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その十四 ぶらり旅:マヤ、再びジャンに惜しみない拍手を送る

 大通りは、眩いばかりの光りに溢れていた。

 だが、マヤ達が進む裏通りは薄暗かった。建物の間に張られたロープ。そこにぶら下げられた様々な物、洗濯物や漁に使う網、干し魚が陽光を遮っているのだ。

 甘ったるく胸をムカつかせる匂いも、暗さに拍車をかけた。それは、海の匂いと残飯の臭い、そして、どんよりとした目でこちらを眺めている、そこかしこに座った人達から漂ってくるものが入り混じったものであった。


「酷いな……倫敦の麻薬街もこんな感じなのかな?」

 マヤの呟きにジャンは、頷く。

「昔はこんなじゃなかったがね、残酷大公が立ち寄る場所は腐敗するんだよ」

 マヤはごくりと唾を飲む。ジャンに冗談で言った、堕落の宴。それは冗談になっていなかったのだ。そんな場所に今から自分は飛び込むつもりなのだ。

 前方に明るい大通りが近づいてくる。

「あれが、ラプラス通り――」

 マヤが呟いたその時、前方の右側の建物の木戸の一つが開くと、何者かがのっそりと出てきた。

 大通りからの逆光の中に立つ、その人物は軍服を着ていた。だが、顔の表情は判らない。ガスマスクを着けていたからだ。ご丁寧に目の部分は斜光仕様になっている。

「立ち止まるな!」

 足を止めようとするマヤの手を、ジャンは掴んで走り出した。と、後ろでも木戸の開く音。振り返れば軍服を着た男達がぞろぞろと左右の建物から現れた。

「挟まれた! どっかに抜けみ――」

 マヤが言い終える前に、前方のガスマスクは銃を抜いた。


 まさか! こんな狭い通路で――


 ジャンに抱き寄せられるのと、銃撃音が響くのはほぼ同時だった。マヤを抱いたジャンは、左右の壁を交互に蹴って二階くらいの高さまで跳躍し、捻りを咥えながらガスマスクの頭上を飛び越す。刹那、マヤの目に、血を流して倒れこむ、後ろの軍人達や麻薬常習者達の惨状が飛び込んできた。

「こ、こいつ、なんてことを……」

「構うな走るぞ!」

 怒りに身を震わせるマヤの手をジャンは掴んで引き寄せ、ラプラス通りに飛び出した。

 あまりの眩しさにマヤは一瞬視界を失う。次の瞬間、衝撃があって、体が浮くのを感じた。ついで背中に痛みが襲う。

「がっ……」

 息がつまり、背中を殴られたのがわかった。

 石畳に突っ伏すと道化師の真っ赤なつけ鼻が、石畳に鮮烈な色を浮かべて転がっていった。近くで犬を抱いた夫人が悲鳴を上げ、三人を中心に喧騒が大きくなっていく。

 マヤは咳をしながら、何とか膝立ちになる。海辺の町だからだろうか、口の中に入った砂はやけに塩辛かった。背中を探り痛みに呻くが、血は出ていないようだった。

 ジャンがさっと腕を取ってマヤを立たせた。

「怪我は!」

「い、いや。大丈夫。殴られただけ!」


 陽光の中、ガスマスクは、両の拳を握ると半身になり、腰を落とした。マヤは毒づくと、拳を握ってガスマスクに突撃しようとしたが、ジャンが押しとどめる。

「構うな! 俺達は――」

 ジャンが言い終わる前に、ガスマスクは地を蹴った。一足でジャンの懐に入ると、拳を腹に叩きこむ。ジャンはむぐっと唸ると、マヤを抱えて転がり、そのまま起き上がると、走り出した。

「だ、大丈夫!?」

 ジャンは答えず、口の端からだらりと緑色の液体を垂らした。ガスマスクも追走する。あっという間にジャンの背中に追いすがったガスマスクは、拳を振り上げた。

「危ない! 殴ってくる――」

 ぞるりっという音ともに、ガスマスクの袖口から長大な刃が飛び出した。

「うわわわっ!」

 マヤの悲鳴と、ガスマスクが腕を振り下ろすのは同時だった。

 だが、マヤの悲鳴は刃物におびえてのそれではなかった。ジャンはマヤを上に放り投げ、振り向きざま向かってくる刃をガスマスクの腕ごと蹴り上げたのだ。バランスを崩したガスマスクは路上に転がる。ジャンはマヤを受け止めた。

 マヤは呆然とし、ジャンとガスマスクを交互に見た。

「すっげぇ……。あ、もう一発あいつを蹴ってくれない?」

 跳ね起きたガスマスクの顔を、ジャンは正面から蹴り飛ばした。小気味良い音とともにゴロゴロと転がるガスマスクを尻目に、ジャンは再び走り出す。マヤは抱えられたまま、歓声を上げ拍手をした。

「いやあ、やったね! 胸がすっとした! あんた手品や銃だけじゃなくて、腕っぷしも凄いんだなあ!!」

「ふん、基礎だ基礎。そら着いたぞ!」


 通りのある地点から石畳の色が変わっていた。

 琥珀色のそれは、海までの長い距離に敷き詰められ、なるほど異質な空気を発している。

 そして、そこには二頭立ての馬車が何台も縦列にとまっていた。交通規制がしてあるらしく、警官達が歩行者や自動車を色違いの石畳のエリアに入らないように横道に誘導している。

 先頭の馬車の横に、白く塗られた看板があり、大きく『ソドムへ』と髭文字で書かれていた。

 二人が近づくと、警官の一人が手を上げ近づいてきた。

「こら、お前ら! ここは立ち入り禁止だ! あっちへ行け、あっちへ!」

 マヤは招待状を出し、警官に見せた。警官は片眉を上げると頷き、ジャンを見る。ジャンも招待状を出していた。

 あれ!? 何でジャンさんが招待状を――

 マヤの疑問はすぐに氷解した。袖口からガンマが伸びて、寄り集まって招待状を模倣しているのだ。

 警官は二人を先頭の馬車に案内し、マヤに頭を下げた。

「お二人ともご一緒の馬車でよろしいですか? こちらはマヤ様の馬車となるのですが?」

 マヤは目をぱちくりさせ、ジャンを見た。

 ジャンは重々しく頷く。

 マヤも頷くと、ツンとした声を出した。

「私、構いませんわ! さ、エスコートしてくださる?」

 呆れ顔のジャンと、若干ドヤ顔のマヤを乗せ馬車はそろそろと進み始めた。


「やれやれ……これで何とかなったわけだ」

 溜息をつくジャンの声に、招待状に化けていたガンマがばらりと解けた。

「アンガイ、ちょろいじゃないカ?」

「ま、ソドムは入るのは簡単。出るのは地獄だからな」

 マヤが肘でジャンをつつく。

「ねえ、招待状見せちゃったら、ソドムの客ってことになっちゃうんじゃないの? ジャンさん桟橋まで送ってくれるとか言ってたけど、そろそろついちゃうけど……」

 ジャンはむっつりとした顔で髭をしごき、鼻息を漏らした。前方に砂浜が見え始めた。

「……ソドムの桟橋までってことだ。ソドムってのは船だ」

 マヤはぽかんとした顔をした。

「はい? 船?」

「そうだ。そら、あそこに停泊しているぞ」

 ジャンの指差す海上には、朝見た時と同じ雲があった。

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