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その三 決闘場:中身

 がらんどうのジャンの影から剣が突き出された。先程、マヤが蹴り、大公が弾いて下に落ちていった剣であった。

 残酷大公は喉を抉られ、悶えながら後退する。ジャンの抜け殻が決闘場に倒れた時、そこに男が立っていた。


 黒い髪を無造作に後ろに流し、切れ長の目をしていた。

 白いシャツに黒いズボンはジャンのそれと一緒だったが、体型はまるで違い、細く力強かった。首には真っ黒なマフラーを巻き、そこからねっとりとした溶液が零れ落ちている。

 マヤは麻痺したままの頭の片隅で、ジャンの部屋のクローゼットを思い出していた。


 ……もしかして、夜会に出る気満々だったんじゃ……。


 残酷大公は喉を抑え、肩を震わせた。血が止まらず、皮膚が張りをなくし、体全体が大きく震えている。ジャンは薄く笑うと、剣を決闘場に突き刺した。

「どうした? そろそろ薬の時間か? さあ、男同士、拳で語ろうじゃないか、大公殿!」

 残酷大公は注射器を首に刺す。

 ジャンに躊躇は無かった。一足で残酷大公の懐に入ると、顎を掌底で打ち抜き、胸に拳を数発撃ちこむ。顔を砕かれ、息を詰まらせる残酷大公の手から、空になった注射器が転がり落ちる。

 ジャンは更に肘を胴に打ち込んだ。

 ごろごろと転がってきた残酷大公を、立ち上がったマヤが思い切り蹴りつける。

 だが、あっという間に回復した残酷大公はふわりと空中を舞ってそれを避けた。

 しかし、それはマヤの予想通りの行動だった。残酷大公は上からマヤを攻撃しようとアゾットを構えるが、それよりも早く、マヤは飛んだ。鈍い音ともに残酷大公の顔にマヤの頭突きが命中した。錐もみしながら鼻血を吹き出す残酷大公の手からアゾットが離れ、決闘場から落下する。


 バランスを崩したマヤを、飛び込んできたジャンが受け止めた。一方残酷大公は、血反吐を吐きながら決闘場の端まで、無様に転がっていった。

 マヤはジャンを見上げる。ジャンは片眉を上げた。

「なんだ?」

「……いやあ、太ってないと、調子が狂うなあ」

「ほっとけ」

 残酷大公はよろよろと起き上がると、砕けた顎に手をかけ、鈍い音をさせながら無理やり戻す。

「かっは……エロヒムよ! エサイムよ! 我は求め訴えたり!」

 三度の手拍子。二本のアゾットが、決闘場の下からクルクルと回りながら戻ってくる。

穿(うが)て!」

 アゾットは錐もみしながら、二人に向かった。

 マヤは足と腰に力を込め、飛んでくる一本を蹴りあげた。ジャンはもう一本をかわしながら、その柄を掴み、マヤが蹴り上げたアゾットに打ち付けた。甲高い音と、女性のような悲鳴がマヤの頭に響く。

 アゾットの一本は砕け、下に落ちていった。ジャンが残った一本を決闘場に深々と差し込むと、マヤが拳を打ち込む。もう一本のアゾットも折れ残酷大公の足元に滑って行った。


 だが、残酷大公は笑っていた。

 周囲に出現させた血清の小瓶を口いっぱいに頬張ると、ガラスが刺さるのも、構わず噛み砕く。

「馬鹿めが! お前たちは最大の機会を逃したのだ! 

 もう遅いぞ! 

 見るがいい、体に力が溢れてくるぞ! これでも、我を殺しきれるか!?」

 残酷大公の体が膨らみ始める。

 ジャンは首をごきりとならすと、マヤの肩に手をかけた。

「やっとか……いや、疲れたな」

 マヤは大きく溜息ををついた。

「色々ありすぎて、もう……やっぱり出たとこ勝負ってのは良くないよ。想定外の事ばかり起きて、死にそうになるんだから……」


 二人の態度に、残酷大公はようやく事態の異常性に気が付いた。

 残酷大公の体は膨らみ続けていく。服が破け、皮膚も破け、骨の弾ける音が響く。

「な、な、なんだこれはあぁっ!!?」

 ジャンが肩を竦めた。

「俺の仲間の依頼人が、血清の何本かを『薄めなかった』といえば、理解できるか? 血清が尽きるのを待つんじゃなく、『薄めてない血清』を使うのを待っていたんだよ」

「馬鹿な! こんな馬鹿な!」

 残酷大公の顔がむくみ、膨らみ始める。

 もう笑みは浮かべられなかった。

「こんな――こんな……吾輩は至高の存在――」

 ジャンが鼻で笑う。

「お前はただの人間だ」

「何を――言っている?」

「ヘルメスが人間に絶望した。ふん、そうなんだろうな。

 だが、お前はもう一つの理由を見逃している」

 マヤが訝しげな顔をする。

「何を見逃してるの?」


「ヘルメスの実験は――ホムンクルスを造り生命の神秘を探求する道程は、最終目標である人間生成に到達していたのさ。

 つまり、ヘルメスは『人間を造り』そして、『魂を移して人間になった』わけだ。

 だからヘルメスは人間の世界に馴染もうとし――」

 マヤは頷いた。

「あ、それなら判る。

 だってなあ、人間じゃない奴が人間に絶望したら、距離をとるか、人間を滅ぼしてやるーってなるもんなあ。

 自殺だけは無いよねえ」

 ジャンは頷き、人差し指を立てる。

「ところで……そんなヘルメスをベースに造られた君は……」

 マヤはぽかんとした顔をした。

「あ……あたし人間、なの?」

「そうだ。まあ――ちょっと妙な力が使えるがね。

 ……同様に、ヘルメスの次の器として作られた者が、人間以外であるはずもないから――」

 ジャンの言葉の含むところを、残酷大公はようやく理解した。

「吾輩が――あの人が――人間だと!?」

「そうさ。知らんのか? 


『自殺する動物』は人間だけなんだぞ?」


 残酷大公は驚愕の表情を浮かべた。

「馬鹿な! 吾輩は――そ、そんな――た、助けてく――」

 残酷大公は言葉を言いきれなかった。ついに顔が内側から破裂し、残酷大公の名残は無くなってしまったからだった。


 決闘場には、脈動し、湯気を上げる巨大な肉の塊が、ただあるのみとなった。

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