虚構の空と微かな光
―――太陽の光が降り注ぐサンルーム。
しかし天井に映し出される空は、そこに住むモノにとっての”空”であっても本物の”空”ではない。
朝になれば明るく地面を照らし、夜になるにつれ徐々に闇を創り出す。
ドーム状の分厚い壁に張り巡らせた光源と液晶パネルが、生命にを維持するために必要な環境を整える。
液晶パネルが気休め程度の青空と雲を演出しているが、そんなものは人間のお遊びに過ぎない。
そこで働く人間たちの気を紛らせるためだけに造られた、いわば”虚構の空”である。
そんな”虚構の空”も、造られた当初こそ莫大な予算をかけられ、殆ど完璧な”空”を演じてはいたものの、実験の予算が縮小された現在では映らなくなったままの液晶パネルが歯抜けの空を映し出しているに過ぎない。
煌々と地面を照らす百幾つもの光源がありながらも、その様相はどこか曇天のような薄暗さを感じさせる様だった。
”ねえお兄さま?”
ドームの中心にある一本の木。その枝にとまっている二羽の小鳥は、いつものように空を見上げながら話し始める。
”わたし、ほんものの「空」を見てみたい、です。”
一回り小さい小鳥がもう一羽に対して囀る。
黄色い毛並みに美しい薄水色の長い尾羽根。
クリっとした丸く深い藍色の瞳を持つその小鳥は、誰が見ても”愛らしい”と称するに相応しいだろう。
もう一羽は軽く目を伏せ、諭すように妹に囀る。
”・・・外のセカイはね、キケンなんだよ。”
”そう、なの?”
”うん。だけどね、外のセカイにはここにはないものがいっぱいあるんだ。”
二羽の小鳥はこの施設で産まれ、育った。
だからこうした外のセカイの話をする兄ですら、実際に外のセカイを見たことはないのである。
だが二羽の母は違った。
二羽の母は外のセカイで産まれ、育ち、その後食料を探しに住処を出たところで運悪く人間に捕まってしまい、この研究施設に入れられたのである。
二羽がまだ産まれたばかりの雛鳥だった頃、母は子守唄のように外のセカイの話をしてくれた。
妹は最後に卵から孵ったこともあり、その頃の記憶は朧げではあるが、兄妹の中で一番早くに孵った兄はその時話してくれた内容を、そして母のことをしっかりと覚えていた。
そうして母が教えてくれた外のセカイの話を、兄は妹に語り聞かせる。
”例えば「空」。外のセカイはココと違ってね、壁や天井が無いんだ。”
”青く青くどこまでも広がる「空」。僕らはその「空」を自由に飛ぶことが出来るんだよ”
そう言って兄は空を見上げながら囀る。
妹は目を輝かせて、兄のするまだ見ぬセカイの話に聞き入る。
この話を妹にするのは初めてではないが、いつの時でも妹は兄の話を楽しそうに聞いていた。
この箱庭のようなセカイしか知らない二羽の小鳥にとって、外のセカイの話はまるでおとぎ話のように煌めいて心を掴んで離さないのだ。
・・・母はもう随分と前に、施設の人間によって別の施設へと移されてからは姿を見ていない。
二羽の小鳥と一緒に産まれた兄弟たちも、産まれてすぐに別の施設へと連れて行かれてしまった。
母も兄弟たちも、その後それぞれどうしているのかは兄も知らない。
別の施設で生きているのか、それとも実験の過程で死んでしまったのかも・・・。
この施設の中には二羽の他にも数羽の鳥たちが暮らしていた。
その中の誰もがこの箱庭の中で生きるのに必死で、二羽に話しかけてこようとするものは殆どいなかった。
時折くる研究者たちに媚を売って危険な実験から逃れようとするもの、
草木の影に隠れてジッと動かず、研究者たちの目から逃れようとするもの、
自らの欲望に忠実に、この未来のないセカイの中でも子孫を残そうと躍起になっているもの。
実験と称して施設の外へと一羽、また一羽と研究者たちに連れて行かれる。
特に変わりなく戻ってくるものもいれば、外に連れて行かれたっきり帰ってこないもの、戻ってきても衰弱した様子で施設の中で息絶えてしまうものもいた。
そうした環境の中で、妹にかつての母の姿や外のセカイの話を語り聞かせてあげられるのは、もはや兄一人だけであった。
”わたし、そとのセカイにいってみたい、です”
妹は兄の話を聞きながらそう小さく囀る。
”そとのセカイへいって、ほんものの「空」をじゆうに飛びまわって、いろいろなものを見て、ふれて。”
”そうすることができたら、ははさまの言うようにしあわせになれる、かなぁ・・・。”
妹はそう言って天井に貼り付けられた”空”を見上げた。
まるでその先にあるであろう本物の”空”を見つめるかのように。
―――幸せになりなさい―――
母が最期に二羽に残した言葉である。
―――どんなに先が見えなくても、目の前が何もない暗闇に見えても。アナタたち二人の生きる先にはきっと光があるはず。―――
―――今は見えなくても、生きていれば必ずその光はアナタたちの未来を照らしてくれる。だから・・・―――
”・・・幸せになりなさい、か・・・。”
この徐々に擦り切れていくようなセカイの中で、母の言う「光」はまだまだ見えてこない。
それでも・・・
”妹だけでも幸せにしてやらなくっちゃな・・・。”
兄は妹を見つめ、そう心に誓う。
”もちろん!兄さまもその時はいっしょ、ですっ!”
そう嬉しそうに囀る妹を見て、兄は少しばかり「光」を感じるのであった。