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翌日の放課後、彼女の容体が急変して救急車で搬送されたと、おばさんからのメッセージで知った。
心臓が止まり、目の前が真っ暗になって足元が崩れていくような感覚に陥った。
校門の外に出ていたので、とっさに壁に手を当てて体を支えた。
しばらくじっとしていて、少しずつ落ち着きを取り戻してきた。
深呼吸を三回して、携帯の画面に視線を向ける。
手が震えているけれど、今は自分の意思ではどうにもならなかった。
「病院に見舞いに行ってもいいですか?」
というメッセージを何度も修正しながら、ようやく送信した。
会えるのだろうかという不安な気持ちに胸が圧迫されていた。
しばらく待っていたけど、返信がなかったのであきらめて家に戻った。
母さんが顔を出してぎょっとした声をあげた。
「あんた、どうしたの? ひどい顔しているわよ」
そうなんだろうなと他人事のように思い、ぎこちなくうなずいて手洗いとうがいをすませようとしたところを呼び止められた。
「大丈夫なの?」
珍しくしつこかった。
ということは相当ひどいのだろうなとやはり他人事のように思った。
「大丈夫だよ」
わずらわしいと思う気持ちはあったけど、摩耶ちゃんとおばさんのことがとっさに浮かんでしまった。
あまり邪険にするものじゃないという考えが勝ち、弱弱しく言うだけにとどまった。
母さんはずいっと寄って来て、僕の額に手を当てた。
「熱はないみたいね」
そうだろうと思った。
僕自身はいたって健康のはずだった。
もしかしたら心がやられているのかもしれないけど……。
「机の上に置いていたやつと何か関係があるの?」
学校があった関係上、部屋に置いておくしかなかったのだけど、やはり見られたのだろう。
本当に母さんはいやになるくらい鋭かった。
「今はまだ何も言いたくないかな」
聞いてもらいたい気持ちと、誰とも関わり合いになりたくない気持ちが両方同時に存在していて、後者のほうが少し強かった。
「そう? じゃあ話す気になってからでいいわ」
母さんは相変わらず物分かりがよくて、それに助けられた。
言わなきゃダメなんだろうか……ダメなんだろうな。
なんて思いながら部屋に戻った。
自分の中の気持ちがぐちゃぐちゃになっていて、とても気持ち悪かった。
摩耶ちゃんにもう一度会いたい……これはかなう願いなのだろうか。
詳しい状況がさっぱり分からないせいか、悪い考えばかりが浮かんで来ていた。
服を着替えた後、ベッドの上に寝転がってぼんやりと天井を見ていた。
通知が来ればすぐにでも反応できるように、携帯を枕元に置いていたけれど、まるで反応しなかった。
時間がたつのがかつてないほど長く感じられた。
悶々としていてただぼんやりとしているのは馬鹿だけど、何かをやろうという気力は全くわいてこなかった。
ただ何もすることなく、ただ時間が流れるままに身を任せていた。
ふと気づいた時にはすっかり部屋は暗くなっていた。
何も見えないけど別にいいやと自暴自棄に近い気持ちで放置することにした。
指一本動かすのさえ、やりたくない心境だったのだ。
そんな状態が動いたのはノックの音ともに母さんが部屋に入ってきてからだ。
「春人? ご飯なんだけどって、電気もつけずにどうしたの!?」
母さんの叫びを聞いてしまったと思った。
ただでさえ変に思われていただろうに、これでダメ押しだ。
それでもそんな後悔はすぐに消えて、気持ちはまた沈み込んでしまった。
母さんは部屋の電気をつけてからつかつかと寄ってきた。
久しぶりの光の刺激に反射的に目をつぶった僕に、母さんは近くで声をかけた。
「何があったのか言ってごらん。さすがに見て見ぬふりをできないわよ」
いつになく厳しい声が僕の耳朶を打った。
つい口を開きかけ、一回閉じてしまった。
ここで全部しゃべってしまってもいいのだろうかという疑問がとっさに頭に浮かんだからだ。
だけど、黙っていてもどうにもなるとは思えなかった。
それに話してしまえば、母さんの知恵を借りることができるのだ。
僕じゃどうにもならないと思うようなことでも、母さんや父さん、大人なら何とかできるのかもしれなかった。
「実は……」
かなり迷ったものの、結局打ち明けることにした。
余命宣告を受けていることは隠したが、それ以外はほとんどすべてだ。
「そうだったの」
母さんは痛ましそうな顔をしてそう言った。
どうして今まで黙っていたのかと責めないのはありがたかった。
「今まで黙っててごめん。でも言えなくて……」
「そうね。ペラペラ誰かにしゃべることじゃないわね」
母さんは実に物分かりがよかった。
それがかえって僕の罪悪感を刺激した。
「それで連絡はまだないのね?」
「うん……」
僕に連絡できるような状態でないという可能性がとても高いのだろう。
母さんもまた気づいているようだった。
「とりあえず晩ご飯食べなさい」
「でも……」
「いいから!」
母さんに反論しようとしたら、強い口調で遮られてしまった。
「連絡があったら病院に行けるようにしておくべきじゃないの?」
「それはそうだけど……」
言いたいことが分からないわけじゃなかった。
ただ、気持ちが受け入れることを拒否していた。
「あなたまで倒れたら、その子もつらいでしょう」
しかし、そう言われてしまうと詰まってしまった。
確かにそうだった。
僕まで倒れるわけにはいかなかった。
「ご家族だって迷惑よ。私だったらうちの子のせいで、なんて思うかも」
この言葉はいわばとどめだった。
大変そうなおばさんに追い打ちをかけるような真似、僕にはとうていできなかった。
「分かったよ」
そう言って、ご飯を食べる決意をした。
体を起こしたけど、いつもよりも重かった。




