表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/62

その一 タルタロス:残酷大公、登場す

 まず、マヤの目を引いたのは髪であった。

 それは多分地毛ではなく、昔の貴族が付けたような白い(かつら)を、子供がふざけてやったかのように、黄色や赤で(まだら)に染め上げたものだった。だが、その下には、鋭い切れ上がった碧い眼がぎょろぎょろとせわしなく動いている。

 鷲鼻の下に広がる口は、なるほど残酷な笑みを浮かべていたが、服は目が痛くなるような赤色。そしてその腰には奇怪な文様が施された柄に入った長い剣が、ぶらぶらとだらしなく揺れていた。


 なんだか、あたしが昼間、仮装したピエロみたいだ……。


「諸君! 吾輩が残酷大公である! ソドムの支配者にして、永遠を彷徨(さまよ)う者だ! 楽しんでいるかね? 短い一生を楽しまぬのは、愚劣の極みであるぞ!」

 キィキィと甲高い声が跳ね上がると、従業員の一人が頭を下げて前に出る。

「この棟の主任であります、マルブルクでございます」

 残酷大公は手を振って、主任を下がらせた。

「本日、ここに来たのは他でもない! 人に会いに――」

 胸をそらして辺りをねめつけていた残酷大公の視線が、マヤの所で止まる。驚愕、と取れなくもない表情がその顔に浮かんだ。

「これはこれは……なんとも下品に育ったものだ!」

 残酷大公の視線を正面から受けながら、マヤの胸中に暗雲が急速に広がりだす。


 なんだって? 育った?


「そこにいる女。前に出ろ。マヤ、何とかと名乗っているのだったか?」

 マヤはジャンの手を探ると、しっかり掴み、見上げた。ジャンが下唇を噛みながら、目を瞬かせている。人混みが静かに割れ、二人は手を繋いでその間を縫って、進み出た。

「ふむ……ハインリッヒとよろしくやっていると思ったが、あいつは失敗したか! しかしまあ、よりによって手品師と昵懇(じっこん)になるとは! 傑作だ! 皆もそう思うだろう!」

 残酷大公の後ろの一団は笑い始めた。その人を見下し、蔑む視線にマヤはげんなりした。

「哀れなり! 嘘に塗り固められて蚯蚓(みみず)の様に生きる女よ。盗人に嘘を吹きこまれ、本当の名も知らず、荒野にて道化と交わるか!」

「……この野郎、なにをごちゃごちゃと――」


 マヤの背にジャンが軽く触れる。マヤは下唇を噛むと、息を大きく吐いた。

「……あたしをからかいにきたのですか? それはとてもお暇なことで!」

 忍び笑いが残酷大公の後ろの一団から漏れ続ける。

 マヤはじろりとそちらを睨むと、胸に白い薔薇をつけた中年の男が、前に一歩出た。顔には薄ら笑いが張り付いている。

「貧乏人め、なんだその目は? 我々は貴様らとは生きている世界が違うんだぞ! ねえ、大公? このような俗人は放っておきましょう。それとも、この女を処刑するので?」


 残酷大公は首を傾げて、男を見た。その顔にも笑いが張り付いていた。

「どうかな? ところで貴様」

 残酷大公の目がきらりと輝く。

「吾輩の金庫から金を盗んだろう?」

 男の顔から表情が消えた。

「知っているぞ、パイク。吾輩の事を目の見えぬ輩と同類に扱っているそうじゃないか? んん? 吾輩が何も知らぬと思ったか? 吾輩の目が見えぬとでも思ったか? ん?」

 パイクはぶるぶると震えながら、膝をついた。

「た、大公……お慈悲を……どうか……」

「喜べパイク。貴様が常々言っていた退屈からの解放がやってきた! さあ行くぞ!」

 残酷大公が手を翳す。すると、足にすがりついていたパイクは、ふわりと空中に浮いた。

「た、助けてくれ! マルガレータぁ! お前も盗んだじゃないか! あの女も同罪だ!」

 残酷大公は逃げ出そうとした赤毛の女に、素早く手を翳す。見えない何かに殴られたように、彼女は床に突っ伏した。そのまま押さえつけられたように震えだす。

「女、そこに寝ていろ! さあ……」

 残酷大公は空中でもがくパイクに手を翳しながら、ロビーを出ると、手摺に飛び乗り、吹き抜けに一歩踏み出す。そのまま、何もない空間を階段を上るように、一歩一歩と上がって行った。


「うわっ、空中を歩いてるぞ!? これって手品……じゃないよな」

 マヤの問いにジャンは頷く。

 マヤは手摺に駆け寄ると、上を見上げた。吹き抜けの上のせり出した通路に残酷大公はふわりと着地した。浮いていたパイクは通路の端に転がり落ちると、悲鳴を上げ、許しを請い始めた。

 薄笑いを浮かべる残酷大公に階層警察官が走り寄ると、膝をつき何かを差し出した。

「あれは――マイクか? ねえ……何が始まるの?」

「それは――」

 ジャンが答える前に拡声器から、擦れた男の声が響いた。


『国民諸君! 及びお客人達! ようこそ、ソドムへ!』


 残酷大公は腰から剣を抜くと、パイクの前に転がした。そして懐から注射器を出すと自分の首に、紅い液体を打ちこむ。


『この男は! 私の金庫から金を盗んだ! そこの連中と共謀してだ!』


 残酷大公の指さす方を見ると、飛び出た通路の斜め下に、やはり突き出したバルコニーのようなものがある。そこに、四~五人の男達が同様に跪いていた。

 その傍らには、恐らくドーヴィルで襲ってきた、あのガスマスクと思われる人物が立っていた。階層警察の制服で、袖をまくっている。その手には――

「おい、あいつがいる! 銃を持ってる!」

 マヤの叫びに、近くにいた男が小さく呟いた。

「あれは去年からいる処刑人だよ。カスパールと名乗ってる」


『本来ならば、その場で八つ裂きにして海に投げ込むところであるが――』


 大公は耳まで裂けんばかりに笑いながら、高らかに手を三回打った。


『慈悲深い吾輩は、最後の機会を賊にやろうと考えたのだ。さあ、決闘だ! 諸君、賭けよ! 盗人よ! 吾輩を殺せば、自由だ。負ければ――』


 パイクは素早かった。獰猛な顔つきに変わるや、跪いた体制から剣を拾い、そのまま一気に突きこんだ。剣は残酷大公を貫通し、何かを背中から飛び出させた。客のどよめきと悲鳴が上がり、血煙が舞いあがった。それはひくひくと蠢いていた。


 し、心臓!


 マヤはジャンの手を探ると、強く握った。パイクはそのまま、剣を振り上げた。残酷大公の上半身は縦に切り裂かれた。よろよろと後ろに下がった大公に、パイクは勝ち誇った声をあげながら、更に追撃を咥えるべく、踏み込んで剣を突きだした。

 だが、残酷大公はその一撃を右手で受け止めた。血しぶきをあげ、手を貫通させながら握り、剣を折りとる。血に濡れ、裂けた顔で大公は笑いに笑った。


『惜しいな! この程度で吾輩は死なぬ! さて、盗人。今のが貴様の全力か? もし全力なら……死ぬしかないぞ!』


 残酷大公は、手で折った剣を踏み込みながら突き出し、大きく薙ぎ払った。

 パイクの首が千切れ飛び、弧を描いて吹き抜けを落ちていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ