誘引②
大通りにいた、あれだけの人が同じ方向に歩いていても――実際に目指している場所はそれぞれで違う。足並みを揃えていた人が一人、また一人と列から外れていき、いつの間にか周囲には自分と同じ学校の制服に身を包んだ若者ばかりになっていた。
その事実は、それなりに大きな校舎を見上げるときに毎日思い知らされる。
ボクの通う学校であるこの私立『神世学園』は、市の中心部から少し外れた場所にある。ボクはここに通いはじめて一年が経った――つまりは神世の二年生である。
生徒数は約300人の共学で、男女比はだいたい6対4。学科は普通科のみで、専門的な知識を養う場ではない。つまり、まだ将来の自分の姿を定めていない人間が一時的に身を置くための学校だ。
『幅広い分野の授業を行い、生徒が自分の選択に基づいて社会に進出できる場所として築かれた』と対外的に宣伝しているのは決して嘘ではない。個人的にはわりとマトモで――ある意味現代日本にふさわしい学校だと感じている。
ただ、良くも悪くも器用貧乏な面があるのは否めない。他所から見れば『いろいろと中途半端な教育方針』であることは確かであり、専門的な技量や知識は『にわか風味』にしか身についていない生徒を量産する。社会から微妙に浮いている学校なのは確かだろう。
ゆるめの校則も、広々とした校舎も窮屈ではなく、居心地も良い。私立学校なだけあって授業料は高いが、施設も充実しているし、そのせいもあってか生徒層も悪くない。
高い学費を将来的に親に返すとしても文句はでてこないほどに、ボクはこの学校のことを気に入っている。
これまでの自分の選択の中でも『この進路は正解だったな』と思える、数少ない対象のうちの一つだ。ここでなら、若者にとっての大きな難問――『自分のやりたいことは何か?』の答えを見つけられる気がするのだ。
ただ、この学校に在籍している者は、全員『自分のことは自分で決めたい』と思っているのだ。そんな意思を持っている人たちの中に自分がいるだけでは――それは、特別な何かをしているとは言えないだろう。
――何か、自分だけにしかないものが欲しい。言い換えれば、『個性』と呼べるものがボクには必要なのだ。
朝のホームルームが始まる10分まえの時刻を告げるチャイムの音が響き渡り、まだ空っぽなボクの心身をぐわんと揺らした。
「よっ、悩める学生! 朝っぱらから、何を難しい顔をしとるんだ!」
「――のわっ!?」
唐突に背中を叩かれ、身体が固まる。そのまま肩に腕が回され、脚にかかる負担が大きくなった。
かけられた声を脳と神経で分析。自分にこんなことをしてくる人間が一人しかいない事実から状況を判断――一つの確定的な答えを導き出すと、緊張がすぐさまとけていく。
「……恭太。びっくりするから、それ止めてよ……」
「……わかったよ。相変わらず辛気くさい後ろ姿だったから元気づけてやろうと思っただけなのに」
声がした方向に目を向けると、ボクよりもずっと身長が高く、体格の良い男子学生が鬱陶しく絡みついているのが見えた。神世の制服である紺色のブレザーの硬い生地が首筋でギュッと擦れ、微妙に痛かった。
――起成恭太。ボクと同じ神世学園に通う男子で、ボクの唯一の友人。クラスメートでもある。
趣味では話があまり合わないが、学校での出来事や互いに有益そうな情報を交換する――まあ、協力者のような間柄で、下手に親友と呼ぶよりも信頼できる相手だった。
内向的なボクと違って、社交性が非常に高い。この生温かい接触が、彼なりの『気遣い兼スキンシップ』らしいということは、ここ最近になってようやくわかってきたことだった。
「……おはよう、恭太。でもごめん、いろいろと重いから離してほしいな……周りの目も気になるし」
――チラチラと、紺色のブレザー姿の女子や男子に目を向けられているのがすぐにわかった。
「ん、そうかそうか。まあ、初めてやった時に『んぎゃああああッ!?』って悲鳴を上げてたことを考えれば、随分成長したのかもな」
「……そんな大昔の話は、今しなくていいってば」
「『たった』一年まえの話だろうに」
「一年『も』まえの話だから。ボクにとって、それは遥かに遠い時代――太古の記憶に等しいよ」
「へーへー。いつもいろいろ考えてるから、時間の流れがオレたちより濃密になって……そんな感じの認識になっちまうんだろうなー」
腕による拘束を解いて、からからと笑う恭太。その攻撃主の顔を恨めしげに睨むが――この男は、まったく悪びれる気がなさそうだった。
彼が口にした『あの時』は、唐突に首を刈られたように感じて――本当に心臓に悪かった。それを数えきれないほどに受けてきた今でさえも、原因のわからない動悸が身体を支配しているぐらいだ――相当に根深いトラウマになっているらしい。頭に血が集まって、視界がグラグラしている気がする。
あの時は変態に襲われたと思い、つい変な声を上げながら腰を抜かしてしまった――今にして思えば、さすがに驚きすぎだったとは思うけど。
「とりあえず教室に向かおうぜ。朝早くから学校に来ておいて、『結局遅刻しました』じゃもったいねえからよ」
「……そうだね」
のしのしと、身体を揺らして歩く恭太についていく。気の知れた友人と肩を並べて、昇降口までの道を歩いていった。
辺りでは、制服に身を包んだ若者が足並みを揃えて同じ場所へと向かっていく――ボクたちはまだ、その中の一部にすぎなかった。
――制服に、スーツ。人々に格式を与えるとともに、個性を奪う衣服。その中でも個性を出そうとして頑張っている生徒は意外に多い。
スカートを折って短くしたり、アクセサリーを身に着けて飾ったり。
ワイシャツの下に色つきのTシャツを着たり、派手なベルトをズボンに通したり。
あまりやりすぎると校則違反になってしまうはずだが、そもそも規律自体がゆるいものであるため、取り締まりもほとんど行われない。生徒たちは各々で自分らしさを追求できる――それも神世の良さかもしれなかった。
――しかし、まあ……本当によく『個性の出し方』を思いつくものだ。ボクは少しだけ感心してしまった。
恭太には『お前の頭が固すぎるだけ』と言われるだろうから、何も口にはしないけれど。
「しかし、神世の制服は統一的で……ぶっちゃけ、地味だよな。もっとこう、素体から派手な感じになってほしいよ」
上履きという役目を与えられた、白い無名の靴の紐を結びながら――下駄箱の前を通る女子生徒のスカートを覗き込んでいた変態が口を開いた。
「……突然、何を言い出すのさ?」
「いや、さっきお前も女の子を見てたと思ったからな」
「……まあ、たしかに見てはいたけど……」
『それは制服の造形や個性の出し方が、校則に違反していないかを第三者の視点から確認していただけなのであって――』と言い訳をしようとして、どうにもフェティシズムでオタクのような物言いになりそうだったため、諦めた。
彼が言わんとしていることと趣旨は違えども、微妙に話が噛み合いそうで怖かったのだ。
神世のブレザーは、男女用ともに紺色を基調にしており、それなりに装飾も入っている。特に女子制服はデザイナーのこだわりが強く、襟や袖にも煌びやかな金色のラインが走っていた。
ネクタイは男女用ともに同じデザインだが、学年ごとに分かれた彩色を施され、異なる部位に白の差し色があしらわれているなど、オシャレな要素が十分ある――とは思うのだが、がっくりと肩を落としたこの男の満足するラインにまでは届いていないようだ。
ボクはここの制服のデザインが個性的で気に入っていたこともあって、それ自体に不満はない。
ただ、全員が同じ衣服を着るとやっぱり没個性になってしまい――『自分らしさを見つけること』の難しさを裏づけるような物証になっていることは少しだけ遺憾ではあったが。
「……その不服そうな顔は、『デザインには特に言うことなし』って気持ちの表れか?」
「まさにそれ。ボクはこの制服を着ている人たちの出そうとしている個性を研究できれば、それで満足だし」
「この服フェチ……いや、個性フェチめ」
「個性フェチ言うな! 服っていうものは、最も個性を出しやすいうえに『人の一番外面を任される』なんて大役を担っているんだから重視して当然なんだよ、うん。むしろ、ほかの人たちはもっと衣服というものに敬意を払って然るべきなのであって、崇め奉る必要すらも感じるよね。服は、全裸で生活していた太古の人類からの進歩の象徴と言える変化の礎的な立ち位置であって――」
「……相変わらず、服に関してはイヤに流暢に喋るよな、お前は……そういうところ、むっちゃオタクっぽい……アニメとか苦手なクセに……」
それから恭太は、「まあいいや」の一言でボクの憤りと『軽い解説』をひらひらと流し――再び『今はオレのターンだ!』と言いたげな瞳をギラつかせた。
ボクも普段は、ヒートアップした恭太に同じような反応をしている自覚があるため、その『あしらい』に対する怒りは特に湧き起こらなかった。
「制服に関してなんだがな。オレは、どうせならもっとこう――派手な感じでもいいような気がするぜ。スカートは膝上一〇……いや、二〇センチ以上に規定しちゃってさ。個性を『スカートの短さ』で出そうとするなら、お尻のラインが見えるぐらいにしちゃうとか……」
階段を上りながら、「もう少し……もう少し……!」と首をギリギリ不自然に見えない角度まで潜り込ませている男の鼻息は荒い。幾分か、理性を忘れてしまった獣のような気配すら滲ませている――ボクはそのケダモノに冷たい目を向けながら冷静に語る。
「数字で固定すると、身長の低い女の子がパンツ丸出しになる可能性あるんじゃない? まあ、さすがに少数派にはなると思うけどさ」
「……おいおい。今はそういう理屈っぽい話じゃなくてさ……」
声音に落胆と諦めを混ぜた恭太は、そのあとも女子に欲望丸出しな視線を向けつづけていた。
――たしかに、雑誌などを見るかぎりでは、この肉欲男の言うとおり――太ももを限界まで出した服装が流行っているように感じる。
それに加えて、男性の総意的には露出が多いほうが嬉しいのかもしれない。あまりそういった俗世のことに興味がなかったため、彼の話に込められた望みを理解できたことはこれまでに一度もなかったのだが――理論的にはそこまでおかしくなさそうだ。
「……話はわからなくもないよ。でも、なんでまたスカート丈にこだわるのさ? 元々は『制服が派手になってほしい』って話だったじゃんか」
「チッチッ。オレが言いたい『派手さ』には、制服の柄だけじゃなくて『女の子の魅力を引き出す要素』も含まれているんだよ。もっとこう――『女の子が最高にカワイク見える服』としてデザインすべきだったな、と思うワケだ」
「……なるほど。例えば?」
その得意げな顔にイラッとしたが、やけに具体的な欲望の源泉が気になった。
恭太は基本的にドスケベで、スマホの写真フォルダやブックマークはエロ関係のものばかりが並んでいる、まさに『どうしようもない変態』だ。
その見るに堪えない俗物が、何か特定の衣装にドハマりしたときには必ず、緻密で実体的な欲望を募らせるという厄介かつ醜悪な性癖の持ち主だ。
「おっ! やっぱりムッツリなお前も興味あるか?」
「…………まあ、それなりに。ムッツリではないけど」
その『ドハマりをするもの』の多くが、大変に個性的なのがまた憎らしい。
重箱の隅をつつくようないやらしい視線は、衣服や装束、アクセサリーが最も魅力を引き出す部分を正確に見抜いている。
尊敬は決してできないが、その有用性は――まあ、いろいろな視点から世界を知る研究資料として『まったくない』とは言い切れないであろう。
「オレが制服に求める要素は――ずばり『メイド服っぽさ』だ」
「…………は?」
頭がおかしくなってしまったのかと思って狂人の顔を覗き込むが、その目は爛々と輝いていた。なおかつ、顔は至って真面目な表情を浮かべている。ちょっとキモかった。
「……そんな悲しそうな顔をするなよ。オレは至って真面目だぜ?」
「……そっか……」
「前々から思っていたが、アキハにはメイド喫茶が多いだろ? なら、アキハにある学校の制服がメイド服になってもそんなにおかしいことではないよな!?」
――もう、手遅れらしい。潔く諦めて、精神科での受診を検討させよう。
彼は大真面目に、そんな馬鹿げたことを言っているらしい。こうなっては、むしろ完全に気がふれてしまっているほうが、その悲しさを自覚できないから幾分か楽だったのではないだろうか。
「恭太。君はたぶん、大事なことを忘れているよ」
「大事なこと?」
「うん。学校はね……メイド喫茶ではないんだ。そもそも、メイド喫茶じゃあ、ないんだよ……!」
全身全霊の力を込めて、力んでもち上がっている彼の肩を押さえつけた。体格差のせいで、背伸びをしないと力を上手く込められなかった。
「お、おう……ンなこたァわかってるけどよ……だから、オレが言いたいのは――」
――キーンコーン カーンコーン。
食い下がろうとしない男の息巻きを押し留める、電子チャイムが廊下に鳴り響いた。ボクにとって、それは狂人の話から離脱させてくれた救済の鐘の音だった。
「おっと、もうこんな時間か。幌、続きはまた『あとで話そうぜ』。お前もきっと、オレの話を聞けば理解できると思うからさ」
「…………ソウダネ」
――逃げられない……!! なんて強敵なんだ、この起成恭太は……!!
朝のホームルーム開始時間――その5分まえを告げる鐘の音に、ボク達の足は自然と早くなる。当然、雑談も途絶えたが――また再開する約束をしてしまっているため、気持ちは一向に晴れなかった。
『彼が、昼休みになるまえに先ほどの妄想を忘れてしまう』という都合の良い展開を期待しながら。
ボク――伏倉幌は、自分のクラス『2年B組』が設けられている3階の廊下を歩いていくのだった。