第一話 誘引①
ほぼ一から書き直していますので、すごくゆっくりな更新になります。
準メイド喫茶に到着するまで、気長にお付き合いください。
昼夜を問わず、喧噪の絶えない場所。雑踏が絶え間なく響き、ごちゃごちゃとした町の雰囲気をより一層混迷させる。
人の汗の臭いに、観光客が投げ捨てたごみの臭い、ジャンキーなフードの良い香りが混ざり合う独特な空気。それはもはや、この町の特徴の一つである。
(うぅ……ぶっちゃけ、ちょっと苦手なにおいなんだけど……通学路だから我慢するしかない……。こんなに独特な空気なのに……数多くある特徴の『一つ』でしかないのがこの町の恐ろしいところだなあ……)
個々の意思でバラバラに動きまわるのではなく、集団として規則的に動く人々。その巨大生命体の血管の中――血液のように流れる人の波に乗りながら、視点を上げる。
建物の壁面には、デカデカとアニメや漫画のキャラクターが載っている看板が掲げられている。埋め込まれたモニターでは、今をときめくアイドル声優がステージ上で輝いている映像が流れる。
ほかの町に出かけたときには見る機会の少ないものが、我が物顔で空に君臨する。そして、住人もそれらを身近なものとして受け入れ、ボクと同じように目に馴染ませている。
それがここの日常風景――都心部にある電気街兼二次元エンターテイメントの町『アキハ市』なのだ。
人口は20万人超。市として大きいわけではないが、観光客や買い物客、この町にオフィスを構えた会社に通う従業員らがもたらす経済効果は計り知れない。
在住する人間よりも遥かに多い人が、嬉々とした――あるいは鬼気迫る表情を浮かべて道を歩く。それが日常風景だという、ある意味ですごく都会らしい町である。
とはいえ、住んでいる人間が蔑ろにされてはおらず、住みにくいような印象はあまり受けない。
それこそ、繁華街めいた明るい大通りから少し外れれば、落ち着いた静けさも顔を出す。ボクのような、裕福ではない学生がバイトの収入だけでも生活ができるほどに安いスーパーや生活用品店もある(学費や家賃は両親に出してもらっているけれど、将来的に返す約束になっている)。
人口をグラフに表すとすれば、小さなドーナツができることだろう。ボクはそのドーナツの端を喰らう小さな蟻でしかない――そんな事実には目を瞑る。
教育機関である学校も数多く、そして幅広い学力・経済力の生徒に対応できるほどに点在している。
ボクが通う学校は私立の学校は町の中心部に位置するため、『通学路を通るだけでも観光気分を味わえる』と考えれば――。
「……はあ」
――精一杯に前向きな言葉をあてても、げんなりとした気分はごまかせないし、ため息は勝手に漏れるものらしい。
嫌な思いをしているわけではなく――単純な感想として、『見飽きているだけ』なのだと思う。
学校の試験に合格して、単身で上京してきた当初はその別世界のような光景に心を踊らせたものだが――人間の適応力というものは存外に高いらしく、すぐに生活の一部として見慣れたものに切り替わってしまった。
ただ、蠢く人は別個の生命体にほかならない。緩慢な動きをする人もいれば、機敏に重心を移動させる人もいる。個性が光るどころか、磨きすぎて目がくらむほどに独特な空気を醸し出している。
この波間で感じる、個性という『集合体における微妙なズレ』はパターン化できない。全く同じ道路を通っているはずなのに、時間帯、日にちによって見せる顔が異なっている。
『生きている』人の動きに合わせて歩くのにも慣れたものだと自分でも思う。朝のこの時間は、ベルトコンベアの上に乗ったように列に沿って歩くだけで良いのだ。
「ひゃわっ……ご、ごめんなさい! ちょっと、通してくださーい……!」
――その退屈な日常が、唐突に崩れた。
生命体の血管を断ち切るように、常識が破壊される。その瞬間、ボクの世界はスローモーションで――コマ送りにするように時を刻んでいた。
――もにゅんっ。視界に転がり込んできた、でっかい肌色のボールが顔にぶつかった。それも二つ。しかもすっごく柔らかい……すべすべで、顔をすっぽりと受け止めてくれる包容力があった。
「……わ、わわっ……!? ご、ごめんなさい……!!」
視界に飛び出してきた、衣服のついた二つのボール――もとい、大きな胸をざっくりと露出していた女性が身体を捻って、ボクの頭をするりと抜いた。
――突然開けた視界の中で、白い布地がゆらりと風に舞っていた。
今のは――人の波の流れを断ち切るように通り過ぎた、少女の頭に着いていたヘッドドレスか、エプロンドレスのフリルだろうか。
「……メイド、さん……?」
――その格好は、メイド喫茶で働く女性のものだ、となんとなく察した。そして、ボクが顔を突っ込んだのは――メイド服の隙間からこぼれた女の子の胸なのだろう。
後ろ姿を探そうとしても、メイド少女の人影と足音は、即座に修復された血流に呑まれて見えなくなってしまっていた。
アキハ市は漫画やアニメといった二次元文化だけでなく、さまざまなサブカルチャーが混在している――娯楽文化のるつぼとも言うべき町だ。
その中にはメイド喫茶をはじめとした、非現実的なほどにかわいい衣服に身を包んだメイド少女たちも含まれている。当然、それも町の景色の一部と化している状態だ。
一口にメイドと言っても、慎ましやかな衣服に身を包んで貴族に召し仕えていた侍女とはまた違った趣であるという。あくまで、新たな文化として根づいたものであるらしい。
雑多な足音が絶えない通勤通学のピーク時であるこの場所では、振り返ることはおろか、立ち止まることすらも難しい。自分の中の日常を破壊し、新鮮な気分にさせてくれた恩人を探すことなど不可能であった。
お礼を言いたかった気持ちもあるが――そもそも、喫茶店の開業まえである『こんな朝っぱら』からメイドさんを見たのは初めてのような気がした。要は『物珍しさ』がボクの知的好奇心を刺激してきたのだ。
しかし、その日常を彩ってくれた刺激は微量なものだった。
モヤモヤした気分のまま周囲の動きに合わせていると――いつの間にか、通り過ぎた彼女の髪色も、声音も……顔にぶつかった温もりの感触も思い出せなくなっていた。
――また、日常が修復された。大きな退屈が運命と共に舞い戻った。
ここまでくると、もうボクという存在を消そうとする――『社会の流れ』という絶対的な統率がそこにあるような気がしていた。
これだけ個性的な人が集まる町でも、人は集合体として動きつづけている。
来る日も、来る日も。
昨日も、今日も、そして明日もそれは変わらない。
「……はあ」
また、ため息がこぼれた。
不思議なことに、自分以外の発した『似たような音』と一瞬だけ共鳴したような気がしたが、大きく反響もせず――喧騒とコンクリートを踏み鳴らす足音に掻き消されてしまった。
――もし、昔寝るまえに読み聞かされた物語のように。通り過ぎた白の軌跡を追いかけて行けば、不思議の国まで落ちていけるのだろうか。
そんな夢見がちなことを考えるほどに、ボクは代わり映えのしない毎日に辟易としながら、学校へと向かっていったのだった。