誘引③
授業に真剣に取り組み、休み時間も参考書を読み耽っていると――あっという間にお昼休みになってしまった。
チャイムの鳴る音を合図に、先生が授業を終える。教室はたちまち話し声で満たされていった。
「幌、飯に行こうぜ」
「うん。今日は『オトンヌ』でも行く?」
先生が教室から出るまえからこちらに向かって来ていた恭太。ボクもそのお誘いにノータイムで応える。
頭が糖分と栄養を欲して仕方がない。お腹も、いつ鳴ってしまうかわからないほどにぺこぺこだった。
「いいぜ。でも、ケチな幌がオトンヌに誘うとは珍しいな」
「四月に入ったバイト代が潤沢で、少し懐が温かいから」
「……そういや、三月は書き入れ時なんだよな、お前のバイト先。神世の生徒になる奴もそうだが――そのママさん方が試食をしてハマるらしいな」
「まあ、それぐらい美味しいからね。このボクですらも、給仕なんて柄にないことができる緩いお店にしては珍しいよ」
「そう自分を卑下すんなよ。エプロン姿のお前も『それなり』だぜ?」
「そうかな……違和感バリバリだと思うけど……」
腕を組んで唸るボク。その肩を恭太がバンバンと叩いてきた。
「とにかく、幌がオトンヌに『客として』行こうとする滅多にない機会だ。今日は本格洋食を堪能しようぜ!」
「……だから、いつも『ボクに合わせなくていい』って言ってるのに」
「ンなつまんねえこと言うなよ、ダチ公! 幌と一緒に飯を食えなきゃ、楽しみも半減だからな!」
「…………ありがとうね、恭太」
恭太はボクに親指を立てて見せてくれた。
いろいろとスケベでガサツでどうしようもない人間ではあるが、それなりに気が利く奴なのだ。
「しっかし……幌はいつも、安い食堂で大盛りにしたり、トッピングを増やしたりぐらいの贅沢しかしねえのに。今日はいったい、どんな風の吹き回しだ? 何か変わったことでもあったのか?」
ボクの頭に、朝の出来事が甦る。
行列の中でぶつかった、かわいらしい声のメイドさん。
あの『退屈じゃなかった瞬間』を、そのまま見過ごすのはもったいない気がして。自分から、ちょっとだけ特別なことをしてみようと思っただけなのだ。
「……まあ、いいじゃん。たまにはさ」
「そだな。オレも今日は美味いモンを食いたい気分だったからありがてえよ」
教室から出るまえに目的地を定め、上階層に向かって廊下を歩いて行く。
神世学園に通う生徒は、校内で過ごすランチの時間を楽しみにしている人間は多い。
比較的新しい校舎は、敷地内の各地に憩いの場としてベンチやテーブルが設けられている。
昼食をとる手段としては、購買や校内に設けられたコンビニで食事を購入するほか、昼休みには学外に出る事も許可されているため、外に食べたいものを調達することもできる。
「おー……相変わらず、人が多いなここは」
「そりゃそうだよ。学外から唯一良い目で見られるのがここなんだし」
それに加えて、一階層にある学生食堂と5階層にある洋食レストラン『オトンヌ』での食事が可能だ。
食堂は安く許容量に自信があり、オトンヌは大変味が良い。
生徒の満足度と懐事情を考えた施設配備に関して、生徒やその家族からの評判は非常に高いとされている。
オトンヌは休日に一般開放されるため、校外にも熱烈なファンが居る。たしかにそれだけ美味な料理を提供してくれるのだが、如何せん値段が高いため、そこまで足繁くは通えない。
今日も今日とて、オトンヌは盛況していた。ボクたちが5階層に着いたときには、店外に列ができているほどだった。
「久々だからな……ここは別格に美味いオムライスかハンバーグをバシッと決めとくか?」
「……うぐぐ」
列の最後尾に並んだボク達は、列の前から手渡された写真付きのメニューを眺める。
恭太は食べるものの美味しさを、ボクは食べるものの値段を比べていた。
「やっぱりオレはハンバーグにすっかな! 放課後のためにスタミナをつけておかないとだしな!」
「そんなにすぐスタミナなんてつかないでしょ……っていうか、恭太は帰宅部なんだし……体力は必要ないんじゃない?」
「バーカ、気分的な問題だっての。運動部がよく言うアレだよ、ガッツというか、パワー的な……そういう感じの、なんかこう、アレだ」
「情報がふわっとしすぎで全然伝わらない」
ボクは恭太らしい微妙な言葉に苦笑する。
すると、閉じられたメニューでベシベシと頭を叩かれた。微妙に硬いそれを払いながら、恭太の使い道のない鍛えられた肉体を足元から目で舐め上げる。
「……どちらにせよ、帰宅部には必要なさそうな筋肉だけど」
「言ってくれるじゃないか、無気力系帰宅部め」
「ボクは勉強しているからいいんだよ」
朝も絡みついてきた腕は、ブレザー越しでも筋肉の硬さを微かに感じることができる。
きっと、毎日の鍛錬の賜物なのだろう。ボクが無気力系帰宅部だというのなら、こいつは鍛錬系帰宅部だろう。正直、どっちからも青春的な印象は一切受けないから悪く言うつもりはないけれど。
趣味が筋トレとランニング。初めて会った時にそう聞いて、インドアなボクとは一生相容れない人間なのだろうと思っていた。
しかし、それから適度に仲良くなって、こうして昼食を共にする友人同士となった。
――人生、何が起こるかなんて本当にわからないものである。
「ずっと不思議に思っていたけどさ」
「なんだ?」
「どうして恭太は部活に入らなかったの?」
「どうしてって、そりゃあ部活に入りたくなかったからだろ」
出来損ないの問題集の解答ページのような受け答えに頭痛がする。
その答えがどうにも、気分屋で流行に流されやすい彼らしいとは思ったけれど――聞きたいことは、それではない。
「まあ、そうなんだろうけど。でも、筋トレもランニングも、部活に入った方が効率良くできそうだと思ってさ」
進んだ列の動きに合わせて1歩を踏み出しつつ、廊下から窓越しにグラウンドを見下ろした。
グラウンドの横には立派な部室棟も見えていて、放課後の練習の準備を行っている生徒たちの姿もあった。
隣で目的もなくメニューを眺めている彼は、雰囲気的にも窓の向こう側のほうが似合いそうなものだが。
「……そうかもなあ。でも、オレは別にスポーツがやりたいってワケじゃねえし」
「そうなの? なら、なんでランニングと筋トレを日課にしてるのさ?」
「んー……いつかやりたいことが見つかった時に、すぐに動き出せるように、かな?」
恭太は自信なさげに、かつどうでも良さそうにそう答えた。
「かな、って……凄い曖昧だね」
「そりゃあそうだろ。こちとら、まだ悩み多きワカモノだからな。この日課がそれに役立つともかぎらねえけど、何もやらねえよりかはマシだと思うからよ」
「……恭太は、そこら辺しっかりしてるよね」
開いたままのメニューを見下ろして、まだ決めていなかった昼食候補達と再び向き合った。
列が半分ほど進むまで雑談していたのも、『この選択に迷っていた』という情けない理由があるからだった。
「なんだ、まだ決めてなかったのか?」
「まあ、ねえ。ボクは恭太みたいになれないし」
「そりゃあ、すぐにはオレみたいにはなれねえかもな。もっと筋トレして、ランニングしねえと」
「あははっ……そういうことじゃなくてさぁ」
それが彼なりの気遣い故のボケだとすぐに察して、ちょっとだけ笑ってしまった。
それなりの時間を共に過ごしていると、こういう真心の機微もわかってしまうのが……ちょっと辛いところだ。
――『優しくされるような人間なんだな』と思ってしまって…………ちょっとだけ、もどかしくなる。
ボクは何かを選ぶことも、自分から動くことも得意ではない。
その不得手は、自分自身にまったく自信がもてないことに起因している。そうわかってはいるけれど。
……自身の無さなんて、問題集の誤答のように直せるものではない。だから、どうしようもないのだろう。
ボクはただ、『何かをできる人』に憧れて、代わり映えのしない毎日を繰り返すばかりだ。その巡る時の中で起こる、誤差のような変化にすらも目を瞑ってきた人間なのだ。
願わくば、今日と全く同じ日常が、明日もやって来てほしいと思っている。
――そうすれば、何も考えなくて済むのに。
「難しく考えすぎだと思うぜ、幌は」
「簡単に考えすぎなんだよ、恭太は」
どちらからともなく、まったく相容れない意見に笑いだす。
入学した時には、こんなに『よくわからない』友人ができるとは思っていなかった。
そう考えれば、彼との邂逅は、ボクの人生にとって最も大きな変化だったと言えるだろう。
恭太とボクは、同じ内容を目にしている筈なのに――どうしてこうも向き合い方が違うのだろう。
この優柔不断と意気地の無さが個性だというのなら、ボクは個性を誇ることなんて一生できやしない。
――ほら。こうして悩んでいるうちに、もう店内に入れそうなほどに列が進んでいる。
けれど、これがいつもどおりだ。これが繰り返す日常だ。特別なところに来て、いつもどおり、自分の嫌なところに目を向ける。
ボクの心と頭は、未だに自分の望みをカタチにすることができていなかった。
――恭太が悩み多きワカモノと言ったけれど……じゃあ、そこにも及ばないボクはいったい何なのだろう。
そんな風に嘆息をしたボクは、とうとう店の中に足を踏み入れてしまったのだった。