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その一 風の吹く丘

 風が吹いた。

 なだらかな丘に草花が揺れ、白い綿毛のようなものが舞い上がった。マヤはお気に入りの麦わら帽子を飛ばされないようにと、頭に手をやり、その感触に――手で触った感触がまるでないのにハッとした。


 あたしは今、夢を見ている。


 ごとん、と遠くで音がした。その音に、夢を見ている場所を思い出し、途端に足元に広がっていた草原が歪みだす。

 頭が仄かに熱くなり、目が覚めようとしているのを感じた。

 だが、このままでは終わらない予感があった。


『マヤ』


 またあの声だった。ずっと前から見ている夢。

 いつも後ろから語りかけてくる謎の女性が出てくる嫌な夢。

 どこかで、そしていつも聞いているような耳元で囁かれたその声に、マヤは返事をしようとしたが、声はいつも通りに出なかった。

 足元の草原は渦巻きながら形を変え、石畳になっていく。


 ああ、また、始まる……。


 マヤは通りの真ん中に立っていた。

 そして、いつも通りに、懐かしくて暖かい何かに体が包まれるのを感じる。

 そして――これまたいつも通りに――空を見上げる。


 街灯の上に青白い光が踊っていた。


 空には毒々しい光の帯がうねるのが見える。

 オーロラだろうか? だが、ここで見れるとは聞いた事が無い。

 右手にある大きな建物の窓に何かが――誰かが映っている。

 だが、頭が動かせないのでよく判らない。

 女性のような気がする。後ろの彼女だろうか?


 うっすらとした影が周囲に現れ、人の形をとり始めた。やがて、それは数を増していき、通りを埋め尽くす群衆となっていく。群衆は皆、一方を、遠くにある大きな建物の方を見ながら何かを囁きあっていた。


『マヤ、ここがどこだか覚えている?』


 マヤは頷く。

 建物の形、群衆の囁き、図書館で調べるとすぐに見当はついた。最初に見せられてから一週間後には母親からお金を借りて、実際に現場に足を運んでもみた。


 ここはオーストリア――正確に言うならサラエボの市庁舎から四キロメートル。

 日付は一九一四年六月二十八日。

 サラエボ事件があった日だ。

 第一次大戦のきっかけと言われているオーストリア=ハンガリー帝国の大公夫妻が暗殺された事件。

 その日の夢を何度も何度も、この耳元で囁いている女性に見せられているのだ。


「ヴィ……ルジニー」


 マヤは声を絞り出した。途端に周囲の囁きが、音が、動きが止まる。


『私の名前を憶えていたのね。最初に会った時に名乗っただけなのに……』


 マヤは必至に目を動かす。

 雪のように白い手が見えた。そしてその指先の爪は、長く湾曲していた。


『マヤ、ソドムに向かってるのね?』


 真っ白な腕が後ろから絡みついてくる。マヤの鼓動が早まった。触れられると、強烈な違和感が体を走り抜ける。

 これはあってはならない感触だ。だが、それが何なのかは判らない。

 あってはならない? と、ヴィルジニーの含み笑いが漏れた。

 ああ、また心の中を読まれた、とマヤはうんざりした。


『……もうすぐ会えるわ。マヤ、あなたの父親にね。そしてソドムに来れば……』


「あなたにも会える?」


『かもね……ああ、頭にご用心……』


 今度こそ夢の終わりが訪れた。

 世界が急速に萎み、足元が無くなり、マヤは何処までも深くて暗い闇に落ちていく。

 クルクルと回りながら落ちていく。

 髪をなびかせ、手を振る女性の真っ白なシルエットが遥か彼方に遠ざかっていった。

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