18
「また三つ?」
莉奈がうんざりしたように不平を言う。
しかし、鴻池の方は芝居なのか本気なのか杜夫の話に目を爛々と輝かせている。
ここまで来たら話してしまわないと気持ちが悪い。
杜夫は莉奈を無視し鴻池に向かって話を先に進めた。
「一つ目は俺が逃げたときのタイミングだ」
「どういうことっすか?」
「新しいリーダーはその日盗みに入っていた。俺は仮病を使ってその仕事に加わらず、一味がみんな出払った隙にママと一緒に脱走した。そしてまんまと逃げおおせた。その時、何かおかしいと思った。誰も追ってくる気配がなかったからだ。あのリーダーがこんなに簡単に俺とママを逃げさせるはずがない。それで後で調べてみたらリーダーはその盗みに入った屋敷で警察に捕まってた」
「そんなの自業自得じゃない」
莉奈は頬杖をついて失笑気味に言う。
「そう。その通りだ」
さすが我が娘。言いたいことをずばり言ってくれた。「きっと計画が杜撰だったんだ。俺がいようがいまいが、遅かれ早かれ強引な手法が裏目に出て、リーダーは捕まっていただろう。だが、リーダー本人はそうは思っていない。あいつが仮病を使って参加しなかったヤマで警察に捕まった。リーダーは俺が一味を警察に売ったと邪推してるんだ」
「なるほど。それだけでも十分な動機になりそうっすね」
杜夫は鴻池に頷いて見せ、「そして理由の二つ目だが」と指を二本立てて示した。
「俺がまだ一味にいたある日、俺たちはとある不動産屋に盗みに入った。そこは一応不動産屋の店構えを持っているが、奥へ入れば組事務所になっていた。つまり暴力団ってわけだ」
「そんなとこに盗みに入ったの?」
莉奈が呆れたような声を出す。
「ああ。そこは本当にあこぎな真似をしていた。人を騙して、暴力に訴えて、女を使って、ありとあらゆる非道な手段で方々から金をせしめていたんだ。だから、俺たちが盗みに入った」
「やっぱ、かっこいいっす」
「オヤジがどうしてもやりたいって言ったヤマだったんだ。あそこだけは放っておけないって。危険だって反対した奴もいたんだが、やりたい奴だけでやる、ってことになった。もちろん俺も参加した。そして……」
「そして?」
莉奈が自慢の大きな瞳をクリクリと輝かせて少し前傾姿勢に戻った。
「オヤジが……殺された。仕事を終えて逃げる途中に俺を庇うようにして拳銃で撃たれた」
最後は語尾が震えてしまった。
あの時のことを思い出すと、悔しくて、悲しくて、申し訳なくて、今でも涙が滲んでしまう。
さすがに鴻池も黙り込んでしまった。
莉奈もホットココアに視線を落として動かない。
「そのヤマに、新しいリーダーは乗らなかった。危険だと思ったんだろう。そして、そのヤマでオヤジは俺を庇って死んだ。あの人は俺がオヤジを殺したも同然だと思っているんだ」
「そんな……。実の父親をパパに殺されたって思ってるってこと?」
「ああ」
「じゃあ、その人の狙いはパパだけなの?」
「いや。ママも追われている」
「どうして?パパと一緒に逃げたから同罪ってこと?」
「それもあるだろうが」
杜夫は逡巡した。
娘に聞かせることではないように思う。
しかし、莉奈も命の危険にさらされている。
全て話してやるのが筋というものか。
もう高校生だ。
言葉の意味も分かるだろう。「当時、ママは新しいリーダーの女だったんだ」
莉奈の顔に一瞬サッと赤みが差し、そしてすぐに青白く変化した。
わなわなと唇が震えたようにも見えた。
「俺が女を連れて逃げた。それが三つ目の理由だ」
「ちょっといいっすか?」
俯く莉奈の隣で鴻池が軽く手を挙げて質問してくる。
「何だい?」
「どうしてその恨みを晴らすのが十六年も経った今なんすか?」
「おそらく最近刑期を終えて出所してきたんだろう。あるいは俺を探すのに手間取ったのか。部下を集めるのに時間が掛かったのかもしれない」
「私……」
前髪のせいで莉奈の表情は見えない。「巻き添えね。その人が警察に捕まったのも、パパやママが一味から脱け出したのも、私には何の関係もない」
「莉奈……」
「行こう、パパ」
突然莉奈はテーブルに手をついて立ち上がり通路に出た。
「莉奈、ちゃん?」
「はやちん、今日までありがと。私のことはもう忘れて。また、どこかで会えたらいいね。バイバイ。サヨナラ」
莉奈は鴻池に背を向けたままそう言い残し、出口に向かってすたすたと歩き出した。
もしかして今のは別れの挨拶だったのだろうか。
あまりにあっさりしていて雰囲気としては、また明日、ぐらいにしか聞こえなかったが。
「え?……」
突然の別れに事態が理解できていない様子の鴻池は「莉奈ちゃん?」と呆けた顔で莉奈を追って立ち上がろうとする。
杜夫は鴻池の前に立ちふさがった。
申し訳ないが、これ以上彼を莉奈の傍にいさせることはできない。
さもなければ彼も巻き添えを食うかもしれないのだ。
これは彼のためだ。
親として一人娘と鴻池を別れさせたいからでは決してない。
せめてもの償いのつもりで杜夫は一万円札を財布から抜き出し、テーブルの上に置いて莉奈の背中を追った。