に説明をしておこう。スマルト、食堂まで案内してやってくれ。さっきの2人だけここに残るように」
スマルトに引き連れられてぞろぞろと生徒たちが退出してゆく。残された俺と紫苑はフラーウスの元へと向かった。
「とりあえず、2人の名前から聞こうか」
「東雲彩斗です」
「暁烏紫苑」
ぶっきらぼうに言い放つ紫苑は傍目には不機嫌に見えるだろう。だが、これは彼女の平常運転である。何せ、彼女は普段からとにかく口を開かないのだ。その上常に眠たげな表情を崩さないので、正直何を考えているか分かりづらい。そんな紫苑がクラスから浮かずに済んでいるのは、可愛らしい顔の造りと身長の低さが女子の庇護欲をそそるためだと俺は分析している。
「アヤトくん、ちょっとコランダム借りても良いかな」
と言いながら、テールベルトが右手を差し出してくる。持っていた透明なコランダムを載せると、
「ありがとっ」
とにっこり微笑んでから、丁重な手つきで俺のコランダムをつまみ上げ、胸に当てた。というより、状況的には胸に「挟んだ」の方が……いや、これ以上は言うまい。
テールベルトは数秒の間指を唇に当てて、悩ましげな体……もとい、悩ましげな表情を浮かべたあと、おもむろにコランダムを俺の手に返した。
「同調は完璧。どうしてこれで色がついてないのか、今のところ仮説すら立てられないわね」
「……そうか。テールベルトに分からないなら、誰に聞いてもダメだろう」
フラーウスも考えこむような面持ちを崩さない。その後彼女は紫苑の方も調べたが、彼女のコランダムが黒く染まった理由もやはり、見当がつかないらしい。
「そもそも、同調とか着彩の原理って未だに定説がないの。後で関連してそうな論文片っ端から洗ってみる」
「頼む」
テールベルトに短く返事を返したフラーウスは、再び俺たちの方へと向き直る。
「コランダムが必要になるのは対外に魔力を放射する必要のある『魔術』のときのみだ。身体や感覚の強化は他の生徒たちと同じようにできるはずだから、それだけでもこの学校でマスターしてもらいたい。どこへ行っても役に立つ技術だからな」
「はい」
「……はい」
「気持ちは分かるが、そんなに気にすることじゃない。魔術が使えなくても立派に生きている人なんて、いくらでもいるからな」
抑揚のない声で返事をする紫苑に比べると、少し歯切れが悪くなってしまったことが自分でも分かる。彼女のポーカーフェイスが羨ましかった。
「まだ何か気になることがあるか?」
「いえ、ただ……思っていたより親切な方だったんだなって」
勝手に召喚されたことは許しがたいが、そんな理不尽を強いた国にしてはその後の対応がまとも過ぎるように思えた。才能のあるものを厚遇するのは分かるが、俺らのために親身になってくれるメリットが分からない。
俺の漏らした本音に苦笑を浮かべながらフラーウスが口を開く。
「俺らだって、他所の世界から人をかっさらってくるなんて理不尽なこと、したかったわけじゃない。それでも、この世界の人間が全滅するのを止めるために、他の手段がなかったんだ。そんだけのことをしといて、最低限の生活ができる程度の支援すら惜しんだら、俺が罪悪感で狂い死んじまう」
フラーウスの話し方は相変わらず朗らかだ。だが、その声にどこか無理をしているような響きが込められていることに、今更気づく。もしかすると彼自身、召喚のことを完全に割り切れているわけではないのかもしれない。
「すみません、失礼なことを言いました」
「いや、いい。君たちの感覚の方が正常だ」
俺に返事をしながら、彼はその場に用意されていた椅子に深く腰掛けて、天を仰ぐようにため息をついた。
「君たちは昼飯に行くといい。午後はまだまだ学んでもらわなきゃいけないことがごまんとある」
「食堂までは案内するわ」
テールベルトに連れられてホールから出る。出がけにちらりと見えたフラーウスの顔は疲れきっていて、やりきないような表情が浮かんでいた。
「私たちのこと、非道だと思う?」
スタスタと俺たちの先を歩くテールベルトの口から不意に発せられた問いに、即答することができずたじろいでしまう。
「いや、そこまでは」
なんとか答えを返すと、ふふっという笑いが返ってくる。
「アヤトくんって嘘つくの下手って言われない?」
そう言いながら俺の方へ振り向いた彼女は、なんともおかしそうな笑みを浮かべている。
「まあね、否定はしないわ。この国はね、追いつめられてるの。『人道』っていう、最低限のラインすら守れないくらいね」
「……それを俺たちに言って、どうしたいんですか? だから分かってくれ、許してくれということですか?」
意地の悪いことを言ってしまっただろうか。彼女は押し黙ったまま、再び顔を前に向けて歩き始めてしまったので、その表情は確認できない。
沈黙したまま、数分ほど歩いただろうか。大きな扉の前で立ち止まると、テールベルトはやおら口を開く。
「ごめんね、さっき言ったことは忘れて」
そう言いながら彼女が扉に手を当てると、扉は自動的に開いて俺たちを迎え入れる。
「午後の講義の時間になったらまた呼びにくるから、それまで自由にしてて」
それだけ言うと、くるりと踵を返して歩き出す。彼女の表情は最後まで見ることができなかった。