誘因⑥
ボクは――伏倉幌という人間は、幼少時から漫画とゲームが好きなタイプの人間だった。テレビアニメを見ていたような記憶も、うっすらとはあるけれど、その内容はほとんど覚えていない。
せいぜい、なぜか視聴していた魔法少女モノの変身バンクで衣服が変わっていく瞬間の非日常感に憧れ、興奮したという思い出程度だ。
ただ、それはこれまでに重ねてきた『逃避』のひとつにすぎない。
空想の世界に憧れたことは数知れず、夢のような体験に想いを馳せたことは少なくない。
けれど、そのどれもが色褪せた靄で塗り潰されてるほどに、現実世界と『そこ』は高い次元の壁で隔たれている。
そんな無情で夢のない世界の中には、次元の境目に穴を開けようと試みる人も多い。その手段のひとつが、コスプレやそれに類した衣装を身にまとうことなのだと思う。そこにはもちろん、アキハの日常的な風景――アレンジを施されたメイド服も含まれるのだろう。
退屈を吹き飛ばす衣装。そして、見る者が夢中になってしまう様相。
――そんなものが本当にあるのなら、かつてない非日常感を楽しめるかもしれない。不安にドキドキを覚える心は、そんな期待も抱いていた。
「こっちだ、多分だけど」
「うべっ……た、たぶんって……何度も行ってるんだよね!?」
「それはそうなんだけどさ。なんかいつも、ふらっと誘われるみたいに着いちまうから……詳しい場所、あんまり覚えてねえんだよ」
「そんな、適当なっ……むぉおおっ……!! なんだってこんなに人が多いんだ……平日の夕方なのにっ……!!」
「はっはっは、アキハらしくていいじゃな――いたっ! あ、すんません……!」
現在、放課後。帰宅部のボクたちは飛び出すように校舎を後にした。
ここまでの二時間弱はすごく長く感じたものだった。午後の授業は、期待と不安に染まった心が身体をそわそわとさせるせいで、内容が全く頭に入って来なかった。
先導する恭太の背中を見失わないように注意しながら、雑多な足音の絶えない大通りを突き進む。人の波にもみくちゃにされ、制服に汗ばんだ皺を作りながら、どうにか歩を進めていた。
朝の統率の取れた流れとは違う、各々が自分らしさの迸るベクトルをもった動きが入り乱れている。やはりというか、アキハらしさMAXのサブカル文化を楽しもうとする観光客の姿が目立っていた。
「メイドカフェ『ミルクレープ』でーす! よろしくお願いしまーす!」
明るく間延びした声を上げながら、看板を掲げた女の子が客の呼び込みをしている。その服装は『いかにも』なメイドさんであり、洗練された何かを感じた。
「……あれが、『萌え』ってヤツなんだろうな」
「何を真顔で言ってるのさ……?」
――そうは言ったものの、彼の言わんとしていることは、なんとなくわかっていた。
「『ハニーエイド』でーす、よろしくお願いしまーす♪」
「ご主人様っ! お疲れではありませんか? お屋敷でひと休みしましょう!」
「おかえりなさいませ、『サンリュンヌ』です!! 不祥事で空席となった『栄光』の玉座が満たされる瞬間、一緒に見ませんかっ!?」
周囲には、似たような装いの少女があちこちに点在している。チラシを配っていたり、ご主人様候補となりそうな人々に声をかけていたりと、個性溢れる振る舞いをしていた。
「ふむ……」
改めて意識して観察すると、アキハ流と呼ぶべきそれ――最早いち文化として成立しているメイド服は、かなり造形に凝っているようだ。
ほかの町では非日常――でも、アキハではよくある光景。そこで個性を出そうというのだから、当然なのかもしれないが。
風が吹けばフリルが揺れ、身体を動かせば短いスカートが翻る。ちらりと除く、ぷにっとした太ももが魅力を振り撒く。
邪な目で見ているわけではないのに、思わず視線を向けてしまうほどだ。
「幌、あんまり離れるなよ……って、メイドさんを見てたのか。この町だと、ホントに自然な光景に見えるよな」
「だね。本当に、景色に溶け込んでいるっていうか……不思議な調和だよね」
「……もしかして、着てみたいのか?」
「まさか。ああいうものは、かわいい女の子が着てナンボのものだよ」
「ふーん。お前も似合いそうなモンだけどな」
「やめてよ、冗談ですらもキツイから」
「はいはい」
歩くスピードを落としてくれた恭太の背中に張りつき、ぐちゃぐちゃに動く矢印の合間を縫っていく。
その最中で、ふと、思った。
メイドさんたちの存在が異常だと感じたこと――それが一度もないのだ、ボクの記憶には。
「あれだけ不思議な存在なのに……違和感がないのは、本当にすごいよね」
「だな。まあ、ここが『アキハだから』なんだろうけどな。みんな、良い意味で諦めてんだよ――ここは普通じゃねえから」
「あはは、そうかも」
それが好きか嫌いかは、個人の好みに寄るところではあると思う。
ただ――朝の行進にも垣間見えるように、人間は集団で社会と文化を形成する生き物だ。
その集団による『現実を維持しようとする同調圧力』が、彼女たちを排そうとする動きを見せていない――つまりは、『この町に受け入れられている』という事実がある。
そう考えると、若干の親近感を覚えた。これまでは少しだけ遠くに感じていたけれど、ああいう文化を本質的なところから嗜むのも良いかもしれない。
「メイドさん、たしかに良いかも」
嫌気が差すような人混みを億劫に感じて、あくまで非現実的な要素としてそれを求めているだけの可能性も否定できない。この独特の臭みがある熱気を生み出す人の波とは別格な存在として、高嶺で揺れる花のような美しさを感じている面もある。
しかし、衣服がキレイで、かわいくて。何よりも、着ている彼女たちが輝いて見える。それは、見紛うことなき事実だ。
雑踏の中で笑顔を振り撒く女の子が、ダンスホールで踊る貴族のように気高く、美しく感じた。
「おっ、幌にも良さがわかってきたか――だが、今から行くところに居るのは、あんな真っ当なメイドさんじゃないけどな」
「……そういえば、そうだったね」
恭太の欲求の片鱗にふれたように感じていたが、これがニアミスだったことに気づく。
彼がハマったのは、あくまで頭に『準』がつくメイドさんなのだという。
先ほど、メイドさんを見ていたときもやや淡泊な反応だった気がする。あの可憐な少女たちは、恭太の歪んだ琴線には触れていなかったようだ。なんと贅沢な奴だろうか。
(今さらだけど、恭太はメイドさんじゃなくて、『メイド服』に興味があったんだった。でも、そんなに違うものなのかな……?)
――正直に言って、ボクには……その違いというか、恭太の線引きがよくわからなかった。
女の子がメイド服を着ていることに違いはないはずだけれど、こうもハッキリと興味の有無を分けるなんて――それなりの理由がありそうなものだが、まったく想像がつかない。
ボクは今、何に期待しているのか。そして、何に不安を抱いているのかもわからず――ただ自分の衝動が赴く場所へ向かっていくのだった。