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その十五 ぶらり旅:マヤ、深き淵に到着する

「……あの雲の辺り? 遠いの? あたしには見えないけど……」

「あれは雲じゃない。霧だ」

「霧ぃ? でも、霧ってあんな風に固まってるもんじゃないと思うけど……」

 ジャンはマヤの質問を無視した。

「ソドムは残酷大公の統治する独立国家だ。各国は脅迫されたり弱みを握られたり、何かの取引があったりで、結果黙認している。国だから、あそこにはあそこの法律がある。違法行為をすれば激烈な裁定が下される。

 逃げようにも逃げられない海上の地獄だ」

 マヤは目を瞬かせた。

「国家? 国ってこと? ……脚本の話か?」

「そう思いながら聞いてくれても構わん。ソドムは残酷大公の魔力と近代科学の技術で運行されている。科学の力で霧を発生させ、魔術で霧を固定している」

「科学と魔術……」


「さて、お前が守らねばならぬことが二つある」

 ジャンはマヤの胸に指を突き立てた。マヤはその指をちらりと見て、そのままにした。

「今から俺達は小型船に乗る。絶対に海の中を見るな」

「は?」

「もう一つ。ソドムに入国したなら、残酷大公に対して悪口の類は口にするな」

「いや、その……それは、一人でいる時でも?」

 ジャンは頷いた。

「残酷大公の耳に届いたなら、二度と陸には上がれん。というか、『良くて』死刑だ」

「えぇ……残酷大公ってのは、その――魔法使いなの?」

「……どちらかと言えば錬金術師だ」

 マヤが眉をひそめる。

「錬金術? ……あの金を作り出すやつ?」

「それは一側面だ。主題は永遠の命の探求だな。生命を作り出すのを目指す奴もいる。前にソドムに行った時は、残酷大公はホムンクルスを作ったことがあるとパーティで喋っていたな。いずれは人間を人工的に作りだすとも言っていた」

「へぇ……ところでジャンさんは前にソドムに行った時は何の用件で行ったの?」

 ジャンはいつの間にか白い上着を脱いでおり、何処から出したのか、いつもの黒い上着に袖を通していた。マヤは手を打った。

「あ、ショー?」

「そうだ。ま、俺の手品を見てた奴なんていなかった思うがな。あそこは世界中のエンターティナーが破格の報酬で呼ばれるんだ」

「あぁ、あたしは、てっきり――まあ、その話はもういいや。で、ホムンクルスだっけ。聞いたことはあるかな。妖精みたいなものでしょ?」

「まあ、そんなようなものだ。錬金術で作る、瓶の中の小さい人。大公は不死の研究の果てに、そこに辿りついた! とかなんとか。酒の席のほら話――と思いたいところだ。

 ただ、残酷大公が化け物ってのは間違いない。そっちは、この目で見た。銃で撃たれたが平然としていたな。不死かもしれんし、不老かもしれん。とにかく化け物は化け物を呼ぶんだよ。だから――」

 マヤはにやりと笑った。

「あたしも、『呼ばれた化け物』ってね?」

 ジャンはマヤをじっと見た後、顔を歪めた。

「冗談でもそういう事は言うもんじゃないぞ」

「はい? ジャンさんが昨日の夜に言ったんじゃん」

 ジャンは眉を顰め、そうだったなと呟いた。それからマヤの胸に再度指を突きつけた。

「ともかく! 絶対に守れよ!」


 馬車が止まり、二人は長い桟橋を渡った。目つきの悪い船頭が操る小舟に揺られ、二人は沖を目指して進み始めた。海は静かだった。風は心地よく、陽光が海面にきらめく。

 だが、マヤは何かがさっと船の下で動くのを目の端に捕えた。

 何だろう? 目を凝らそうとして、ジャンに言われた言葉を思い出す。

『海の中を見るな』

またもさっと何かが目の端で動く。海面下、何かが間違いなくいる。だが、魚ではない。鮫や鯨の類でもない。捻じれていて、巨大で、細長い腕のようなものがたくさんついている。イカやタコか? だが、ちらりと見えた体の先端には『顔』がついているように思えた。マヤは隣に座るジャンの手を探って握った。

「ジ、ジャンさん! 今、下にさ……」

 ジャンはマヤの手を握り返した。

「落ち着け。まだまだ増える。だが、じっと見ない限り、こちらには手を出してこない」


「な、長く深淵を覗く者は注意せよ……」


 マヤの呟きをジャンが受けた。


「深淵もまたお前を見返す……所々ニーチェの言葉とは違うが、まあ、状況と意味は合ってるな。願わくば怪物と向かい合わず、戦わない平穏な人生でありたいもんだ」


 マヤはふへっと無理に笑った。

「列車で怪物と戦ってたじゃない」

「あれは怪物というのには小物過ぎる。あれが怪物なら俺も怪物だ」

「あたしは化け物だから、丁度いいんじゃないの?」

 マヤの震えながらの冗談に、ジャンは苦笑した。

「すまん、悪かったよ。失言だった。おい、マヤ」

 突然、初めて名前を呼ばれ、マヤは、ばね仕掛けの人形のようにジャンの方を向く。

「な、なに?」

「哲学的な事を言うぞ。

 これからの人生、お前さんは怪物と思しきものに何度も出会うかもしれん。でも一番厄介な怪物は、他でもない、お前自身だ。自分の敵は自分。こればっかりはどうやっても逃げられないからな。それに対峙した時、覗きこみ過ぎると――帰れなくなるぞ」

「……むう、それっぽいけど、意味が分からない」

 ジャンはぺろりと舌を出した。

「俺もだ」

 マヤは吹き出した。ジャンもつられて笑い出す。

 船上の空気が変わった。海面下の影も消えているようだった。


「さあ、いよいよだ」

 ジャンの声に前方を見ると、真っ白な塊が近づいてくるのが見えた。それはどんどんと大きくなっていき、やがて視界いっぱいになった。近づくほどに、気温が下がっていく。

「ホントだ……霧だ」

 マヤが呟くと同時に、小舟は霧の中に入った。視界が真っ白になった。隣に座っているはずのジャンの姿すら見えない濃霧。マヤはジャンの手を更に強く握る。

 どこかでばちゃりと水音がする。続いて、しゃっしゃっという音が近づいてきた。マヤはたまらずジャンに体を寄せた。生暖かい感触が肩に当たり、思わず、目を瞑ると――ジャンに抱き着いていた。しばし後に、静かにジャンの腕がマヤの肩に回された。

「落ち着け。向こうからは何もしてこれない」

 ジャンの囁きに、マヤは頷き、目を開けた。


 渦巻く霧の一部が黒くなり、やがて巨大な壁が現れた。

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