24
月曜日、摩耶ちゃんとの約束がある日。
朝からガチガチに緊張していた。
はっきり言って高校受験の時よりも、各種の発表会よりもよっぽどきつかった。
ベッドから出る時、服を着替える時、そしてパンを口に運ぶ時、目玉焼きを食べる時、何度も携帯をチラ見した。
問題がなければラポールへの連絡はなく、何かあれば中止の連絡が来るからだ。
「ずいぶんと落ち着きがないわねえ」
母さんには当然のごとくバレバレで、不思議そうな顔をされた。
ただ、それでも追及はしてこなかったのは幸運だった。
……母さんのことだから、この時の僕に聞いてもまとな返事がこないと分かっていたのかもしれないけど。
僕の心配は学校につくまで続いた。
もちろん、ついたからと言って安心はできないと頭じゃ理解しているつもりなんだけど、それでも大きなヤマを乗り越えた気分になった。
教室に入ってみると摩耶ちゃんの姿があった。
登校してよかったなと心底思うのとほとんど同時に、ちょっと大げさかなと自分に苦笑したくなった。
喜びのほうが圧倒的に大きかったので、そんな気持ちはすぐに消えてしまった。
ここまでくると彼女の体調が急変しませんようにと祈り続けるだけだった。
ただ、二時間目が終わったあたりで、できれば彼女が治りますようにと祈ったほうがいいんじゃないかと思うようになってきた。
祈ったら治るわけじゃないだろうけど、完治することを祈りさえしないのはどうだろうと疑問を抱くようになったのだ。
彼女がどうか治りますようにと祈ることにした。
何もしないよりはいいと思った。
祈った結果だとは考えられないけど、その日は何事もなく放課後がやってきた。
摩耶ちゃんは聞いていた通りまっすぐ教室を出ていき、僕は少し遅れてから続いた。
待ち合わせ場所は下駄箱じゃなくて、校門を出たところに停まっている迎えの車だ。
急げば彼女の追いつけそうだったけど、わざとゆっくり廊下を歩いて彼女との距離を維持した。
あんまりゆっくりしても車のところで彼女を待たせてしまうことになるから、下駄箱付近まで来ると歩くスピードを上げた。
誰かに見られたら不自然に思われるかもしれないけど、教室のところから下駄箱までずっと僕のことを観察しているような人なんていないだろうと軽く考えた。
下駄箱から校門までもやや速めに歩いたのだけど、いつもよりも距離が伸びている気がした。
校門を出て左側すぐに彼女が車の後部ドア付近で立っていた。
僕が近寄っていくとにこりと微笑んで小さく右手を振ってくれた。
ほとんど同時に運転席から彼女のお母さんが出てきて、ぺこりと頭を下げた。
律儀な人だなと思いながら彼女に誘導されるまま、後部座席へと乗り込んだ。
摩耶ちゃんは俺の隣には座らず、助手席に乗り込んだ。
「鈴成君、今日はどうもありがとうね」
彼女のお母さんはこちらを振り向きながら、せつなそうな顔で礼を言ってくれた。
「いえ」
この人の心中は察するにあまりあるので、僕は目を何とか合わせながら短く答えるにとどまった。
「もう、お母さん。春人君を困らせないで」
隣から摩耶ちゃんがすねた声で抗議した。
「ごめんごめん」
お母さんは弱々しい調子で摩耶ちゃんに謝った。
何も謝ることはないのにと思ったけど、彼女の心境を思えばフォローするのもためらわれた。
しかし、何も言わないわけにもいかない気分だった。
「好きでやっていることですから」
そこでこう言ったのですけど、お母さんはびっくりしたような顔でミラー越しにこっちを見た。
彼女もまた「えっ?」と大きな声をあげた。
驚くようなことかなと思った後で、だんだんと自分の言葉が恥ずかしくなってきた。
「けっこう男らしいところあるじゃない?」
お母さんは何やら満足そうな顔で言って、車を発進させた。
意外そうな一言にちょっぴりショックを受けた。
言われてみれば男らしさなんてないと思うのだけど、はっきりと言われてしまうと心穏やかではいられないのだった。
「よかったね」
と小声で隣の摩耶ちゃんに話しかけていた。
聞こえていますよなんて、恥ずかしくてとてもじゃないけど抗議できなかった。
摩耶ちゃんの反応はこの位置からだと見えにくかったし、うかがう勇気も出せなかった。
暗くてシリアスな空気が、一気に甘くてくすぐったい雰囲気に変わってしまったようだ。
いいのかなとちょっと思ったけど、暗い空気よりは病気にいいんじゃないかなと考えた。
そう思いたかったと言うのが正確だった。
僕らが車で連れていかれたのは、学校から徒歩十分ほどの距離にあるハンバーガーチェーン店だった。
「私は適当に時間をつぶしているから、二人でごゆっくり」
お母さんはエンジンを止めるとニヤニヤしながらそう言った。
「もう、お母さん」
摩耶ちゃんはたまりかねたように抗議の声をあげたものの、僕はやはり何も言えなかった。
車から降りたところで摩耶ちゃんとふと目が合った。
お互い頬を赤らめて視線をずらしてしまった。
「行こうか?」
男だからリードしなきゃと思い、彼女に声をかけた。
「うん」
彼女は恥ずかしがりながらもこくりとうなずいてくれた。
肩と肩が触れ合いそうになる距離を保ちながらゆっくりと歩いた。
彼女と僕はお揃いのシェイクを頼み、品物を受け取ると窓側の席に向かい合って腰かけた。
彼女は物珍しそうに店内を見回していたけど、僕は止めなかった。
だって彼女がこういう店に来たことがないと知っているからだ。
記憶に焼き付けようとしているかのような行為を、僕が止められるはずもなかった。
「こんな風になっているんだね」
彼女は抑えた声でそう言った。
「うん。シェイクとかだけならそんなに安くないから、来ている人はいるみたいだよ」
と僕が答えると彼女は納得したようにうなずいた。
僕ら以外にも何組か学校の制服を着た客がいるからだ。
カップルらしきペアもいるけど、女子同士、男子同士が目立っていた。
平日だから友達同士で来ているのだろうかと漠然と思った。
摩耶ちゃんは物珍しそうにストローやカップをいじっていた。
貴重な体験をしている最中だから、僕のほうから何か言うことはないようにしようと思い、シェイクを味わうことにした。
覚えがある、特に抜きん出ているわけじゃないけど、おいしい味だった。
彼女は僕の真似をしながらゆっくりとシェイクを味わい始めた。
僕はまた気が向いた時に来ることが出来るけれど、彼女はそうではないのだ。
だから堪能してほしかったし、時間の流れが遅くなってほしいと願った。
「美味しいね」
彼女は噛みしめるような表情でぽつりと言った。
「そうだね」
僕はなんと答えるべきか迷いながら、変哲もない返事をした。
「後、一回くらいは来られるかしら」
彼女の声はしっかりとしていたけど、その表情は強い日差しを浴びる淡雪のようにはかなく消えそうだった。
「その気になれば、何回かは来れるんじゃない?」
僕は少しでも励ましたいと思ってそんな馬鹿なことを言った。
医者の許可さえおりれば、毎日来ることだって出来るんじゃないかという気持ちは、決して嘘ではなかったのだが。
「そうだね……頼んでみようかな」
彼女はうつむいてストローを動かしながらそう言った後、不意に顔をあげた。
「でも、春人君と本の話をするのも楽しいし、選べないわ」
彼女ははにかむように、そして楽しそうに笑みを浮かべた。
可愛いけれど、強風に煽られて今にも散りそうな可憐な花を連想してしまった。
イチイチそのように反応してはいけないと自分に言い聞かせ、強く意識をして笑みを作った。
「両方やるっていうのはどうだい? こういう店でさ」
「それは素敵な考えね」
彼女は目を丸くして、うれしそうに両手を胸の前で重ね合わせた。




