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その十 ソドム:カレー店での密談

「……マヤ、言っておくことがある」

「ん? 実はカレー嫌いとか? それとも、いつもの与太話?」

「真面目な話だ。もっと後にしようと思ったが――向こうが焦れてるような気がしてね」

「ふうん……」


 周囲の好奇の目、囁かれる嘲笑は止まらなかったが、二人は体を密着させ歩いていた。

「俺達は現在、何者かにつけ回されていると思われる」

「もしかして、ここにドーヴィルや列車の連中がいるの?」

「多分な。さっきの男、なんだったかな、名前は?」

「馬鹿のハインツさ」

「もう馬鹿呼ばわりか。馬鹿のハインツも悲惨だな」

「略してバカンツで良いんじゃね?」

 二人はくくっと笑い合った。パン屋の店の前でコーヒーを飲んでいたコック服の少年が、冷やかしの口笛を吹く。ジャンは彼に手を振った。


「ハインツは階層警察の服を着ていた。聞く限り、さっきのお誘いは、不自然極まりない。あいつの後ろにいるのは残酷大公か、それとも別の誰かか? ここは各国の諜報員が大勢いる。俺も金次第でそういう真似をするしな」

「ああ、ドイルの小説の潜水艦の設計図を盗む話みたいな事もやるの?」

「依頼人によるな。まあ、その話は置いといて、実はさっき、お前の部屋に入った時にだな、絨毯に足跡を見つけた」

「おう! で、どう見るホームズ君?」

「こんなデブのホームズと、はきはきしたワトスンがいるかよ。で、ベッドの周りにあったんだが、男物のブーツの跡だった。更に調べてみると冷房用のダクト内に何者かが這いずり回った跡があった。勿論、客室泥棒の可能性もある」

「おいおいおい……風呂に入れないじゃん。あ、一緒に入る?」

「アホ。もっと恥じらいを持てよ」

「冗談だってば! でもさあ、ジャンさんと、この船を降りたら別れることになるだろ? あんたの本職が何か知らないけど、あたしと会う事は今後ないでしょ? ちょっと刺激的な思い出の一つは欲しいねえ」

 ジャンはむうと唸った。

「そういう思い出なら、昨日の夜から散々しただろうが」

 そう言うとジャンは通路の脇にあるゴーレムを顎で示した。耳を押さえた木彫りの猿の瞼が小刻みに震えている。


 マヤは片眉を上げた。

 もしかしなくても、あたし達の会話は盗聴の対象みたいだ……。

 ジャンはマヤの腕を引っ張ると、手近なカレー屋台の前のテーブルに腰を降ろした。

 すぐに飛んできた店員に注文すると、あっという間に二人の前に幾つかのカレーが並ぶ。その中の一つの毒々しい緑色のカレーに、マヤは恐る恐るナンをちぎり、浸してみる。

「すごい色だなぁ……」

 向かいに座ったジャンが、真っ赤なカレーにナンをつけて一口齧り唸る。

「ううむ、甘い! 美味くて甘い! 果物の甘さかな? ふ~む、興味深いな……」

「へえ! どれどれ~……」

 マヤはジャンの齧りかけのナンにかぶりついた。途端に悶絶する。

「辛っ! このっ! うわー、辛い辛い辛い!」

 はっはっは、とジャンは笑うとマヤの前の緑色のカレーにナンを浸して口に放り込んだ。

「うーん、グリーンカレーは美味いなあ」

「うぐぐ……」

 涙目のマヤもグリーンカレーを口に放り込んだ。

「お、これは美味いなあ! もうちょっと大盛りのやつを頼もうかな」

「やめとけ。本番の夕食が入らなくなる」

 マヤはそだね、と小さく言うと一緒に注文したインドの茶を飲んだ。

「これ、チャイっていうんだっけ? 残酷大公『様』は今、インドに凝ってるのかね? まったく、変な――」

 ジャンは指を一本立てると、屋台の店先を指差した。

 入口横に置かれた、象の頭を持った人の像が、こちらを見ているような気がして、マヤは口をつぐんだ。


 ジャンは懐に手を入れると、テーブルの真ん中にコインを一枚置いた。錆びたそれにマヤは首を傾げる。と、空気が震えたような感触が肌に感じられた。

「あれ? 今、なんか――」

「このコインは簡易結界を張る触媒だ。今、このテーブルの会話は周囲の人間には聞こえない。あの像も盗聴できない――はずだ」

「はずって……でも、魔術だろ? 残酷大公が感知するとか無いの?」

「恐らく無い。ソドムは全体に魔力が満ちている。ガンマが回復してたろ? このコインの魔力なんて大海の一滴さ」


 マヤは姿勢を正した。

「さて、何か話してくれるってわけ?」

「……順序立てていく。マヤ、カレーを食べ続けろ」

 マヤはマレーを口に運んだ。ジャンも食べながら下を向いて喋り続ける。

「馬車の中で脚本の話をしたよな?」

「ああ、呪われた村。起きたらみんな死んでいるって話ね。カフカだと起きたら虫になってるんだっけ?」

「あれは虫じゃない。正確に言うと害獣だ。しかし、お前、文学に明るいよな……」

 マヤはへへ~と笑うと、テーブルに胸をつけてジャンの方に両手を伸ばした。

「勉強結構好きなんだよ。偉い?」

 ジャンはふふっと笑うと、マヤの両手に指を絡めた。

「偉い偉い。ところで、俺の脚本だがね、あの時言った言葉は嘘だ」

「嘘? どこが?」


「全部、実話なんだよ」


「…………え?」

 ジャンはマヤの手の甲を指で撫でながら語り始めた。

「俺は、数年前、駆け出しの頃だったんだが、ある仕事を受けた。殺人事件の捜査だ。警察によって解決済みの案件だった」

 マヤはジャンの指の感触に安堵感と……愛撫に似たいやらしさのようなものを感じ、小さな興奮を感じ体を震わせた。その拍子に眼鏡が少しずり落ちた。

「村人が半数殺されて、犯人の学校の教師は自殺。もめ事を一度も起こしたことのない、穏やかな中年の女性だったらしい。警察は精神的重圧による凶行と発表したが同僚の教師達が納得しなくて、巡り巡って俺に依頼がきたというわけだ」

「う~ん……」

「人間は単純じゃない。色々な理由が、ある一瞬の何かのきっかけで爆発して、殺人がおきる。頭の良し悪し、性別関係なしにな。とはいえ、幾らなんでも犯行と人物像が合わな過ぎる。で、俺はあの頃は暇だったというのもあるんだが、ともかく突っ込んで調べてみたんだ。そしたら類似の事件が出てきた」


 ジャンは軽くマヤの手に爪を立てた。マヤはその感触にぞくぞくとした。

「無差別な殺人、破壊活動、後に犯人が発狂もしくは自殺。これがかなりの数で過去数十年の間にヨーロッパで起きている。普通の人間がある日、突然狂う」

「……不況とか戦争の所為ってのは?」

「俺もそう思った。だが、田舎の警察の調書を読んでいた時だ。妙な文章に出くわした。それで、色々駆けまわると、また違った共通点が出てきたんだ。そして、それは――お前も見ている」

「へ? 見ている?」


「お前の夢に出てきたアレだ」

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