函館 其の五 五稜郭を攻める⑤
「さて、いよいよ五芒星の中に入るわよっ」
小島―――半月堡からもう一度橋を渡る。
渡り切った先の門は、城門と言うほど立派な構えではなく、どこにでもあるような柵を組み合わせたものだ。歴史的な遺構などではなく、最近になって整備されたものだろう。
開け放たれた左右の扉を支える柱の一方には“閉門時間”が、そしてもう一方には―――
「“五稜郭”じゃなく“箱館奉行所”って書かれてるな」
「……あ、そっか。考えてみれば五稜郭って、お城そのものの名前じゃないんだわ。奉行所を守るために作られた土塁やお堀、城壁が五稜郭なのよ。だからその内部の建物とか土地とかを示す言葉は“箱館奉行所”になるのね」
「ふ~ん、なるほどね。……あれ、“ハコ”の字が“函”じゃなく“箱”だな?」
「明治の初めの頃に地名が“箱”から“函”に変わったらしいわ。だから奉行所が建てられた頃はまだこっちの“箱”なのよ。箱館戦争も今の“函”の字で書くのは間違いだし。ちなみに改名の理由も正確な時期もはっきりしていないらしいんだけね」
「へえ」
分かったような分からないような話だが、下手に反応しても話が長引きそうなので軽く受け流す。
門を抜けると、樹木で形作られたトンネル状の道が続き、やがて正面に石垣が現れた。侵入者を迎撃するための空間だろう。
「う~ん、……あっち。何かあるみたいだし」
石垣は左右どちらへも抜けられるようだが、相棒は左手を選ぶ。他の観光客の流れもそちらだ。
「これは、……武田斐三郎かぁ」
その“何か”の前で、相棒がこぼす。
髭のおっさんのバストアップのレリーフだ。観光客が撫でていくのか、頭部だけテカテカに光っている。
「えっと、確か五稜郭を設計した人だったか? タワーに銅像があったよな?」
「そうよ。私も今回の旅の予習をするまで詳しく知らなかったけど、すごい人なのよ、本当に。適塾出身の軍学者だから、日本陸軍の祖にして維新十傑の一人、大村益次郎と同門ね。同時期に机を並べていたはずよ。さらに佐久間象山の弟子でもあって、そこではあの吉田松陰と一緒に学んだらしいわ。幕府のお役人としてペリーに会ったり、学問所の教授としては榎本武揚や後の政財界の大御所達に西洋砲術やらなにやらを教えたりもしているわ」
「へえ、確かにすごいじゃないか、あたしでも聞いたことのある名前ばっかり」
相棒がそういうテレビばかり付けるからだが。
「そうなの、すごい人なのよ。維新志士の指導者にも、佐幕派の英雄にもなり得た人なのよ」
「……なんかテンション低いと思ったら、そういうことか。要するにそんな経歴の持ち主が、お前が言うところの“英雄”として名前を残していないのが不満だと」
「だってもったいないじゃない。これほどポテンシャルのある人なのに、この人の事績で一番にあがるのって五稜郭の建設なのよ。いや、もちろんそれだってすごいんだけど、でも―――」
大声で不満をぶちまける相棒に、あたしはとりあえずは他の観光客に混じって白い眼を向けておいた。