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「ここ、いいかな?」
僕が選んだのは彼女の斜め前の席だ。
四人掛けの机なんだから、正面や隣よりもずっと自然な位置だろう。
そんなに親しくもない女子の隣や正面にいきなり座る勇気がないというのもある。
「どうぞ」
穂高さんもここなら抵抗はなかったようで認めてくれた。
何となく気まずい思いをしたものの、彼女のほうはそうではないのか話しかけてくる。
「鈴成君、時々図書館に来てるわよね。本が好きなの?」
「うん、まあね」
彼女の質問に僕はそう答えた。
まさか本ではなく君に興味を持っていただなんて恥ずかしくてとてもじゃないけど言えやしない。
それに本が好きというのはウソというわけでもなかった。
「そっか」
と言った彼女の表情は形容しづらかった。
うれしさ、かなしさの成分以外にも何か僕では分からないものが混ざっているようだった。
「鈴成君はどんな本が好きなの?」
さらに彼女に話しかけられて正直やや戸惑う。
こんな積極的なタイプだとは夢にも思っていなかったからだ。
おとなしくて地味で目立たない、本好きの少女だというのは一方的に抱いていた幻想に過ぎなかったらしい。
「僕が好きなのはミステリーなんだ。アガサ・クリスティ、エラリー・クイーン、江戸川乱歩って分かる?」
「全員有名どころじゃない」
首をもたげた不安は、彼女に一瞬で笑い飛ばされる。
「セイヤーズやチェスタートンくらい出して来なきゃ」
などと言われてしまう。
ミステリー好きとしてはカチンとつい一言言いたくなってしまい、反論する。
「ドロシー・L・セイヤーズもG.K.チェスタートンもビッグネームじゃないか。それもアガサ・クリスティーやコナン・ドイルレベルのさ」
もしかすると僕だけかもしれないけど、セイヤーズとチェスタートンはミステリー好きなら知っていてほしいレベルの作家だ。
返ってきたのはクスクスという笑い声だった。
本で顔を隠しながら体を震わせているクラスメートの姿を見て、ようやく我に返る。
ずいぶんとムキになってしまったと反省し、同時にものすごく恥ずかしくなってきた。
「ご、ごめん?」
「謝らなくていいよ」
穂高さんは笑いをひっこめたものの、相変わらず愉快そうな顔のままだった。
「今のでムキになるんだから、鈴成君は本当にミステリーが好きなんだね」
試されたのかなと思ったが、不思議なことに不愉快ではなかった。
「うん」
セイヤーズやチェスタートンを知っているくらいでミステリー好きを名乗れないと言いたいところだけどやめておこう。
また笑われそうだし。
「私こそごめんね? 私もけっこうミステリーは好きだから、仲間を見つけられた気がしたの」
彼女はそんな風にカミングアウトしてくる。
「え? 君もミステリー好きなの?」
「エラリー・クイーン、綾辻行人、有栖川有栖、法月倫太郎……」
「なるほど」
挙げた名前を聞かされて何となくだけど彼女は「本格ミステリー」が好きらしいと伝わってきた。
「まさかクラスメートに仲間がいるとはなあ」
僕は率直な感想を漏らす。
ミステリーは子どものころから好きだったのだけど、本が好きな友達さえなかなか見つからなかったのだ。
「私も同じこと思ったわ」
彼女はうなずいてからブックカバーを外して見せる。
本のタイトルはエラリー・クイーンYの悲劇だった。
「Yの悲劇かぁ。個人的にはXの悲劇のほうが……」
「ええ? Yの悲劇のほうがいいでしょ?」
ここで僕らは初めて意見が対立した。
だが、僕に争う意思はないし、彼女も同感だろう。
「止めようか」
「ええ、そうね」
僕らは休戦に成功する。
その後沈黙がまたやってきた。
ミステリー小説以外に女の子と何を話せば分からなかったし、彼女も似たようなものだったのだろう。
もう少し話したい気もしたのだけど、そもそもここは図書館だったということを思い出してあきらめた。
クラスメートなのだし、何も今ここで話すことにこだわる必要もないと考えたのだ。
お互い本を読む作業に戻った。
ただ、彼女はどうなのか分からないけど僕のほうは本の内容が頭に入ってこなかった。
彼女のことで完全にいっぱいだった。
何しろミステリー小説が好きな仲間を見たのは初めてだし、同い年の女の子とまともに話したのはいったい何年ぶりなのかも分からなかった。
彼女の様子が気になったものの、チラチラ見るのは失礼だしどう思われてしまうか分からないと自重した。
黙って本を読んでいるだけでこんな頭がぐちゃぐちゃになったのは初めてだった。
どうすればいいのか分からなかったので、漫然と時間の経過を待っていた。
チャイムが鳴り下校時刻を在校生に知らせてくれた。
「もうこんな時間か」
と僕は言ったけど、わざとらしさを感じさせないか少し心配だった。
「本を読んでいると時間が経つのは早いよね」
穂高さんはそう答えると大きく背伸びをした。
僕もまねをした。
ずっと座ってて身動きしていなかったからか、お尻が痛くなっていた。
図書館を出た時、外は暗くなり始めていた。
「穂高さん、暗くなってきたけど大丈夫?」
相手は女子だからとマナーのつもりでたずねた。
「ええ。校門の外に母が迎えに来てくれているから」
「そうなんだ」
たしかにそのほうがいいだろうなと思った。
このあたりに変質者が出たという話は聞いた覚えはないけれど、女子は用心したほうがいいだろう。
……この時は、深く考えたりしなかったのだ。




