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 駅のホームのベンチに座って五分が経過した。

 犯人からの次の指令は届かず、杜夫はただ初夏の夜の風に吹かれているだけだった。

 杜夫の他には誰もいない。

 雲が出ているのか、月も星も見えない。

 静かすぎて無人島に取り残されたような気分になる。


 やはり先ほどの電車内でのごたごたは誘拐犯が仕立てた演出で、既に内ポケットから三十万円は抜き取られてしまっている、ということはないだろうか。

 嫌な予感が杜夫をドキンと緊張させるが、恐る恐る手を伸ばしたポケットにレジ袋はしっかり存在していて、中身も無事だった。

 ほっと胸を撫で下ろすとそこにヒリヒリと痛みが走って顔をしかめる。

 よく見るとワイシャツにほんの少し血が滲んでいた。


 杜夫は舌打ちをして立ち上がった。

 犯人は俺を使って遊んでいるのではないか。

 この人っ子一人いない深夜の小さな駅のホームで俺は何をしているのか。

 やり場のない怒りが杜夫の胸に込み上げてくる。


 自動販売機のブーンというモーター音に誘われて缶コーヒーを買い、喉を潤す。

 再びベンチに腰を下ろすが、どうにも落ち着かない。

 犯人は何をしているのか。

 さっさと次の指令を寄越せ。

 そしてこのくだらないゲームから我が家を解放してくれ。


 そこへ待ちわびた着信音が静かなホームに鳴り響いて、杜夫は残っていたコーヒーを一気に飲み干し携帯電話を操作した。



 自動販売機で缶コーヒーを買え



「今、買ったじゃないか!」


 思わず携帯電話に怒鳴り散らしてしまう。


 遊ばれているのか。


 杜夫は咄嗟に首を左右に振り、物音のしない周囲の夜の闇に目を凝らした。

 どこかで犯人はこちらを見ている。

 そして声を潜めて笑っているのだ。 


 しかし、絶対の確信があるものの、怪しげな人影は杜夫の視野には入ってこない。


 クソッ。


 杜夫は拳を握りしめて膝を叩き、立ち上がった。

 自動販売機に再び硬貨を挿入し、もう一度無糖の缶コーヒーを購入する。

 犯人が次の指令で「それを飲め」と言ってくるかもしれない。

 だとしたら苦手な甘いコーヒーを買っては犯人の思うつぼだ。

 その手は食うか。


 立て続けにメールが届く。



 金の入ったレジ袋に缶コーヒーを入れて強く口を縛れ



 そういうことか。

 線路の向こうは二メートルほどの高さの緑のフェンス。

 さらにそのフェンスの向こうは駅舎の正面に続く細い道路だ。

 犯人は缶コーヒーを重りにして金の入ったレジ袋をあの道路にまで放り投げさせたいのだろう。

 そしてバイクで現れ、金を回収しそのまま逃走するという算段か。


 杜夫は駅舎の陰を睨みつけた。

 きっとあのあたりに犯人が潜んでいる。

 フルフェイスのヘルメットを被り、バイクにまたがった状態でこちらの様子を探っている。


 何か犯人を追跡する良い方法はないだろうか。

 三十万円は惜しくはないが、これを渡しても娘が帰ってくるという保証はない。


 フェンスはよじ登れない高さではない。

 道路の向こう側は民家の万年塀だ。

 手元が狂った振りをして民家の塀の内側にレジ袋を放り投げ、犯人がその回収に手間取っている間にフェンスを越えて犯人のバイクを蹴り倒すことはできないか。

 バイクに乗ってくるのはせいぜい二人。

 二人相手なら何とかなる、はずだ。


 そう結論を出したときに携帯電話が鳴りだした。

 今回はメールではない。

 電話の着信だ。

 犯人はこちらの考えを読んで、何か複雑な指示を出そうとしているのか。


 杜夫は左手に缶コーヒーを握りしめ、犯人が潜んでいると思われるあたりを凝視しながら携帯電話を見た。

 画面には登録のない番号が表示されていた。

 犯人からではないのか。

 それとも電池が切れたか何かで莉奈の携帯電話が使えなくなったということか。

 もし間違い電話だとすれば、これ以上間の悪いことはないが。

 とにかく出るしかない、と杜夫は通話ボタンを押した。


(六郎か)


 耳からぬるりと入りこんできた声に杜夫はカッと目を見開いた。

 微かに笑っているような湿り気を帯びた男の声が杜夫の肝を芯から冷えさせる。

 久しぶりだが、この声は間違いようがない。


「兄さん……」


 事態は杜夫が考えうる最悪の状況になってしまったようだった。


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