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誘因⑦

「……ここだ」


「…………え? ここ?」


 恭太に連れられて辿り着いた場所は、大通りから少し外れた道の奥――そのさらに路地裏だった。


 大人3人が並んでギリギリ通れるぐらいの小路(こうじ)を進んだ先にある、少し開けた場所の五階建てのビルが目的地だという。


 見るからに古ぼけたそれは、外装が所々(ところどころ)剥げているため、埃っぽい哀愁が漂っていた。


「ここって……ただの雑居ビル、だよね?」


「ああ。ここの三階なんだが、隠れ家って感じが凄いよな」


「……『物は言いよう』。この言葉の意味を今までで一番実感した瞬間だったよ」


 彼の言うこともわからないでもないのだが、これでは隠れ家というよりも――控えめに言っても、廃墟にしか見えない。


 その雑居ビルのフロアは二階と三階以外はテナントを募集しているが……この入り組んだ場所にある小汚いビルに出店することなど、オーナーが相当に物好きであることを公言するようなものである。


『準メイド喫茶ポイズナス』


 くすんで中の様子がうかがえない二階部分の窓ガラスには、丸っこい文字でそう書かれている。


 しかし、ポイ『ズ』ナスとは……これまた風変わりな。


 poisonous(ポイゾナス)は、英語で『有毒な』とかそういった意味がある形容詞だ。それをやや(もじ)ってメイド喫茶の名前にしているあたり、店主の頭がぶっ飛んでいるのが初心者にもわかる気がする。


 アキハのアングラ部分と少しだけ似た、異質でありながら懐古的な気配をまとうビルに近づく。


「……ん? あれ……あなた方はもしかしてご主人様ですか?」


 ビルの下にある自販機の前で、缶ジュースを飲んでいた少女がこちらに気づいた。後ろ手に缶を潰して、口の広いゴミ箱に向けてシュートイン――がさつだが、いろいろと器用な女の子らしい。


 ――だが。彼女が近寄ってきた今となっては――そんなことは、どうでもよくなっていた。


 ボクは、目の前に広がった、黒と白と肌色が織り成す絶佳に言葉を失ってしまった。


「ええ、そうなんですよ! お店のこと話したら、こいつが『来てみたい』って言うモンで、連れてきたんです」


「わぁっ、ありがとうございます! ちょっとフライング気味ですけど――ようこそ、準メイド喫茶ポイズナスへ!」


 その少女が浮かべた屈託のない笑みに、思わず心臓が高鳴った。


 メイドさん方面への興味がかなり薄かったこともあって、ボクは生涯で初めて女性にドキドキしてしまった。


 それもその筈だ。慣れていなく当然だ――現実世界で、こんなに凝った衣服を見たことがないのだから。


 彼女は少しオトナな作品から飛び出してきたかのような、アバンギャルドなメイド風の衣装を着ていた。デコルテと肩を惜しみなく披露し、通常よりも短いスカート丈から(なま)めかしい太ももを覗かせている。ニ―ハイソックスの食い込みが、生々(なまなま)しい肉感を強く演出していた。


 エプロンからは大きめのフリルが花開いており、ふわり、と女の子の香りを運ぶ風と共に揺れる。それが艶美で瑞々(みずみず)しい肌を飾り、その身を包む少女の魅力を引き立てる。


 頭に着けた装飾もシンプルなカチューシャ型のそれではなく、健康的な茶髪にお淑やかな雰囲気を感じさせるゴシック調のヘッドドレスだった。


 ――端的に言えば。侍女(メイド)の装束にエロスとフェティシズムへの追求を極めたような意匠が凝らされている。


 扇情的なその衣服は、モデル顔負けのプロポーションで立体を表現する彼女にこれ以上なくマッチしている。


 一口に『メイド服』と片づけるには惜しい――まさに、人と衣服による究極の調和を表した芸術品だった。


「……って、貴女はスイセンさんっ!?」


「そうですけど、どうしてわかったんですか? 今日はネームプレート、着けてないのに…………あれ、もしかして既にご来店いただいてましたか?」


「はい! つっても、これで2回目なんですけど……オレのことなんて、さすがに覚えてないですよね……?」


「あ、えっと……あはは……ごめんなさい。あたし、人の顔を覚えるのが得意じゃなくて……」


「あ、いいんですいいんです、はは……」


 恭太は明るく笑っていたが、随分とショックを受けていたようだった。

 

 だが、スイセンと呼ばれたこの人も非常に申し訳なさそうにしていたし、悪気はなさそうだ。客の顔全てを覚えることは、やっぱり難しいのだろう。

 

「本当にごめんなさい。もしご指名頂けるのでしたら、精一杯『ご奉仕』致しますので……ご容赦くださいね、ご主人様♪」


「うえっ!? ご、ご奉仕……!? それって……!?」


「…………ふふっ♪ こう見えて、尽くすタイプなんですよ?」

 

 ぺろり、と。蠱惑的な笑みを一瞬だけ浮かべて、下唇を舐める少女。


 その、あまりにも直接的な『挑発』に、隣にいたボクですらも生唾を呑み込んでしまった。


「……なーんて。冗談ですよ、真に受けないでください」


「じょ、冗談……!?」


「ふふっ……それはそうですよ。ここはフーゾクでもセクキャバでもない、ただの準メイド喫茶なのですから」


「そ、そそ、そうですよね!! スイセンさんがそんな……はは、ありえないですよね……!」


「――『そうなったとき』は……どうか、お手柔らかに」


 類に見ないほどに赤くなっていた、友人の耳に唇を寄せて――少女は甘美な毒を(ささや)いた。


「へっ…………ほげえええっ!?」


「んなっ……!?」


 ねっとりと心に絡みつくような、粘度の高い蜜。それが、普段から女性の身体に興味を抱いて止まない男子の心に(まぶ)されるのがわかった。


「……ちゅっ♪」


 とどめのキス音。それは、こめかみに押し当てた銃の撃鉄のように男の脳で響いて、神経の中枢から悩殺する『魅力の暴力』であった。


「……それでは、上で待ってますね。どうぞ、スイセンのご氏名をお願いします♪」


 いたずらな笑みを浮かべて、薄く頬を染めたメイド風少女が立ち去る。雑居ビルから外に張り出しているスカスカな非常階段を駆け上っていくのだが――。


「…………あっ」


 目的の階層が二階であれば、当然のようにひらひらと捲れるミニスカートの中が下から見えてしまう。オレンジ色のシンプルな布地も、少し食い込んだ、もっちりとしたお尻の丸みも。


 問題なのは、彼女が一切恥ずかしがっておらず、隠そうともしていないことだろう。


 隣に居るスケベは、心を甘々(あまあま)と侵食する毒に意識を朦朧(もうろう)とさせながら、女の子のお尻をガン見しつづけていた。


「……いつまで見てるのさ、すけべっ!」


 放心しているはずなのに、欲望に忠実な獣の足を蹴り飛ばした。


「ぐがっ、いってえ!? な、なにすんだよ幌っ!」


「……そんなにマジマジ見てたら失礼だよ。さっきのスイセンって人も、フーゾクじゃないって言っていたんだから……そーゆーの、良くないと思う」


「……お前、ホントに真面目だか変態なんだかわかんねえな……」


「そりゃあ真面目しか取り柄がな……んんッ!? な、なんでボクの評価に変態の可能性が!?」


「……口元、拭ってみ?」


「……?」


 言われるがままに、ブレザーの袖で口を擦った。


 ――べったりと、紺色のブレザーが黒ずむぐらいの粘液が張りついた。


「………………え? なにこれ……?」


「さっきから、涎でべっちゃべちゃになってるぞ、お前……」


「……なんで、こんな……じゅるっ……」


 そういえば、心なしか頬が熱い気がする。呼吸の回数も多いし、何より脈拍が倍近い速度になっているような……。


「しかもお前、さっきからずっとニヤついてるぞ。ぶっちゃけ、友人でも引くレベルの不審者感ある」


 心ない言葉がグサリと胸に突き刺さった。


「……くそう……君にだけは言われたくなかったなあ……!!」


「お互い様だぜ、同志よ」


「うぐぐ……!」


 思わず、唸る。歯が軋むほどに強く噛み合わさっている。すっごい悔しかった。


 しかもその悔しさを生んだ(やから)は、なんかこう、不自然に前屈みになってポケットに手を突っ込んでいるのだ。


「……幌。欲望に忠実な身体っていうのは、辛いモンだな……?」


「……ボクを同類みたいに扱うのはやめて……ほんとやめて……!」


 その微妙なキメ顔が、ボクをとてつもなく嫌な気分にさせていた。


 それから数分、ボク達はそれぞれの興奮を冷ますために、雑居ビルに背を向けていた。


「そろそろ行ける?」


「もうちょい待ってくれ。ポジション直すから」


 もぞもぞと隣で動くおぞましい人影を見ないようにしながら、ハンカチで袖をポンポンと叩く。変なシミになったりはしないだろうけど、家に帰ったらしっかり洗うことにしよう。


 迂闊(うかつ)だったと言うべきか、気が動転していたと言うべきかは悩ましい。


 とにかく、大事に着ていたお気に入りの制服を自分の体液で汚してしまうとは、一生の不覚かもしれない。


 ――いつもなら、こんなミスはしないのに。常に適切な対応を考えてから行動をするように心がけていたのに――それが、できなかった。


 万全だと思っていた思考回路を崩し、退屈な日常を破壊するほどに刺激的な数分だったと確信した。


 垂涎(すいぜん)とは、まさにあのような体験のことを言うのだろう――甘美なる芸術のような女の子を見ることが、こんなにも(たの)しいとは思ってもみなかった。


 ――もっと見たい。もっと感じたい。彼女と衣装の織り成す、思考を奪うほどの危険な毒を。


 彼女のような蜜毒で人を惑わず、幻惑の花園に早く足を踏み入れたい――脳を毒されてしまった今のボクは、そのことしか考えられなかった。

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