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 またこのファミレスに戻ってくるとは思ってもみなかった。


 深夜二時過ぎの店内に客の姿はまばらだった。

しかし、ゼロではない。

草木も眠ると言われるこの時間に彼らは何をしているのだろう。

彼らに我々もそう思われているのかもしれないが。


 莉奈と鴻池、そして杜夫は前回と全く同じ椅子に座った。

前回と違うのは杜夫の隣に郁子がいるということだけだ。

しかし、事態は数時間前にここで向き合っていた時とは思いもよらない方向へ展開していた。


「本当に助かったわ。まさに間一髪のところだったわね」


 郁子が興奮冷めやらぬ様子で鴻池に礼を言う。「他の皆さんもお知り合いの人?暴走族でもやってるの?どのバイクもすごい音だったわね。でも風を切って走る感じが爽快だったわ」


 鴻池は先ほどの雄姿は何だったのかと思うほど、再び線が細く覇気のない頼りない男に戻っていて、郁子の問いかけに「ええ」、「まあ」と頭を掻いて曖昧に返事をするだけだ。


「パトカーは君たちを捕まえようとして追いかけてきたんだろうけど、都合良く現れた救急車は何だったんだろうな。近所の人が呼んだんだろうか」


 杜夫が首を傾げると、郁子が得意げに種明かしをした。


「ループタイよ」


「ループタイ?」


「私が謙さんにプレゼントしたあのループタイは特注でね、緑色の根付部分がボタンになっていて、押すと119番につながる仕組みになってるの。GPS機能がついてるからどこで押したかも分かるのよ。謙さん、もう歳だし、心臓の調子が悪いのに一人暮らしだから、もしもの時にと思ってね。それを知らずにあいつが踏んだから、救急車がループタイ目指してやってきたってわけ」


 杜夫は郁子の説明に「へー」と感嘆の声を上げた。


 鴻池も「今時はすごいものがあるんですね」と杜夫に同調する。


「しかし、君に助けられるとはね」


 自嘲気味に笑うと、その振動だけで胸に強烈な痛みが走って杜夫は思わず「ううっ」と苦悶の声を漏らした。

 肋骨が折れているのかもしれない。

 後で謙さんを見舞いがてら診察を受けないと。


「あら、杜夫君。こちらの方を知ってるの?」


 郁子に訊ねられて、杜夫は反射的に莉奈を見た。

 どう説明すれば良い?

 莉奈の恋人だと伝えると、どうして私より先に知っているのかと郁子は拗ねるだろう。

 それに、先ほど莉奈に振られているから、もう恋人とは呼べないのかもしれない。


「今日の誘拐犯よ」


 莉奈は平然と軽く笑顔を浮かべて母親に告げた。


 どうも、と鴻池も照れたように笑う。


 まずい、と思った。

 莉奈も鴻池も郁子を甘く見ている。

 今日の誘拐で郁子がどれだけ心労を重ねたと思っているのか。


「誘拐犯?」


 郁子はぐぐっと身を乗り出した。

 鴻池を見つめる目が座っている。「お前が莉奈を誘拐したのか?」


 郁子の声に明らかに怒りが滲んでいる。


「郁子。これには込み入った事情って言うかさ、深い訳があるみたいなんだよ」


 今にも鴻池の胸倉に手を伸ばそうとしている郁子を杜夫は何とかなだめようとした。

 放っておくと、郁子は鴻池を殺してしまいかねない。

 鴻池に救われて九死に一生を得たことを彼女はもう忘れてしまっているに違いない。


「込み入った事情?何よ、それ」


 言ってごらんなさいよ、と今度は杜夫に詰め寄ってくる。


「それは、その……」


 しかし、後に続く言葉は思いつかなかった。

 先ほどの莉奈の話によれば、ただ単に遊ぶ金欲しさのようで、込み入った事情も深い理由も杜夫は聞いていないのだ。


 チラッと横目で様子を窺うと鴻池は郁子の剣幕に青ざめた表情で固まっている。

 もともと気弱な青年なのだろう。

 先ほどはよく死地に飛び込んで我々を助けてくれたものだ。

 莉奈が言っていたが、バイクに乗ると本当に人が変わるのかもしれない。


「お前が、本当に莉奈を誘拐したのか?」


 再び郁子が鴻池に詰め寄る。


「いえ、その、誘拐はしてないって言うか、そもそも誘拐なんて最初からなかったって言うか……」


 ぼそぼそと言い訳をする鴻池の様子に、郁子が舌打ちをしてテーブルにガツンと拳を振り下ろす。


「はっきり答えろ!」


 郁子の怒声に鴻池は飛び上がり、店内が深海に沈んだように静まり返る。


 もう駄目だ。

 本当のことを言うしかない。


「郁子。実はな、誘拐は狂言だったんだ。莉奈は誘拐された振りをしてたんだ」


「は?狂言?どういうことよ」


 どういうことかは莉奈が一番よく知っているのだが、郁子は莉奈を叱ることはしない。

 だから鴻池に向かっていた勢いがそのまま杜夫に浴びせられる。

 杜夫は郁子に腕を掴まれ逃げることができず、郁子の恐ろしい剣幕を至近距離で受け止めることになった。


「お金が欲しかったんだとさ。それで莉奈が彼に狂言誘拐の話を持ち掛けたみたいなんだ」


「そうなのか?」


 郁子は視線を鴻池に向けた。「大体、お前、莉奈とどういう関係なんだ?彼氏か?友達か?はっきり言ってみろ」


 どすの利いた声で詰問され、鴻池は委縮して声も出ない様子だ。


 莉奈はその横で涼しい顔でオレンジジュースを飲んでいる。


「心配しないで、ママ。彼とはさっき別れたところだから」

 天気の話をするかのように平然と言ってのける莉奈に「莉奈ちゃん」と鴻池が未練たらたらの弱々しい声ですがる。


「え?そうなの?」


 さすがの郁子も面食らったような上ずった声を出す。


「莉奈。お前、決死の覚悟で助けてくれた彼にそれはないんじゃないか」


 男親としては彼氏に助け舟を出したくはないが、これでは鴻池があまりに不憫だ。

 大げさではなく命の恩人なのだから、これぐらいのことは言ってやらなくてはならない。

 そもそも先ほどの別れ話は、死地に向かう覚悟がそうさせたということであって、今は見事生還したのだから、話の前提が崩れているのではないのか。


「もちろん、それはそれで感謝してるわ。でもね、もう決めたことだから」


「莉奈ちゃん……」


 鴻池が目を潤ませて莉奈を見る。「嫌なところがあったら直すから、考え直してよ」


 莉奈は返事の代わりのように無言であのレジ袋を鴻池の前に置いた。

 中には三十万円が入っているはずだ。


「あげる」


「え?」


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