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少しの間、だけど僕にとっては気絶してしまいそうになるくらい長い時間が経ってから、彼女がおずおずと口を開いた。
「でもいいの? どうして私によくしてくれるの?」
「何でって……」
彼女にしてみれば当然の疑問なのだろうけども、僕にとっては容易には言えないことだった。
ただ、答えないわけにはいかない質問だと不安に揺れる彼女の瞳を見て直感した。
僕が口を開くまでにどれだけ時間が経ったのか分からないけど、たぶん僕らの体感では一時間を超えただろう。
「放っておけないと言うか、何かしてあげたいと思うんだよね……もしかしたら君のことが好きなのだろうか?」
僕としては自分の気持ちを正直に、正確に伝えたつもりだった。
ところが彼女はぷっと吹き出したのだった。
「なのだろうかって、疑問形なの?」
どうやらツボにハマってしまったようだった。
口を右手で隠しながら両肩を激しく震わせていた。
そのせいで暗い雰囲気にはならなかったのだけれど、確かに「好きなのだろうか?」という答えはいただけないなと反省した。
「実は僕、初恋もまだで……」
頭をかきながら恥を忍んで打ち明けた。
「女の子を好きなるってことがイマイチよく分からないんだよね」
「そうだったの」
彼女は笑みを引っ込めて真剣な顔で聞いてくれた。
笑われても仕方ないと思っていたのだけど、彼女は笑ったりしなかった。
「摩耶ちゃんの初恋はいつ?」
ひそかに気になっていたことをこれ幸いとばかりに聞いてみた。
「えっと」
彼女は少しとまどったようだったけど、隠したりはしなかった。
「小学校の低学年の頃。優しくてスポーツが得意な男の子がいたの」
はにかむように、それでいてどこか懐かしそうな顔で彼女は教えてくれた。
儚いながらも美しくて、きっと大切な思い出なのだろうと推測することができた。
その男の子と再会してみたいとは思わないのかなと思ったけど、彼女が何も言わないならば聞かないほうがいいと考えた。
「いい思い出なんだね」
僕の言葉に彼女はこくりとうなずいた。
「あの世があるのだとしたら、思い出は持っていけると信じたいわ」
と彼女は言った。
これはきっと本心なのだろうけども、だからこそ僕としては言葉に詰まってしまった。
いや、もしかするとこれがよくないのかもしれないと、ちょっとしてから思いなおした。
彼女は自分の寿命を受け入れているだけに過ぎないのではないだろうか。
困ったり深刻な顔を受け止めても、彼女に気を使わせてしまうだけなのではないだろうか。
「僕のことも持って行ってくれたらうれしいな」
冗談っぽく、それでいて真面目な顔で言うと、彼女は透明感あふれる微笑で答えてくれた。
「もちろん、大切にしまって持っていかせてもらうわ」
本来ならとてもうれしい言葉だっただろうけど、うれしいどころか胸に苦い痛みが走った。
それを態度に出さないように気を付けた。
「君のために何ができるのだろうと思っていたのだけど」
せっかくの流れだからと思い切って言ってみた。
このタイミングで言わなければ、二度とチャンスが来ないのではないかという焦りもあった。
「思い出作りに協力すればいいのかなと思うようになったよ」
「……ありがとう」
僕の言葉に彼女はそっと目を伏せた。
笑顔じゃなかったことが痛々しかった。
それでも気づかないふりをしようと思った。
あまり察しすぎると彼女を不快にさせてしまうかもしれないので。
「ハンバーガーショップ以外に行きたいところはある?」
ちょっと明るめの声で質問してみると、彼女はやや考えてから答えた。
「公園かな。友達とふたりで歩いたり、そういうのをしてみたいとは思うの」
公園に歩いていくことか。
ハンバーガショップの件もあわせて彼女の望みがささやかすぎるのが悲しいけれど、必死に胸の内にしまおうと意識した。
「じゃあハンバーガーショップに行った帰りに、どこか公園に寄ってみようか?」
「うん。お母さんに相談してみるね」
彼女はうれしそうに言った。
ここまで言っておいてなんだけど、明日というのはあくまでも彼女の体に何事もなければの話だ。
それをあえて指摘すると空気がぶち壊しになりそうだったけど、全く触れないのも何だか違う気がした。
「もし具合が悪くなったら、中止しようね」
僕が言うと彼女はこくりとうなずいた。
「その時はごめんね」
「謝ることじゃないよ」
だって彼女の責任ではないのだからと答えた。
願わくば何事もありませんように。
どうか彼女と遊びに行けますように。
僕は生まれて初めて本気で神様に願った。
「ダメだったらその時はその時で考えよう。日にちをずらしたらいいんだし」
だから気にする必要はないと僕は力強く言った。
「ええ」
彼女は「あ」という形を作りかけ、そこから言い直した。
謝らないほうが僕にとっていいと考えてくれたのかなと思った。
気持ちが通じ合った気がして、背中がくすぐったくて、それから胸がぽかぽかと温かくなった。
「そう言えばハンバーガーは食べられるの?」
ふと閃いたのは純粋な疑問だった。
食事制限はあまりないのかなと思っていたけど、具体的なことは何も知らなかったことに気づいたのだ。
彼女は悲しそうに首を横に振った。
「食べないほうがいいとは言われているわ。どうしても食べたいのなら、あえて止めないとも」
返ってきた答えに胸を抉られるような気分になった。
どうしても食べたいならあえて止めないって、つまりは……と思わざるを得なかった。
「そっか。じゃあ食べられそうなものは何かある?」
「アップルパイとかミネストローネとか、シェイクなら大丈夫だと思う」
スイーツ系、スープ系なら大丈夫なのか。
平日に行くとしたら学校の帰りになるだろうし、ちょうどいいと言えそうだった。
「食べたいモノ、ある?」
ついでとばかりに聞いてみたら、彼女はちょっと困った顔になった。
「今決めておいたほうがいいかしら?」
彼女の表情を見て悪手だったと理解できたのですばやく謝った。
「ごめん、せかすつもりはなかったんだ。ただ、興味があるものはあるのかなと思っただけで」
「ううん、気にしないで」
幸いなことに彼女はすぐに許してくれた。
「春人君のおススメは何かある?」
ホッとしているところへ質問が投げかけられたので少し焦った。
何と言うべきかやや迷ったものの、正直に答えることにした。
「ごめん、あまり行かないから分からないよ。スイーツは人気らしいと風のたよりに聞いたことはあるけど」
がっかりされてしまうかもしれないけど、適当なことを言ったのが後になってばれるよりはマシだと考えた。
「そうなのね」
彼女は特にがっかりした様子はなく、何かを考えるようにそっと視線を明後日の方向へずらした。
それは数秒のことですぐに視線がこちらに戻った。
「じゃあ一緒に選びましょうか」
「そうだね」
彼女の言葉に深く考えずにうなずいた。




