30
次の日の放課後、一度家に帰って机の上に置いておいたオルゴールを手に取って、すぐに家を出た。
一刻も早く彼女に会いたかった。
そしてオルゴールを見せたかった。
念のためにラポールの通知を確認したけど、会えないという主旨のメッセージは届いていなかった。
ホッとしたのは言うまでもないだろう。
早歩きになりそうなのをこらえながら彼女の家を目指した。
応対してくれたおばさんに先にオルゴールが入った箱を見せた。
「オルゴール買ってきたのですけど」
いざ報告するとなると、喜んでもらえるのかという不安が急激にこみあげてきた。
「えっ? 本当に買ってきてくれたの?」
おばさんは目を大きく見開いて息をのんだ。
喜ぶとか以前に、完全に想定外だったようだ。
「喜んでもらえたらいいのですが」
「あの子はきっと喜ぶわよ、ありがとう」
おばさんはにこりと笑ってそう言ってくれた。
そうだと良いなと思うながら家の中に入れてもらった。
「今日も寝ているのですか?」
「ええ。朝は少し起きていたんだけどね」
おばさんの声は重苦しいとまではいかなくとも暗かった。
なかなか体調が回復してこないのか。
まさかもう回復しないってことは……嫌な考えが浮かんでしまい、必死に頭の外へ追い出した。
最悪の可能性は考えておくべきなのだろうけど、今やることでもないと思ったのだ。
「部屋に行ってもいいですか?」
「ええ。後でお茶を持っていくわね」
許可をもらって彼女の部屋へと続く階段を昇った。
そんなわけないのに、いつもより明るさが足りていないようだった。
箱を左手で抱え右手で彼女の部屋のドアを強めにノックした。
「はい? 春人君?」
彼女にはすぐに言い当てられてしまい、ちょっと驚いた。
「そうだよ。入ってもいいかい?」
前回とは違って今回はきちんと声を出すことができた。
「どうぞ」
入ってみれば昨日と比べてそこまで変わったところはなかった。
当たり前かもしれないけど、僕にとっては重要なことだった。
「今日はみやげがあるんだ」
第一声にそう言って、僕は左手に持ってオルゴール入りの箱をちらつかせた。
「ありがとう。何かしら?」
彼女が遠慮せずに関心を示してくれたことが、とてもうれしかった。
彼女の近くまで寄って、箱からオルゴールを取り出した。
「オルゴールだよ。摩耶ちゃんが好きだっておばさんに聞いたから」
「あら、可愛い。ピアノタイプなのね」
彼女は目を輝かせてくれたので、買ってきてよかったと思えた。
手のひらの上に乗せて蓋を開けると音楽の教科書に載っている有名曲が流れだす。
「これなら手軽に曲を聴けるかなと思ってね」
「うん……ありがとう」
彼女は笑顔で礼を言ったあと、そっと目を閉じて曲に耳を傾けていた。
曲が鳴りやんで蓋を閉じれば彼女はまた目を開いた。
「どこに置こう? 机の上でいいかい?」
「ええ、そこでいいわ」
彼女の返事を聞いたのでオルゴールを片付けられた机の上に置いた。
「春人君、どうもありがとう」
摩耶ちゃんは再び礼を言ってきた。
少し不自然に感じて僕が顔を彼女のほうへと向けると、彼女は右手で目を覆っていた。
目の錯覚じゃなかったら、彼女の頬をつたっているのは涙じゃないだろうか。
女の子が涙を流すところなんて、最後に見たのは一体いつだろうか。
ドキドキしたけれど、見て見ぬふりをする気にもなれなかった。
そっと彼女のそばによって跪き、ポケットからハンカチを取り出して頬に当てた。
「あ、ごめん、ごめんね、春人君」
彼女は手で目を覆ったまま何度も謝ってきた。
どうして突然このようなことになってしまったのか、さっぱり分からなかったけれど、ひとまず彼女が落ち着くまで待つことにした。
何分経ったか、ようやく彼女は手をのけて目を僕と合わせてくれた。
「落ち着いた?」
「うん。ごめんね」
彼女は目を合わせてもう一度謝ってきた。
「いいよ」
一体何に対して謝っているかさっぱり分からなかったけど、ひとまず気にしないでくれていいと意思表示はした。
「どうしたのか、聞いてもいい?」
迷ったけれど、心当たりはまるでないのだから直接聞くしかなかった。
分からないまま放置すると、くり返してしまうかもしれないのだからやむを得なかった。
「……うれしくて、胸がいっぱいになっちゃって、急にこみあげてきて……」
彼女のたどたどしい説明をじっくり聞いて何とか理解できた。
オルゴールのプレゼントがうれしすぎて、喜びの涙がいきなり出てきたということだった。
彼女の心を傷つけてしまったわけじゃなくてよかったと胸を撫で下ろした。
「喜んでもらえたなら、よかった」
一言だけ言った。
何か言わないわけにはいかないという気分だった。
本当はもっと気の利いたことを言いたいのだけれど、ないものねだりをしても仕方ないと考えた。
「ごめんね」
またしても謝罪の言葉が飛んできた。
「気にしないでくれよ」
僕に対してあまり遠慮しなくてもいいと言うつもりで言ったのだけど、彼女は小さく首を横に振った。
「そうじゃないのよ」
彼女は天井を見上げながら懺悔するように告白した。
「私、死んでもいいと思っていた。両親の負担になり続けるなら、早く死んだほうがいいって」
彼女の言葉は感情がこもらない平坦なものだったけど、それがものすごく痛々しかった。
「でもね、春人君と知り合って、よくしてもらって、死んでもいいなんて思えなくなっちゃった」
彼女の表情が悲痛にゆがんだ。
「死ぬがつらくなるなら、会えないほうがいいと思っちゃって、そんな自分が嫌になって、だから、だから」
彼女の声に涙が混じった。
「そうだったのか……」
彼女はどうして割り切れているのだろう、自分の死を受け入れられているのだろうと不思議に思っていた。
だけども、それは正しくなかった。
ご両親のために早く死のうと思っていただけで、本当は死にたくないという気持ちを心の奥底に封じ込めていただけなんじゃないだろうか。
そしてそれを開けてしまったのは僕のせいなんじゃないだろうか……。
「悪者がいるとすれば、僕かな?」
僕と知り合わなければ、もしかしたら彼女はこんな気持ちにならなくてよかったのかもしれない。
早く死ぬのが親孝行だと思えていたのかもしれない。
「ち、違うよ」
彼女は泣きながら否定した。
「春人君は悪くないよ」
それだけ言って彼女は壁のほうを向いて嗚咽を漏らした。
僕はそれ以上何も言えず、ただ彼女の背中をさすっていた。
やがて彼女はぽつりと言った。
「どうせみんないつか死ぬのに、死にたくないと思うのは、どうしてなんだろうね?」
その言葉は僕の心を深く抉り、声を奪ってしまった。
頭が真っ白になってしまい、どう答えればいいのかと考えることすらできなかった。




