俺って一体なんだろう。
「夢」とはなんだ。
「情熱」とはなんだ。
「正しい」とはなんだ。
俺はそんな言葉とは無縁の存在として生きてきた。
夢を追いかけた事もない。情熱を傾けた事もない。正しいを理解しようとした事もない。
そんな俺を世間様はどう呼ぶか。「無気力人間」である。
でも俺はそんな俺が嫌いじゃない。帰国子女で語学堪能、頭も悪くないし、世間で言う一流大学に滑り込んで学歴もある。自分の顔だって別に嫌いじゃない。至って普通の顔である。会話だって普通にできる。人に合わせた会話もするし、常に営業スマイルも振りまいてる。
では俺が「無気力人間」たる所以はなんなのだろうか。端的に言おう、「性格」である。
「人の第一印象は見た目で決まる」と誰しもが一度は聞いた事があるだろう。この論は事実だ。でなければ漫画とかでよく吐かれるセリフ「黙ってれば可愛いのに〜」なんてものがこの世界に生まれる事はなかっただろう。
人は顔が良いだけで得をする。この世界に生きている限り、ぶれる事のない真実としてあり続けるだろう。少なくとも俺の人生では絶対の真理としてあり続けた。「黙ってれば可愛いのに〜」人間は例え話がクソつまらない上に超ドジな奴でも「天然で可愛い〜」人間として地位を確立できる。本当に不愉快な話だ。
話が逸れてしまったがなぜこの話をしたのかと言うと、「人の第一印象は見た目で決まる」論は単発的な人間付き合いでは絶大な効力を発揮するが、長期的な付き合いでは効力を途端に失うと言いたかったからだ。長期的な付き合いだって単発的な付き合いから始まるのだからその論はどのみち当てはまるだろうとあなたは思うかもしれない。確かにその通りだ。だがよく文面を見て欲しい。効力が「ない」のではなく、「失う」のだ。
ではどうして失ってしまうのか。答えは簡単、「性格」がにじみ出てしまうからだ。
俺の性格は「めんどくさがり家」である。なんだよくいるタイプじゃないかと思うだろう。その通り。俺は極めて標準タイプのつまらない人間なのだから。何かやりたいと思い立ってもめんどくさくて行動に移せない、締め切りが迫っててもめんどくさくて後に後に先延ばしにするごく普通の人間である。だがこれはあくまで主体的な「めんどくさがり家」なのだ。本当にタチが悪いのは客体的にみた「めんどくさい奴」なのだ。いつまでも小さな事を気にする、人間関係に敏感すぎる、優柔不断。考えて見ただけで「めんどくさい奴」だ。だがそれが俺なのだから本当に笑えない話だ。
そんな「めんどくさがり家」で「めんどくさい奴」である俺な訳だが、単発的な付き合いで俺を嫌いになる人間はほとんどいないのではないかと自負している。それは決して顔が素晴らしいからとかではなく、人に合わせた会話をして営業スマイルを振りまく良い人を演じきっているからである。しかし、それも結局は長期的な付き合いになればバレてしまう。所詮俺は中身のないつまらない「無気力人間」であり、それは究極的に言えばどこにでもいる平凡な「ノーマルスペック」なんだと。
とても長い前書きになってしまったが、俺がこれからあなたに伝えるストーリーは極めてシンプルだ。
「めんどくさがり家」で「めんどくさい奴」で「夢」も「情熱」も「正しい」も知らないただの「無気力人間」の恋の物語である。
小説とも随筆とも言えないよく分からない作品になりそうだが、あえてタイトルをつけるならば何にしよう。
「平成生まれのノーマルスペックが恋をする」