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その十六 ソドム:国歌

 ハインリヒ・フィーグラーはうろうろとジャンの部屋を歩き回っていた。

 まねきを出た、という報告が見張りから来たが、待てど暮らせど二人は帰ってこない。凶悪犯だからと無理に説得して連れてきた同僚達からは不満の声が漏れ始め、仕方なく四人を残し帰した。その四人ですら、ハインツを胡散臭い目つきで見始めていた。

 壁に寄り掛かった一人があくびをした。


「ふぁ……なあ、ハインツ、俺非番なんだけど帰っていいか?」

「駄目だ! あいつらが帰ってきたら、即座に捕まえる。連中は危険分子なんだ! 昨日のフランスでの列車爆破事件の犯人だぞ!」

「でもなあ……空調の所為か、ここ少し寒いしさ、俺はポーカー仲間とウィスキーのソーダ割りで楽しく過ごす予定だったんだぜ」

 ハインツのこめかみの血管が大きく脈打った。

「お前らそれでも、誇り高き階層警察――」

 ドアの近くにいた一人が、鼻で笑った。

「おい、ハインツ。休んでばかりのお前が何を言ってんだ?」

「そ、それは、俺は、色々と仕事があってだな――」

「なあハインツ、下のロビーにいようぜ。あそこを通らなければ、ここには来れないだろ? 連中の外見だって、豚みたいな巨漢に、眼鏡をかけた胸のでかい小娘とくれば、見逃さないだろうしな。じゃあ、先に行ってるぞ」

 四人は談笑しながら部屋を出ていってしまった。ハインツは壁に拳を叩きつけ、爪でぎりぎりと引っ掻いた。


 ――くそっ! 俺は偉大なるアーリア人だぞ! 上も上だ。あれが欲しいなら、民間人ごと、この船を拿捕すればいい。騒ぐ奴らは、残酷大公も含めて全員殺せばいい――


 ハインツは、しばらくうろうろと部屋を歩き回っていたが、勢いよくクローゼットの扉に蹴りを入れると、部屋から出ていった。

 しばらく後、天井にあった格子がゆっくりと引き上げられた。通風孔から逆さになったジャンの顔が覗いた。

 ジャンはゆっくりと部屋を見回すと、さっと通風孔に素早く引っ込んだ。今度はマヤの裸足の足が突き出される。しばらく揺れていたそれは、かたりという物音に、またも素早く引っ込んだ。

「戻ってきた?」

 囁くマヤにジャンは頭を振った。そして後ろを向いて、耳を指差した。


 マヤは耳を澄ました。


 二人がいる通風管は各部屋に繋がっていた。暖房はお湯を使ったセントラルヒーティングなのだが、冷房は最新機器のフロンガスなるものを使ったクーラーで、それを客室棟ごとに設置し冷気を送っているのだ。それ故、ロビーや各客室の音は、通風管で耳を澄ませば聞こえるのである。大きな笑い声が上がり、ついで――

『お前ら! ちゃんと見張れ! なんで酒を飲んでるんだ!』

 ハインツの声が遠くから響く。どうやらロビーで大騒ぎらしい。

 

 ジャンはほらな、とマヤに向き直ると、彼女は既にいなかった。ジャンが通風孔から覗くと、マヤは丁度着地したところだった。すぐさま、クローゼットに走った。扉を開けると、奥の金庫を鍵で開け、ジャンの荷物、何枚もの旅券や様々な紙幣を取り出した。

 と、奇妙な事に気が付いた。

 奥にかけてある一着の服。それがジャンのサイズにしては小さいのである。引き寄せてみると、夜会用の上等なスーツだった。

 ……前の宿泊客が忘れていったのだろうか?

 その服にぼんやりと手を滑らせ、仄かな匂いに気が付いた時に、足音が聞こえてきた。バタバタと走る、大勢の足音! 

 あっと思った時には、足音はもう扉の前まで来ていた。

 通風孔は部屋の中心にある。


 マヤはクローゼットに飛び込むと、扉を閉めた。と、同時に部屋の扉が開き、一団が入ってきた。

 ハインツ以外の四人の顔はかなり赤い。

「ほら、やっぱり誰もいないじゃないか。考え過ぎだぞ。俺達だって馬鹿じゃないんだ」

「うるさい! そんなに酔ってたら、わからんだろうが!」

 四人のうち一人が頭を掻きながら前に出る。先ほどの非番の男だった。栗毛が乱れているのは、酒宴の所為だった。

「なんだって、そんなに執着するんだ? 大体、その報告ってのは本当なのか?」

「あいつらを捕まえろ、との残酷大公様の命令なんだ! 部屋をもう一回調べるぞ!」

「そんなことを言ったって、調べる所はバスルームとクローゼットしか――」

 栗毛の男はクローゼットに歩み寄ると、扉に手をかけた。

 天井裏でジャンが身を固くする。


 栗毛がにやりと笑った。

「そういや、さっきロビーにいた作家に聞いたんだけどさ、お前、その眼鏡の女にこっぴどくフラれたんだって? もしかしてこれって、個人的な仕返しで――残酷大公様の命令は出てないんじゃないのか? 指示書を見せてみろよ」

 ハインツはぎょっとして同僚達を見た。

 既に話は伝わっているという顔だった。ハインツは下唇を噛むと、速足で部屋を出ていった。

 残された四人は赤ら顔を見合わせた。

「おいおい、ホントにそうなのかよ」

「アホ臭い……あ、俺も非番の時間だな」

「じゃあ、飲みなおそうぜ。どこがいい?」

「フェネリの店にしようや。トーキョーって名の酒が美味いらしい! オスカー行こうぜ」

 オスカーと呼ばれた栗毛の男は、クローゼットの取っ手に手をかけた。

「まあ、ここだけ調べていこうや。ハインツの野郎、うるせえから――おい!?」

 体をこわばらせたマヤ。だが、クローゼットの扉は開けられなかった。


 遠くから、ひび割れた音楽が聞こえてきた。惚けたような調子の曲だったが、荘厳な感じがあった。ドアが乱暴に閉められる音がし、足音が遠ざかっていく。

 マヤは恐る恐る、クローゼットから顔を出した。

 ジャンが通風管から飛び降りてくる。

「え? なに? それにこの音楽は……」

「ロビーに行こう。俺達がいないと、人が死ぬかもしれん」

「なにそれ!?」

 ジャンが眉を曇らせた。

「残酷大公が何かをするんだ。この音楽はソドムの国歌だ。歌詞は聞いた事が無いがな。これが鳴ったら、全員が回廊に出るって法律だ」

「破ったら?」

「関係者一同全員処刑だ。まあ、守らない奴もいるが、今の状況だと、バカンツがこの機に乗じて俺達を探すに違いない。で、いなけりゃ腹いせに、そう……ヨハン辺りがやばい」

 二人が階段を駆け下りると、すでに大勢の人がロビーに集まっていた。入り口に整列している従業員達が一斉に深く礼をする。


 あの石像の男が胸をそらしながら、夜会服を着た一団を後ろに従えて大股で入ってきた。

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