誘因⑤
「しかし幌よ、朝の話の続きなんだが」
幸せな昼食を半分ほどまで済ませたところで、恭太がナイフを照明に光らせながら呟いた。
「むぶっ……あっつい! このマカロニあっつ!!」
恐れていた事態の到来に驚き、熱物体を冷ますまえに唇へと押し付けてしまった。燃えるような温度のぷるぷる触感が、敏感な粘膜に焼きつく。
「おいおい、大丈夫か?」
「あつつ……だ、大丈夫だけど……心配するぐらいなら唐突にヘンな話をしないでほしいなぁ」
「別にヘンな話ってワケでもないだろ。『これから女の子がより魅力的に見える服について語ろう』ってぐらいでさ」
それが十分に歪な話題であるということを認識していないあたり、この男が警鐘を鳴らされるレベルの危険因子であることは間違いない。
――起成恭太は基本的にスケベで、スポンジのような性癖・嗜好をもっている。一度マニアックなものにハマると、身も心もそのエロス色に染まる――変幻自在の感受器官をもつ性欲モンスターなのだ。
ただしそれは基本的に一時的な熱意であって、あまり長続きしない。それが定期的に繰り返されるのが日常風景なのだ――前回はたしか、一ヶ月ほどまえにジムで見た『トレーニングウェア』の熱弁を毎日聞かされた。
やれボディラインが引き締まって見えるだとか、やれ筋肉の隆起が生む陰影は同じ黒色でも部位によって深みが違うだとか。よくもまあ飽きもせずに毎日語れるものだ――そう、関心したぐらいだ。
まあ、女性の身体を芸術的なものとして見るときの考え方として、それなりの参考になった。それがなんか悔しいから、本人には一切伝えていない。
ボクは少し水ぶくれになっている唇をぶにぶにと押さえ、お冷のグラスで患部を冷却しながら、彼のまっすぐで純粋な瞳の輝きを見る。
子供の目に煌めく、無垢な瞳――思わず美しいと思える場所から、変態の肉欲眼光が発せられていた。
「んで、制服をメイド服チックにデザインしなおすという法改正を進めたい話なんだが……」
「そんなに高度な話だったの? ただの路地裏の落書きレベルの話かと思っていたよ」
「男の願望は、常に清らかで高尚なんだぜ」
「君のそれは、常に浅はかで低俗に見える」
「「…………まあ、わかり合えるとは思ってねえよ」ないよ」
お互いの言葉に目を細めて、鼻を鳴らす。
幸いなことに、周りのテーブルに着いている人たちは自分たちのおしゃべりに夢中になっているらしく、恭太のややハッスル気味な声は聞こえていないようだ。
――よかった。こんな『チラシの裏にでも載っていてほしくない』レベルの話をしていると思われたら、ボクも変態の仲間入り認定をされていたことだろう。
――いや、もう恭太とつるんでいるだけでアウトなのかもしれないが。これは……あまり深くまで考えないようにしよう。
「と、とにかく聞いてくれよ! アキハと言ったらメイド、メイドと言ったらアキハなんだから……そんなにおかしな話でもないだろ!?」
「朝にも言ったけど、まずその前提がおかしいんだって」
少しだけげんなりとしながら、グラタンを冷まして口に運ぶ。
――うん、美味しい。味に深みがあるから、幾ら食べても飽きる気配がない。
「――まず、『メイド服』ってひとくちに言ってもそれぞれに良さがあってさ――」
特にこのホワイトソースが良い味なのだ。そういえば、料理長はベシャメルソースと呼んでいた気がする。
「――んでもって、フリルの付いたエプロンな! アレが基調となる色……ここでは黒に固定するけど、そのダークでディープな色味を華やかにするっていうか――」
この、噛まなくてもほどけるようにちぎれる自家製のマカロニも食事を楽しくさせてくれる。普通のマカロニよりも薄く、内部の空洞が大きいために、まるで細いパスタのようにソースと絡むのだ。
「――それに加えて、腰元で広がるリボンだよ! このふわっとした丸みが超エロくてさ、思わず『さわさわ』したくなるっていうか――」
…………よくわからない話をしていても、美味しいものはしっかりと美味しいようだ。この時間で実りがあったのは、それがわかったことだけだろう。
しかし、このまま恭太に話をさせるのは危険でならない気がする。マシンガン・フェチズムトークがいつまでも止まる気配がない。
下手をすれば放課後にまで及ぶかもしれない――流石にそれは御免蒙りたいところだった。
「……っていうかさ、なんで急にメイド服なの?」
この男は、基本的にひとつの事象にハマって妄想を拡げ、視界中を艶色に染め上げる。目に入るもの全てを自分の望みどおりに埋め尽くそうとして、具体的な願望を構築していく犯罪者予備軍なのだ。
面倒な筋書きや枠組みをだらだらと語られるぐらいなら、さっさとそのリビドーの根源を覗いたほうが早く済むことも多い。少なくとも今回はそうだろう――興奮が強過ぎて話が長くなりそうなこの欲求は、早めに満足させたほうがいいと思った。
「よくぞ聞いてくれました!」
やはり、と言うべきか。その『何か』を誰かに言いたくてウズウズしていたらしい。
その欲望に正当性を持たせようとするのが彼の良いところでもあり…………。
……………………いや、悪いところのみだった。良いところ、見つからなかった。
「――実は、メイド服にハマってな」
「真剣な声音で何を言うかと思えば、ただスタートに戻っただけじゃないか……でも、メイドさんとはまた珍しいね」
「珍しい?」
「いや、恭太って……そういうサブカル系はあんまり好きじゃないイメージだったからさ」
前回がトレーニングウェア。そのまえがチューブトップのインナー。もうひとつ遡るとチャイナ服――とまあ、わりとよく聞くタイプの衣服であることが多い気がする。
「たしかにそうなんだけど……うーん、まあ、正確に言うとメイドさんではなく……準メイドさんと言うべきなのか……」
「何さ、その準メイドさんって……?」
彼の中で渦巻く欲望は、なかなかに混沌めいている。語ろうとする本人が苦戦しているあたり、その対象自体が名状しがたい性質を有しているのだろうけれど。
「とにかく、一般的にいわれる『メイドさん』って感じではないんだよな。こう、『萌え』っとしていない感じで、オレみたいなただのスケベでも抵抗なく受け入れられたっていうか……」
「なるほど、恭太が自分のことをスケベだと自覚しているのはさておくとして……『萌え』っとしていないって……もうちょっと具体的に表せないの?」
「……ぶっちゃけるとさ。あるメイド喫茶に足を運んだんだよ、オレ」
「……ふむ。つまり、そこのお店のメイド服が『萌え』っとしていない感じなの?」
ボクの少ない知識にも、クラシカルなメイド服のビジュアルが含まれていた。侍女というか、給仕というか……貴族の下で働いていたという従者が着ていたような、昔ながらの衣服にハマったのだろうか。
「いや、『萌え』っとしてないのは『メイドさん』のほうだ。服はすげえかわいらしくて、オリジナリティーに溢れるアレンジメイド服だったぜ」
「……は?」
頬杖をついていたボクは、ずるりと頭を滑らせた。
「店員のメイドさんが、普通の喫茶店にいる感じの店員さんと同じような対応をしてくれる。なんつーか、店名にも書いてあった『準メイド喫茶』って看板に偽りなしだった」
それはメイド喫茶と呼ばない気が……ああ、だから『準』なのだろうか。
お酒を提供しない純喫茶ならぬ、ご奉仕を提供しない準メイド喫茶。
――なるほど。その字面や名前の響きだけでも、十分に胡散くさい。
「……そこ、ぼったくりのアヤシイお店なんじゃないの?」
「値段は結構高い……と思う。普通のメイド喫茶は行ったことねえから比較できねえけど、学生の財布には優しくねえのは確かだ」
――やっぱり、ヤバいお店のような気がする。
でも、なぜか……その非日常感に惹かれたのか、ボクの心に興味の火が灯っていた。
「……そこって、料理とか軽食はメニューにあるの?」
「何種類もあったな。それなりに高いサンドイッチから、かなり高いビーフシチューまで。とりあえずオレは、メイド喫茶気分を味わおうと思ってオムライスを頼んだんだ」
「ふんふん……オムライス、どうだった?」
「全体にホワイトソースが掛かってた。これがめちゃくちゃ美味しかった……そのグラタンみたいに深い味わいだったぜ」
「……えっ? 美味しいのはいいことだけど……それだけ?」
「……そうだな。普通にオムライスだった」
「…………あのさ……メイド喫茶のオムライスって、ケチャップでなんか、こう……メッセージみたいなのを書いてくれるんじゃないの?」
雑誌やテレビ番組で特集されているのを見て得た知識との差異を指摘する。
メッセージを書いたあとに『おまじない』をしたり、波動を撃ったりと……いろいろあった。
ただ、その前提は基本的に同じだったはずだ。恭太の話に、それが一切出てこなかったのが意外で仕方なかった。
「いや、普通に『オムライスです』ってテーブルに置いてくれた。オレもメッセージを待ってたんだけど、『……食べないんですか?』って言われた。仕方ないから食べたよ、普通に」
「それもうただの喫茶店じゃん!」
「ああ。メイド喫茶は初体験だったが、ほかにはいろいろな店を巡り歩いているオレも思わず『へぁっ!?』と声を出して驚いてしまった」
皿とナイフでかすかに音を立てながらハンバーグを切って、そのまま口に運ぶ恭太は難しい顔をしていた。
ここまでの面白話では、彼がメイド服にハマった理由が一切分からない。アキハの文化に染まっているわけではない恭太が、メイドさんという存在に入れ込む理由にもなり得ないだろう。
この男は、アニメや漫画などで見る美少女に心を奪われるタイプの人間ではない。生身の女の子を好む三次元スケベである。
「だけど、なんつーかな……メイド服っていいな、って真剣に思ったんだよ」
「……ええ……?」
恭太の話は唐突に飛躍し、よくわからないうちに結論まで直結してしまった。
「えーっと、とりあえずさ……あのフリルと、カチューシャみたいな頭に着けるアレがかわいいんだよ! んでもって、脚もキワどいところまで攻めるスカート丈とニーハイがまたエロくてさ……」
抽象的な話が続く。彼の欲望の原点が突き止められず、その詳細を聞き出せない以上、このままでは彼の話が終わらない。
――が、しかし。
そんなバカでかい危惧も忘れて、ボクの中でもやもやとした何かが行き場を求めて――。
「恭太。それは、直接体験してみないと分からないよ」
――ぽわん、と。自分でも信じられない言葉が、唐突に、急に、なんの前触れもなく、口から飛び出した。
「そうだよな、だから――幌、お前……今、なんて言った?」
ナイフからフォークに持ち替えた右手が皿の上でぴたりと停止する。
「……そこに連れて行ってくれないかな、ボクも。恭太がそんなに夢中になれる準メイドさんが居る場所にさ」
舌が覚えかけているグラタンの味。その安定感を脳に近い場所で強く感じながらも、ボクは『未知』に対する緊張と興奮で手が震えていた。
知らないものにふれるのは怖い。何かに価値観を変えられてしまうのも恐ろしい。
――それでも、永遠に感じる苦痛より。退屈に欠伸を漏らすより、幾分もマシだろう。
これまでに聞いてきた恭太のコスチューム話は女の子の肉体の話が主だが、衣装による魅力の引き立て方への評価も的確で、聞いているだけで非常にわかりやすかった。
しかし、今回のそれはひねくれた視点というか、マトモではないというか。百戦錬磨の変態ですらも抽象的な言葉でしか表現できていない魅力がある――だからこそ、すごく気になった。
それは、準メイドの肉体がエロティックだったのか、それとも――身を包む衣装が、素材以上に煌びやかな魅力で包んでいるのか。
――気になる。気になるのだ、準メイドが……!!
――たまらなく。居ても立ってもいられないぐらいに、心をザワつかせるのだ。
「……幌がそんなに楽しそうな顔をするの、久しぶりだよな」
恭太が柔らかい微笑みをこぼしながら、強く頷く。
「わかった。放課後、一緒に行ってみるか――あの、準メイド喫茶へ」
「……案内、よろしく!」
ボクは非日常を求めていた。ありふれていない何かをずっと探していた。
それは、現実には存在しないのではないか。心のどこかでそう諦めて、退屈な日常を甘んじていたような気がした。
でも、このワクワクは夢想のものではなく、今、ここにあるものだ。
――ボクは、友人が見たという『よくわからない場所』への情報を手にしたのだ。
その、自分の手が届きそうな『知らない場所』に向かって、小さな一歩を踏み出すことにした。